泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会

2024-05-01 15:20:34 | マラソン
 4月28日の日曜日、岩手県の花巻を走りました。
 初参加です。
 ツーショットしてもらったのは、地元花巻の「フラワーロール」ちゃん。高校生たちでしょうか。スマホ持って近づいたら「撮ります?」と声をかけていただき、「お願いします!」と。ちなみに参加賞のTシャツにもフラワーロールちゃんは描かれており、レース後に着て町を歩くほど気に入ってしまいました。
 全国のマラソン大会のエントリー情報をいつもチェックしているのですが、この大会を見たとき、胸が高鳴りました。心は「出たい」と言っていたし、足は「走りたい」と訴えてもいましたので、すぐエントリーしていました。
 花巻でマラソン大会が行われていることも知りませんでした。今年で12回目です。
 花巻に引かれたのは、もちろん宮沢賢治の故郷だからです。賢治のことは、後で書きます。



 当日は晴れ。スタート時の気温は21℃くらい。ゴール時は24℃くらい。
 ときより吹く風が気持ちよかったけど、直射日光を浴びていると暑い。日陰は涼しいのですが、スタートして競技場を出ると、9割は田んぼ道。遮るものは何もありませんでした。
 永遠に続くかと思われる田んぼの中の一本道。遠くには奥羽山脈が見えます。山裾には花巻温泉街がありますが、その近くでUターンするコースでした。
 折り返し手前で少しきつめの凸凹を往復する他は、なだらかな坂もあり、競技場に入る前も上りでしたが、高知や熊本に比べたら優しい感じでした。
 花巻東高校をはじめとした高校生たちがボランティアで活躍していました。受付から会場案内、コース誘導、給水に給食、ゴミ集め、ランナーへの励ましも。応援してくれる市民の方たちはそれほど多くなかったので、余計に高校生たちに助けられたという印象が強いです。
 暑さ対策はしていきました。ネッククーラーにアームクーラー。さらに昨年から導入している登山用の手袋。どれも水をかけると冷たくなります。日焼け防止にもなります。
 給水で必ず水を飲んでは首筋、腕、手にも水をかけました。それと高校生たちの応援を支えにして、無事完走できました。



 参加者は2477人で、種目別の40代男子は345人でした。種目別で77位ということは、上位22%くらい。まあ、いつもだいたいこの上下にいます。
 ここより上を目指すのであれば、月間の走行距離を伸ばすことでしょう。今は約100キロ前後ですが、それは生活によります。もっと走れる状況になれば走るでしょうが、生活の全体のバランスがあります。疲れすぎたり、怪我したら元も子もない。
 私にとって走ることは大切でずっと続けますが、基本的に健康のため、頭のため、創作のためです。なので元気に頭もすっきりして書けているのであれば、それ以上のことはランに求めません。といっても欲は出るものですが。
 2年前に仙台で出したハーフマラソンのベストタイム(1時間37分13秒)よりは2分ほど遅かったけど、1時間40分を切れたのだから上出来です。
 暑さがなかったらもっと速かったと思うけど、「たられば」がないのがマラソン。
 どんな状況であってもベストを尽くす。それがマラソンの醍醐味であって、達成感の源です。
 ゴール後はおにぎりとおそばとりんごジュースでおもてなししていただきました。
 ゴール後にあったかいそばって初めてではないでしょうか。さすが岩手。
 そばは大好きです。やはり本場のそばは一味違っておいしかった。そば自体の香りやこしもそうですが、つゆがまたふくよか。釜石と電車でつながっているからか、しっかり海のもの(昆布に鰹節)も活かされていると感じました。
 りんごジュースがまた最高でした。りんごも毎日食べるほど私の大好きな果物です。

 走ってからもう3日が経ちますが、本当に行ってよかった。
 ランが私を花巻にまで連れて行ってくれました。
 これからもどこに連れて行かれるのか、楽しみにしています。
 次は11月の神戸を予定していますが、抽選になるようなのでまだわかりません。
 それにしても私は暑さに弱いですね。それもまたよくわかりました。
 花巻でも、今まで経験したことのない寒暖差の激しさだそうです。
 夏場は長く、強く走ることはできません。
 こまめに、朝の涼しい時間を活用して、リズムよく、いい汗をかいていきたい。
 健筆を支え、次の新しい場所、秋の大会へとつなげていけるように。
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高知から花巻へ

2024-04-20 17:36:02 | マラソン
 高知龍馬マラソンからもう2ヶ月が経ちました。そのときの写真をあげておきます。
 フルマラソンの後は、当然のことながら疲れが出ます。回復するまで約1ヶ月はかかるのではないでしょうか。
 私の感覚ですが。働きながらでもあるので、個人差はもちろんあるでしょう。
 その間、書店では棚卸しがあり、そのための整理があり、春休みになって接客に追われつつ、年度末で納品も増え、さらには杉花粉で自由を奪われ。
 結構大変でした。それらを無事乗り越えて、春。




 最近の新緑の美しさには、改めて目を奪われます。
 杉花粉もおさまって、穏やかな天候の下で、痛みもなく思い切り走って、おいしい空気を胸いっぱい吸えるのは、本当に心地よく、生き返る思いです。
 その中で出会った花々の写真は、後でまとめてあげます。
 で、次の大会が1週間後に迫ってきました。



