言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

天子のこと

2019年01月15日 | 日記
 ようやく寝床から起きだしましたが家の中でゆっくりでした。今回のインフルもどきには参りました。もう歳なので自力で治そうとはしない方がいいことをツクヅク思わされました。お医者さんに見てもらってはやめの処置をする方が得策なようです。

     

 明後日は年が明けて初めての‘地名と歴史サークル’です。毎回、初めの部分で山江の歴史を少し話すようにしています。明後日は‘天子’に関することと思って‘景行天皇の行幸’を記紀からひらってみました。

 古事記には、景行天皇の子である(小碓命ヲウスノミコトが熊曾建クマソタケル兄弟を滅ぼし、倭建命ヤマトタケルノミコトと名を改め)という話があります。
 日本書紀には、景行12年12月、熊襲梟師クマソタケルを滅ぼし、景行18年4月、(熊県クマノアガタに熊津彦クマツヒコという兄弟がいて、兄熊エクマは従ったが弟熊オトクマは討たれた)という話とともに、景行27年12月、(日本武尊ヤマトタケルノミコトを遣わして熊襲の川上梟師カワカミノタケルを討った)とあります。

 私たちの先祖:クマソはたびたび反乱を起こしていたようです、そのときの景行天皇が立ち寄られたところを人吉球磨では‘天子’という地名で残っているのです。ところが合戦峰地区のようなお祭りをしている処はないようなのです。人吉球磨に24か所あるといわれている‘天子’地名のことをもっと調べてみようと思っています。
 しかし、古事記と日本書紀では名が少し違って表記されているのも面白いものです。‘熊襲梟師’と‘川上梟師’です。同一人物なはずです。

 今日の天気(

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