『絆』日記

~ありがとう~

愛情のお水

2010-09-01 12:42:14 | 社会
お子さんをお持ちの皆さん、我が子の言葉に100%耳を傾けていると自信がありますか私は自信があると思っていましたしかし・・・昨日、職場の回覧されてきた一冊の雑誌チャイルドラインの刊行物18才までの子供がかけられるというそのホットラインの年に一度の年次成果が書かれていました思わず、それまでやっていたデーターベースの作業の手を休めて身を乗り出して読んだその雑誌なんとも子供を取り巻く悲しい現実の声がたくさん寄せられていましたこれが現実・・・私の目を引いたのはユニセフが2007年に行った15才未満を対象とした国際調査の中で、24ヵ国の先進国の中で『自分は孤独』という子供は日本がダントツ1位の29.8%、『自分は世の中の厄介者』であると思っている子供も18.1%とぐんを抜いて1位だったということです実際ホットラインにかかってくる電話の内容を分析してみると、不安・孤独・孤立間・自分に自信がない・生きていてもしょうがないといったトピックが高い割合を占めているのだといいますこれだけ生活水準が高くて経済的に恵まれているにもかかわらず、子供が満たされていないと感じるのはどういう意味なのでしょうか15才未満なら、これから夢や希望を持って僕・私はこれになりたいとドキドキ、ワクワクしながら毎日を過ごす時期しかし、蓋をあけてみれば自分は世の中の厄介者と自信を失っている子供がなんと多いことかその根本的な原因として自分が認めてもらえる場所がないということがその結果に反映されている気がします子供を取り巻く環境は色々です家庭、学校、幼稚園、保育園、お稽古ごと、学童、祖父母の家様々な場所で様々な人とすれ違っているにも関わらず、どこにも居心地よく座れる場がない・・なんたる悲しい現実なのでしょう学校やお稽古毎等では成果が数字や成功パフォーマンスとしてアウトアウトプットを求められますでもそこでたとえ失敗しても、家に帰れば『大丈夫、大丈夫次頑張ればいいよ』っと、ギュッとしてくれる親がいればどんな場所で何があっても乗り越えていける力を得られるはずだと思っています自分は子供に100%向き合っていると思っていても子供の愛情を欲する要求は砂漠に水をまくようにどれだけまいてもすぐに乾いてします程、愛情をかけすぎることはないのです先日、3才と1才になる子供を育てている大事な友達が、こんなことをいっていました3才になる長男が夏休みになり、自分、お母さん、弟で過ごす時間が多くなってきたここ最近、お母さんの身体をよく触るようになってきたけれど、これは自分の意識が1才の弟に無意識にむいてしまっていることを感じての行為だと思うから、一日旦那さんに下の子を預けて自分はお兄ちゃんと二人で出かける時間を設定したと私は彼女の想いと行動にドキッとしましたその小さな小さな変化を見逃さずにちゃんと向かい合っていく小さなお兄ちゃん、自分の変化に気が付いてくれたお母さんにどれだけ嬉しかったことでしょうなんとも『母』として彼女の大きさを感じました私はそこまで子供の変化をみているのでしょうか時にゆうちゃんがいいます『ママはゆうちゃんばかり怒ってKKの仲間なんだ』とそれに対して『そんなことないよ』という私でももしかしたら、ゆうちゃんがどうしてそういうことをしたのか考えないまま頭ごなしに叱っていることもあるのかもしれませんKKも時にいいます『お兄ちゃんだからって違うでしょうお兄ちゃんだって我慢ばかりするのはおかしい』とそして大抵満点ばかりの算数ですが、たまに算数で間違いがあるとこんなことも言います『僕は間違ってばかりだよ・・僕はダメだ』とそして『そんなことないタティとママの子なんだからなんだってできるに決まってる大丈夫だよ失敗は成功のもとでしょ』という私そして少し元気になるKK私自身、子供の小さな言動にもっと慎重に耳を傾けていかなければいけないと思いますなによりどんなことがあっても挫けない、自分には地球がひっくり返っても味方になってくれる人、場所があるそれを身体と心に染み込ませてあげたいと思います育児は休みがないので大変なこともありますが、頑張りましょうね愛情のお水をたくさんかければちゃんと地面に根を張り台風が来ても倒れない幹になること間違いないですもんね素敵な午後を

