泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

点子ちゃんとアントン

2024-11-02 17:29:23 | 読書
 子供向けに書かれたものではありますが、大人が読んでもおもしろく、ハッとさせられるものがあります。
 点子ちゃんはある日、壁に向かってマッチを売る練習をしています。それをお父さんは見て不思議がるのですが、どういう訳なのかすぐにはわかりません。
 お父さんは実業家でお金持ち。奥様は社交に忙しく、夜はいつも夫と外出しています。点子ちゃんの面倒を見るのは、家庭教師と家政婦とピーフケという犬だけです。
 そんな点子ちゃんには大事な友達がいました。それがアントンです。
 アントンは母子家庭で、お母さんが病気療養中のため料理を自分でし、靴紐を売ることで家計の足しにもしています。そんなアントンは学校で疲れてしまって居眠りしてしまいます。先生はアントンはけしからん子だと思い、親に手紙を書こうとしていました。それを知った点子ちゃんは、先生と直談判し、アントンに内緒でアントンの真実を先生にわかってもらいます。アントンは先生に真実が知られるくらいなら舌を噛み切った方がいいとまで思っていました。先生はそれからアントンに対して思いやりを持って接するようになりました。
 一方で、点子ちゃんは夜になると家庭教師に連れられて一番賑やかな橋の上で練習した演技を披露していました。「私のお母さんは目が見えません。哀れだとお思いになるならどうかこのマッチを買ってくださいまし!」
 家庭教師の若い女性には彼氏がいましたが、その男は女から金を要求し、女は金を渡すことで「一人でいるよりはマシ」な状態を作っていました。点子ちゃんは利用されていました。でも点子ちゃんは半ばおもしろがって。
 アントンは橋の向かい側で靴紐を売っていました。ある夜、アントンは、家庭教師の女の男が点子ちゃんの家の鍵を奪うのを目撃します。アントンは急いで点子ちゃんの家に電話しました。家政婦に、今から強盗が入るからと知らせるためです。
 アントンの知らせによって、強盗は未遂で終わりました。警察が駆けつけ、点子ちゃんの両親も帰ってきます。すべてが明らかになり、家庭教師は逃げ出し、アントンとお母さんは点子ちゃん家族と共に暮らすことになります。
 章ごとに、作者のケストナーの「立ち止まって考えたこと」が付されています。「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」
 これらはどれも一読の価値がありますが、私が一番引かれたのは「尊敬について」で触れられている「ばかやさしさ」についてです。
「ばかやさしさ」耳慣れない言葉ですが、作者のケストナーの地元にはある言葉なのだそうです。その意味はこんな感じです。

 だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことやったらおこられると、自分たちでさえ思うようなことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
 尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがってる、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。
 なのに、もしもおこられたりしかられたりしなかったら、それどころか、もしも横着なことをしたのにチョコレートをもらったりしたら、子どもたちは思うだろう。
「またこんども横着してやろう、そしたらチョコレートがもらえるんだもん」
 尊敬は必要だ。尊敬できる人は必要だ。子どもたちが、いや、ぼくたち人間が未熟であるかぎり。  167ページ7行〜168ページ5行

 とても興味深い「ばかやさしさ」ですね。
 思うに、相手に好かれたいばかりに、自分の心をはみ出して大きく見せようとすることを「ばかやさしさ」と言うのではないでしょうか。私にも心当たり、あります。そしてそんな態度を見せた相手とは(ほとんどが女性だったと思いますが)うまくいかなかった。そりゃそうでしょう。見せかけの自分が続く訳がない。もし続いたとしたら、それだけ見えない病を抱えることになるだけでしょう。
 自尊心が弱いから、何が大切なのかわかっていないから、子供に対する「ものさし」を見せられないのかもしれません。じゃあ自尊心を育むにはどうしたらいいのか? それはやっぱり尊敬できる人たちと出会うことであり、自分自身が他者から敬意を持って接してもらう体験を重ねることしかないように思います。点子ちゃんの家庭教師が最も自尊心が低いという設定は、ケストナーらしい皮肉です。
「ろくでなし」たちはいつの時代も巧妙に「自尊心の低い」人たちを操ります。「ろくでなし」を減らしていくためには「ろくでなし」に引っかからないこと。無視して気にしないこと。そして、どんなことがあっても自分には価値があると信じること。
 どのようにして?
 例えば、この本を読んで。
 アントンから勇気を分けてもらって。

エーリヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2000
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あなただけよければいいのですか? 山本先生の言葉

2024-11-02 12:52:31 | 使える知識
 最近、よく思い出します。
「あなただけよければいいのですか?」という言葉。
 このことについてちゃんと書こうと思っていました。

 山本先生は、私が中学2年のときでしょうか、理科の担当でした。私の担任になったことはなく、小柄で髪を束ねて、どちらかと言えば目立たない真面目そうな中年の女性の先生でした。
 理科の実験で、私のところは早く終わりました。そして私は中二らしく生意気に騒いでいたのでしょう。そのときでした。
「あなただけよければいいのですか?」
 山本先生に言われました。私がそのあと大人しくなったことは目に見えています。
 当時の中学校は結構荒れており、私も調子に乗ってバカをやっていました。先生たちがゲンコツで静かにさせるのも当たり前で、私も何度か食らっていました。
 ただ、今思うのは、叩かれてもその場凌ぎです。何らかの内省にはつながらない。忙しい先生たちにはその場凌ぎの術も必要だったのかもしれない。だけど、今につながる気づきにはなっていない。

 14歳で言われたとして、その後33年も私の中に残っている。そんな言葉は他にありません。年月が経ってみて、やっとわかる価値というものがあります。間違いなくその一つ。
「あなただけよければいいのですか?」
 頭ごなしじゃない。暴力じゃない。説教でもない。
 問いかけ。ずっとずっと続く問いかけ。
 それを中学生相手に発して届けた先生がいた。

 今、その問いに対して、何と応えられるでしょうか?
 私だけよければ、必ずよくない人たちが生まれます。
 だからと言ってあえて私をよくない人間にする必要もありません。
 私が大事であることが基本で、だからこそ私以外の人たちのしあわせも大事です。
 私がよくないとき、きっと他のよい人たちが手を差し出してくれる。
 そう信じられることが生きていく上の支えとなる。
 私はそのことを、その後の人生で実感してきました。

 多数決、数が多い方が正しいとする考え方。それにも疑問が生じます。
「あなたたちだけがよければいいのですか?」
 過半数を超えているから、少数派の意見は聞かなくてもいい。そんな政治が罷(まか)り通ってきたのではないでしょうか?
 そもそも、人はなぜ言葉を生み出し、発達させてきたのでしょうか?
 意見の異なる人たちとは話す必要もないのならば、言葉の力は衰退するだけでしょう。言葉が衰退するということは、人間が人間でなくなっていくということではないのでしょうか?

 小説を書くとき、私以外の多くの人たちの声を聴く必要があります。「私だけがよい」のであれば、小説を書く必要がないとも言えます。
 いや、「私だけがよければいい」のだと思って私だけがよくなる話だけを書く人もいるかもしれません。だけどそんな話、誰が聞きたいでしょうか。
 目標達成や問題解決ありきの話もおもしろくない。それは作者の「私が思う回答」の二番煎じでしかないから。それは「私のよさ」から出ない態度だとも言えます。
 こんなことを書けるのは、私が全部やってきたことだから。その果てに、やっと新作は現れてくれます。

「あなただけよければいいのですか?」
 この問いが胸に繰り返されるようになったのは、それだけ私の目に曇りがなくなったのでしょうか? あるいは、この問いは、私に日々生まれる曇りを拭き取ってくれているのかもしれません。
 山本先生は今もお元気でしょうか?
 かつての中学生が先生の言葉を受け継いでいることを知り、笑顔になってくれたら、私もうれしい。
 これからも使います。
 私に。そして必要な誰かにも。