 初めて参加します。
 岩手の花巻も初めて。
 私が何より惹かれたのは、宮沢賢治の故郷だということです。
 私はいろんな作家の影響を受けてきましたが、なかでも宮沢賢治は重要な人の一人です。
 どこまで賢治の世界を自分のものにできるかわかりません。
 ただ、行きたい。走りたい。
 そう強く感じたので参加してきます。
 賢治も過ごした花巻を歩くだけでもいい。
 記念館などたくさんゆかりの場所はありますので、今から楽しみです。
「銀河鉄道の夜」は3回は読んだでしょうか。
 特にうつ病でどうしようもなかったとき、言ってみれば自分が生まれ直し始めた一番初めに読んだのが宮沢賢治であり、「銀河鉄道の夜」でした。
 私はジョバンニをからかい、川に溺れたザネリだった。川に飛び込んだカンパネルラはザネリを救出し、自分は帰ってこれなかった。ジョバンニは、カンパネルラを一生の友と信じていたけれど、途中で別れざるを得なかった。
 読むたびに救われる。掬われる。
 震災や人災の絶えない現代。賢治の祈りは、もはやみんなの祈りになっている。
 自分に何が吸収できるのか。自分に何が創作できるのか。現代、そして未来に必要なものとして。
 行ってみなければわかりません。
 行ってきます。
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高知龍馬マラソン

2024-02-22 13:32:00 | マラソン
 11回目のフルマラソンは高知龍馬マラソン。
 スタート時は曇りでしたが、後半ほど晴れ渡り、予想通り気温が上がりました。
 海に出るまでは順調でした。でも、走って3キロほどでもう汗が出ていたので、水分補給はしっかりと意識して。
 海に出るまで4つくらいでしょうか、トンネルを潜りました。トンネルの中はひんやりとしていて快適でした。
 20キロ付近、1番目の難関が現れました。浦戸大橋です。
 警戒はしていましたが、想像を超えていました。
 まだ上がるんかい! 今まで経験したことのない角度と距離。約50メートル、急な上りが続きます。
 歩いていたランナーもちらほら。しかし、私は根性で走り切りました。私は粘り強いタイプ(良くも悪くも)ですから。
 頂上では太平洋が一望できます。下りると、海岸沿いの道を西へ。
 海岸沿いにも応援の方達が切れ目なくいてくれました。
 直線に飽きてくると海を眺めて、キツくなってきても「ああ最高だ」と思う。こんな体験は二度とないから。
 長い海岸をさらに進むと、仁淀川に出ます。仁淀ブルーとして有名できれいな川です。
「ああきれいだ」と思いつつ、その辺りから細かなアップダウンに苦しめられ始めます。
 30キロ付近、日差しも強くなってきて、正念場です。
 堤防下の日陰を使ったり、給水を首筋にかけたり。
 応援を身に浴びて、見られていることを力に変えて。
 手を差し出している方達もいましたが、ハイタッチする余裕すらありませんでした。なんというか、余計な動きは極力避けたい、という気持ち。それだけ暑かったし、過酷でした。
 ペースを落としながらもなんとかうねうねを乗り越え、海から離れるように左折すると、数少ない田んぼの中の平な一本道。40キロ付近でしょうか。ここで少しリズムを整えることができました。
 が、ラストの競技場に入る前、またしても忽然と上り坂が現れます。
 ここも警戒していたポイントです。が、ここも想像を超えていました。
 まだ上がるんかい!(2回目)
 もう体力も限界で、首筋や耳や、頬は容赦なく焼かれるし(日焼け対策はしていませんでした)、ここは本当にやばかった。
 でも、走り切りました。私は、あれなので(2回目)。

 


 ゴール後の競技場です。
 トラックの中の人工芝で、完走賞のタオルを顔にかけ、しばし倒れていました。走り抜けば、気持ちのいい青空です。
 落ち着いてきて、生まれたてのひよこのようによろよろと歩き始めます。
 前のテントでは、中学生たちでしょうか、完走証を発行してくれました。私は卒業証書を受け取るように、両手でありがたく拝受。完走メダルも首にかけてもらいました。
 競技場から出ると、手厚いおもてなしゾーンが待っていました。



 自分の完走タイムを表示してくれるのです。こんなサービスは初めてでした。
 酪農家の方達が牛乳を、地元の高校生が土佐文旦とスイカを、さらにはカツオのたたき、つみれ汁までランナーに提供してくれました。
 たくさん屋台も出ており、いくつか買い食いすれば昼食は十分。
 手荷物を受け取り、送迎バスへ。スタート地点からゴールは離れています。なのでバスで送っていただきました。



