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泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

出し切ること 2025東京マラソンにて

2025-03-26 20:48:21 | マラソン
 東京マラソンの写真と公式記録、届きましたので載せておきます。
 大会の後、自分のビブス(ゼッケン)の番号で検索をすると写真が見られるサービスがあります(オールスポーツ)。私はずっと楽しみに使わせていただいています。年賀状に使う写真も、いつの間にかほぼここから。
 1枚目は東京タワーを背景に。35キロくらいでしょうか。直線が長く感じるところです。でも、前のランナーにくっついて風よけをしつつ休みました(走ってますが! そんなこともできるようになります)。そのときの写真。我ながらフォームがきれいになりましたね。すっかりランナーという体型にもなっている。いつも一人で走っているのでなかなかわからないものです。自分がどう見えていて、どう走っているのかということは。
 とにかく力を入れないことが長く走るコツでしょうか。特に上半身。
 それに大会では他のランナーをうまく使うことも大事です。引っ張ってもらう感覚というのは実際に経験しないとわからないかもしれませんが、あります。ついていけばいい、というのは楽なものです。自分と同じペースの人というのはいないので、しばらくすれば自分から離れるのですが。それに、苦しんでいるのは私だけではないというのも粘るための力になります。
 東京マラソンでは10分刻みでペースメーカーもいました。私は折り返しのとき、すれ違う3時間30分のペースメーカーを確認しては「ついていくぞ」という気持ちを奮い立たせてもいました。ペースメーカーも、やはり長く走る上では大きな助けになってくれます。

 2枚目はもうラスト1キロ付近でしょうか。周りを見る余裕はなくなり、目の前の足元しか見えなかった。一歩ずつ着実に前へ。その言葉を体感できるのがマラソンの素晴らしいところ。
 本当にきつかったですが。だからこそ完走した後の充実感・達成感と、じわじわと湧いてくる自信は何物にも変え難いものがあります。

 3枚目はドヤ顔。ゴールしてメダルをかけてもらって。ホッとしている感じも出ているかもしれません。

 そしてこれが公式な記録証。
 自己ベスト更新おめでとう、ですが、次からはここが基準となります。
 ここを超えていくことが目標。3時間30分を切ることも視界に入ってきました。
 ですが今日はもう25度越え。花粉に黄砂もまじってかなりの視界不良でした。風もあり、桜の開花状況チェックも兼ねて、マスクをしてのウォーキングのみ。
 先日の土曜日に、東京マラソン以来のランニング(20キロ弱)をしたのですが、あちこち筋肉痛になりました。まだ回復しきっていませんでした。
 東京マラソンで「出し切った」という感覚。それはレースの後半で沿道から聞こえてきた言葉でした。「出し切れー」と。それは今も耳に残っています。
 小説の投稿を今日済ませました。やはり緊張はしますが、今までで一番平常心に近いかもしれません。
 小説においても「出し切った」。だからスッキリしています。
 出し切れば、自ずと結果はついてくる。
 そして回復は、それまで以上にやってくる(「超回復」と言います)。
 走ることの種はここにあり、書くことの種もまたここにある。
 収穫を終えて、まずはホッと一息ですが、もちろん次の準備もここから始まる。
 また次、どこを走れるのか、またどんな物語を書けるのか、楽しみでしかありません。大地を休ませ、耕し、また植えて、愛を注いで大きく育てる。そのサイクルを生きがいとする自分がいる。だから大丈夫と言える。
 フルマラソンはまた来年。今思っているのは「いわきサンシャインマラソン」。
 5月11日は仙台ハーフマラソンを予定しています。
 久々の仙台。楽しみです。
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東京マラソン2025

2025-03-02 20:43:12 | マラソン
 6年ぶり2回目の東京マラソン、無事に完走できました!
 スタート時は曇り、気温12度、湿度は62%。防寒着がなくとも寒くなく、日差しもないので暑くもなく、ちょうどいい感じでした。
 おそらく20キロくらいまでは曇っていて、時に吹き抜ける風がとても気持ちよく、なんて走りやすいんだろうと思っていました。
 が、富岡八幡宮あたりからでしょうか、日差しが出始めて気温はぐんぐん上昇。ゴール時点では20度近く。ビルの影に入っていれば涼しいのですが、コースによって直射を受けるとこもあり、終盤になるにつれて暑さがこたえてきます。
 30キロ以降も粘ることができました。足に余裕があることも感じていました。今までで一番の練習量で挑みましたから。でも、東京タワーの前を通って品川方面に行く道は、前回もそうでしたが長く感じました。しかもちょうど向かい風。そんなに強く吹いたわけではありませんが、なんか進まないなと感じるくらいの向かい風。
 なので前を走っているランナーを利用させていただきました。風除けに。これが意外と効果があります。ちょうどペースも近いと、引っ張られている感覚があり休みながら走ることもできます。少しずつ遅くなっていったので次々と替えて3人くらいでしょうか、お世話になりました。それがあったからきついところもリズムに乗れて乗り越えられました。
 折り返してラストまでの直線も長い。ここはもうサングラスを外して応援を浴びます。でも、今回はかなり自分の走りに集中していたので、あまり周りは気になりませんでした。
 というのも、ちょっとしたアクシデントがあって。常に追わないといけなかったから。
 このラップタイムを見てください。特に3キロのところ。
 最初の1キロは仕方ありません。スタートしても全然進みませんから。小池知事に手を振ったり、写真を撮ったりして。
 ただ3キロの7分48秒は、トイレに行かざるを得なかったのです。3分のトイレロスタイム。
 これは、入場ゲートに入る荷物チェックで、500ミリのペットボトルが持ち込み不可だったのです。これは案内にも書いてあったのに、ついいつもの用意で入ろうとしたから。係の人に、ここで飲むか捨ててくださいと言われました。
 で、私は「じゃあ、飲みます」と言ってしまったのです。
 ほとんど500ミリまるまる残っていました。もったいないし、暑くなりそうだから飲んでおくがいいだろうと判断して。
 だけど、判断ミスでした。
 スタートまでの待ち時間が30分くらいありましたが、徐々にスポーツドリンクはあまり活躍することもなく膀胱へ集合。スタート時にはトイレを探す有様。で、3キロ手前で3分使ったわけです。
 あーあと思う。失われた3分を挽回しなければと、どこかで思ってしまう。だからと言って無理に加速したわけではありません。あくまでの自分の感覚でオーバーペースにならないようにコントロールしながら。
 ラストのラップタイム。42キロ以上走っているのも仕方ありません。スタート地点よりもかなり後ろに並ばされますから。
 号砲がドンと鳴った時点でスタートです。そこから測ったタイムが公式記録となり、グロスタイムと言われます。日本ではグロスが公式ですが、他国ではネットタイム(スタート地点から測ったタイム)が優先されることもあります。
 3時間36分22秒。
 自己ベストは3時間38分30秒でしたから、2分8秒更新できました。
 でもあの失われた3分がなかったらと思ってもしまいます。5分近く更新できたのに。
 だけどもう終わったこと。反省は次回に生かすためにあります。
 とにかく、目標を達成できてよかった。
 無事に完走できてよかった。
 ラスト1キロは本当に危なかった。おそらく軽い脱水症状だったのではないでしょうか。両手に痺れを覚えていました。顎が上がってしまって、足も進まない。30秒近くラップも落としています。
 ゴールするともうふらふらでした。
 感極まる余裕もなかったというか。
 出し切ることはできました。
 完走メダルの裏には点字がありました。何が書いているのかわからないのですが、関心を持つようになるのでいいデザインだと思います。
 目標を達成すると、自分に自信がつきます。自信の容量が少ない自分でしたので、コツコツと自信集めが必要でした。その方法として、マラソンは私にぴったりでした。
 だけど、大震災があってやっと目覚めた私のマラソン。でも今日は結構無心で走れたかもしれません。ただ自分の走りをしたくて。自分のリズムで前に行きたくて。心地よい時間が長かった。
 目的から解放されることもマラソンの大きな魅力です。
 次は5月の仙台ハーフ。
 やっぱり記録更新を狙ってしまうのでしょうが、仙台には行きたい場所もあり、会いたい人もいます。去年は仙台に行ってませんので、体調を整え、十分に仙台の空気を吸えたらいいなと思っています。
 まずは休んで。
 そして小説の提出も悔いなく終わらせて。
 次へ。
 マラソンと執筆は両輪で、私を次へ次へと運んでくれます。
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いよいよ明日