 コスモスの花言葉は調和です。
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デミアン

2024-10-23 20:49:44 | 読書
 3度目の読書。
 書いていた小説がひと段落し、「共同執筆者」の夢にも促されてこの『デミアン』に手が伸びました。落ち着いたら読もうと買ってはいたのですが。
 3度目なのですが、だからか今回はずいぶんと細部が見えた感じがしました。今までの読書では見落としていたのではないかというような。それは新潮文庫ではなく初めて岩波文庫にしたからかもしれません。訳者が違うので、全体的な雰囲気も変わります。岩波版の方が丁寧で柔らかい印象です。例えば新潮文庫では、最後に登場する重要な人物の一人であるエヴァ夫人が主人公を呼ぶとき「シンクレール」と呼び捨てですが、岩波文庫では「ジンクレエルさん」とさん付け。名前も若干変わっていますが、ドイツ語をかじった身としては「ジンクレエル」の方が原文に近い感じがします。
 ジンクレエルは少年時代、クロオマアという年上の男に苦しめられます。クロオマアは暴力を振るってカツアゲしたわけでもいじめたわけでもありません。ただ、ジンクレエルが裏世界ではボスのクロオマアに認められたいがためについた嘘を利用してどこまでもたかるのです。少年らしい冒険譚の披露大会。そこでジンクレエルは農園からりんごを盗んだと言ってしまいます。クロオマアは、そのりんご園の主人が泥棒を捕まえるために賞金を出していたことを知っていました。ジンクレエルの嘘なのに彼は嘘ではないと誓ってしまう。クロオマアは言うぞ言うぞと脅してジンクレエルからお金をむしり取っていく。うちは貧しくてお前は裕福だという理屈もつけて。
 ジンクレエルはどれだけ両親に真実を告げたかったか。だけど自分は嘘をつき、ごろつきとも付き合っている。自分はもう両親たちの住む「明るい世界」には戻れないのだと悲観する。びくびくとして過ごし、体まで病んでしまい、どうすればいいのかわからない。そんなとき、学校に転校生がやってきた。少し年上で、その名をデミアンと言った。
 デミアンはジンクレエルと付き合うようになり、彼が苦しんでいることをも見抜いてしまう。そして聞き出すのでした。クロオマアのことを。
 デミアンがクロオマアに何をしたのか記述はありません。が、ジンクレエルが道端でばったりとクロオマアと鉢合わせたとき、彼は渋い顔をして、ジンクレエルから逃げ出したのでした。
 それからデミアンとの交流は続きますが、進学を機に離れてしまう。ジンクレエルは安い飲み屋に入り浸るようになり、勉学にも身が入らず孤立し、またしても精神の危機に陥ります。そのとき、彼は街中で見かけた女性(ベアトリイチェ)をモデルに絵を描き、その絵を心に掲げることで危機を乗り越えます。そのあと、もう一枚重要な絵を描きます。それは鳥が卵の殻を破って外に出ようとしている姿。その鳥は、ジンクレエルの実家の門に掲げられていた紋章でもありました。
 印というのが作品の鍵にもなっています。その鳥が飛んでいく目的の神「アブラクサス」もそうですが、カインの額の印も重要なモチーフです。
 カインとアベル。聖書に出てきます。カインは兄でアベルは弟。アベルへの両親の愛に嫉妬したカインが弟を殺してしまう。人類初の殺人と言われています。神はカインの額に印をつけた。それはカインに危害を加えさせないため。心理学では、兄弟間の親の愛をめぐる葛藤をカインコンプレックスと呼びます。
 デミアンは、カインを擁護したのでした。それは学校での教えには反することでした。カインは悪者と相場は決まっていたから。デミアンとジンクレエルが目指していた神はアブラクサスであり、要するに善と悪が融合した神なのでした。
 ヘッセの作品では、己の心にある「明るい世界」と「暗い世界」、「善」と「悪」の葛藤、その克服が大きなテーマになっています。それは彼自身が牧師の子であり、それだけにこの悪を見ないわけにはいかないじゃないか! というような心の叫びに敏感だったからかもしれません。それに大きな善と悪の混沌=戦争が目と鼻の先にありましたから。戦争は、この作品でも大きな影を落としています。
 ジンクレエルは、デミアンと離れている間、二人の友人に恵まれていました。この期間が、私の中では希薄になっていた箇所です。一人がピストリウス。もう一人がクナウエル。
 ピストリウスはオルガン弾き。教会から溢れてくるオルガンの音楽にジンクレエルは引かれて彼と出会います。ピストリウスも牧師の子で牧師になる道を歩んでいましたが脱線した口でした。ピストリウスの家で、ジンクレエルはじっと暖炉の炎を見る。心を見る。自分と向き合う。ピストリウスはそのように導く。彼はたくさんの知識も持っていた。こんな秘宝もある、あんな術もある。宗教っていいな。そんなピストリウスに救われたジンクレエルでしたが、ピストリウスが「古さ」から出てこないことを見抜いてしまう。

「ピストリウス。」とぼくは不意に言った——われながら意外な、おそろしい勢いで、悪意をほとばしらせながら。「また何か夢の話を、聞かせてほしいな。あなたがゆうべ見た、ほんとうの夢の話をね。今あなたの話していることは——じつにたまらなく古めかしいんでね」 213ページ15行〜214ページ2行

 ピストリウスは反撃しなかった。そのことで、ジンクレエルは人を傷つけてしまったと悔やむ。
 クナウエルはジンクレエルをつけてきた。そしてジンクレエルに期待していた。この人は知っていると。何を? 禁欲を。性的な欲求とどう向き合えばいいのか。
 しかしクナウエルは失敗した。ジンクレエルから何かを得ることを。性的な欲求に身を任せること=豚という激しい思い込みから解き放たれることを。彼は死ぬことも失敗する。ジンクレエルは何が何だかわからないままに夜中歩くと、そこにクナウエルがいたのでした。

 かれは細い両腕で、けいれんでも起こしたように、ぼくを抱きかかえた。
「そう。夜中だ。もうじき朝になるにちがいない。おお、ジンクレエル、よくぼくを忘れずにいてくれたねえ。ぼくを許す気になってくれるかい。」
「許すって、何をさ。」
「ああ、ぼくはほんとうにいやなやつだったなあ。」
 この時ようやく、ぼくらの対話のことが記憶に浮かんできた。あれは四、五日前のことだったろうか。あれいらい、一生涯がたってしまったように、ぼくは思った。しかしそのとき突然、すべてがわかってきた。ぼくらのあいだに起こったことだけでなく、なぜぼくがここへ来たか、そして何をクナウエルがこんな町はずれでしようとしたか、ということも。
「じゃ、きみは自殺しようと思ったんだね、クナウエル。」
 かれは寒さと不安で、身をふるわせた。
「うん、そう思ったんだ。できたかどうか、それはわからないがね。ぼくは待とうと思っていた——朝になるまでね。」
 ぼくはかれを、屋外へひっぱりだした。朝の最初の水平な光のしまが、言いようもなく冷たく、味気なく、灰色の大気の中で、微光をはなっていた。
 ぼくはわずかな距離だけ、この少年の腕をとって、引き立てるようにした。ぼくの胸の中から、何かがこう言った。「これからきみ、うちへ帰るんだよ。そうして誰にもひとことも言うなよ。きみは間違った道を歩いていたんだ。間違った道をね。ぼくたちだって、きみが思っているような豚じゃないさ。ぼくたちは人間なんだ。ぼくたちは神々をつくって、神々と一緒にたたかうんだ。そうすれば神々はぼくたちを祝福してくれるさ。」
 無言でふたりは歩きつづけて、やがて別れた。ぼくが帰宅したときには、もう明るくなっていた。  207ページ3行〜208ページ10行

 以上のようなピストリウスとクナウエルとの関わりがあって、ジンクレエルは一つの認識に至ります。もちろん、その前のクロオマア、作品を通してデミアン、象徴としてのベアトリイチェとの出会いと関与があってこそなのですが。少し長いですが、ここがこの作品の核だと思われるので、書き写しておきます。