 1年前の熊本城マラソンより4分遅いです。
 でも、肉離れの影響はなく、痛みなく完走できたのは本当に良かった。
 暑くなかったら、とも思いますが、天気も含めてのマラソンなので仕方ありません。
 当分は3時間40分を切るのが目標です。
 そのためには1キロ5分10秒ペースが必要です。今回の平均は1キロ5分19秒でした。
 あと少しなのですが、サブフォー(4時間切ってゴールすること)達成にもかなり時間がかかりました。
 マラソンは、やればやるほど上達しますが、それなりに時間もかかります。
 そのマイペースでできる感じが、文学にも似て、私の性に合っているのでしょう。
 ベストタイムは2019年の東京マラソンで出した3時間38分30秒。そのときは冷たい雨で、雨対策ゼロで、冷えで太ももがつりましたが、それでもベストタイム。
 いかに東京が走りやすいか、ということですね。だって下り坂しかありませんから。
 東京は、私が走り始めてから(2011年)毎年応募していますが、今までその1回しか抽選に当たったことがありません。これからも毎年応募はします。
 が、地方大会の楽しさにも目覚めてしまいました。
 次はどこにしようかな。
 実は決まっています。
 岩手県の花巻。4月28日、イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会にエントリー済みです。
 そのあとは11月の神戸、来年2月はいわきサンシャイン。そこまで考えています。
 日本から飛び出したいとも思い始めました。
 海外レース。想像しただけでわくわくします。

 楽なだけのマラソン大会なんて一つもないのに。
 それでもまた出たくなるのは、やっぱり、楽しいからです。
 行ったことのない土地を走り、風に吹かれ、空気を胸いっぱいに吸い、初めての人々と触れ、現地のおいしいものをいただき、地下から湧き出る温泉に浸かり、うちから遠く離れた場所で眠る。
 旅ランと言いますが、私にとってこれ以上刺激的で面白い遊びはない、と言ってもいいかもしれません。
 それは読書とも似ていますね。
 まあ読書で筋肉痛になったり、日焼けしたりはしないですけれども。
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東北・みやぎ復興マラソン2023

2023-11-08 16:55:09 | マラソン
 記念すべき、10回目のフルマラソンでした。
 ちょっとおさらいしてみたら、実は11回目の参加でした。
 というのは、一度だけ、完走できなかった大会があります。2015年の「さいたま」でした。
 埼玉から世界へ、と大会は高らかにうたっており、関門の制限時間が厳しかったのです。
 私は確か、35キロ付近でしたか、突如現れたバリケードによって、人生初、無念の強制DNF(DO NOT FINISH)。
 屈辱的な出来事は、思い出したくないのかもしれません……。

 さて、当日は曇り、気温は15度くらいで湿度が80%。北西の風が2メートルくらい。
 走りやすかったけど、湿度が高かったのですぐに汗をかきました。
 汗をかいたのは、湿度のためだけじゃありません。
 実は、足を痛めていたのです。
 いつ痛くなるか、ヒヤヒヤしていました。
 右のふくらはぎ。当日は痛みはなかったけど、走って5キロくらいでしょうか、痛みが再発。
 痛みがあると、その患部は十分に使えません。ランニングは全身のバランスで前に進みます。なので、他の箇所に負担がかかっていったのでしょう。
 自分でも変な走りになっている自覚はありました。
 それでも痛みは、走れないほどではありませんでした。
 我慢して、20キロまでは何とか、当初の予定通り、1キロ5分ペースをキープできました。
 余裕は全然なかった。橋のアップダウンで、普段なら大したことはないのですが、消耗していきました。

 ラップを見ていると明らかですね。
 ハーフを過ぎてからは、ずるずると後退。
 25キロ付近では、ついに右足の太ももがつりました。
 つってしまうと止まらざるを得ません。手で叩いて、足を伸ばしたりもして、何とかまた走り出せるようにはなりますが、またいつつるかわかりません。
 30キロも行ってないのに、もうつるのか。自発的DNFも頭をよぎりました。
 記録はもうあきらめていました。仕方ない、切り替えて、とにかく最後まで行こうと。
 足がつりそうになったら歩き、休めたらまた小走り。そんなことを繰り返して、少しずつ前へ。
 助けになったのは、応援の数々。
 地元の名産をたくさん提供していただきました。
 笹かまに牛タン、岩手は高田のおにぎり、荒浜のりんご、ずんだのお菓子、パッションサイダー、バウムクーヘン、他にもたくさん。
 ゆっくりだったから、歩きもしたから、そこにいる人たちの顔が見えた。声が届いた。
 辛いのは足だけだった。顔は笑ってた。気持ちは軽やかだった。
 ゴールタイムは、歴代下から3番目の4時間11分1秒。
 でも、記憶という意味では、一番上かもしれません。
 フィニッシュして、振り返って、帽子をとって一礼するのですが、毎回込み上げますが、今回は溢れる涙を堪えられませんでした。
 完走メダルは、石巻市の雄勝石。小さな子供にかけてもらうのですが、今回ほどうれしかったこともありません。