2025-03-01 20:04:22 | マラソン
 東京マラソンの受付に行ってきました。
 場所は東京ビッグサイト。大崎からりんかい線に乗って。
 地図で見ればよくわかりますが、そこはもう東京湾の中です。

 往復でちょうど3時間くらい。ちょっとした東京観光気分。外国からの方々もたくさんいました。
 帰りは新宿で途中下車して、紀伊国屋書店をぶらぶら。その後、追分だんごを買い求め、昔から愛用している登亭の鰻を買い求め、登亭の隣にあった讃岐うどんの店で腹ごしらえ。
 帰宅してからだんごをいただき、夕食は鰻をぺろり。これでもう前日の準備としては万全です。アスリートビブスもつけました。それが表紙の写真です。
 明日は気温が上がる予報(最低10度、最高20度)なので、半袖で十分でしょう。それと、一番思い入れのあるマラソン大会である東北・みやぎ復興マラソンが、年始に終了を発表しています。
 ショックでした。予想外のことでもありました。
 津波浸水域を走る唯一の大会とも言えました。そこで走った経験は、この3月に応募しようとしている私の小説に大きな影響を与えています。
 あの巨大地震と津波がなければ私は走り始めていなかった。その意味で、東北・みやぎ復興マラソンは、私にとって原点とも言える大会でした。
 だから、感謝の気持ちを込めて、完走賞のTシャツは三種類持っているのですが、その中でも一番のお気に入りを着て走ろうと思うようになりました。
 表紙の写真は裏で、表はこのようになっています。
 足跡のデザイン。私たちランナーの一歩一歩が、リバイブ(復興)の一歩一歩になると願いを込めて。
 私にとって、走ることは生きること。そして同じように、書くことは生きること。
 一歩ずつ、一行ずつ、再生の道を辿るように。
 その思いで、東京マラソンも走りたいと思います。

 レースプランですが、6年前に出した自己ベスト、3時間38分30秒を超えることが1番の目標です。
 そのときの走りを思い出すと、当日は冷たいみぞれが降っていました。雨対策ゼロで、待ち時間が寒くて長く感じたのを覚えています。
 なのでスタートしたら下り坂だったこともあり、ぶっ飛ばしていました。1キロ4分30秒切り当たり前みたいな。私の基本的なペースは、1キロ5分前後です。その影響は後半に出て、足が動かなくなり、最悪つりました。それでもいまだに自己ベストタイムなのは、それだけ東京がタイムの出るコースであり高低差だということです。
 スタートしても大渋滞が待っています。それを抜けてスピードを出した。だけど、その走りは未熟だったとしか言いようがありません。
 大人の走りをしたい。
 最初の1キロは、7分以上かかるかもしれません。それでも、前半の下りで十分に挽回できます。1キロ4分40秒で10キロ走ったとしたら、基本1キロ5分だとすると、200秒=3分20秒も貯金ができます。最終的な平均のペースが1キロ5分10秒でも、自己ベストは更新できます。
 最初の渋滞でいかに焦らないか。そしてその後の急な下りで、いかに足を使わず楽に下れるか。
 さらには、3万8千人も一緒に走るのです。それにずっと続く大歓声・大応援。自分を見失わない方が難しい。東京は誘惑に満ちた大会でもあります。勘違いの可能性に満ちているというか。
 だからこそ、大人の走りを。
 自分のペースを見失わず、それでいて走ること自体を楽しむ余裕も維持して。
 そもそも、元気に走れること自体が奇跡なのです。
 感謝を忘れず、笑顔でゴール。

