本日開館した「明倫学舎」にいい天気だったので行ってきた。ただし、無料で入れるところだけ。もちろんマリィさんも連れてはいったけど、中に入れないからちょっと待ってもらって。
ここが玄関。むかしは、ここからは生徒は入れなかったけど、もっと立派だったような感じがする。
玄関入って階段を上がった踊り場から上をみたところ。
上から、階段方向を見たところ。きれいに、幾何学的になっているけど、構造的に問題がなければ、すこしくらいゆがみを残して古さを追求した方がいいのでは。
昔の会議室だったところだけど、わしの記憶では、肖像画が何枚もかけられていたと思うが、今はなんの絵だろう。古くさい絵を、そのまま残しておけばよかった。たぶん昔は明治天皇とか、例の大阪のおかしな思想に近い対象物がかけられていたという記憶がある。
廊下を一望、逆方向もこんな感じの廊下がある。床板は全部新しく張り替えられていて、興ざめ。走ればバウンドするような昔の感覚がなかった。
わしが、6年生だった頃の教室が再現教室として残されていた。例の松潤のドラマの撮影に使われていた教室、ピアノひいたところだと思う。昔の1部6年2組、名札には1個6分の1という分数の表示で示していた。教室の後ろの扉の上を確かめたが、そこには昔は番傘が数本つり下げられていたが、そこまでは再現されていなかった。昭和30年代の終わりまでは番傘が残っていて、急な雨で、借りて帰るときの油を含んだ紙にあたる雨音が懐かしい。その頃は、道路も舗装されていなくてあちこちに穴が掘れて水たまりがあったし、雨樋もない家も多く、雨だれのあとが点々と軒下についていたことを思いだす。年取ったなあ、わしも。まあ、教室が残されたのはありがたいとは思っている。
教室から降りる階段、大昔?この辺で大騒ぎしていたし、階段の板は昔のままのような感じがするから、わしのDNAでも残っているやろ。
うちの「げいじつか」である?しゃっちょさんが、一番気に入ったというのは、この天井裏が見られるところだそう。その他の展示物は、どうでもいいと、のたわれました。
ちょっとだけ、昔の雰囲気は残っているけど、感覚的にはほとんど全部新しくなっているから、趣はいまいちなような感じがする。もっとささくれだったようにしてもよかったか?
わざわざ古くする勇気がなかったのか、金がかかるのかどちらかだろうけど。もともとの破れ腐れをそのまま残してもいいという発想自体がなかったんでしょうね。ちなみに、吉田松陰の詩を吟唱するようになったのは昭和50年代以降らしいですよ。ですから萩の人ならみんないえると言ったことをよくテレビで聞くけど、うそです。わしも、わしの姉もそんなこと知りません。いったい、誰がさせたんでしょうね。大阪の学校法人と同じような人が当時いたのでしょう。
結局、明倫小学校OBのわしと下の娘が時間をかけてみたのに対し、関係がない奥さんと上の娘(しゃっちょさん)はすんなり、出てきました。人により、好きな人は好きだけど、興味のない人はどうでもいいという、いまいち万人受けしない施設みたいです。一家の結論は、是非ともと言われれば1回行けばいい。2回目はたぶん行かない。前のままの方がよかったというのが素直な意見で、総合的にはお金のかけ方間違っちゃった、やっちまったと思った。
マリィさんは、玄関前でお待たせ中(人だけ交代で校舎に入りましたが)、初日のお客さんには、あんた可愛い可愛い連発だったから、すこし笑顔がでているような。
太いけど、お目々は真っ黒けで可愛いでしょ。いろんな人に痩せろって言われてますが。
でも、きのうから、ダイエット、ダイエットでだいぶ歩いたので疲れちゃったね。
ぜいぜい、いってますよ。今日は太っているねは5回言われたね。マリィコデラックスさん。
久しぶりに、なんの愚痴も言わない、いい天気の日だった。