 本番を終えてみないとわからないことがあります。
 今回は、足の痛みのこと。
 振り返れば、暑くて、十分に長距離走を積むことができていませんでした。
 合わせて、使い慣れていたランニングシューズが累積走行距離1200キロを超えて、さすがに消耗していたので買い替えていました。
 新しいシューズは初めてのカーボンシューズ。反発が強くて硬い印象でした。
 その靴を初めて履いて、いきなり30キロ走ったのでした。そして右足を痛めた。それが10月の始めくらい。
 たったのひと月では、新しい靴を履きならすこともできず、足の治癒も完了できなかった。
 疲れを取るために通っている温泉施設が臨時休業というアクシデントもありました。
 他のランナーたちも、ずいぶん足がつっていたようでした。
 暑さによる練習不足、これが一番大きかったのでしょう。
 暑さには勝てません。
 でも、私は私にできることを積み重ねた。
 だからこそ涙は溢れた。
 応援を受けて、初めてフルマラソンは完走することができます。
 絶対に、一人では走り切ることはできません。
 私が一人で走っているのは事実ですが、たくさんの人たちに支えられていることを実感できるのがマラソンの醍醐味です。
 かの地で、完走できたこと。
 地元の人たちと、ささやかだけども確かに交流できたこと。
 また一つ、宝物ができました。
 あと、写真のアスリートビブス。
 せっかく思いを書いたのに、前につけて走ってました。
 腹じゃなかなか見てもらえないよね。背中につけておけばよかった。
 二人のランナーには声をかけてもらえましたが、もっと増えていたかも。反省……。
 
コメント (2)
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熊本城マラソン2023

2023-03-15 17:22:03 | マラソン
 4年ぶりのフルマラソンからほぼ1ヶ月になろうとしています。やっと体調も超回復してきた感じです。購入した大会の写真が届きました。
 この写真は、ラスト1キロ付近でしょうか。びしょびしょですね。自分ではあまり意識してませんでしたが、雨に濡れました。
 スタート前まで雨で、整列しているときにはいったん止みました。なので、雨対策グッズ(100円ショップで買ったレインコートとビニール手袋)は、スタート時にゴミとして回収してもらっていました。
 雨上がりは走りやすいものです。強い日差しはなく、風もなく、ひんやりしており、何より適度に空気が湿っているので呼吸が楽で、水分補給も少なくて済みます。
 出出しは快調でした。ほぼ1キロ5分ペース。これを最後まで続けられれば、自己ベストの3時間38分30秒を上回るだけでなく、3時間半切りも見えてきます。
 22キロまでは。
 再び雨風がやってきたのでした。
 海が近づくにつれ、海からの冷たい向かい風と雨にさらされました。
 そこで乱れました。
 大きな人の後ろについて風除けしたりしましたが、どうしてもペースが落ち、リズムも崩れます。なので仕方なく自分で前に出て、雨風を受け、また集団の後ろにつける。
 そんなことを繰り返し、雨風を凌ぎましたが、やはり体力は削られてしまいます。
 30キロを過ぎても元気でしたが、35キロくらいからでしょうか、足が動かなくなってきました。
 ちょうどきついアップダウンもあり、ラストはひたすら城に向かって登っていくのでペースが上がるはずもありません。
 前回の東京マラソンで、38キロ付近で左太もも裏をつったので、その悪夢もよぎりました。
 きつくても、最後まで止まらず完走できたのは、日頃の鍛錬と経験と、何より応援してくれる人たちのお陰でした。給水と給食を欠かさなかったのもよかった。

 

 3時間40分11秒。
 雨風と、ラストの上り坂を考えれば、上出来です。
 4年のブランクも埋めることができました。
 次は、11月5日の、東北・みやぎ復興マラソンを走る予定です。

 

 これはおまけ。
 マラソンの翌日、水前寺公園に入ったら、カメラマンのおじさんに話しかけられて、わざわざ東京から来てくれたんだからということでサービスで撮ってくれた一枚です。
 熊本は、食べるもの、飲むもの、空気もみんな美味しかった。
 豊かな文化もあり、人々は元気で、力をもらってくるには最高の場所です。
 手にしているトートバッグは、地元の書店、長崎次郎書店で買ったもの。平積みの本の上に猫が座っています。
 そのバッグにお土産を入り切らないほど詰め込んで、帰ってきたのでした。
 家に帰ってから熊本で買った駅弁をいただきました。どれもおいしかったけど、とくに「鮎屋三代」は最高でした。
 天然の鮎が食べられるほどいるのは、清水が豊富な証。水が、何より美味しかった。
 豊かで美しくて清らかで緑が濃く、おいしい自然がたくさんあるということは、大きな災害、水害、地震、噴火などもあるということです。
 水俣病の悲劇も、決して忘れられない体験として息づいています。
 いかに共存していけるのか。
 天災と、人災と。
 自然と、人と。
 現場を歩くことが第一歩なのかもしれません。
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第39回気仙沼つばきマラソン