 では、行ってきます。

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2度目の東京マラソンに向けて

2025-02-15 20:59:34 | マラソン
 東京マラソン2025まであと2週間になりました。
 2月はマラソン大会の多い月でもあります。明日は熊本城マラソン、高知龍馬マラソン、京都マラソン、おきなわマラソン、青梅マラソンなどなど予定されています。程よい緊張感に包まれているランナーも多いのではないでしょうか。
 11月に神戸マラソンを走りましたが、当日も、それまでの準備期間も暑い日が多く、満足いくような走行距離を蓄えることができませんでした。
 それに比べて2月は、言い訳のできないほど走り込みができていると思います。もちろん、雪の多い地域の方々は大変な思いをされていると想像しますが。
 私は1月の半ば、急性胃腸炎というのに罹ってしまいました。ほぼ2日ダウン。原因ははっきりしませんが、疲れと食べ過ぎと冷えが引き金になった自覚はあります。よく走り、よく働いてもいたので、挽回しようとよく食べてもいました。体重が増え気味だったのもわかっていましたが食べて疲れを取ろうとしていました。だけど、胃腸は「ムリ!」と悲鳴を上げました。
 足腰に問題はなく調子いいな、くらいに思ってました。だけど、胃腸はついて来れなかった。
 思えば年始からよく食べてました。5日は誕生日でもあったのでケーキなども。
 胃腸炎の間、お粥くらいしか喉を通りません。白湯と緑茶と。あと羊羹とか梅干しとか。りんごは胃腸炎でもおいしくいただけました。やっぱりいつだってりんごは味方だと確かめることもできたわけですが。
 要するに、胃腸は休みたかった。人気絶頂のアイドルだって、休みたいときはあるでしょう。なので休んでもらいました。ごめん、と謝りながら。
 少しずつ、胃腸は機嫌を直していきました。仕方ねえな、お前はこれくらいしないとわからねえんだからよ。そんな愚痴を聞きながら。
 真冬なのに夜のアイスを止められないでもいました。アイスを食べて締める、という習慣があったのですが、改めました……。
 元気なときには胃腸が働いてくれていることに気づきません。それが当たり前で空気のようで見えないし感じられない。今回のことで身に染みたので、忘れないように大事にしたいと思います。
 で、東京マラソンです。
 胃腸炎を除けば、いや、それによって体重は1キロ減となったのでそれも込みでなのかもしれませんが、順調にきています。
 1月、胃腸炎があっても107キロ。今月もまだ半分ですが99キロ走れています。
 ですが、問題があります。
 シューズのこと。
 今まで履いてきた「マジックスピード3」というアシックスのものですが、累計走行距離が850キロを越え、靴底の消耗が目立つようになりました。そこで新しい靴を買って東京に挑もうと思ったのです。
 まず買ったのは「ゲルカヤノ31」というもの。これもアシックス製。安定感抜群が売りです。安定感が必要かもと思って購入したのですが、重いのです。フォームも安定するし、足への負担も少ない。だけど軽いシューズに慣れた足にはむしろ負担に感じ、翌日は筋肉痛になっている。今まで痛んだことのないところが。
 で、これはレースでは履けない。
 次に、「マジックスピード4」を購入。これは「3」の進化版。厚底が増して硬い3から柔らかくなり、より足への負担は減った。これはいい! と感じていました。力を入れずとも進むし、フォームも綺麗になる感覚がある。
 しかし、くるぶし問題が発生しました。
 なんだそりゃ、ですよね。私も初めてです。
 長く走っていると(8日の37キロ走で自覚しました)、くるぶしの下が痛くなるのです。シューズの一部が当たるようです。そんなに長くなければ問題ない程度なのですが、さすがに3万歩以上ともなると蓄積されたダメージは許容範囲を超えてしまいます。
 じゃあ、と思い、インソールを買って入れて走ってみました。インソール分足は上がるのでいけるのではないかと。
 それを今日試したのです。いける! と思いました。が、徐々に、やっぱり痛んでくるのです。くるぶしの下。さらにインソールで圧迫された小指まで痛くなる始末。
 使えなかった……。あくまで、東京マラソンではの話ですが。
 じゃあ、今まで履き慣れた「マジックスピード3」をもう一度買うのはどうだろう? そう思って探したら、5ミリだけ小さいサイズのみまだ販売していました。カラーも違うもので、なかなかいいと感じました(紺に緑のライン)。
 ただ、5ミリ縮小。今までの25.5を25に。どうだろう?
 で、実際に足を測ると24センチでした。
 今まで、フルマラソンを走ると爪を痛めています。ほとんど無傷だったことはありません。靴の先に当たって、内出血を起こして黒くなります。日常生活には影響ないのですが。それって、サイズが大きかったからなのではないのか。
 アシックスのシューズはスニーカーを買うとき、試着して25.5が一番合うのを確認していました。だからランニングシューズでも25.5一択だったのですが。
「3」は25しかもう売っていなかった。これは買いなのか、と思い買いました。その選択が間違っていなかったかは、来週にはわかっているでしょう。
 新しいランニングシューズを買うときは、本当に迷います。これがベストシューズと感じていたものは、消耗して買い換えるとき、もうほとんど売っていません。どんどんアップグレードされていて、これは合っていると実感していた「マジックスピード」シリーズでさえ新規の問題が起きてしまう(くるぶし問題)。
「3」を履き始めたときも、初めてのカーボンシューズということで、御多分に洩れず(約7割の人は足を痛めるそうです)肉離れを起こしました。もうすっかり慣れるまで3ヶ月はかかったでしょうか。
「4」も3ヶ月後には最適シューズになっているかもしれません。が、東京には間に合いません。どちらかの「3」で走ることになりそうです。
 ロングタイツもインナーも穴が空きましたので買い替えました。あとはもう大丈夫だと思うのですが、どうでしょう。それを確認する2週間になりそうです。
 悔いのない準備を尽くして、あとは楽しんで走りたいものです。
 それにしてもシューズ。
 長い距離を走ってみて初めてわかることがあります。
 アシックス一択も改めようかと思います。他のメーカーも試してみる必要がありそうです。が、今年に入って3足も買ってしまったわけで、当分はアシックスのお世話になります。
 

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神戸マラソンにて

2024-12-07 20:28:34 | マラソン
 写真が来たので載せておきます。
 レース中の笑顔は珍しいです。
 おそらく40キロ付近だと思いますが、ここに来るまでたくさんハイタッチしてきたので、顔はほぐれていたのでしょう。
 応援してくださった皆様に改めて感謝します。本当に、いつもマラソンの後半は応援が頼りです。
 神戸から3週間経ちました。今日は20キロほど走りました。筋肉疲労も抜けてきました。
 次の東京マラソンに向けて、走行距離を伸ばそうと計画中です。
 絶対に自己ベストを更新したいから。
 着実に、でも無理はせず。
 東京の次の大会もエントリーしました。
 5月11日、2年ぶりの仙台ハーフマラソンです。ホテルももう予約しました。
 今年は仙台に行けなかったから。やっぱり行きたい、大事な場所です。
 マラソンは続いていきます。どこまでも。
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神戸マラソン2024

2024-11-20 17:23:16 | マラソン
 神戸マラソンに初めて参加してきました。今年で12回目だそうです。
 天気予報通りの暑さでした。スタート時は気温20度、湿度80%。
 気温が高いと走りにくいのは想像しやすいかと思いますが、気温よりもきついのが湿度です。湿度が高いとせっかく汗をかいても蒸発してくれません。人は汗をかくために体毛を減らしました。汗が出て蒸発すると熱を奪い(気化熱)、体温を下げてくれます。発汗と蒸発によって体温が上がりすぎることを防ぎ、より長く走り移動することが可能となりました。なぜより長く走る必要があったかといえば、車なんかなかった昔を想像すると見えてきませんか? 危険な動物から逃げ切るため、また他の部族よりも多くの食べ物を見つけるため、さらには気候変動対策などで移動するため、などなど、長く走れた方が生存に有利だったからです。
 実際、一年を通して走っていて一番危ないのは気温、湿度とも高い日です。意識が薄れていき気持ち悪くなってきます。熱中症の手前です。今年も暑さに慣れる前はそうなることもありました。

 神戸マラソンは「感謝と友情」をテーマにしています。
 来年で阪神・淡路大震災から30年。ひまわりは復興の象徴でした。
 スタート前のセレモニーでは「しあわせ運べるように」という歌が演奏されます。その最後でランナーたちが黄色い手袋をはめて天高く掲げます。それぞれの震災復興への想いを胸に、「感謝と友情」のひまわりを咲かせました。

 スタートしてすぐ汗をかき始めます。明石海峡大橋をくぐって折り返し、神戸大橋を渡ってポートアイランドでゴールする海沿いのレースです。日差しも出始めた後半になるほど暑さがこたえてきます。足が動かなくなっていきます。給水だけは取っていきました。給水所は混み合うので、後半はもう歩いて、首筋と両手に水をかけて。それでなんとか体温を下げて、足を前に出し続けます。
 倒れている人が何人かいました。足がつって動けない人たちはもっとたくさん。次は俺か? という恐怖も頭にもたげてきます。実際、暑さは苦手なのでスピードが落ちることは悔しくもなく、無理しないために必要な行動でもありました。
 とは言っても心許ない。苦しくてつらいのは最高潮。そこにラスボスが現れました。神戸大橋です。遠くからでも登っているのが見えるくらいの激坂。歩こうか、という誘惑の声も大きくなります(私の頭の中で)。
 地元の人たちはわかっていました。そこ、つらいですよね〜。沿道に、何やら大きくて黄色い手をした人たちが並んで手を振っています。

 「推し推しゾーン」でした!
 私は吸い寄せられるように大きな黄色い手へ。次々とハイタッチを交わしていきました。一人一人を見て、「ありがとう」と声をかけて。
 本当にありがたかったから。ハイタッチしていくと、不思議と頭の恐怖たちは消えています。私はまさに推されました。ハイタッチと笑顔に引っ張られて、なんとか神戸大橋を乗り越えました。

