『絆』日記

~ありがとう~

プチ幸福論

2010-06-30 22:34:58 | プチ哲学
皆さんは、個々に与えられた幸福の質と量に違いがあると思いますかそれとも平等だと思いますか私は基本的に幸福は皆平等に用意されているものだと信じていますではどうして『自分は不幸である』と嘆く人がいるのでしょうかそこには幾つかのキーワードがあるのだと思っていますキーワード・・その一つ目としてあげられるのは幸福を感じられるセンサーを持っているのかどうかの違いです例えば、会議室に自分がカバンを忘れた時、それに気付いて通り過ぎた人が自分に声を掛けてくれたとしますその時、その相手に対しする感情は二種類あると思います気が付いた人がいるなら教えてくれるのは当たり前だと思う人一方、偶然、カバンに気が付いて声を掛けて教えてくれたなんてなんと優しい人なのか自分も他の人にそうできる人間でありたいと思う人小さなことですが、『有り難いこと』と素直に受けとめられる気持ちそこに幸福を見つけられるかどうかがかかっているのだと思います二つ目に言えるのは、幸福の種は自分の中にあるということです人と関わる時、自分に感情があるように相手にも感情がありますつまり、自分がされて嬉しいことをそのまま相手に対して行うことによって相手も自分に、穏やかな幸せを運んでくれると思うのですつまり自分の打算のない純粋な優しさ、気持ちが種となり相手の気持ちの中へタンポポの綿毛のように舞って相手の心の中で育つのです。そして結果的に幸福を運ぶことになるのです三つ目は、二つ目に近いことですが、幸福は正義とともにあるということです例えば、スーパーで5つ入のトマトの箱を売出し中。よくみるとどの箱にも赤いトマトにまざって、まだ少し緑のトマトも入っているとしましょう誰もが全て赤いトマトが入っている箱を買いたいと思います。その先、二通りの人がいると思います。他の箱に入っていた赤いトマトと自分の箱の緑のトマトを差し替えて、全て自分の箱のトマトだけを真っ赤なトマトで埋め尽くす人一方、自分ばかりではなく皆そうなのだから同じように赤と緑のトマトがまざった箱を買う人その二人の気持ちの行方は例えば、前者の心に残るのは申し訳ないことをしたという罪の意識つまり、自分だけに赤トマトがあるということは、誰かの箱には緑のトマトだけが残っているということを感じた時、自分の中で何かが疼くのではないでしょうか自分が起点にいては、幸福にはなれないのですなぜなら、自分の心の中で善悪と戦い続けることになるからです自分がやましい心をもたなければ幸福は必ず隣にあります最後に言えるのは『幸福』は流れに逆らわない時にやってきますチャンスが来た時に、それをチャンスだと認識してそれをものにするなぜなら、それは意味のあることとして巡ってきていることなのだから人は誰もが幸せな人生を望みますしかし、幸福を自分に引き寄せられる準備はできているのでしょうか幸福を欲するだけであって、等身大の自分は本当に幸福を見つけだせる、与えてもらえる日常を過ごしているのでしょうか私は思うのです自分を時に戒めながら、謙虚に感謝しながら生きたらきっとどの人も同じ数の幸福の花を咲かすことができるのだと皆さんにもたくさんの幸福がありますようにおやすみなさいませ