2022-11-09 15:17:57 | マラソン

 4年半ぶりの気仙沼、大島。そして、ホヤぼーやとも再会を果たし、旧交を温めることができました。
 コロナ禍は終わっていないけど、ワクチンも3回打って、ちょうど感染の波が低いときに行くことができました。
 今回は父とともに。父は7年半ぶり。会いたい人たちがたくさんいました。大島は父のふるさと。
 帰ってきて思うのは、大島は私にとってもふるさとだということ。
 あの大津波で私の覚えている景色はほとんど消えた。新しい景色を受け止めるのに時間がかかっています。
 一人だったら、とてもじゃないけど乗り越えられなかった。つばきマラソンの連続するアップダウンの激しさも同じで。
 待っていて受け入れてくれる人たちがおり、歓迎されて歓待されて、ご馳走をたらふくいただいて。
 自己ベストが出ないわけがない。ということでもないと思うけど、つばきマラソンでのコースレコードを出すことができました。
 1時間42分38秒で、前回参加した2018年のタイムより1分53秒上回っていました。
 順位は、一般男子ハーフマラソンの部で、228人中49番目。だいたい上位22%くらい。
 私の実力からすれば妥当なところ。上には上がいます。
 が、自己ベストを目指していたので、目標を達成できてうれしい。また一つ、小さな自信を積み重ねました。
 応援も身に染みました。いとこがいて父がいておばさんおじさんがいて。
 気仙沼は狭いので、「菊田」さんも多いし、みんな親戚のようなものです。
 大漁旗を振ってくれる人がいた。縁石に並んで座るおばあちゃんたちがいた。ペットボトルに小石を入れて鳴らし、リズムを思い出させてくれる人がいた。
「年寄りも頑張ってるから頑張ってね」と言ってくれる人がいた。「がんばれー」と絶叫する小さな子供たちがいた。
 何度手を振り、うなずき、「ありがとうございます」と言ったことか。
 好天にも恵まれて、ラン友とも再会できたし、レース後の兜焼きもわかめ汁もゆず茶も最高に美味しくて。
 本当によかった(しみじみと)。
 また、行こう。
 また、帰ろう。
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アイラブ大島

2022-10-23 17:34:05 | マラソン
 気仙沼つばきマラソンのナンバーカード(アスリートビブス)が届きました。
 大会まであと二週間。今日は23キロ走って、走り込み完了。あとは疲れをとり、調整します。
 気仙沼へは4年半ぶり。今回は父も行く予定で、コロナのこともあって宿泊は父のいとこの方のお世話になることにしました。
 いつもおいしい海の幸を送ってくれる方達。私はお世話になりっぱなしで、マラソンで元気な姿を見せ、できるだけ話を聞いてくることぐらいしかできません。
 書く仕事でお返しできたらという思いは常にあります。おいしいもの、新鮮で栄養のあるものを送り届けることで。
 それは気仙沼の方達だけではないのですが、ある意味、私の中で普遍的になって、創作に集中できる動機ともなっているのかもしれません。
 
 もう数えきれないほどのマラソン大会に出てきました。で、思うのですが、マラソン大会に出て完走するって、それも一つの作品なんだなと。
 大会を目指して準備して、今の最高の自分を作り上げて、結果を出す。それが試合というもので、競技でコンテストで試験で、それはアートでもあって、結果は作品でもあり、生き様でもある。
 一人だけでマラソン大会を作ることも味わうこともできません。多くの関係者の仕事、ボランティアの方達の協力、それに応援、出会い、その土地、その土地で生まれた食べ物や風景や道もランナーを支えます。そこまでしてランナーたちを受け入れて、招いてくれるのは、もちろんお金を落とすからでもありますが、それは副産物で、人は人と会いたいし、人は人が最高のパフォーマンスをする姿を見たいし、できるならともに、その夢の実現の手伝いをしたい。お世話をすることでお世話する人が元気になる、というのは逆説のようですが本当のことです。
 だから僕は行って、父の荷物持ちもして、父を中心に生まれるであろう昔話の花々をできる限り咲かせて記憶する。謙虚に、ありがたくお世話になり、語りに耳を傾ける。私が元気で走れているから気仙沼大島にも行ける。元気でいられるのは、気仙沼の方達や両親との確かなつながりがあるからこそ。お互い様です。

 私のルーツを、根っこを太める旅ランでもあります。
 父は大島出身で、戦後の食糧難の中、父の父は戦死して戻ってこず、親戚やいとこたちと協力して生き抜いてきたことが父たちの根底にはあります。そして父の父は船乗りだった。船頭でした。
 私の中で、ずっと前から星空を見たい、という願いがありました。海の上に浮かぶ星空。できれば大島の砂浜から見上げたい。今まで機会に恵まれませんでしたが今度こそ、叶うといいな。
 あと安波山に行きたいとも思っています。気仙沼湾が見渡せる、昔から海の安全を祈ってきた場所。

 以上のような、気仙沼大島には、個人的な思い入れがふんだんに含まれています。
 が、レースはレースで、その復習と予習もしておきます。
 気仙沼つばきマラソンは、コロナによる中止が2年続けてありました。通常は春開催ですが、今年は異例の秋開催。
 私が参加したのは今まで4回。
 2013年、第30回大会、1時間56分9秒。
 2015年、第32回大会、1時間47分47秒。
 2017年、第34回大会、1時間44分54秒。
 2018年、第35回大会、1時間44分31秒。
 見事に、着実に、タイムは前進しています。
 コースは、私が記憶している限り、10回のきついアップダウンがあります。
 コース図はきましたが、高低差が記されていません。断面図まで入っていればもっと親切になるのに。
 折り返しに入る激長上り坂と、ラストのだらだら上り坂がポイントでしょうか。
 いかに全身、特に腕振りを利用して上り坂を克服し、下り坂でどれだけリラックスしつつタイムと体力を稼げるか。
 走りがいのありすぎるコースですが、今回の目標は自己ベストの更新、具体的には1時間44分を切ること。
 1時間44分を切るには、平均で1キロを4分55秒のペースを継続する必要があります。
 1キロ5分弱は、無理なく走れるペースですが、あのアップダウンがあるので、体力も技もメンタルも必要とされます。
 今からシュミレーション。マラソンもまた準備の力が問われます。
 結果は想造の産物でもあります。小説と同じように。
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終盤 競技場前

