泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

いちばん長い夜に

2024-01-27 18:44:58 | 読書
 仙台の3・11メモリアル交流館で出会った3冊目。
 前科があり、刑務所での刑期を終え、出所後、再会してはいけない規則を破って再会し、東京の根津でひっそり身を寄せ合って暮らす芭子(はこ)と綾香の物語。
 連作の短編集で、シリーズとしては三作目のようですが、この本だけでも十分楽しめました。
 綾香は40代後半、芭子は30代入ったばかり。綾香はパン職人として自立するために街のパン屋で朝早くから働いている。芭子は、なかなか進路が定まらなかったけど、祖母の残した古民家で、あそこ(刑務所)で身につけた裁縫の技術を生かし、ペットショップで働きつつ、ペット用の服をオーダーメードで作る仕事を始めていた。
 世間知らずの芭子に、元主婦でもあった綾香は料理や身の回りのことや銀杏のことなど、教えられることはなんでも教えていた。綾香があっての芭子で、綾香もまた芭子を誰よりも大事にしていた。
 些細な事件はあっても、過去がばれることもなく、根津で仕事も順調に増え、夢も描けるようになっていた。
 そんな日々を描いた前半では、どこに3.11と関連があるのだろうと思っていました。まあなくとも、前科持ちの主人公の物語は初めてで、とても興味深く読んでいたのですが。
 二人が動き出すのは、綾香に言い寄る男性が現れてから。
 その男性は綾香の働くパン屋に通い詰め、手紙を渡すようになる。その母親が綾香に直談判する。なんとか息子の願いを聞き入れてはくれないか、と。
 その場面に芭子は居合わせてしまう。そして綾香が、今まで見たこともない暗さで断る。私は幸せになってはいけない人間であり、一人で死んでいくべきだと。
 芭子はショックだった。綾香の本心を知らなかったこと、私に本当のことを言ってくれていなかったこと。綾香は表面的にはいつもにぎやかで、笑って過ごしていた。
 綾香の罪は殺人でした。元夫の暴力に耐えられず、生まれたばかりの息子まで殺されると追い詰められて。
 芭子の罪は昏睡強盗でした。ホストに入れ込み、貢ぐために。
 芭子は、綾香の故郷である仙台に行き、綾香の息子を探そうと思ったのでした。自分で稼いだお金で、綾香への恩返しも込めて。
 その芭子にとって初めての遠出で、あの東日本大震災を体験する。
 この展開は、さすがに出来すぎかと一瞬思った。でも、そうではないとすぐ思い直す。
 というのも、描写がリアルだったから。それだけでなくて、その後の展開も納得のいくものだったから。
 これは著者による後書きで知ったのですが、実際に著者が、芭子を追うように綾香の出身地である仙台を訪ねたとき、東日本大震災が起きていました。
 なので仙台での芭子の体験は、ほとんどそのまま著者が体験したことでもあった。タクシーを3台乗り継いで、翌朝には東京まで戻ったことも。
 芭子は、南くんという男性と知り合う。仙台行きの新幹線で隣に座り、やっとのことで見つかった夜のホテルでも隣にいて。芭子は南とともに東京に戻る。その後も連絡を取り合って、会うようになる。
 芭子は、彼が弁護士であることを知る。そして彼から逃げようとする、自分の過去を知りうる人だから、自分の過去を知られたくなかったから。
 でも彼は逃さなかった。出会ったときから、彼女と付き合うことになると直感しており、好きだったから。
 彼女は彼に全て話す。彼と彼女は、ゆっくりと受け入れあっていく。変わっていく。
 綾香は、東北の被災地へのボランティアを始めた。働いているパン屋で、無知な若いものに福島の放射能を持って帰るなと心無いことを言われ、喧嘩して辞める。そして東北にほとんど泊まって、たまにしか帰らなくなった。表情は暗く、むっつりしてほとんどしゃべらない。
 一年経った、二度目の3.11。芭子の家で、南くんは当たり前のようにこたつに入って仕事をしており、そこに連絡もないまま綾香が帰ってきた。被災地で、たくさんの死に触れてきた綾香は、自分は人を殺すべきではなかったのだと初めて言う。逃げればよかったのだし、強盗と殺人では全く違うのだと、やっとまとまった本音を芭子と南へ告げる。
 やっと言語化できた綾香は、次へ行く。気仙沼で再建するパン屋で働くことになる。そこのご夫婦はボランティア活動で知り合い、意を決して己の罪を語った綾香を泣いて受け入れていた。
 芭子も綾香も、震災を通じて新たな出会いをした。そのご縁で、次の道へ進むことになる。
 二人とも、もう嘘は付きたくなかった。本当のことを言える相手が必要で、その要求が満たされて初めて自分を受け入れることもできるようになりつつある。
 この一連の流れが本当に自然で、長い時間に渡っているので、私自身、振り返りつつ、共感して没入できました。
 震災は正月にも起きるし、これからも起きます。
 人は、大して変わらない。また同じように間違うし、大事なことも忘れる。
 だから人は書いてきたのかもしれません。
 記憶し、言語化し、見えるようにし、物語る。
 私のように、また必要とする人の元へ、届けるために。

 乃南アサ 著/新潮文庫/2015


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