 そしてこのとき突然、激しい焔のように、つぎの認識がぼくの身を焼いた——どんな人間にも、なにかの「任務」はあるが、自分でえらんだり、限定したり、勝手に管理したりしていいような任務は、誰のためにも存在してはいない。新しい神々を欲するのは、間違っている。世界に対して何物かを与えようとするのは、まったく間違っている。めざめた人間にとっては、自分自身を探すこと、自分の心を堅固にすること、自分自身の道を、それがどこへ通じていようとも、手さぐりで前進すること、それ以外に決して決して、なんの義務もありはしないのだ。——これがぼくを深くゆすぶった。そしてこれが、ぼくにとって、この体験の成果であった。ぼくはこれまで何度も、未来の映像をもてあそんだことがある。自分にふりあてられそうな役割を、夢想した。あるいは詩人として、または予言者として、または画家として、または何なりとしての役割である。そんなものはみんな無意味だ。ぼくが存在しているのは、詩を作るためでも、説教をするためでも、画をかくためでもない。ぼくにしろ、ほかの人間にしろ、そんなことのために、存在してはいないのだ。そんなことはみんな、ついでに生じてくるだけである。どんな人間にとっても、真の天職とはただひとつ、自己自身に到達することだ。かれが詩人としてまたは狂人として、予言者としてまたは犯罪者として、終わろうと構わない——それはかれの本領ではない。それどころか、そんなことは結局どうでもいいのである。かれの本領は、任意の運命をではなく、自己独得の運命を見出すこと、そしてそれを自分の中で、完全に徹底的に生きつくすことだ。それ以外のいっさいは、いいかげんなものであり、逃れようとする試みであり、大衆の理想の中へ逃げもどることであり、順応であり、自己の内心をおそれることである。おそるべき、神聖なすがたで、この新しい映像は、ぼくの目前にのぼってきた。いくたびとなく予感され、おそらくはたびたびすでに口にも出されながら、それでも今はじめて体験された映像なのである。ぼくは自然の手で投げ出された者だ。新にむかってか、あるいは無にむかってか、漠然たる境へ投げ出されたのであって、この投げた力を、深い深いところから思うさま作用させること、その意志を自分の中に感じること、そしてそれを自分の意志とすること、それだけが、ぼくの天職なのだ。それだけが。
 多くの孤独を、ぼくはすでに味わってきた。今ぼくは、もっと深い孤独があること、そしてそれが逃れがたいものなのを、おぼろげに感じた。  219ページ5行〜220ページ16行

 最後にもう一つだけ。
 ジンクレエルはデミアンと再会し、デミアンの母であるエヴァ夫人とも知り合いになります。デミアンの家でのひとときは、ジンクレエルにとってしあわせな時間でした。が、戦争が始まり、ジンクレエルとデミアンは戦地へ。
 ジンクレエルの戦争体験で得たことには希望があります。

 そして世界がいよいよ頑なに、戦争と武勇、名誉、そのほかの古い理想を、めざしているかに見えれば見えるほど、外見的な人間らしさの声という声が、いよいよはるかに、いよいよ嘘らしくひびけばひびくほど、それらはすべて表面だけのことにすぎなかったし、それと同様、戦争の外面的な政治的な目標というものも、表面だけのものにとどまっていた。深いところには、何かが生じかけていたのである。何か新しい人間らしさといったようなものが。なぜならぼくは、多くの人たちを見ることができたが——しかもかれらの中には、ぼくのかたわらで死んで行った者も、ずいぶんある——かれらには、憎しみと憤怒、殺害と破壊というものが、対象物にむすびつけられてはいない、という洞見が、感情をとおしてさずけられていたのである。そうだ。対象物は、目標と同じく、まったく偶然的なものだった。原始的な感情は、どんなに荒々しいものでも、敵をめざしてはいなかった。その感情の血なまぐさいしわざは、内的なもの、自己分裂を起こしたたましいの、放射にすぎなかった。たましいは、新しく誕生するために、荒れ狂ったり、人を殺したり、破壊したり、死んだりしようとしていたわけである。巨鳥がむりに卵からぬけ出ようとしていた。そして卵は世界であった。そして世界はくずれ去るほかはなかったのである。  280ページ13行〜281ページ11行

 負傷したジンクレエルとデミアンは、いっとき横に並ばされます。デミアンは、おそらく死んでしまう。またしても一人になってしまうであろうジンクレエルにデミアンは語りかけます。

「ジンクレエル。」とかれはささやき声で言った。
 ぼくは目で合図をして、かれの言うことがわかると知らせた。
 かれはまたほほえんだ——ほとんどあわれむかのように。
「おい、坊や。」とかれはほほえみながら言った。
 かれの口は、このときぼくの口のすぐそばに来ていた。小声で、かれは話しつづけた。
「きみ、フランツ・クロオマアのことを、まだおぼえているかい。」とかれは聞いた。
 ぼくはかれにまばたきをしてみせた。そして同じくほほえむことができた。
「ねえ。小さなジンクレエル、しっかり聞くんだよ。ぼくはいずれここを出てゆくことになる。きみはたぶん、いつかまた、ぼくを必要とすることがあるだろうね——クロオマアやなんかに対してさ。そうなってぼくを呼んでも、ぼくはもうそんな時、そう手がるに、馬にのったり、または汽車にのったりして、来はしないよ。そんな時はね、きみ自身の心に耳をかたむけなければいけない。そうすればぼくがきみの心の中にいるのに、気がつくよ。わかるかい。——それから、まだ言うことがある。エヴァ夫人が言ったんだが、きみがいつか困るようなことがあったら、そのときは、夫人からのキスを、ぼくがきみにしてあげるようにってさ。そのキスを、ぼくは夫人から渡されてきたんだよ……目をつぶりたまえ、ジンクレエル。」
 ぼくはおとなしく目をとじた。かるい接吻をくちびるに感じた。そのくちびるには、たえずすこし血が出ていて、それがいっこうに減ろうとしないのだった。  284ページ13行〜285ページ14行

 そして、作品の冒頭に掲げられた言葉。

 ぼくはもとより、自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたにすぎない。どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう。  7ページ1行〜3行

 この作品が書かれたのは1919年、第一次世界大戦の直後のこと。
 いまだに、どうして、自分が自分として生きることがこんなにも難しいままなのでしょう?
 一つ一つ、書かれていくしかないのかなと思います。地道に、コツコツと。
 その仕事が、年を経てもこうして文庫本として残り、次の世代のヒントとなって生きている。
 読んでよかった。本当に。
 また読みたくなるのでしょうか?
 読みたくなったら何度でも、読めばいい。それだけ価値がある本です。

 ヘルマン・ヘッセ 作/実吉捷郎 訳/岩波文庫/1954

 