2022-05-26 11:45:19 | マラソン
 最後の最後。競技場に入る手間なので、残り400メートルくらいでしょうか。
 苦しすぎてあまり覚えていないのですが、右手はピースサイン。
 靴下は黄色、帽子と上着は青で、ウクライナカラーを意識していました。
 平和でなければマラソン大会はできません。
 健全な競争を楽しむことができるのも、公平なルールがあってこそ。
 コロナ禍を経てやっとのレースでもあり、右手には万感の思いがこもっていたのかも。
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レース前

2022-05-26 11:27:23 | マラソン
 仙台ハーフマラソンで撮ってもらった写真が届きました。
 顔出しは2年3ヶ月ぶり。
 老けました?
 久々のレース前なので、少し緊張していた感じ。
 仙台から帰ってからは疲れも出ましたが、やっと走れるようにもなっています。
 腰を据えて、次の小説へ。
 りきまず、あせらず、おこたらず。
 り、あ、お、と机の前に書いて貼りました。
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仙台国際ハーフマラソン大会 2022

2022-05-14 20:59:49 | マラソン
 マラソンのリアル大会は、2年と3ヶ月ぶり。
 久々で、楽しみではありましたが、コロナ対策でやることも増え、走り終えるまで気の抜くことはできませんでした。
 帰ってきてからも検温と問診、専用アプリでの送信が続いています(2週間後まで)。
 大会前日の抗原検査、初めてで一番不安だった。だけど、結果はすぐ出て陰性。証拠写真を取って、アプリにアップ。
 当日は薄曇り。気温17度で西寄りの冷たい風が3メートルくらいでしょうか。向かい風と上り坂が重なるとペースも落ちましたが、逆に追い風と下り坂もあるので、それほど影響はなく、むしろ走るにはちょうどいいくらいでした。
 目標タイムは1時間40分切り。そのための設定タイムは、1キロで4分45秒を下回るくらい。
 競技場に入ってから十分に準備し、整列してからも人との間は保たれていたのでストレッチなどして待機。
 いざスタートして、慌てずにゆっくり入った。
 その後も時計を見ながらペースを確認。落ちたら上げて、上がったら落として。とにかく前半は抑えて、向かい風でもあったので、でかい人の後ろについて風避けにしたり。いつもは一人で走っていて、多くのランナーたちと共に走れるのも大会の醍醐味。初心の頃は、自分のペースがわからずによく混乱していた。でも、経験を重ねて、今回ほど冷静だったレースもなかったかもしれません。
 折り返してからは追い風となったこともあり、青葉通りなどは本当に気持ちよく走れた。同じくらいのペースのランナーに引っ張ってもらう感覚も体験できた。
 力を使わずに波に乗ること。リズムに乗ること。これが最近のテーマでもあるのですが、それもできた。
 コース図を見たときから山だと睨んでいたところは、やっぱり一番きついところだった。そこに入って、初めて力を使った。力を使わないとペースが落ちるところでもあった。競技場の前に戻ってきて、再び仙台駅に向かっていく上り坂。
 なんとか登り切ってあと4キロ弱。ここからも冷静だった。
 無理にスパートはかけず、とにかくペースを刻むことに集中。ラストスパートは、競技場のトラックに入って、ゴールが見えたときから。
 力を振り絞ってゴール。
 公式記録はまだですが、速報では、1時間37分13秒で、自己ベストを更新しました。
 1時間40分ぎりだけでなく、ハーフマラソンの自己ベストを58秒上回っていた。1キロの平均タイムは4分33秒。
 走ってみると、仙台は意外と坂が多い。青葉通りも、定禅寺通りも、広瀬川に向かって上っている。
 マラソンは、周到な準備と、その場その時の対応力によってゴールタイムが決まる。その両方ともが、今回は今までで一番できていたということ。
 また一つ、ささやかな自信を重ねることができました。
 コロナでも、私の足は錆び付いていなかった! むしろ、進化していた!
 リアル大会でなければ確認できないことです。
 主催者、関係者の方々、ボランティアの方々、また快く送り出してくれた家族、職場の皆様、応援してくれた仙台の方々、本当にありがとう。
 やっぱり、マラソン大会はいいなあ。
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アスリートビブスって?