 ポートタワーと神戸大橋をデザインした完走メダル。ゴールして脱帽し、振り返って一礼します。今回も込み上げるものがありました。楽なマラソンなんてないから。
 神戸の美味しい水とバナナ、ベビーチーズ(六甲バターという会社が作っていました)、さらにゆで卵が提供されもぐもぐと。更衣室に辿り着き、座って靴下を履き替えようとしたのですが、何度足がつったことか。一箇所でなくあちこちが、これでもかこれでもかと。それでもしかしてこのレースは私が参加した12回のマラソン大会で一番過酷だったかもしれないと実感しました。一番の高温多湿だったことは間違いないでしょう。

 3時間46分23秒。2月の高知龍馬マラソンよりも遅かった。
 11月は準備期間中の暑さが影響してタイムが伸びないのだとも思いました。2月の方が距離を踏んでいるのでタイムは出やすいのかなと。

 終えてみて思うのは、大会のテーマ通り「感謝と友情」を育めたレースになったなと。一番足がつった大会であり、一番きつかった大会でもあったけど、一番助けられて一番応援してもらって一番顔を見て一番手を合わせて一番「ありがとう」を言えた大会。
 来年からコースは変わるようですが、これからもずっと続いて欲しい素晴らしい大会でした。
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2度目の東京マラソン

2024-09-14 18:19:19 | マラソン
 今年も暑いですね。
 最近は、どんどん夏がぶり返しているようでもあります。ネッククーラーは欠かせず、昼間の外出には凍らせた保冷剤を手拭いに巻いて持ち歩いています。
 土曜の朝ランは継続しています。というか、朝しか走れません。その時間を充実させようと金曜の夜は早く食べて早く寝るようにもなりました。それでも、今日は11キロほど。月間で50キロちょい。
 足りません。私の場合、体重が増えてきてわかります。
 で、必要に迫られて、もう1日の休みの日である水曜日、近くのスポーツセンターを利用するようになりました。その日は遅番の次の日なので、朝走れないのです。調べてみればトレーニング室が充実していました。私の知らない間に。
 水泳に通っていた時期もありましたが、トレーニング室に入るのは実に小学生振りでしょうか。2階の回廊は変わらず一周140メートルのランニングコースになっていました。
 係の人に聞きながらトレッドミルを初体験。その場で走れるあれです。
 スピードを調整しながら少しずつ。傾斜もつけられます。だんだんと慣れてピッチも上げていきます。30分で交代するルールなのですが、降りたときは汗がびっしょりでした。床が動いているような錯覚を覚えます。
 そのあとはエアロバイク。自転車漕ぎです。それも結構きついです。重さは調整できますが。さらにアークトレーナーというのがあって、腕を振りつつ足を上下させるものです。それも結構きます。
 さらには筋トレマシーンたちも少しずつ体験。今まで脇役だったものたち一人一人(筋肉の各部位)にスポットライトが当たるような感覚で新鮮でした。
 最初は飽きるんじゃないか、景色も楽しめないし、とか思ってましたが、意外と楽しかったです。暑さが生んだ出会いとでも言いますか。これからも通うと思います。
 で、8月はいつも東京マラソンのエントリーをしてるのですが、昨日抽選結果の発表があり、「当選」していました。なんか、え? という感じです。いつもダメもとでエントリーしてますから。
 2011年から走り始めてその年からエントリーも始めて、初当選は2019年でした。あれから6年。あのコースをもう一度走れるチャンスが巡ってきました。
 実は、福島の唯一のフルマラソンである「いわきサンシャインマラソン」に出ようと思ってました。エントリーは昨日から。だからエントリーする前に一応東京マラソンの結果も見てから、という感じだったのです。
 いわきは2月23日。東京は3月2日。さすがに二つは無理ですね。1週間後ですから。
 東京が当たったのなら東京を優先させます。いわきは、また今度。
 2019年に東京で出した3時間38分30秒というフルマラソンのベストタイムを更新できないままの6年でもありました。新型コロナがありました。熊本と高知はきついコースでした。東北復興では肉離れしていました。今度の神戸は走ってみないとわかりませんが。
 東京を知ってしまうとあんなに上り坂のないコースは日本に他にないとわかります。しかも最初の10キロほどは下りです。私が知らないだけかもしれませんが。今のところ。
 とにかく、自己ベストを更新するチャンスです。しっかり準備したいと、今からやる気のスイッチが入りました。
 こつこつと小説も仕上げてきています。そろそろ人に見せられるところまできました。ラストシーンまで書きましたが、まだ完成はしていません。読んでくれる人の声も聞いて、もっとリアルに描けるところは言葉を尽くして。3月末に出して、やっと次に行けます。
 小説でも自己ベストを更新したい。
 しっかりものにできるように。日々の習慣を大事に過ごします。
 必要なものは柔軟に取り入れて。不要なものにはこだわらず。

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次は神戸

2024-07-20 17:06:54 | マラソン
 この写真、4月のイーハトーブ花巻ハーフマラソン大会で撮ってもらったものです。
 マラソン大会などのスポーツ大会に写真業者が入り、大会後に閲覧して気に入ったものがあれば買うことができます。
 ハーフの後半、競技場前だから20キロ過ぎでしょうか。この辺りは息が上がってしまって顎(あご)が落ちそうになってます。自分としてはあまりいい表情ではない、と思ったのですが、ポーズがきれいなグリコになっていたので(「グリコポーズ」と言って分かりますか?)。そのポーズよりは若干腕が下がっていますが。

 東京は梅雨が明けました。
 今日もものすごく暑いです。
 朝ランしたのですが、7時ですでに28度くらいでしょうか、9時前には引き上げますがもう30度を超えていました。
 汗が止まらず、500mペットボトル3本でも足りないくらい。
 仕上げの坂ダッシュ(登り)をしたら気持ち悪くなった。体が暑さに耐えられなくなると気持ち悪くなるようです。
 いつもの垂直跳びもしましたが、頭がくらくらっとしました。これは脱水症状の一歩手前でしょうか。
 家に帰ってからの冷えた牛乳が最高においしかった。左手は腰に当てて、ぐーっと。
 朝ランですら危険になってしまいました。
 もっと早く起きれるように努力はしますが、室内でのランニングも考えるようになりました。
 市民が使えるスポーツセンターが近くにあります。2時間で200円。
 ただランニングマシンは予約制で、かつ室内用のシューズが必要になります。
 ぷらっと外に出て、季節の風景や緑、花々や風を楽しむのがランニングの良いところ。
 いくら快適だからといって風景が何も変わらない室内で走れるのか、疑問ですね。
 レンタルシューズもあるようなので試しにやってみてもいいのですが、悩ましいところです。