 
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まっすぐだけが生き方じゃない

2024-10-09 18:56:51 | 読書
 60種の木が紹介されています。
 木の特徴を解説するとともに人として学べるところが取り出されています。
 例えば、最初に登場するイロハモミジ。「最初から美しいもの、なんてない」という題で、忍耐の大切さを教えてくれる。冬の厳しい山で、イロハモミジは急いで枝を伸ばしはしない。じっくりと日の当たる場所を見極めて少しずつ伸びて葉を茂らせ、不要になった場所は枯らせてしまう。ただ待つだけでなく、じっくりと着実に成長する。その結果があの美しい姿なのだと。
 次のイチイも着実さの重要性を教えます。広範囲に根を張り、幹や枝に傷を負っても地下が支える。2000年も生きることができるのは、少しずつしか成長しないから。成長がゆっくりだからこそ、細胞は緻密になり腐りにくくなる。
 オリーブやアサイーは栄養価の高い実を提供することで他の生き物との共存を実現している。与えることの豊かさを教えてくれます。
 共存ということで言えば、ハンノキで出てくる根粒菌とダグラスモミの菌根菌(キンコンキン)。
 根粒菌は窒素からアンモニアを生成し植物へ供給し、植物から光合成産物を得て共生していました。菌根菌はリンを吸収して植物に供給し、植物から光合成産物を得ている。知りませんでした。土の中のカビが植物と手を結び、そんなにいい仕事をしているとは。
 知らないことだらけなのですが、一番驚いたのはコルクガシでしょうか。あのワインの栓になっているコルクの原料は、コルクガシの皮なのでした。実際の写真を見るとかなり衝撃なのですが、ぐるっと身包みを剥がされてしまいます。でも、コルクガシはくよくよしない。どんどん皮を再生していく。通常より二酸化炭素をより多く吸収するというからあっぱれです。「木の王様」とも言われ、原産国のポルトガルでは大事にされています。元々、コルクガシの皮が柔軟なのは、適度に空気を含むことで断熱効果を生み、山火事から身を守るためと言われています。コルクガシの題は「立ち止まらずに、立ち直ろう」。
 もう一つ挙げるならアカシアでしょうか。アカシアは葉を食べられるとエチレンガスを発生させます。そして他のアカシアに危険を知らせ、草食動物には毒にもなる苦いタンニンを生成する。「ひとりで無理せず、助け合おう」 本当に、見習いたいことばかりです。
 私という木は、どれだけ成長できたのでしょうか。小説という実がやっと成りましたが、まだまだこれからです。一つできたとしても継続が力になります。
 読書することで地下に根を張り、強風を凌ぐ柔軟さを心身に持つように努め、辛抱強く日の当たる場所へ枝を伸ばし、自分の芯を着実に緻密にし、微生物や昆虫や鳥や花たち、書店で本とお客さんと仲間とともに。走ることで自分を守り。休むときはしっかり休み。
 木々とは、これからも、ますます親密に付き合っていく相手になりそうです。
 名前をなかなか覚えられないから、少しずつ、何度も確かめて。
 今はやっと涼しくなりましたが、夏の酷暑では木陰のありがたさを実感します。
 紙もまた木がなければ生まれない。神社も大木があってこその神社です。
 木のない生活は考えられません。
 木のことを知るために、きっかけになる一冊です。

アニー・デービッドソン 絵/リズ・マーヴィン 文/栗田佳代 訳/文響社/2022

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牧野富太郎 なぜ花は匂うか

2024-09-28 20:04:11 | 読書
 前回の「植物知識」に続いて牧野さん。「バナナの皮」についての記述は重複していましたが、他は初読みと思われます。
「植物に感謝せよ」では次のように書かれています。
「人間は生きているから食物をとらねばならぬ、人間は裸だから衣物を着けねばならぬ。人間は雨風を防ぎ寒暑をしのがねばならぬから家を建てねばならぬのでそこで始めて人間と植物との間に交渉があらねばならぬ必要が生じてくる。
 右のように植物と人生とはじつに離すことのできぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服していると言うだろうがまたこれと反対に植物は人間を征服しているといえる。そこで面白いことは植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては生活できぬことである。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと崇拝し礼拝しそれに感謝の真心を捧ぐべきである」
 こんなにもはっきりと植物愛を語る人を他に知りません。でも、確かにそう。植物がなければ、人は呼吸すらできなくなってしまいます。
 身近に植物があれば落ち着く。それは人の本能と言えるのかもしれません。
 その植物のことを知ることがその人の人としての幅になるような気もします。人と植物は切っても切り離せませんから。
 様々な植物のことが語られています。松竹梅、椿、山茶花、スミレ、カキツバタ、浮き草、蓮、菊、イチョウ、ススキ、富士山の植物などなど。
 表題の「花はなぜ匂うか」。それは虫に花粉を運んでもらうためです。そのために様々な色も花は身につけます。風を頼りにする花は、匂わなければ目立ちもしません。
 意外に知らなかったのは「浮き草」。浮き草はどうやって増えているのか?
 分裂を繰り返していました。
 では、浮き草は冬どうしているのでしょう?
 寒くなると、浮き草は沈むのだそうです。水中でじっと耐え忍び、春になるとガスを出してまた浮き上がってくる。なんてしたたかなのでしょう。
 松がなぜめでたいのか?
 生命力が強いからです。津波でも生き延びた松があることは有名になりました。
 そして菊。私は「菊田」なのでどうしても意識してしまいます。
 菊は、花の中でも上等なのだそうです。どうしてでしょうか?
 実は、菊の花。花びらの内側部分に花がぎっしりと詰まっています。小さな花々が寄り集まって一つの大きな丸い花を作っています。そうすることで、虫が来たら一斉に受粉できるようになっていました。効率的に種ができるように進化していました。
 まだまだ無数に、植物の数ほど「へえ」があります。その一つ一つを知っていくことが楽しくないはずがありません。人の抱える孤独も植物と戯れていればいつの間にか消えてしまいます。ヘッセもガーデニングが趣味でした。
 やっぱり、植物に感謝しかないですね。

牧野富太郎 著/平凡社/2016

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共同執筆者

2024-09-28 13:55:20 | フォトエッセイ
 先日、忘れ難い夢を見ました。
 私は少し賑やかな出版社らしきホールにいて、そこの人から紹介されたのでした。
「共同執筆者のヘルマン・ヘッセさんです」と。
 ああ、ついにヘッセに会えたのだという喜びで、私はうれし涙が止まらなかった。
 ただ会えたのではなく、「共同執筆者」として。
 しかも、ヘッセは後ろ姿しか見せてくれませんでした。
 髪の薄くなったご年配の男性で、意外と小柄でした。
 それが何を意味するのか?
 ヘッセ最後の小説「ガラス玉遊戯」を読了したのが2011年の8月17日でした。それから先、私はランナーとなり、小説家見習いとなりました。あれから13年経ったことになります。ヘッセ最後の小説を読んだからには「私が書かなければ」と思ったことを覚えています。
 さかのぼれば仙台の学生時代。私はいつどこでヘッセと出会ったのか覚えていません。が、一人で不安で寂しいとき、枕元にはヘッセの詩集を置いて横になったことを覚えています。
 いつの間にか、ヘッセは私と共生していた。私の大事なときにはヘッセがいつもそばにいてくれた。そんな魂の友情とでも言うべきでしょうか、ああそうかヘッセがいたと、改めて認識を深めた夢でした。
 それは私の創作物が一通り書けた後の夢でもありました。ヘッセが後ろ姿だったのは「やっと追いついたか」というメッセージなのでしょうか。「さっさと追い抜けよ」と言ってもいるのでしょうか。
 創作物というものは、このように本当に心の奥深くで、その人の生き様の伴走者となりうる。私にとって、それは言葉であり詩であり小説だったわけですが、人によって心の奥深くまで入るものに違いはあるでしょう。どれ一つとして同じ心はないのですから。
 書き抜くことによって自分のより大事なものが見えてくる、ということもあったのかもしれません。
 そのように、読んだ人の支えに少しでもなれたらうれしいなあと思います。
 今は、文章の精度を上げているところです。構成はもうほとんど変えられないだろうけど、もっと具体的に文章を開けるところを開いているという感じです。
 そして来週あたりから、協力者に原稿を託していきます。いよいよ他者の目も入ってきます。私はもうまな板の上の鯉。「来い!」という開き直りしかありません。
 でも絶対に必要なことです。提出までまだ半年あります。十分に他者の感想や意見やご指摘を受け止めて、さらに改良したいと思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、その言い伝えはまだ生きているようです。こちらも23日からは冷房なしで眠れるようになりました。「暑くない」それだけでホッとしてストレスが減ります。それだけ夏の厳しさは増してしまいました。
 今日は朝から20キロ走りました。涼しくなったのでまずは20キロ。神戸マラソンは11月17日。気づけばもう二ヶ月を切っています。しっかりと準備を。
 近くの公園で彼岸花が咲いていました。
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2度目の東京マラソン

