『絆』日記

~ありがとう~

こだま

2011-03-31 12:46:22 | 日記

東日本大震災後から毎日放映されているACのコマーシャル『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう・・『馬鹿』っていうと『馬鹿』っていうそれで、寂しくなって『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう・・という金子みすずの詩なんといい詩でしょう本当にその通りですKKとゆうちゃんの関係をみていてもまさにその通り1人が『なんだよぉ』とキックすればもう1人も負けじと『痛いだろ』とキック1人がお手伝いを頑張るともう1人も頑張る1人が『これかして』と掛け合うともう1人が『嫌だ』といいますすると次回はその逆バージョンそして喧嘩勃発子供は真っすぐにいったら真っすぐな反応があるのでわかりやすいですが、大人同士のやりとりではなかなか表面的なところ以外はわからないところもありますどこが本音かわからない・・・しかし何故か通じるんですよね『あの人は苦手だな』と思って軽くあしらっていると相手も自分のことを『苦手だな』と思って軽くあしらわれると感じたり、『あの人はとてもいい人だから色々話をしてみたいな』と思えば相手も自分に対して距離感を縮めるような言動をしてくれるそんなこともあるのではないでしょか大人になると、世の中を斜めからみるようになったり、本音と建前で使い分けて自分に優位に都合よく理解しようとしたり、その腹黒さを使い分けて人との関わりを持つことを覚えて行く人も多々いると思いますつまり、自分を使い分けて人との関わりをもつようになることも悲しいかな現実としてあるのだと思いますしかし、家結局のところ自分で弾き出した人間関係構築のための計算公式に必要なのは、自分が少し優しい眼をもって相手を包めば相手もそれを感じて自分を感じてくれるそこなんですよね。全てが自分次第なのですよ自分の態度は相手の態度という鏡を通してみえてくるはずです相手の態度がどうなのか・・よりも自分の態度はどうなのかこれがキーですね人間関係程複雑で壊れ易いものはありませんねもっと素直にあることが大事なのだと思います今日もいい一日を

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ロープの上

2011-03-30 00:25:52 | 日記

今朝出勤前の私をタティが呼び止めました『ママ、これみてFacebookに載ってるんだけど』『ん』覗いてみると白黒写真がたくさんアップされています白黒写真の中,皆嬉しそうにカメラ目線で収まっています『これ僕だよ』その写真を覗き込んで思わず私もニッコリ恥ずかしいのか誰かの後ろから半分だけ顔を出しているこれがタティ写真があまり好きじゃないんですよねまさにタティらしい一枚ですクリックしていくと白黒の写真がまだまだでてきます旗を持ってマーチをしている写真皆で芸術鑑賞をしてある写真等々日本に来た時、3枚くらいしか持ってこなかったタティの過去の写真達久々にみる思い出にタティが目を細めて笑っています『この時はね、毎日遊んでたよ公園に行けば誰かが必ずいて、よく夕飯までもらって帰ったよ』『あっこれはね、一番の親友』『あ~、こいつは悪ガキだったなぁ隣の席に座っていたけれど、先生の言うこと全然聞いてなかったでもね、僕の言うことはよく聞いたねだって僕が一番強かったからさ』『これが最初のガールフレンドだよ』次々と言葉が溢れでてきます眼は画面に釘付けのまま『皆で今あったら面白いかも』そういうタティにいいました『同窓会してみたらいいのに』すると『いや、クラスメートは殆どイギリス、アメリカ、ドイツ、オーストラリア等に行ってるから多分母国にいる人の方が少ないね』との回答皆、世界各国で第一線で働いている・・何だか私まで嬉しくなりました頑張る友の姿は自分にとって何よりの刺激になりますものね家をでて駅に向かう道中、懐かしく旧友達に想いを馳せました大学時代、高校時代の親しい友はITの恩恵を受けて常に繋がっていますが、時と共に距離ができてしまった友その場限りで終わってしまった友皆どこで何をしているのかと思うと何だかワクワクします今年の夏、高校を卒業してから初めての同窓会を開催予定ですあれから何度春が過ぎ去ったのでしょうか妻になり母になり、社会人として羽ばたいているクラスメートを思うとその想いに一人でニヤリ人生は出会いと別れの繰り返しですしかし、再会してまたお互いに刺激しあって繋がっていることができれば過去と未来の一本の同じロープの上を歩いているようで嬉しいですねこの春転校してしまうショウ君これからも過去と未来で繋がってまた同じロープの上を歩けたらいいですね同じロープの上で出会えることを大事にしたいと思いますおやすみなさいませ