 11月17日、神戸マラソンを走れることになりました。
 人気の高い大会で、今年も2倍の倍率がありましたが、初めて当選しました。
 過去に一度応募したことがありましたが、その時は落選した記憶があります。
 なぜ、神戸なのか?
 それは忘れもしない、阪神淡路大震災があった町だから。
 1995年1月17日、私は18歳になったばかりで、当時の大学入試センター試験を受けた直後でした。
 自分が何をしたいのか、わかっていませんでした。何のために大学に行くのかもはっきりしてはいませんでした。
 テレビでしか見ていませんが、高速道路が横倒しになり、崩れ落ちた木造の住宅街が火の海になっていました。
 それまでぼんやりと生きてきた私が受けた初めての傷と言えるかもしれません。
 その年の3月20日に起きたのが地下鉄サリン事件です。これは私の傷に塩を塗るようなもの。
 目的のはっきりしていない私は大学受験も全て失敗し、浪人生になりました。
 暗い浪人時代でした。池袋の予備校に通っていましたが、友人がいるわけでもなく、積極的に作ろうともせず。
 その予備校で同じ高校に通っていた女子を見かけました。同じクラスになったことはないのですが、何となく通学中に見て覚えていました。
「あっ」と、向こうも気づいたようでした。が、私は何も言えずに通り過ぎました。そんな無口で、感情を顔から消したような悩み多き18歳男子でした。

 人生は無惨にも途中で終わらされてしまうことがある。
 なぜ、死ななくてもいい人が死んでしまったのか?
 悶々とした悩みを抱えて、抱えるだけじゃなくて膨らませて、勉強に閉じこもって、感情の発露を抑えつけていました。
 そんな私を救ったのが文学でした。
 池袋の予備校近くに今はもうありませんが古本屋がありました。
 予備校の食堂はなんかうるさくて嫌いでした。昼休み、外でぶらぶらしていた方が楽でした。お腹は空くので今で言うところの町中華に入ったりして、やがて古本屋を見つけ、通いました。文庫が確か一冊100円。そこで夏目漱石と出会いました。
「吾輩は猫である」に「坊ちゃん」。通学の電車は、今では信じられないくらいの鮨詰め。そのわずかな隙間を使って文庫本を貪り読んだ記憶があります。
 小説がどれだけ心を明るくしてくれたことか。暗闇に一筋の光が差し込むようでした。
 それ以来、文庫本はいつも持ち歩くようになりました。そして今は文庫本を売る立場になっています。
 売る立場も経て、作る立場への移行を目指すようにもなりました。
 どんな立場になっても、文庫本を持ち歩くことは変わらないと思います。
 そんな浪人時代の夏、激しい雷雨のあった夜、近くのコンビニで買った小さなノートに日記をつけ始めたことも忘れられない思い出です。

 私にとって阪神淡路大震災は、以上のように文学の目覚めのきっかけになった大きな出来事です。
 それがなければ、本を読むこともなく、書くことも始めていなかったかもしれない。
 同じように、2011年の東日本大震災も、それがなければ走り出すことはなかったかもしれません。その年の夏に、私は走り出しましたから。
 1995年から来年で30年。あれからの私の30年でもあります。
 あの町が、どのように立ち上がっていったのか、そしてあれから、私はどのように生きてきたのか。
 そしてこれから、どのように生きていきたいのか。明日死ぬかもしれない今を、誰と分かち合いたいのか。
 初めての神戸。今から楽しみです。
 しっかりと走り、神戸を満喫できるように、今から切れ目なく準備したいと思います。
 厳しすぎる夏ですが、目的があれば乗り切ることもできます。
 小説もまた山を迎えています。
 体調第一で、リズムよく、力まずに、習慣を味方にして、応援を力に変えて。

 こちらはまた雷雨になりました。
 どうかご自愛ください。
 私の写真が魔除けになれば幸いです。
 涼しくはならないと思いますが。

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イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会

2024-05-01 15:20:34 | マラソン
 4月28日の日曜日、岩手県の花巻を走りました。
 初参加です。
 ツーショットしてもらったのは、地元花巻の「フラワーロール」ちゃん。高校生たちでしょうか。スマホ持って近づいたら「撮ります?」と声をかけていただき、「お願いします!」と。ちなみに参加賞のTシャツにもフラワーロールちゃんは描かれており、レース後に着て町を歩くほど気に入ってしまいました。
 全国のマラソン大会のエントリー情報をいつもチェックしているのですが、この大会を見たとき、胸が高鳴りました。心は「出たい」と言っていたし、足は「走りたい」と訴えてもいましたので、すぐエントリーしていました。
 花巻でマラソン大会が行われていることも知りませんでした。今年で12回目です。
 花巻に引かれたのは、もちろん宮沢賢治の故郷だからです。賢治のことは、後で書きます。



 当日は晴れ。スタート時の気温は21℃くらい。ゴール時は24℃くらい。
 ときより吹く風が気持ちよかったけど、直射日光を浴びていると暑い。日陰は涼しいのですが、スタートして競技場を出ると、9割は田んぼ道。遮るものは何もありませんでした。
 永遠に続くかと思われる田んぼの中の一本道。遠くには奥羽山脈が見えます。山裾には花巻温泉街がありますが、その近くでUターンするコースでした。
 折り返し手前で少しきつめの凸凹を往復する他は、なだらかな坂もあり、競技場に入る前も上りでしたが、高知や熊本に比べたら優しい感じでした。
 花巻東高校をはじめとした高校生たちがボランティアで活躍していました。受付から会場案内、コース誘導、給水に給食、ゴミ集め、ランナーへの励ましも。応援してくれる市民の方たちはそれほど多くなかったので、余計に高校生たちに助けられたという印象が強いです。
 暑さ対策はしていきました。ネッククーラーにアームクーラー。さらに昨年から導入している登山用の手袋。どれも水をかけると冷たくなります。日焼け防止にもなります。
 給水で必ず水を飲んでは首筋、腕、手にも水をかけました。それと高校生たちの応援を支えにして、無事完走できました。



 参加者は2477人で、種目別の40代男子は345人でした。種目別で77位ということは、上位22%くらい。まあ、いつもだいたいこの上下にいます。
 ここより上を目指すのであれば、月間の走行距離を伸ばすことでしょう。今は約100キロ前後ですが、それは生活によります。もっと走れる状況になれば走るでしょうが、生活の全体のバランスがあります。疲れすぎたり、怪我したら元も子もない。
 私にとって走ることは大切でずっと続けますが、基本的に健康のため、頭のため、創作のためです。なので元気に頭もすっきりして書けているのであれば、それ以上のことはランに求めません。といっても欲は出るものですが。
 2年前に仙台で出したハーフマラソンのベストタイム(1時間37分13秒)よりは2分ほど遅かったけど、1時間40分を切れたのだから上出来です。
 暑さがなかったらもっと速かったと思うけど、「たられば」がないのがマラソン。
 どんな状況であってもベストを尽くす。それがマラソンの醍醐味であって、達成感の源です。
 ゴール後はおにぎりとおそばとりんごジュースでおもてなししていただきました。
 ゴール後にあったかいそばって初めてではないでしょうか。さすが岩手。
 そばは大好きです。やはり本場のそばは一味違っておいしかった。そば自体の香りやこしもそうですが、つゆがまたふくよか。釜石と電車でつながっているからか、しっかり海のもの(昆布に鰹節)も活かされていると感じました。
 りんごジュースがまた最高でした。りんごも毎日食べるほど私の大好きな果物です。

 走ってからもう3日が経ちますが、本当に行ってよかった。
 ランが私を花巻にまで連れて行ってくれました。
 これからもどこに連れて行かれるのか、楽しみにしています。
 次は11月の神戸を予定していますが、抽選になるようなのでまだわかりません。
 それにしても私は暑さに弱いですね。それもまたよくわかりました。
 花巻でも、今まで経験したことのない寒暖差の激しさだそうです。
 夏場は長く、強く走ることはできません。
 こまめに、朝の涼しい時間を活用して、リズムよく、いい汗をかいていきたい。
 健筆を支え、次の新しい場所、秋の大会へとつなげていけるように。
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高知から花巻へ