2024-09-14 18:19:19 | マラソン
 今年も暑いですね。
 最近は、どんどん夏がぶり返しているようでもあります。ネッククーラーは欠かせず、昼間の外出には凍らせた保冷剤を手拭いに巻いて持ち歩いています。
 土曜の朝ランは継続しています。というか、朝しか走れません。その時間を充実させようと金曜の夜は早く食べて早く寝るようにもなりました。それでも、今日は11キロほど。月間で50キロちょい。
 足りません。私の場合、体重が増えてきてわかります。
 で、必要に迫られて、もう1日の休みの日である水曜日、近くのスポーツセンターを利用するようになりました。その日は遅番の次の日なので、朝走れないのです。調べてみればトレーニング室が充実していました。私の知らない間に。
 水泳に通っていた時期もありましたが、トレーニング室に入るのは実に小学生振りでしょうか。2階の回廊は変わらず一周140メートルのランニングコースになっていました。
 係の人に聞きながらトレッドミルを初体験。その場で走れるあれです。
 スピードを調整しながら少しずつ。傾斜もつけられます。だんだんと慣れてピッチも上げていきます。30分で交代するルールなのですが、降りたときは汗がびっしょりでした。床が動いているような錯覚を覚えます。
 そのあとはエアロバイク。自転車漕ぎです。それも結構きついです。重さは調整できますが。さらにアークトレーナーというのがあって、腕を振りつつ足を上下させるものです。それも結構きます。
 さらには筋トレマシーンたちも少しずつ体験。今まで脇役だったものたち一人一人(筋肉の各部位)にスポットライトが当たるような感覚で新鮮でした。
 最初は飽きるんじゃないか、景色も楽しめないし、とか思ってましたが、意外と楽しかったです。暑さが生んだ出会いとでも言いますか。これからも通うと思います。
 で、8月はいつも東京マラソンのエントリーをしてるのですが、昨日抽選結果の発表があり、「当選」していました。なんか、え? という感じです。いつもダメもとでエントリーしてますから。
 2011年から走り始めてその年からエントリーも始めて、初当選は2019年でした。あれから6年。あのコースをもう一度走れるチャンスが巡ってきました。
 実は、福島の唯一のフルマラソンである「いわきサンシャインマラソン」に出ようと思ってました。エントリーは昨日から。だからエントリーする前に一応東京マラソンの結果も見てから、という感じだったのです。
 いわきは2月23日。東京は3月2日。さすがに二つは無理ですね。1週間後ですから。
 東京が当たったのなら東京を優先させます。いわきは、また今度。
 2019年に東京で出した3時間38分30秒というフルマラソンのベストタイムを更新できないままの6年でもありました。新型コロナがありました。熊本と高知はきついコースでした。東北復興では肉離れしていました。今度の神戸は走ってみないとわかりませんが。
 東京を知ってしまうとあんなに上り坂のないコースは日本に他にないとわかります。しかも最初の10キロほどは下りです。私が知らないだけかもしれませんが。今のところ。
 とにかく、自己ベストを更新するチャンスです。しっかり準備したいと、今からやる気のスイッチが入りました。
 こつこつと小説も仕上げてきています。そろそろ人に見せられるところまできました。ラストシーンまで書きましたが、まだ完成はしていません。読んでくれる人の声も聞いて、もっとリアルに描けるところは言葉を尽くして。3月末に出して、やっと次に行けます。
 小説でも自己ベストを更新したい。
 しっかりものにできるように。日々の習慣を大事に過ごします。
 必要なものは柔軟に取り入れて。不要なものにはこだわらず。

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海よ光れ

2024-09-07 20:30:14 | 読書
「課題図書」小学校高学年の部の中の一冊です。
 今まで課題図書を読んだことはありませんでした。もう70回になるのですね。私が学生の頃もあったはずですが、学校で取り組むことはなかったと思います。最近は店頭に出したら瞬く間に売り切れるほどなのですが。自分が学生のとき、学校からの宿題として出されていたらどうしただろう? 読み書きは好きですが、強制されたら反発したかもしれません。
 今回読む気になったのは、3・11が主題だということと、児童書を担当している同僚が「号泣した」ということで買う気になりました。
 岩手県の山田町にあった大沢小学校が舞台です。
 山田町は、釜石と宮古の間にある太平洋に面した港町。山田湾は突き出した半島に囲まれて穏やかなので養殖業が盛んでした。
 大沢小学校には二つの「海よ光れ」がありました。一つは演劇、もう一つは新聞。
 学校新聞というのがありました。内閣総理大臣賞を受賞するような細やかな配慮に満ちた、でも力強い手書きの新聞です。もちろん小学生たちが作っています。
 演劇の方は津波から逃げる話。明治の三陸大津波の教訓を後世に伝えることが主な目的のようです。
 大津波に襲われた山田町で、大沢小学校は地域の避難所となります。高台にあったので直接津波の被害は受けませんでした。大人たちが食糧を持ち寄って食事の用意をしてくれました。その姿を見て、子どもたちも何か自分たちにもできるはずだと思い、新聞を作り、学校以外の家にも配達に行きます。その他の子たちはトイレ掃除を始める。その姿を見て、低学年の子たちは「肩もみ隊」を結成し、お年寄りたちをほぐしていきます。そしてお年寄りたちも何かできることをと思い、ボロ切れを集めて雑巾を縫い上げます。その雑巾は掃除する子たちに渡されます。
 今まで当たり前にできていたことができなくなった中で、初めて自分と出会うかのように今できることの連鎖が生まれた。そんな好循環の空気を作る土台となっていたのだろうなと思うのが、先にあげた二つの「海よ光れ」でした。
 大沢小学校は廃校になりました。当時の卒業生たちはもう成人し、警察官になったり自衛官になったり看護師になったりと活躍している様子。その卒業生たちが作った「海よ光れ 号外」がこの本に挟まっています。
「感謝を忘れない」「無理ではなく難しいと言い直す」「楽しく生きる」
 それぞれが学んだことを書かれています。立派です。
 正直、立派すぎて、私は感動できませんでした。
 大沢と比べてもしょうがないのですが、それはよくわかっているのですが、犠牲者の出た地域を肌でわかっているのでどうしても。
 劇の「海よ光れ」は3・11後も実演されたそうですが、津波のシーンはカットされたそうです。「思い出させてはいけない」からと。
 重松清さんの『また次の春へ』(文春文庫)に『カレンダー』というタイトルの短編が収められています。その中で、被災地に都市部から不足しているカレンダーをボランティアで送ることになります。そこで、3月から前のカレンダーは破棄した上で送ったところ、3月から前の方が欲しかったという声が返ってきます。なぜでしょうか?
「先だけを見てがんばれ!」というメッセージを暗に送っていたからです。言い換えれば「3月から前はなかったことにしよう」と。
 過去がなくてどうして今、これからを歩いていけるでしょうか。
 耐えられないような傷にあえて塩を塗る必要はありません。だけど、その傷があればこそ、悔しくて仕方ないからこそ、乗り越えていくばねにもなります。傷にはいい面も悪い面もある。どちらか一方だけから物事を見ると、見えなくなるものがある。私は、自分の経験から、そう思っています。
 津波で、思い出の品や人々や場所を、ある日突然ごっそりと持っていかれてしまったのです。せめてカレンダーだけは、「あの日」以前も当たり前についているものが欲しかった。そうすれば、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出せるから。
「思い出させてしまってごめんなさい」と言われ、むかっとした、という話も聞いたことがあります。思い出して当然です。何が悪いのでしょうか。むしろ、今だって一緒に生きてますから。
 そんなこんな、きれいにまとめられた「感動のノンフィクション」だからこそ、そこからこぼれ落ちるであろう様々を逆に想起させられました。私の役目は、そういう一つ一つを拾って言葉で構築していくことでもあると、改めて思わされました。
 弱音をもっと聞きたかったかな。
 そうだと子供向けにならないのでしょうか?