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ヒーロー

2010-08-24 04:41:42 | 社会
皆さんにとってヒーローとはどんな人ですかKKとゆうちゃんが毎日繰り広げる熱い戦いごっこ真剣な眼差しで戦いを挑む子供達を遠くでみながら彼らのヒーローを想いました子供が小さい時に求めているヒーローそこには善人と悪人がいつもいて善人が悪人を懲らしめるというストーリーがありますそして必ず最後に勝つのは善人のヒーローというシナリオウルトラマンや仮面ライダーが時代を超えて今も子供の心をとらえてやまないのはヒーローに対する憧れや、ヒーローに対する尊敬の眼差しがいつもそこにあるからなのだと思いますでも現実の日本社会の中では何故かヒーローはスポットライトを全身で浴びて表にでることはなかなかありません以前こんな記事を目にしました『盲目の乗客が線路内に落ちた方を救助してくれた2人の男性しかし2人とも名前を名乗らずにそのまま立ち去りました是非救助を手助けしてくれた方は最寄りの派出所へいらしてください』とまさに彼らの救助劇は自らの命を賭けたワンシーンそんなヒーローがどうして名乗らずにその場を後にするのでしょうか誰にもわからないままその場を後にすることを美徳としているのか、それとも自分の行為に対してヒーロー扱いされることを快く思わなかったのか、あるいは周りに何か言われることが嫌だったのか、その理由は私にも解りませんしかし、誰かのために自分を投げ打ってまでも何かをするということが普通のことではなく、素晴らしいこと行為であるということをメディアを通して大きく日本中で『勇気ある行為』と皆に認められることは大事なことなのではないかと思います自分の行為が誰かに認められることは誰にとっても嬉しいことなのですから褒められて嬉しくない人はいないはずです誰かの何かに傷ついて、誰かの悲愴なニュースばかりではなく、誰がどれ程素晴らしいことをして、誰がどれ程心に残るインパクトを与える行為をしたのかそのニュースをもっともっと流すことの方が大事なのだと思いますそれを大きく取り出さすことで人々の心にヒーローは他の誰でもなく自分がなれること心構え一つで全てが変わるその心の芽を皆さんに開いてもらうことができれば明るい方へ社会は少し変わるのだと私は思います覚えていますか2009年、アメリカでラガーディア空港を飛び立った飛行機がエンジン2基が停止してしまったことが原因で、2分後にハドソン川に墜落した話あんな大きな事故にも関わらず乗員・乗客155名は全員無事であったといいますハドソン川に不時着したことで、あの混沌としたNYの街を巻き込むことなく本当に最小限のダメージに抑えたあの事故あの事故であの飛行機のパイロットは国民的英雄になりました『NYの市街地の中に墜落することを避けて、ハドソン川へ不時着する決断をした機長はお見事だ』『彼の長年のパイロットとしての高度な技術と的確な判断、それが乗客・乗員の命を救ったんです』『彼は常に冷静でどのような状態であっても動じることなく常に落ち着いた人でした』『キャリア40年の彼のあのスキルがあったこそです』『あと300メートル先にあるジョージ・ワシントンブリッジに激突することも避けての今回の事故パイロットは素晴らしい』殆どのメディアが彼を大絶賛し、一般の人々も彼の英断した勇気と彼の行為に自国民として誇りを抱いたのだと私は思いますヒーロー・・・それは子供の頃誰の心にもあった純粋な気持ちヒーローへのあの熱い想いと、周りのヒーローを受け止める側がその行為を認めることでもっとたくさんのヒーローが世の中には生まれると思います別に大きなことでなくても、隣の人に『有難う』といってもらえる誰かのヒーローであること、そこが第一歩です今日も隣りの誰かのヒーローになれるように、周りをみながら生活できたらいいですね今日も素敵な一日を