2024-04-20 17:36:02 | マラソン
 高知龍馬マラソンからもう2ヶ月が経ちました。そのときの写真をあげておきます。
 フルマラソンの後は、当然のことながら疲れが出ます。回復するまで約1ヶ月はかかるのではないでしょうか。
 私の感覚ですが。働きながらでもあるので、個人差はもちろんあるでしょう。
 その間、書店では棚卸しがあり、そのための整理があり、春休みになって接客に追われつつ、年度末で納品も増え、さらには杉花粉で自由を奪われ。
 結構大変でした。それらを無事乗り越えて、春。




 最近の新緑の美しさには、改めて目を奪われます。
 杉花粉もおさまって、穏やかな天候の下で、痛みもなく思い切り走って、おいしい空気を胸いっぱい吸えるのは、本当に心地よく、生き返る思いです。
 その中で出会った花々の写真は、後でまとめてあげます。
 で、次の大会が1週間後に迫ってきました。



 初めて参加します。
 岩手の花巻も初めて。
 私が何より惹かれたのは、宮沢賢治の故郷だということです。
 私はいろんな作家の影響を受けてきましたが、なかでも宮沢賢治は重要な人の一人です。
 どこまで賢治の世界を自分のものにできるかわかりません。
 ただ、行きたい。走りたい。
 そう強く感じたので参加してきます。
 賢治も過ごした花巻を歩くだけでもいい。
 記念館などたくさんゆかりの場所はありますので、今から楽しみです。
「銀河鉄道の夜」は3回は読んだでしょうか。
 特にうつ病でどうしようもなかったとき、言ってみれば自分が生まれ直し始めた一番初めに読んだのが宮沢賢治であり、「銀河鉄道の夜」でした。
 私はジョバンニをからかい、川に溺れたザネリだった。川に飛び込んだカンパネルラはザネリを救出し、自分は帰ってこれなかった。ジョバンニは、カンパネルラを一生の友と信じていたけれど、途中で別れざるを得なかった。
 読むたびに救われる。掬われる。
 震災や人災の絶えない現代。賢治の祈りは、もはやみんなの祈りになっている。
 自分に何が吸収できるのか。自分に何が創作できるのか。現代、そして未来に必要なものとして。
 行ってみなければわかりません。
 行ってきます。
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高知龍馬マラソン

2024-02-22 13:32:00 | マラソン
 11回目のフルマラソンは高知龍馬マラソン。
 スタート時は曇りでしたが、後半ほど晴れ渡り、予想通り気温が上がりました。
 海に出るまでは順調でした。でも、走って3キロほどでもう汗が出ていたので、水分補給はしっかりと意識して。
 海に出るまで4つくらいでしょうか、トンネルを潜りました。トンネルの中はひんやりとしていて快適でした。
 20キロ付近、1番目の難関が現れました。浦戸大橋です。
 警戒はしていましたが、想像を超えていました。
 まだ上がるんかい! 今まで経験したことのない角度と距離。約50メートル、急な上りが続きます。
 歩いていたランナーもちらほら。しかし、私は根性で走り切りました。私は粘り強いタイプ(良くも悪くも)ですから。
 頂上では太平洋が一望できます。下りると、海岸沿いの道を西へ。
 海岸沿いにも応援の方達が切れ目なくいてくれました。
 直線に飽きてくると海を眺めて、キツくなってきても「ああ最高だ」と思う。こんな体験は二度とないから。
 長い海岸をさらに進むと、仁淀川に出ます。仁淀ブルーとして有名できれいな川です。
「ああきれいだ」と思いつつ、その辺りから細かなアップダウンに苦しめられ始めます。
 30キロ付近、日差しも強くなってきて、正念場です。
 堤防下の日陰を使ったり、給水を首筋にかけたり。
 応援を身に浴びて、見られていることを力に変えて。
 手を差し出している方達もいましたが、ハイタッチする余裕すらありませんでした。なんというか、余計な動きは極力避けたい、という気持ち。それだけ暑かったし、過酷でした。
 ペースを落としながらもなんとかうねうねを乗り越え、海から離れるように左折すると、数少ない田んぼの中の平な一本道。40キロ付近でしょうか。ここで少しリズムを整えることができました。
 が、ラストの競技場に入る前、またしても忽然と上り坂が現れます。
 ここも警戒していたポイントです。が、ここも想像を超えていました。
 まだ上がるんかい!(2回目)
 もう体力も限界で、首筋や耳や、頬は容赦なく焼かれるし(日焼け対策はしていませんでした)、ここは本当にやばかった。
 でも、走り切りました。私は、あれなので(2回目)。

 


 ゴール後の競技場です。
 トラックの中の人工芝で、完走賞のタオルを顔にかけ、しばし倒れていました。走り抜けば、気持ちのいい青空です。
 落ち着いてきて、生まれたてのひよこのようによろよろと歩き始めます。
 前のテントでは、中学生たちでしょうか、完走証を発行してくれました。私は卒業証書を受け取るように、両手でありがたく拝受。完走メダルも首にかけてもらいました。
 競技場から出ると、手厚いおもてなしゾーンが待っていました。



 自分の完走タイムを表示してくれるのです。こんなサービスは初めてでした。
 酪農家の方達が牛乳を、地元の高校生が土佐文旦とスイカを、さらにはカツオのたたき、つみれ汁までランナーに提供してくれました。
 たくさん屋台も出ており、いくつか買い食いすれば昼食は十分。
 手荷物を受け取り、送迎バスへ。スタート地点からゴールは離れています。なのでバスで送っていただきました。



 1年前の熊本城マラソンより4分遅いです。
 でも、肉離れの影響はなく、痛みなく完走できたのは本当に良かった。
 暑くなかったら、とも思いますが、天気も含めてのマラソンなので仕方ありません。
 当分は3時間40分を切るのが目標です。
 そのためには1キロ5分10秒ペースが必要です。今回の平均は1キロ5分19秒でした。
 あと少しなのですが、サブフォー(4時間切ってゴールすること)達成にもかなり時間がかかりました。
 マラソンは、やればやるほど上達しますが、それなりに時間もかかります。
 そのマイペースでできる感じが、文学にも似て、私の性に合っているのでしょう。
 ベストタイムは2019年の東京マラソンで出した3時間38分30秒。そのときは冷たい雨で、雨対策ゼロで、冷えで太ももがつりましたが、それでもベストタイム。
 いかに東京が走りやすいか、ということですね。だって下り坂しかありませんから。
 東京は、私が走り始めてから(2011年)毎年応募していますが、今までその1回しか抽選に当たったことがありません。これからも毎年応募はします。
 が、地方大会の楽しさにも目覚めてしまいました。
 次はどこにしようかな。
 実は決まっています。
 岩手県の花巻。4月28日、イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会にエントリー済みです。
 そのあとは11月の神戸、来年2月はいわきサンシャイン。そこまで考えています。
 日本から飛び出したいとも思い始めました。
 海外レース。想像しただけでわくわくします。