田沢五月 文/国土社/2023
 

 

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植物知識

2024-08-28 18:49:14 | 読書
 今年の2月に高知県の牧野植物園を訪ねましたが、牧野さんの文章に触れるのはこの本が初めてかもしれません。改めて、花とはなんだろう? 植物とはなんだろう? と思い、買っておいたこの本に手が伸びました。
 昭和24年、当時の逓信省(ていしんしょう)が『四季の花と果実』と題して刊行したものが改題され、講談社学術文庫に収められました。そのとき牧野さん、御年88歳でしょうか。95歳まで元気に生きられました。表紙の「いとざくら」も牧野さんが描かれたものです。
 身近な花と果実について、紹介されています。
 花は、ボタン、シャクヤク、スイセン、キキョウ、リンドウ、アヤメ、カキツバタ、ムラサキ、スミレ、サクラソウ、ヒマワリ、ユリ、ハナショウブ、ヒガンバナ、オキナグサ、シュウカイドウ、ドクダミ、イカリソウ。
 果実は、リンゴ、ミカン、バナナ、オランダイチゴ。
 花は生殖器だと、牧野さんは言います。そうでしょう。子孫を残すために花は咲く。この事実を汎用して、人間も男と女があるからには子を授かるのが当然で、独身者は反逆者と言います。しかし、花にも子孫を残すためでなく咲く花もある。ヒガンバナです。地下の球根が分裂して増えるためです。花は咲いても種子はできない。じゃあ、ヒガンバナはどうして咲くのでしょうね? あんなに見事に、目立つ姿で。
 ヒマワリは回らない。えっ、と思いました。もう少し調べると、茎が伸びている間は動くそうですが、立派に花が咲くともう動かないそうです。牧野さんは花をじっと観察し、動かないことを証明していました。向日葵という漢字は中国由来です。外国からの知識を鵜呑みにするなということでしょうか。
 果実は、花よりも刺激的でした。
 私たちは果実を食べているわけですが、リンゴは茎を食べていました。果実は、種として取り除いている部分です。詳しくは、茎の先端の花托で、偽果とも言われます。ナシやイチジクも同じ作りです。
 バナナは、皮を食べていました。外果皮は皮として捨てているところ。中果皮と内果皮を私たちは食べています。種の名残が真ん中に黒い粒として残っていることもあります。ちなみにバナナは10メートルにもなりますが、木ではない(果実的野菜)そうです。木の幹のように見える部分は葉が重なったもので、偽茎や仮葉と言われます。もう一つ、白い筋がありますが維管束と言って、カリウムや抗酸化成分が豊富なので食べた方がいいみたいです。
 最後にミカンはどこを食べているのでしょう?
 果実は種です。種を守るように外果皮(むいて捨てるところ)、中果皮(中の白い筋)、内果皮(袋状のもの)があり、内果皮の外側から内側に向かって毛が伸びています。その毛に果汁が蓄えられていました。なので正解は毛でした。
 毛を食っているなんて、他の食べ物であるでしょうか?
「もし万一ミカンの実の中に毛が生えなかったならば、ミカンは食えぬ果実としてだれもそれを一顧もしなかったであろうが、幸いにも果中に毛が生えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨しているのである。こうなってみると毛の価もなかなか馬鹿にできぬもので、毛頭その事実に偽りはない」
 と牧野さんも書いています。ダジャレも好きだったようで。

牧野富太郎 著/講談社学術文庫/1981

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ふたりのロッテ

2024-08-10 18:12:41 | 読書
 ケストナーの作品は「どうぶつ会議」「飛ぶ教室」「人生処方詩集」を読んだことがあります。没後50年ということで、また注目を集めています。
「ふたりのロッテ」は初読み。二人の少女が主人公というところと、ケストナーの代表作の一つに挙げられることも多いので読んでみたくなりました。
 なんでこんなに子どものことがわかるのでしょう?
 子どもは親のために病気にもなりますが、そのことが実によく描かれています。
「訳者あとがき」でわかったことですが、この作品は第二次世界大戦中に書かれています。著者のケストナーはドイツ人で、その時代ナチスが政権を握っていました。ケストナーは「危険思想の持ち主(政権に反対していたので)」とされ、ナチスから発禁処分を受け、命すら危ない状態でしたが、国内に留まり、この作品の完成に集中していました。外圧が強いだけに純度が高いと言うか、何を書くべきなのか明確になっていたのかもしれませんが、並のことではありません。現在にまで残る作品の生命力の強さを刻んでいたことに違いはありません。
 夏の、日本で言ったら林間学校でしょうか、湖のほとりにある子ども学校から物語は始まります。見た目がそっくりの女の子が出会います。一人はロッテ、一人はルイーゼ。ルイーゼは明るく陽気ですが気性が荒く、すぐに手が出るタイプ。一方のロッテは計算や料理が得意ですが感情表現は苦手。ルイーゼは、私とそっくりなロッテを見て腹を立てます。ロッテはルイーゼを見て怯えてしまいます。ロッテは夜、一人ベッドでしくしく泣くのでした。その手をルイーゼはそっと握ります。そこから二人の親密さが増していきます。
 表紙にもある二人の作戦会議。二人は何を一生懸命にノートに書いているのでしょうか?
 夏の子ども学校が終わり、それぞれが家に帰っていきます。ロッテは母と、ルイーゼは父と暮らしていました。父と母は離婚していて父母ともに、自分の子どもに姉妹がいることは黙っていました。
 そうです、ロッテとルイーゼは双子でした。そして綿密な情報交換と作戦会議の末に、ロッテはルイーゼとなって父のところへ、ルイーゼはロッテとなって母のところへ帰ったのです。
 なぜそうしたのかは、最後に明かされます。父母が子どもたちに黙っていたように、子どもたちもまた父母に入れ替わったことは決して言いません。やがて子どもたちの秘密は明かされるのですが、それは作家の構成の妙。忘れた頃にしっかりと伏線は回収されます。無駄な挿話は一切ありません。
 子どもたちは鋭い感性を持ち、人として何が間違っているのかを大人たちに全身で教えます。言語化能力はまだ発達していませんが、危険察知能力は大人よりも優れています。
 どれだけ子どもたちの訴えを感じて寄り添えるのか。ときに誤る大人の考えと行動を変えていけるのか。ロッテとルイーゼの果敢な挑戦に、父母はついに動かされました。考えを改め、家族4人のしあわせを引き寄せることができました。
 ケストナーは自分の思いを子どもに託したのではないかと思います。人殺しばかりする大人たちよりも子どもや動物の方がよっぽど信頼できる、と思ったのかもしれません。ケストナーの生きた時代に、確かに大人のヒーローは描きづらかったでしょうから。
 だからこそ胸に迫り、残るものがあります。異変は細部から起こるのだと。
 必要なのは敬意です。子どもだからといって軽視していい理由はどこにもありません。
 小さかろうが大きかろうが、一人の人間であることに違いはありません。
 夏休み、子どもたちが本屋にあふれています。敬意を持って接することができているでしょうか? 危ないとき、この本を思い出せ自分!

 エーリッヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2006
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戦争は、

2024-08-03 17:58:35 | 読書
「戦争は、」というタイトルの絵本です。
「戦争は、」で始まる短文と、戦争を表現した象徴的な絵で構成されています。
 読んで感じていくと、「戦争とは何か」が、読む人の心に形成されていく仕掛けです。大人が読んでもちろんいいのですが、子どもと一緒に読むと、いろんな質問が飛んできそうです。「知らないこと」「無垢であること」が、戦争の忍び込んでいく「余地」になります。読んで質問して対話して、「戦争は、」と自ら語れるようになることが「反戦争」を育むことにつながっていきます。
「戦争」が好むものは何でしょうか?
 逆に「戦争」が嫌うものは何でしょうか?
 この絵本を読むと、「戦争」は生き物だと感じます。
 確かにそうでしょう。どんな人にも忍び込むことができるウィルスのようなもの。
「戦争は、」で始まる短文が、読むものの想像を刺激します。
 一つだけ紹介します。私が最もずしんと来たところです。
「戦争は、物語を語れたことがない」と書かれています。山積みにされた本が燃やされそうとしています。
 何度か読むうちに、私の中にも「戦争は、」の続きが生まれました。
「戦争は、嘘で塗り固められた正義。自らの失敗を全て他人のせいにする」
 たったの79年前まで戦中だった日本が、また戦争をしない保障は、一人一人の心にしかありません。心は、それぞれの異なる物語でできている、と言ってもいいのではないでしょうか。
 一つの出版物に心を込めて世界に送り出す。受け止めた人が、私に必要だったものとして大事に自分のものとする。そのとき、新しい絵と言葉が、その人に宿ります。
 自分に宿った絵と言葉が、その人を守り、育て、または導く。自分の中にどんな世界を作っていくのか、それは実に何に接したか、何を取り入れてきたかによるでしょう。
 良くも悪くも、です。人は弱く、一人では生きられず、人からの影響を受けないわけにはいきません。
 地道な営みの継続しかないのだ、と思います。
 平和を維持するのは、当たり前に誰かがしてくれているのではなく、一人一人が意識して作っていくものだということ。平和であることはものすごく大変なことだからこそ、実現する価値があるということ。
 夏に花火があり、祭りがあるのは、死者と交わり弔うためであり、また魔除けのためでもあります。食べ物も傷みやすく、酷暑で人も疲弊しています。人が集まるイベントは自然発生的に生まれたのかもしれません。他者と何かを共有し協力すれば、生きる活力も自ずと湧いてくる。
 孤立もまた古代から続く人の抱える魔の一つ。本は、物語は、人と人を結びます。
「戦争は、」どうでしょうか?
 この夏、読んでほしい一冊の絵本です。