2022-04-23 19:15:03 | マラソン
 本当に仙台に行けるのだろうか?
 未だ半信半疑です。50%という感じ。
 これが来週になると半減され、二週間後にはさらに半減され、スタートが近づくにつれてゼロに近づいていくのかな。
 5月8日の仙台国際ハーフマラソン大会まであと二週間となりました。
 今日は土曜ですが、珍しく休みで、21キロ走りました。1時間44分でしたのでまあまあ。
 1時間40分を切ることを目標としています。
 これが切れれば、次も「A」で登録できるはず。
 ハーフマラソンで1時間40分を切るのはなかなか大変です。素人と玄人の境界線というか。
 仙台ハーフでも、だからそこが目安になっています。
 リアルマラソン大会自体、実に2年と3ヶ月ぶり。2020年2月の青梅(30キロ)以来。
 仙台に行くのは3年半ぶり。2018年10月の復興マラソン以来。
 仙台ハーフは、4回走っていますが、2018年5月以来だから4年ぶり。
 久々なので、少しハーフマラソンの参加履歴をおさらいしました。

1 2012年1月15日 第49回新春東京喜多 2時間9分21秒
2 2012年2月12日 第3回東京赤羽ハーフ 2時間15分15秒
3 2012年10月21日 第41回タートルマラソン国際 2時間5分48秒
4 2013年4月21日 第30回気仙沼つばき 1時間56分9秒
5 2013年10月20日 第1回東京調布ロードレース 1時間50分47秒
6 2014年5月11日 第24回仙台国際 1時間53分40秒
7 2015年4月19日 第32回気仙沼つばき 1時間47分47秒
8 2015年6月28日 第1回いしのまき復興 1時間46分21秒
9 2016年5月8日 第26回仙台国際 1時間41分55秒
10 2016年11月27日 2016小江戸川越 1時間38分11秒
11 2017年4月16日 第34回気仙沼つばき 1時間44分54秒
12 2017年5月14日 第27回仙台国際 1時間42分48秒
13 2018年4月15日 第35回気仙沼つばき 1時間44分31秒
14 2018年5月13日 第28回仙台国際 1時間40分28秒

 タイムは、その日の体調や気候条件、またコースによっても変わります。
 どんな状態でも、ベストを尽くし、参加者それぞれの目標を達成できるのがマラソンの良いところ。
 以上の結果を眺めると、実にマラソンは着実にしか進歩しないことがわかる。
 逆に、きちんと準備さえすれば、自ずと良い結果ももたらされます。それもまたマラソンの大きな魅力。
 で、1時間40分を切ったのは、14回の中で一度しかありません。ハーフの壁とでもいうものがあるのでしょうか。
 それでも、今回の仙台は、初めて「A」。といってもAの2で、Aの中の一番下です。
 が、Aになると、待機場所が野っ原ではなく、競技場の中になります。
 さらに、スタート地点がかなり前になる。
 というか、招待選手たちのすぐ後ろ。
 ここに入るには、陸連の登録が必要で、さらにフルマラソンで3時間40分か、ハーフで1時間40分を上回る必要があります。
 2019年の東京マラソンで、3時間38分30秒を出したので、初のA入りをゲットしたわけです。
 しかし、そこから2年続けて延期。
 なので、やっと、やっとという感慨が深いのです。
 コロナを経て、軍事侵攻の最中でもあり、このブランクは、より走ることへの喜びを増してくれました。
 最近は走った後、とにかく全身を思いっきり使うことのできた喜びと感謝にあふれます。
 頭もスッキリさせてくれるし、強くさせてもらってもきた。悪魔を寄せつけない効果も。
 喜びと感謝を忘れず、ランナーたちと楽しむこと。
 そして決して自分の力量も忘れず、トップランナーについていけると錯覚しないこと。
 今日も、本番を見据えて追い込んだのはいいのですが、自動販売機で水を買ったとき、お釣りの40円を置いてきてしまった(くそー)。
 行動に失敗はつきもので、その失敗があるから成長できる。
「違うことをしないこと」がどういうことなのか、一つずつ身についていく。
 そうそう、写真に撮ったのは、「ゼッケン」ではもうないのです。
 ついにゼッケン来たか、と思いつつ、参加のご案内を読んでも、ゼッケンという言葉は一つも出てこない。
「?」で、ゼッケンの代わりになっているらしい言葉を見ると「アスリートビブス」。
 初耳でした。
 2020年から陸連の規約が改定され、ゼッケンやナンバーカードだったものをアスリートビブスで統一することにしたそうです。
 海外ではそれが普通のようで、ゼッケンは、日本だけの呼び名だそうで。ドイツ語由来のようで。
 新たな気持ちで、にふさわしい。たった一つ、言葉が変わっただけなのに、新鮮な気持ちになります。
 しっかり準備して、コロナにも気をつけて、楽しもう。
 仙台では行きたいところもあります。食べたいものも飲みたいものも。会いたい人も。
 一つずつ、大事に味わい、体験し、言葉を交わし、その空気を吸い、その土地に自分の足で立ち、次の作品へつなげたいと思います。
 