 楽なだけのマラソン大会なんて一つもないのに。
 それでもまた出たくなるのは、やっぱり、楽しいからです。
 行ったことのない土地を走り、風に吹かれ、空気を胸いっぱいに吸い、初めての人々と触れ、現地のおいしいものをいただき、地下から湧き出る温泉に浸かり、うちから遠く離れた場所で眠る。
 旅ランと言いますが、私にとってこれ以上刺激的で面白い遊びはない、と言ってもいいかもしれません。
 それは読書とも似ていますね。
 まあ読書で筋肉痛になったり、日焼けしたりはしないですけれども。
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東北・みやぎ復興マラソン2023

2023-11-08 16:55:09 | マラソン
 記念すべき、10回目のフルマラソンでした。
 ちょっとおさらいしてみたら、実は11回目の参加でした。
 というのは、一度だけ、完走できなかった大会があります。2015年の「さいたま」でした。
 埼玉から世界へ、と大会は高らかにうたっており、関門の制限時間が厳しかったのです。
 私は確か、35キロ付近でしたか、突如現れたバリケードによって、人生初、無念の強制DNF(DO NOT FINISH)。
 屈辱的な出来事は、思い出したくないのかもしれません……。

 さて、当日は曇り、気温は15度くらいで湿度が80%。北西の風が2メートルくらい。
 走りやすかったけど、湿度が高かったのですぐに汗をかきました。
 汗をかいたのは、湿度のためだけじゃありません。
 実は、足を痛めていたのです。
 いつ痛くなるか、ヒヤヒヤしていました。
 右のふくらはぎ。当日は痛みはなかったけど、走って5キロくらいでしょうか、痛みが再発。
 痛みがあると、その患部は十分に使えません。ランニングは全身のバランスで前に進みます。なので、他の箇所に負担がかかっていったのでしょう。
 自分でも変な走りになっている自覚はありました。
 それでも痛みは、走れないほどではありませんでした。
 我慢して、20キロまでは何とか、当初の予定通り、1キロ5分ペースをキープできました。
 余裕は全然なかった。橋のアップダウンで、普段なら大したことはないのですが、消耗していきました。

 ラップを見ていると明らかですね。
 ハーフを過ぎてからは、ずるずると後退。
 25キロ付近では、ついに右足の太ももがつりました。
 つってしまうと止まらざるを得ません。手で叩いて、足を伸ばしたりもして、何とかまた走り出せるようにはなりますが、またいつつるかわかりません。
 30キロも行ってないのに、もうつるのか。自発的DNFも頭をよぎりました。
 記録はもうあきらめていました。仕方ない、切り替えて、とにかく最後まで行こうと。
 足がつりそうになったら歩き、休めたらまた小走り。そんなことを繰り返して、少しずつ前へ。
 助けになったのは、応援の数々。
 地元の名産をたくさん提供していただきました。
 笹かまに牛タン、岩手は高田のおにぎり、荒浜のりんご、ずんだのお菓子、パッションサイダー、バウムクーヘン、他にもたくさん。
 ゆっくりだったから、歩きもしたから、そこにいる人たちの顔が見えた。声が届いた。
 辛いのは足だけだった。顔は笑ってた。気持ちは軽やかだった。
 ゴールタイムは、歴代下から3番目の4時間11分1秒。
 でも、記憶という意味では、一番上かもしれません。
 フィニッシュして、振り返って、帽子をとって一礼するのですが、毎回込み上げますが、今回は溢れる涙を堪えられませんでした。
 完走メダルは、石巻市の雄勝石。小さな子供にかけてもらうのですが、今回ほどうれしかったこともありません。

 本番を終えてみないとわからないことがあります。
 今回は、足の痛みのこと。
 振り返れば、暑くて、十分に長距離走を積むことができていませんでした。
 合わせて、使い慣れていたランニングシューズが累積走行距離1200キロを超えて、さすがに消耗していたので買い替えていました。
 新しいシューズは初めてのカーボンシューズ。反発が強くて硬い印象でした。
 その靴を初めて履いて、いきなり30キロ走ったのでした。そして右足を痛めた。それが10月の始めくらい。
 たったのひと月では、新しい靴を履きならすこともできず、足の治癒も完了できなかった。
 疲れを取るために通っている温泉施設が臨時休業というアクシデントもありました。
 他のランナーたちも、ずいぶん足がつっていたようでした。
 暑さによる練習不足、これが一番大きかったのでしょう。
 暑さには勝てません。
 でも、私は私にできることを積み重ねた。
 だからこそ涙は溢れた。
 応援を受けて、初めてフルマラソンは完走することができます。
 絶対に、一人では走り切ることはできません。
 私が一人で走っているのは事実ですが、たくさんの人たちに支えられていることを実感できるのがマラソンの醍醐味です。
 かの地で、完走できたこと。
 地元の人たちと、ささやかだけども確かに交流できたこと。
 また一つ、宝物ができました。
 あと、写真のアスリートビブス。
 せっかく思いを書いたのに、前につけて走ってました。
 腹じゃなかなか見てもらえないよね。背中につけておけばよかった。
 二人のランナーには声をかけてもらえましたが、もっと増えていたかも。反省……。
 
コメント (2)
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熊本城マラソン2023

2023-03-15 17:22:03 | マラソン
 4年ぶりのフルマラソンからほぼ1ヶ月になろうとしています。やっと体調も超回復してきた感じです。購入した大会の写真が届きました。
 この写真は、ラスト1キロ付近でしょうか。びしょびしょですね。自分ではあまり意識してませんでしたが、雨に濡れました。
 スタート前まで雨で、整列しているときにはいったん止みました。なので、雨対策グッズ(100円ショップで買ったレインコートとビニール手袋)は、スタート時にゴミとして回収してもらっていました。
 雨上がりは走りやすいものです。強い日差しはなく、風もなく、ひんやりしており、何より適度に空気が湿っているので呼吸が楽で、水分補給も少なくて済みます。
 出出しは快調でした。ほぼ1キロ5分ペース。これを最後まで続けられれば、自己ベストの3時間38分30秒を上回るだけでなく、3時間半切りも見えてきます。
 22キロまでは。
 再び雨風がやってきたのでした。
 海が近づくにつれ、海からの冷たい向かい風と雨にさらされました。
 そこで乱れました。
 大きな人の後ろについて風除けしたりしましたが、どうしてもペースが落ち、リズムも崩れます。なので仕方なく自分で前に出て、雨風を受け、また集団の後ろにつける。
 そんなことを繰り返し、雨風を凌ぎましたが、やはり体力は削られてしまいます。
 30キロを過ぎても元気でしたが、35キロくらいからでしょうか、足が動かなくなってきました。
 ちょうどきついアップダウンもあり、ラストはひたすら城に向かって登っていくのでペースが上がるはずもありません。
 前回の東京マラソンで、38キロ付近で左太もも裏をつったので、その悪夢もよぎりました。
 きつくても、最後まで止まらず完走できたのは、日頃の鍛錬と経験と、何より応援してくれる人たちのお陰でした。給水と給食を欠かさなかったのもよかった。

 

 3時間40分11秒。
 雨風と、ラストの上り坂を考えれば、上出来です。
 4年のブランクも埋めることができました。
 次は、11月5日の、東北・みやぎ復興マラソンを走る予定です。

 