ジョゼ・ジョルジェ・レトリア 文/アンドレ・レトリア 絵/木下眞穂 訳/岩波書店/2024
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思い出のマーニー

2024-07-31 12:33:45 | 読書
 この本は、NHK教育番組「100分で名著」で紹介されていて知りました。
 その番組を見たわけではないのですが、お勧めしてたのが心理学者の河合俊雄さんで、なんかそれだけで気になっていました。
 河合さんは、私が大きな影響を受けた河合隼雄さんのご子息。なのでその人が大事にしてきた本なら、私にも刺さるだろうと。
 その予感はやはり当たっていました。
 ものすごく面白かったです。
 10年ほど前にジブリでも映画化されたそうです。そちらも観ていませんが観てみたくなりました。
 内容ですが、アンナという小学校高学年くらいでしょうか、女の子が主人公です。
 ある夏、海辺の町で暮らすことになりました。その一夏の忘れられない体験が描かれています。
 アンナは複雑な環境で過ごしていました。両親は若くして離婚し、母は再婚しましたが自動車事故で亡くなってしまいます。
 母の母、アンナの祖母が大事に育てていましたが、祖母も病のため亡くなってしまいます。
 孤児院に預けられ、養父母に引き取られましたが、アンナはそれまでの体験で「裏切られた感」を深めており、「ふつう」を装って心を開くことができずにいました。
 自分から何かしたいとは一切言わず、人を(自分を)信じることができません。その心構えがトラブルを引き寄せ、だからまた殻に閉じこもる。そんな鬱屈した日々でした。
 海辺の町でアンナを受け入れてくれたのはペグおばさんとサムおじさん。二人はアンナを歓待し、心配はしますが強制は一切しません。
 ふらふらと潮の引いた海を歩くアンナはマーニーと出会います。マーニーは「湿っち屋敷」に住む女の子。二人は意気投合し、ボートに乗ったり、砂浜で城を作ったりして遊びます。お互いに相手のことを知りたがり、少しずつ距離を縮め、やがて無二の親友になっていきます。
 マーニーは大きな屋敷に住み、一見恵まれているように見えましたが、海軍に所属する父はほとんど帰らず、若くて美しい母は、マーニーを粗野なばあやと召使に預けてほとんど家にはいませんでした。言ってみればネグレクト。マーニーの不幸せを、アンナは鋭く理解し、共鳴もしていました。
 マーニーは風車小屋を恐れていました。ばあやと召使に、言うことを聞かないとあそこに閉じ込めると脅かされて。そんなマーニーの恐れを解きたくて、アンナは風車小屋に行きました。しかし先にマーニーが風車小屋にいて、恐れのあまりパニックに陥っていました。なんとかアンナは救出しようとするのですが、マーニーはそのまま眠ってしまい、アンナも仕方なく風車小屋で一晩を明かしました。
 翌朝、アンナが目覚めるとマーニーはいなくなっていました。マーニーの知り合いの男子が助けに来ていました。
 アンナは怒ります。私だけを置いて行った、と。これまでも繰り返されてきた「裏切り」をまたしてもされて。
 アンナはマーニーを許せない。だけど、アンナはマーニーに会いに行きました。
 マーニーは部屋に閉じ込められ、でもそこで泣き叫んでいるのがアンナには聞こえました。アンナはマーニーを許します。
 その後、アンナは寝込んでしまい、その間にマーニーもいなくなってしまうのですが、そのマーニーを、ペグもサムもその他の人たちも見たことがないと言います。
 アンナとマーニーのことは二人だけの秘密ではあったのですが、それが本当にあったことなのか、アンナ自身もわからなくなってきていました。
「湿っち屋敷」を買って移り住んできたリンゼー家とアンナは知り合いになります。
 リンゼー家には子供が5人おり、その一人が改修工事中の屋敷からノートを見つけます。それはマーニーの日記でした。
 日記を読みながらアンナは記憶を取り戻していきます。マーニーのボートも発見されます。
 最終的にはマーニーの古くからの友人がやってきて、その後のマーニーのことを教えてくれます。
 で、マーニーとは誰だったのか、わかるわけですが、それは読んでのお楽しみということで。
 前半は、ぼやっとして「?」が多く、読みづらいと思われるかもしれません。「?」が読み進めるエンジンにもなるのですが、どうか前半で読むのを諦めないで欲しいと思います。後半、怒涛の伏線回収がありますから。それはアンナとは誰なのか、にも通じていて、全て明らかになったときのアンナの喜びは私にも伝わってうるっと来ました。
 マーニーは実在の人物です。しかし、アンナが体験したのは時を越えて、その土地の持つ力と人々の温かく支持的な関係が呼び水となって生まれたものです。アンナにはマーニーを体験する種は植っていた。でも、発芽する土と水と太陽が十分ではなかったという感じでしょうか。
 人を憎んですらいたアンナ。愛されることに飢えていたマーニー。二人は出会って、一生懸命に支え合って、アンナはマーニーの至らないところを許すことができました。
 大事にされている実感の貯金が、人の至らなさを許す元手となっていました。
 健全な自己肯定感を積み上げるのが難しくなってしまった今こそ読んで欲しい物語になりました。
 大人も、改めて、自分はどのようにして自分になれたのか、読み直す時間もあってはいいのではないでしょうか?
 マーニーは、本でもあり小説でもあるなあと思います。
 私にとってのマーニーは誰かな? どの本かな?
 そんな思いを巡らすのも楽しいです。
 またこの本が、もちろん大事なマーニーになる力を秘めています。
 この夏、お勧めです。ぜひ、お手に取ってみてください。

 ジョーン・G・ロビンソン 作/松野正子 訳/岩波少年文庫/1980
 
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次は神戸

2024-07-20 17:06:54 | マラソン
 この写真、4月のイーハトーブ花巻ハーフマラソン大会で撮ってもらったものです。
 マラソン大会などのスポーツ大会に写真業者が入り、大会後に閲覧して気に入ったものがあれば買うことができます。
 ハーフの後半、競技場前だから20キロ過ぎでしょうか。この辺りは息が上がってしまって顎(あご)が落ちそうになってます。自分としてはあまりいい表情ではない、と思ったのですが、ポーズがきれいなグリコになっていたので(「グリコポーズ」と言って分かりますか?)。そのポーズよりは若干腕が下がっていますが。

 東京は梅雨が明けました。
 今日もものすごく暑いです。
 朝ランしたのですが、7時ですでに28度くらいでしょうか、9時前には引き上げますがもう30度を超えていました。
 汗が止まらず、500mペットボトル3本でも足りないくらい。
 仕上げの坂ダッシュ(登り)をしたら気持ち悪くなった。体が暑さに耐えられなくなると気持ち悪くなるようです。
 いつもの垂直跳びもしましたが、頭がくらくらっとしました。これは脱水症状の一歩手前でしょうか。
 家に帰ってからの冷えた牛乳が最高においしかった。左手は腰に当てて、ぐーっと。
 朝ランですら危険になってしまいました。
 もっと早く起きれるように努力はしますが、室内でのランニングも考えるようになりました。
 市民が使えるスポーツセンターが近くにあります。2時間で200円。
 ただランニングマシンは予約制で、かつ室内用のシューズが必要になります。
 ぷらっと外に出て、季節の風景や緑、花々や風を楽しむのがランニングの良いところ。
 いくら快適だからといって風景が何も変わらない室内で走れるのか、疑問ですね。
 レンタルシューズもあるようなので試しにやってみてもいいのですが、悩ましいところです。