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バックグラウンド

2010-06-27 02:46:57 | 社会
生活習慣や文化の違う個人が同じ行為をし、受けとめ側が同じ場合、それらの行為に対する受けとめ方が違うということがありませんか同じことをしても受けとめ方が違う・・というのは面白いことだと思うことありませんか先日、会社からの帰途、途中の駅で同じ電車に大勢の外国の方が乗車してきましたその方々は皆大きな声で彼らの言葉で楽しそうにワイワイと大笑いをしながら乗っています大またで座っている方もいますし、通路を塞ぐように両側の吊り輪も持っていたり近くに座っている日本人の乗客は彼らをちらちらとみたり見なかったりしていますその時ふと思ったのです例えば、日本で外国の方が電車内で『ワッハッハ』と大笑いしながら話をしていても『外国人だからね』と肯定的に受けとめる一方、日本人が電車の中で大声で話していればそこには敏感に反応します『礼儀がなっていない』とか『失礼な態度』とか同じ行為をしていても、受けとめ方がかわるのです何故なのでしょうきっとそれはあるキーワードを聞くと自分の中で検索して、その人達のあるべきイメージを想い浮かべ、自分の決めたイメージ枠に相手が入るか入らないか決定し、その決定によって相手を否定したり肯定したりすのでしょうね先週の金曜日、初夏を思わせる暑い天気だったので、ランチにどうしてもインド料理を食べたくなりインド料理レストランに食べに行ってきました片言の日本語で『何がいいですか飲み物はラッシーそれかオレンジジュース』と聞かれ、迷わずラッシーを注文しました厨房で料理を作っているコックさんをみながら、ふと昔タティと訪れたインドレストランでの出来事を思いだしました海辺の高層階にあったそのレストラン最高の景色に、美味しい料理私たちの会話も断然弾みました暫らく待ってばれてきた料理その時差にもちろん『』と思いましたが、『インド流だよね』と二人で納得その後、次のものが運ばれてきた時です店員さんがお皿をテーブルにぶつけてこぼしてしまったのですするとその店員さん、ビックリしたのかなんと雑巾を取りに行った後、床を拭いてから私達のテーブルの上を拭いたのですこれにはさすがに私達も『』と一瞬目が点になってしまいましたさすがに『ちょっと・・・』と言おうか迷ったのですが、そこで結論付けたのが『インド流なのかも』ということでした床に座って食べるインドの家庭の習慣の中ではきっと、床と机の境がないのでその感覚で拭いてしまったのかも・・・とでもきっとこれが日本のレストランだったら私達も帰り際レジでそのことをお店の方に伝えていたと思いますこれからは気をつけた方がいいですよとその個人の持つバックグラウンドによって、その人個人に対する受け入れ方が違う面白い限りですねつまり私も外国に行けば、日本の代表なのですそのイメージを裏切らないように日本人のよいところを大切に外国へ行きたいと思いますおやすみなさいませ

