☆3月1日は労働組合法施行記念日
1946(昭和21)年、労働者の地位向上を図る為の法律「労働組合法」が施行されました。☆
☆防災用品点検の日
防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。☆
☆春季全国火災予防運動
3月1日~7日の1週間。消防庁が1950(昭和25)年から全国的に展開している運動で、火災の起こりやすい春と秋(11月9日~15日)の2度行われている。☆
☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
3月1日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
ほんとうの勇気
私は一般的に、ほんとうの勇気というものは一つの正義に立脚しないことには、また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、湧いてこないと思うのです。だから、勇気が足りないということは、何が正しいかということの認識が非常に曖昧であるところから出てきている姿ではないかという感じがします。
人びとがそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。そして、この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そういうような感じを私は持っているのです。
【コラム】筆洗
2015年2月28日 東京新聞TOKYOWeb
▼フランス映画界の巨匠、アラン・レネ監督の『夜と霧』が公開されたのは、一九五五年のことであった
▼ナチス・ドイツによる大虐殺を、生々しい記録映像と鮮烈な音楽、詩的な語りで描いたこの作品は、上映時間わずか三十二分の短編ながら、いつまでたっても見終わらぬような余韻を残す
▼<我々は、遠ざかる映像の前で希望が回復した振りをする。ある国のある時期における特別な話と言い聞かせ、消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる>。大戦が終わり十年を迎えた社会に向けられたこんな言葉が、戦後七十年の今も重く響く
▼昨年の三月一日に九十一歳で逝ったレネ監督は、死者の存在感を問い続けた芸術家なのだろう。いま東京や名古屋で上映中の遺作『愛して飲んで歌って』は、『夜と霧』とは調べを異にする軽快な喜劇だが、その底に共通しているのは、今はなき人々へのまなざしだ
▼愛する友が末期がんで余命わずかと知った三組の男女が、友の最期の時間を実りあるものにしようと動き始めるのだが、次第に亀裂ができ、彼ら自身の素顔が見え始め…。『愛して…』は、日々の暮らしがいとおしくなるような映画だ
▼魯迅に、こんな警句がある。<死者がもし生きている人の心の中に埋葬されるのでなかったら、それは本当に死んでしまったのだ>。レネ監督も、そんな思いを銀幕に映し出したのかもしれぬ。
☆今朝は雨です。今日から3月です、卒業式のシーズンです。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆
1946(昭和21)年、労働者の地位向上を図る為の法律「労働組合法」が施行されました。☆
☆防災用品点検の日
防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。☆
☆春季全国火災予防運動
3月1日~7日の1週間。消防庁が1950(昭和25)年から全国的に展開している運動で、火災の起こりやすい春と秋(11月9日~15日)の2度行われている。☆
☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
3月1日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
ほんとうの勇気
私は一般的に、ほんとうの勇気というものは一つの正義に立脚しないことには、また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、湧いてこないと思うのです。だから、勇気が足りないということは、何が正しいかということの認識が非常に曖昧であるところから出てきている姿ではないかという感じがします。
人びとがそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。そして、この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そういうような感じを私は持っているのです。
【コラム】筆洗
2015年2月28日 東京新聞TOKYOWeb
▼フランス映画界の巨匠、アラン・レネ監督の『夜と霧』が公開されたのは、一九五五年のことであった
▼ナチス・ドイツによる大虐殺を、生々しい記録映像と鮮烈な音楽、詩的な語りで描いたこの作品は、上映時間わずか三十二分の短編ながら、いつまでたっても見終わらぬような余韻を残す
▼<我々は、遠ざかる映像の前で希望が回復した振りをする。ある国のある時期における特別な話と言い聞かせ、消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる>。大戦が終わり十年を迎えた社会に向けられたこんな言葉が、戦後七十年の今も重く響く
▼昨年の三月一日に九十一歳で逝ったレネ監督は、死者の存在感を問い続けた芸術家なのだろう。いま東京や名古屋で上映中の遺作『愛して飲んで歌って』は、『夜と霧』とは調べを異にする軽快な喜劇だが、その底に共通しているのは、今はなき人々へのまなざしだ
▼愛する友が末期がんで余命わずかと知った三組の男女が、友の最期の時間を実りあるものにしようと動き始めるのだが、次第に亀裂ができ、彼ら自身の素顔が見え始め…。『愛して…』は、日々の暮らしがいとおしくなるような映画だ
▼魯迅に、こんな警句がある。<死者がもし生きている人の心の中に埋葬されるのでなかったら、それは本当に死んでしまったのだ>。レネ監督も、そんな思いを銀幕に映し出したのかもしれぬ。
☆今朝は雨です。今日から3月です、卒業式のシーズンです。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