 11月17日、神戸マラソンを走れることになりました。
 人気の高い大会で、今年も2倍の倍率がありましたが、初めて当選しました。
 過去に一度応募したことがありましたが、その時は落選した記憶があります。
 なぜ、神戸なのか?
 それは忘れもしない、阪神淡路大震災があった町だから。
 1995年1月17日、私は18歳になったばかりで、当時の大学入試センター試験を受けた直後でした。
 自分が何をしたいのか、わかっていませんでした。何のために大学に行くのかもはっきりしてはいませんでした。
 テレビでしか見ていませんが、高速道路が横倒しになり、崩れ落ちた木造の住宅街が火の海になっていました。
 それまでぼんやりと生きてきた私が受けた初めての傷と言えるかもしれません。
 その年の3月20日に起きたのが地下鉄サリン事件です。これは私の傷に塩を塗るようなもの。
 目的のはっきりしていない私は大学受験も全て失敗し、浪人生になりました。
 暗い浪人時代でした。池袋の予備校に通っていましたが、友人がいるわけでもなく、積極的に作ろうともせず。
 その予備校で同じ高校に通っていた女子を見かけました。同じクラスになったことはないのですが、何となく通学中に見て覚えていました。
「あっ」と、向こうも気づいたようでした。が、私は何も言えずに通り過ぎました。そんな無口で、感情を顔から消したような悩み多き18歳男子でした。

 人生は無惨にも途中で終わらされてしまうことがある。
 なぜ、死ななくてもいい人が死んでしまったのか?
 悶々とした悩みを抱えて、抱えるだけじゃなくて膨らませて、勉強に閉じこもって、感情の発露を抑えつけていました。
 そんな私を救ったのが文学でした。
 池袋の予備校近くに今はもうありませんが古本屋がありました。
 予備校の食堂はなんかうるさくて嫌いでした。昼休み、外でぶらぶらしていた方が楽でした。お腹は空くので今で言うところの町中華に入ったりして、やがて古本屋を見つけ、通いました。文庫が確か一冊100円。そこで夏目漱石と出会いました。
「吾輩は猫である」に「坊ちゃん」。通学の電車は、今では信じられないくらいの鮨詰め。そのわずかな隙間を使って文庫本を貪り読んだ記憶があります。
 小説がどれだけ心を明るくしてくれたことか。暗闇に一筋の光が差し込むようでした。
 それ以来、文庫本はいつも持ち歩くようになりました。そして今は文庫本を売る立場になっています。
 売る立場も経て、作る立場への移行を目指すようにもなりました。
 どんな立場になっても、文庫本を持ち歩くことは変わらないと思います。
 そんな浪人時代の夏、激しい雷雨のあった夜、近くのコンビニで買った小さなノートに日記をつけ始めたことも忘れられない思い出です。

 私にとって阪神淡路大震災は、以上のように文学の目覚めのきっかけになった大きな出来事です。
 それがなければ、本を読むこともなく、書くことも始めていなかったかもしれない。
 同じように、2011年の東日本大震災も、それがなければ走り出すことはなかったかもしれません。その年の夏に、私は走り出しましたから。
 1995年から来年で30年。あれからの私の30年でもあります。
 あの町が、どのように立ち上がっていったのか、そしてあれから、私はどのように生きてきたのか。
 そしてこれから、どのように生きていきたいのか。明日死ぬかもしれない今を、誰と分かち合いたいのか。
 初めての神戸。今から楽しみです。
 しっかりと走り、神戸を満喫できるように、今から切れ目なく準備したいと思います。
 厳しすぎる夏ですが、目的があれば乗り切ることもできます。
 小説もまた山を迎えています。
 体調第一で、リズムよく、力まずに、習慣を味方にして、応援を力に変えて。

 こちらはまた雷雨になりました。
 どうかご自愛ください。
 私の写真が魔除けになれば幸いです。
 涼しくはならないと思いますが。

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椿の海の記

2024-06-29 18:50:46 | 読書
 少しずつ読み進めていました。また、ゆっくりとしか読めない本でもあります。
 石牟礼道子さんの4歳のときの体験記、なのですが、『苦海浄土』と同様に文体が独特で比類がありません。
 エッセイでもなく、あえて言えば詩と小説が混ざったもの。音楽で言えば「交響詩」でしょうか。
 とにかく4歳のときをこんなにも記憶しているのかと驚きます。
 近くにあった「娼家」のこと。そこに務める女性たちを「淫売」と呼ぶ人の「淫売」に込められた気持ちを読み、それによって大人への好悪を決めていたこと。
 一番美しいと言われていた子が殺されたこと。
「娼家」から聞こえた「おかあさーん」という声。
 自ら花魁の格好をして、道を練り歩いたこと。
 髪結さんが「トーキョー」へ行こうと試みたけれど、親に連れ戻されたこと。
 深く焼酎を飲んだ父から杯を受け、飲み、1週間に渡って吐いていたこと。そのとき、もう「不幸」を感じ取り、小川に身を投げたこと。
 数を怖がる子であったこと。数には終わりがないので。
「花のように美しい子」と自分を比べ、生まれ持った差があると知ったこと。
 家業の道作りが負債を出し、家と土地を没収されて没落したこと。
 他にもたくさんのエピソードがありますが、特に印象深いのは道子のおばあちゃんのこと。
 祖母の「おもかさま」は、長男を若くして亡くし、夫には妾を作られ、正常な意識から追い出された人でした。
「神経殿(どん)」とも呼ばれた祖母は、目の見えない人でもありましたが、夫の気配を察知すれば雪の日も裸足で家から出てしまう。道子もまたおもかさまを連れ戻しに外に出ました。
 そんな祖母に、心無い子たちから石を投げられたこともあります。
 そんな祖母を、娘二人と孫との三人でおさえ、伸び放題の髪を洗う場面も印象深いです。
「無限の共感」と言った人がいましたが、後に『苦海浄土』を描く少女は、すでに魂への憧れも芽生えていたのでしょうか。
 目に見えないけれどもいる、人よりも位の高い存在への敬意。山から山桃を取ったなら、まず山の神様にお礼を伝えなければならない。そう教えられて育てられました。
 椿の咲く海岸沿いには、たくさんの神様たちがいました。神様たちとともに生きているのが当たり前でした。
 水俣は、清らかな水が豊かに流れていました。その水資源が目当てで、「会社」は電気を発電するためにやってきたのでした。
「神様」への畏敬はいつしか「会社様」へ移っていきます。
「会社様」は、化学肥料を作るために出た水銀を、生き物にとって有毒と知りながら川に流しました。
 挙げ句の果てが、水銀の毒に侵された魚たちをドラム缶に生きたまま詰め、海岸沿いに埋めることでした。
「椿の海」は、コンクリートの下に生き埋めにされてしまいました。
 それで終わったわけでもなく、今でも被害者からの救済の申し立ては続いています。国による詳細な調査がないためでもあります。
 石牟礼さんが書いて証明して見せたのは、いくら生き埋めにしようとも、ここに生きていた世界があったということ。
「前の世界」が何であったのかを知らなければ、「今の世界」が良くなったのか悪くなったのかもわかりません。
 昔だけが良かった、という話でもないでしょう。
 電気も必要だし化学肥料も必要です。でも、だからと言って犠牲にしていい生き物や土地があるわけではありません。
 ものすごい力技の一冊と言うべきでしょうか。
 ずいぶんと「神」が軽くなってしまった現代において、錨のような重さを備えた作品です。
 共感力と記憶力と描写力の賜物。
 どこか、この本を良さを伝えられそうな箇所を探したのですが、どこか一部を切り取ってみても、どこも違う気がします。
 もうすっぽりとこの『椿の海の記』にはまり込むしかありません。
 それでいいのだと思います。

 石牟礼道子 著/河出文庫/2013
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白い紫陽花

2024-06-22 17:28:01 | 写真
アナベルが咲いていました。
花言葉は「辛抱強い愛」。
私の好きな花の一つです。
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