トイレ

2010-06-21 13:02:37 | 社会
多様化する生活様式と、更なる合理性、快適さを求めて日々進歩する技術ボタンを押せば全てが自動化されているその生活に慣れっこになっている私達ですが、その生活があまりに普通になってしまっているので改めてその変化に気づきビックリすることはないと思いますしかし、全く違う地域からいらっしゃる方が私達、日本での生活をみて一様に驚くことがありますタティを含め、私の外国人の友達が口をそろえて一番ビックリすること・・それは進化したトイレです『座ってボタンを回すだけでおしり洗浄できて、温度調節もできるのだなんて。便座だっていつも温かい』とのコメント私達からみたら特別な感じはしませんが、改めてそういわれると確かに、そうかもしれませんそれもホテルはもちろんのこと、近年建てられた駅やビル等の公衆トイレにも既にウォシュレットは完備されています外国人の友達の中には今までトイレの後は必ずお風呂に入って自分で洗っていたという友達もいましたその彼女が、ここまで快適さを追求したトイレに大感動して『Unbelievable』っといった言葉が思いだされますそして今やそのトイレは更に進化を始め、トイレの前に立つだけでセンサーが働き勝手にトイレの蓋が開いたり、夜中にトイレに行く人をなるべく起こさないようにと床にポツポツと小さくついているライトだけを点灯させたり・・それは、例えばドアのついていないトイレだったり、紙が準備されておらず自分で手で洗い流したり、洋式であっても便座がないトイレだったりといったトイレ文化、トイレ習慣のある国々から来た方々がいたら日本のこのトイレ進化とその快適さを体感したらそれはビックリですよね今まで私も色々な国に訪れましたが、確かに駅の公衆トイレであってもウォッシュレットがついていたり、子供用の便座も設置されていたり、トイレの個室に幼児を待たせておくための椅子を用意してあったり、もちろんおむつ替えのベットも用意してあったりと本当に至れりつくせり、どんな方が来ても柔軟にバリアフリーとして対応できるようになっているその技術力と快適さの提供はありませんでした省エネ時代と言われているところで、どこまでトイレに力をいれることが大事なのか定かではわかりませんが、人の生活に一番密着していて一番心地よくいたい場所がトイレであるということは確実です我が家のゆうちゃんでさえ『ドアは必ず閉めてね』と便座に腰をかけ何やらトイレの中からゴセイジャーの歌を大きな声で歌ったり言葉の復習をしたりしています誰にもじゃまされない一人だけの空間余分なスペースもなくちょうどよい幅あの安心感は不思議ですね素敵な午後を

親と子供

2010-06-16 12:50:43 | 社会
小学校に通うお子さんをお持ちの皆さん、どのくらいのパーセントで学校の行事に参加されていますか昨日KKが学校で描いた運動会の絵を持って帰ってきました真ん中で大きく嬉しそうに笑いながらたくさんの玉を投げ入れ頑張っているKKの顔その隣りには友達がそれを笑ってみている顔そしてカラフルな色づかいをみるだけでKKが運動会をどれだけ楽しんだのか一目瞭然『上手に描けたね格好よく描けているね』というと『タティとママとゆうちゃんと皆でお昼も楽しかったよ』とのこと皆でS席に敷いたレジャーシートの上座りワイワイいいながらお弁当を皆で突き、KKとゆうちゃんは真っ黒になった靴下を脱いで小さな木に引っ掛けて『お洗濯ぅ~』といいながら二人キャハハハ倒れこむように大笑いタティはそれを横になってみて微笑みながらみている家族の一コマそういえば、運動会に限らず先月授業参観に行った時もKKや他の子供達、皆自分の親が来てないかどうかちらちら後方をみながら親を探していますそして自分のお母さんを見つけると皆、手を振りニッコリその嬉しそうな顔といったら『僕は頑張っているんだよ』とビームを送っている感じです親が近くで自分だけをみていてくれることがどれだけ子供達のエネルギーになっていることかでもふとKKの絵をもう一度みながら思いました親がこれなかった子はどうしたんだろうと友達は楽しそうに家族で一緒に食べているのに、自分は一人・・・また仕事でお母さんが授業参観にこれなくて皆が自分の親に嬉しそうに手を振っているのに自分には振る相手がいない親とともにいられる子の向こうには孤独と闘っている子もいるんだと思うと切なくなりました今は家族の形態が様々なのでマジョリティを主とした流れをつくることは自然のことなのかもしれませんしかし、孤独になりそうな状態にある子をいち早くキャッチしてなんとか同じように親が参加できる何かを企画して、皆が平等に歓びを感じられる機会があればといいと本当に思います素敵な午後を