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皇居ラン

2020-03-26 22:00:29 | マラソン
 小石川植物園を出て、そのままランニング。
 白山通りをずっと南下すれば皇居とぶつかる。
 一度は走ってみたいと思っていた皇居ラン。それも今日叶えることができました。
 こんな情勢なのでいつもがどうかわかりませんが、人はまばらで、道幅が広く、とても走りやすかった。
 竹橋から北の丸公園へ、皇居を反時計回りに一周。約5キロ。
 北の丸辺りへはずっと上り坂。左折して下り坂。結構高低差があることも走って実感。
 この写真は、左折する手前、右手に千鳥ヶ淵公園、正面にお堀、左手に皇居という位置です。
 お堀もでかいし深い。水質改善工事もしているのでしょうか。ずいぶん水はきれいでした。
 昔は、全部手作り。いったいどれだけの人たちがこんな巨大な土木工事をし、江戸城を作ったのか。
 走ってみると、その土地の歴史にも想像が及ぶようになります。
 それにしても気持ちよかった!
 大都会のど真ん中、日常のすぐ脇を走る快感。
 それは、同じことの繰り返しのように錯覚する仕事生活に、居心地の良い非日常空間を自ら作り出し、そこで息をする喜び。
 それに、走ったことない場所を走るのは本当に楽しい。脳がうれしくてぷるぷる震えている感覚。
 信号停止がないのも良いです。特にランナー用の道が整備されているわけではないので、歩行者への配慮は必要ですが。
 ここにハマるのもわかります。警視庁が近くて、治安抜群だし。
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走り抜く(書き抜く)

2020-03-02 18:42:20 | マラソン
 録画していた東京マラソンを観戦しました。
 もう一年経ったのですね。
 去年の3月3日は、私が初めて東京マラソンに出場した日でした。今日のように、冷たい雨が降っていた。
 その日も大迫選手は走っていて、寒さのため途中棄権。
 そして一年後、自らの日本記録を塗り替えてみせた。感動しました。
「守るのではなく、チャレンジしてよかった。次につながった」という言葉が印象的でした。
 井上選手も、30キロ過ぎまでは日本人一位。チャレンジ精神は誰にも負けていなかった。
 大いに刺激を受けました。それはチャレンジする勇気。また、苦しみを乗り越える強さ。

 青梅マラソンで完走した直後の写真が届きました。
 これは、プロのカメラマンが撮影し、私が買ったものです。
 私も、こんな表情をするんだ、という感想。
 苦しみを乗り越えた達成感というのがよく出ていると思います。
 私の中では、「走り抜く」=「書き抜く」。
 走り抜く経験を積むことで、書き抜く力も磨かれると感じています。
 一歩ずつ、一行ずつ、丁寧に。
 無駄なものなんて何一つないから。
 だからこの写真は、これからの基本。
 大事な一枚。
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第54回青梅マラソン

2020-02-17 18:46:52 | マラソン
 6回目の出場となる青梅マラソン。
 上の写真は、青梅市在住の姉が撮ってくれました。
 折り返して、青梅駅前付近。両親も応援に来てくれていて、その三人を見つけ、ハイタッチしに近づいたところです。
 よく撮れていますね。「目を細める」と言いますが、本当に細くなっている。元々細いですが。それほどうれしかったのでしょう。
 青梅は坂ばっかりです。多摩川沿いに登って、折り返しのわかりやすいコースですが、復路にも何気にきつい登り坂が待っている。
 市街地に戻ってからも長い。しかし、道幅が狭い分、応援がもろに響くのも青梅ならでは。
 トップランナーとすれ違えるのも大きな魅力。
 日本女子代表の前田穂南選手が日本記録を出しました。
 その前田さんを見たかったのですが、あまりに速かったからか、音もなく風のごとく通り過ぎたからか、拝見できなかったのは残念でした。
 私の目標は、まず丁寧に走り抜くこと。一歩ずつを大事にし、結果的に最後まで力を落とさないこと。できればラストスパートできることが目標でした。
 タイムは、1キロ5分で押し切ると30キロで2時間半なので、2時間半切れればいいくらいに思っていました。
 速報を見て驚いた。ネットタイム(スタート地点からのタイム)が、2時間半ジャスト!
 ラストスパートで何人か追い抜けた。終盤で落ち込むこともなかった。
 1日経ってみて、大きな怪我もない。ただ筋肉痛あるのみ。
 心地よい疲労と大きな達成感。支えてもらったことへの感謝。
 この走りが基本なのだと思った。
 タイムは自己ベストに1分ちょい届いていないけれど、そこを目指してはいなかったので満足。
 何より、気持ちよく完走できた。
 直前まで冷たい雨が降っていたのですが、30キロの部の前に雨は止んだ。
 日差しはなく、湿り気はあってとても走りやすかった。
 走ることで、生きることがこんなにも気持ちいいのだと知った。
 どんなに辛いことがあっても、乗り越えることができたなら、それらは成長の基であり続ける宝になる。
 だから今度は私が伝えたい。
 ブロガーとして、ランナーとして、小説家として。
 心の底から愛したものは、いつか私自身を作っていた源だったと気づきました。
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東京マラソンにて

2019-03-21 10:18:30 | マラソン
日比谷通りを抜けて、丸の内に入るところ。ラスト1キロ。
「たのつら」(楽しい、でも辛い)がよく出ている表情かと。
コメント (3)
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