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春の到来

2011-03-29 08:55:32 | 日記

皆さんは3月の終わりといえば何を思いますか私の回顧録にあるのはやはり春休み昔からお休みの楽しい記憶は途切れないものです我が家のKKも土曜日からついに春休みに突入しました春休みといっても私とタティは仕事をしているので、KKの生活に大きな変化があるわけではなくKKの行き先が小学校から学童になったことだけが違いですそれでもやはりお休みが嬉しいらしく『KKは今日から学童なんだよ、学校じゃないんだよ学校は休みだからね』と何気にゆうちゃんにアピールしていますそんなアピールに『ゆうちゃんだって保育園行きたくない』とのひっくり返るゆうちゃんを尻目にKKニヤリ嬉しいんですね、春休みこの春休みという休みはまた親にとっても他の休みには感じられない特別な気がします何故なら子供がまた次の学年に上がるのですからこの一年間もまた目を見はるほどの成長がありましたゆうちゃんは、4月になったら年中です気がつけば5や8のような複雑な数字を除けば書けるようになり、本も一人で読めるようになりました10までの足し算もできるようになりました絵の書き方も今までは〇に点がポツポツついていたものが顔になっていたのが、今や髪の毛体、手足までついて、背景付アンパンマンならマント付で描くようになりましたおばあちゃんがものもらいで目が見えないと言えば、おばあちゃんの食器の上にあるブドウを手に握らせてあげたり、地震の時には東海地方に住むおじいちゃんとおばあちゃんが大丈夫かと半泣きで電話の受話器を持ってみたりKKに関しては平仮名もカタカナも漢字も書けるようになりました計算問題大得意あやとりや駒回しも得意になりクラスの決勝戦にもでるほどの腕前縄跳びではあや跳びもできるようになり、ドッチボールでは上級生のボールもとれるようになりました食事の量も反抗も一丁前うたた寝をしていれば布団を掛けてくれたりもします。二人それぞれに個性を出しながら成長しているのをみる時、ジーンとしますそうです、そうですそういえばKKの通信簿についていた〇以前先生の説明で『〇がないことが普通で、〇がついていたらそれは顕著にみえる子供にだけついています。』と話がありましたそして後期の通信簿・・〇がありました『公平、平等』の欄なんとも嬉しいこと私が一番伝えたいこと、一番大事にしているところに〇がついていたのです特段何をしていたわけではないのですが、親の言動や想いは子供に通じるんだとつくづく思い涙が流れました子供は自分の鏡といいますが、これから私ももっと成長して子供にいい刺激を与えていきたいです今日もいい一日を

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発言するということ

2011-03-28 02:27:14 | 日記

自分の発言の深さや可能性が未知数だと感じることはありますか自分の発した発言が誰かの支えになることもあるし、相手の発言に自分自身も力をもらうこともできます崩れそうな自分を支えてくれるのも相手から発せられる優しい言葉だったり、嬉しさをともに分かち合っていると感じるのも言葉ですつまり、言葉は生きていますそして賞味期限もついている生ものですだからこそ、自分の発する発言に価値があるのだと思います同じ気持ちを今同じ時間に共有しているというお互いの安心感と平穏な気持ちそして相手の熱くなっている気持ちに対して、限り早いリスポンスをするかどうかでその発言の可能性は更に広がるのだと思いますそんな素敵な言葉・発言ですが、時に怖い面をみせます例えば、自分がたわいもなく発した言葉が相手の中で相手の主観が入って脚色されて、自分の想いとは違った形独り歩きをしてしまうこともあったりしますまた、自分が発言することで深くて暗い穴を互いの間に溝を作ってしまうこともあったりしますつまり言葉は、相手を理解して心を隣りにおける程の近さを感じるポジティブさと持っているのと同時に、全てを失うかもしれないという怖ろしい面も持ち合わせているのです私はある人にいわれたことがあります『で、ひでちはどう思うの』っと私は不誠実で、正義に反すること、失礼で横柄な事柄に関してはかなり厳しくみていますが、自分の核になること意外についてはそこまでシビアではありません自分が想うところがある時には遠回りをした言葉でオブラートに包んで発信しますその想いに何回かやって気がついてもらえない時には、相手は自分とは違うはかりをもっているのだからそれでいっか、思ったりしてそれ以上は精神的には近づけません気がつかない私の想いを無理やり相手に伝えようと想ってもきっと『何言っちゃってるの』的に反感を買われるだけだろうし、ならば相手に合わせて相手の心地よく過ごせる場があればそれでいいのではないかと感じたりするのですそのやり方が正しいのかそうでないのかはわかりませんが、私は軽率に発言をして相手を傷つけてしまう方が何より自分にとって辛いのです本当に発言するというのは難しいことだと思います自分の発言のインパクトを考えていくことは大事なことのような気がします明日もいい一日となりますようにおやすみなさいませ

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心理

2011-03-25 12:24:44 | 日記

皆さん、人のことが気になるというのはどういう心理なのだと思いますか周りにいませんか、自分のことは眼をつぶり周りを指摘して、気にする人それはきっと自分と周囲を比較することによって、自分は素晴らしいけれどあの人は『どう』的な感覚なのだと思いますそしてそういう周りを気にする人は、大抵相手のネガティブな側面をみようとしていると思いますその心は・・相手を否定し、自分の評価を高めるために用いられることも無きにしも非ずであることもあると思います特に本人に云わずに陰でいう時には、その意識は大きいのではないのでしょうか何故なら相手のことを本当に想っているのなら『こうしたらどうだろう』『こうしたらきっともっとよくなると思うよ』等と本人に伝えてあげるべきだからだと思うからです裏でいうという意味は時に、相手から逆に自分のことを評価されることを恐れているのではないかと感じることもあります他人のことに関しては分かった感じがするけれど、実は自分のことは解っていないので自分が伝えることで相手に自分を否定されるのが怖い・・・みたいな私は思うのです周りを否定する前にまずは、相手がそう動いているというそこには、何らかの理由が存在し、そうならざるを得ないことがあるはずだ、ならばその理由はなんなのかに耳を傾けておくことが大事なのではないのかと自分が当人でない以上、相手のポジショニング、状況がわからないのだから自分達が目にした一側面を持って相手像を固定化してもそれらは想像の域でしかありえないのです誰かに何かを発言する前に考えることの重要さ自分自身は相手を批判できる程の人間なのでしょうか自分が中心の主観から物事を推測して発言していませんか自分の発言したことはどれだけの正当性を持っているのですか相手のことに『』と疑問を抱くとき、傍から見たら自身も『』と感じる面を持ち合わせている・・それが現実です誰かを評価することは簡単ですが、誰もが一番難しいのは自分を評価することなのだと思いますそれは私にも言えているのですが今日はいい天気ですいい一日となりますように

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