 これはおまけ。
 マラソンの翌日、水前寺公園に入ったら、カメラマンのおじさんに話しかけられて、わざわざ東京から来てくれたんだからということでサービスで撮ってくれた一枚です。
 熊本は、食べるもの、飲むもの、空気もみんな美味しかった。
 豊かな文化もあり、人々は元気で、力をもらってくるには最高の場所です。
 手にしているトートバッグは、地元の書店、長崎次郎書店で買ったもの。平積みの本の上に猫が座っています。
 そのバッグにお土産を入り切らないほど詰め込んで、帰ってきたのでした。
 家に帰ってから熊本で買った駅弁をいただきました。どれもおいしかったけど、とくに「鮎屋三代」は最高でした。
 天然の鮎が食べられるほどいるのは、清水が豊富な証。水が、何より美味しかった。
 豊かで美しくて清らかで緑が濃く、おいしい自然がたくさんあるということは、大きな災害、水害、地震、噴火などもあるということです。
 水俣病の悲劇も、決して忘れられない体験として息づいています。
 いかに共存していけるのか。
 天災と、人災と。
 自然と、人と。
 現場を歩くことが第一歩なのかもしれません。
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第39回気仙沼つばきマラソン

2022-11-09 15:17:57 | マラソン

 4年半ぶりの気仙沼、大島。そして、ホヤぼーやとも再会を果たし、旧交を温めることができました。
 コロナ禍は終わっていないけど、ワクチンも3回打って、ちょうど感染の波が低いときに行くことができました。
 今回は父とともに。父は7年半ぶり。会いたい人たちがたくさんいました。大島は父のふるさと。
 帰ってきて思うのは、大島は私にとってもふるさとだということ。
 あの大津波で私の覚えている景色はほとんど消えた。新しい景色を受け止めるのに時間がかかっています。
 一人だったら、とてもじゃないけど乗り越えられなかった。つばきマラソンの連続するアップダウンの激しさも同じで。
 待っていて受け入れてくれる人たちがおり、歓迎されて歓待されて、ご馳走をたらふくいただいて。
 自己ベストが出ないわけがない。ということでもないと思うけど、つばきマラソンでのコースレコードを出すことができました。
 1時間42分38秒で、前回参加した2018年のタイムより1分53秒上回っていました。
 順位は、一般男子ハーフマラソンの部で、228人中49番目。だいたい上位22%くらい。
 私の実力からすれば妥当なところ。上には上がいます。
 が、自己ベストを目指していたので、目標を達成できてうれしい。また一つ、小さな自信を積み重ねました。
 応援も身に染みました。いとこがいて父がいておばさんおじさんがいて。
 気仙沼は狭いので、「菊田」さんも多いし、みんな親戚のようなものです。
 大漁旗を振ってくれる人がいた。縁石に並んで座るおばあちゃんたちがいた。ペットボトルに小石を入れて鳴らし、リズムを思い出させてくれる人がいた。
「年寄りも頑張ってるから頑張ってね」と言ってくれる人がいた。「がんばれー」と絶叫する小さな子供たちがいた。
 何度手を振り、うなずき、「ありがとうございます」と言ったことか。
 好天にも恵まれて、ラン友とも再会できたし、レース後の兜焼きもわかめ汁もゆず茶も最高に美味しくて。
 本当によかった(しみじみと)。
 また、行こう。
 また、帰ろう。
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アイラブ大島

2022-10-23 17:34:05 | マラソン
 気仙沼つばきマラソンのナンバーカード(アスリートビブス)が届きました。
 大会まであと二週間。今日は23キロ走って、走り込み完了。あとは疲れをとり、調整します。
 気仙沼へは4年半ぶり。今回は父も行く予定で、コロナのこともあって宿泊は父のいとこの方のお世話になることにしました。
 いつもおいしい海の幸を送ってくれる方達。私はお世話になりっぱなしで、マラソンで元気な姿を見せ、できるだけ話を聞いてくることぐらいしかできません。
 書く仕事でお返しできたらという思いは常にあります。おいしいもの、新鮮で栄養のあるものを送り届けることで。
 それは気仙沼の方達だけではないのですが、ある意味、私の中で普遍的になって、創作に集中できる動機ともなっているのかもしれません。
 
 もう数えきれないほどのマラソン大会に出てきました。で、思うのですが、マラソン大会に出て完走するって、それも一つの作品なんだなと。
 大会を目指して準備して、今の最高の自分を作り上げて、結果を出す。それが試合というもので、競技でコンテストで試験で、それはアートでもあって、結果は作品でもあり、生き様でもある。
 一人だけでマラソン大会を作ることも味わうこともできません。多くの関係者の仕事、ボランティアの方達の協力、それに応援、出会い、その土地、その土地で生まれた食べ物や風景や道もランナーを支えます。そこまでしてランナーたちを受け入れて、招いてくれるのは、もちろんお金を落とすからでもありますが、それは副産物で、人は人と会いたいし、人は人が最高のパフォーマンスをする姿を見たいし、できるならともに、その夢の実現の手伝いをしたい。お世話をすることでお世話する人が元気になる、というのは逆説のようですが本当のことです。
 だから僕は行って、父の荷物持ちもして、父を中心に生まれるであろう昔話の花々をできる限り咲かせて記憶する。謙虚に、ありがたくお世話になり、語りに耳を傾ける。私が元気で走れているから気仙沼大島にも行ける。元気でいられるのは、気仙沼の方達や両親との確かなつながりがあるからこそ。お互い様です。

 私のルーツを、根っこを太める旅ランでもあります。
 父は大島出身で、戦後の食糧難の中、父の父は戦死して戻ってこず、親戚やいとこたちと協力して生き抜いてきたことが父たちの根底にはあります。そして父の父は船乗りだった。船頭でした。
 私の中で、ずっと前から星空を見たい、という願いがありました。海の上に浮かぶ星空。できれば大島の砂浜から見上げたい。今まで機会に恵まれませんでしたが今度こそ、叶うといいな。
 あと安波山に行きたいとも思っています。気仙沼湾が見渡せる、昔から海の安全を祈ってきた場所。

 以上のような、気仙沼大島には、個人的な思い入れがふんだんに含まれています。
 が、レースはレースで、その復習と予習もしておきます。
 気仙沼つばきマラソンは、コロナによる中止が2年続けてありました。通常は春開催ですが、今年は異例の秋開催。
 私が参加したのは今まで4回。
 2013年、第30回大会、1時間56分9秒。
 2015年、第32回大会、1時間47分47秒。
 2017年、第34回大会、1時間44分54秒。
 2018年、第35回大会、1時間44分31秒。
 見事に、着実に、タイムは前進しています。
 コースは、私が記憶している限り、10回のきついアップダウンがあります。
 コース図はきましたが、高低差が記されていません。断面図まで入っていればもっと親切になるのに。
 折り返しに入る激長上り坂と、ラストのだらだら上り坂がポイントでしょうか。
 いかに全身、特に腕振りを利用して上り坂を克服し、下り坂でどれだけリラックスしつつタイムと体力を稼げるか。
 走りがいのありすぎるコースですが、今回の目標は自己ベストの更新、具体的には1時間44分を切ること。
 1時間44分を切るには、平均で1キロを4分55秒のペースを継続する必要があります。
 1キロ5分弱は、無理なく走れるペースですが、あのアップダウンがあるので、体力も技もメンタルも必要とされます。
 今からシュミレーション。マラソンもまた準備の力が問われます。
 結果は想造の産物でもあります。小説と同じように。
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