合衆国の片隅で新館 2006~

5人と4頭プラスαと2羽と1匹とその他大勢だったアメリカ暮らしは2人と1頭と1匹になりました。

あるたとえ話

2011-03-31 | 毎日の暮らしから
貧乏な若夫婦がいました。学生結婚で全然お金がなかったけれど、周りがびっくりするほど一生懸命仕事をして、子どもたちを育てて少しずつ生活は便利に、楽になっていきました。でも、たくさんの子どもたちが育つに連れて、それぞれの子どもたちにお金がかかるようになってきたのです。食べるもの、習い事、学費…お金が足りません。

お母さんも働き始め、少しのお金が入るようになりましたが、まだまだ焼け石に水です。もっともっとお金が要ります。お父さんはついに、ハイリスク・ハイリターンの投資に手を出すことにしました。家族は一部反対し、末娘は「しかたない。だってお金が必要なんだもの」とサポートしました。お父さんの投資のおかげで、やがて家計は潤い、特にお父さんをサポートした末娘はお父さんから特別のお土産をもらえることもありました。

他の家族はもっと大喜び。お父さんが運んでくるお金がどこから来るのか、深くは考えませんでした。かつて指をくわえて見ているしかなかった美味しいケーキやご馳走だっていつでも食べられるようになりました。おもちゃだって好きなだけもらえるし、遊園地にも行きたいときに行ける。周りからも一目置かれる存在となり、贅沢し放題。

すべてが順調…に見えたそのとき、ある日突然お父さんの投資が暴落、家は大混乱、末娘は借金の形に取られてしまいました。家族の命も脅かされています。家族は今、末娘を取り戻し、家を立て直すのに必死です。食べるものにも困るようになりましたが、それでも今考えなければならないのは今後のこと。もしもお父さんがまた投資に手を出したら、またこんなことが起きるかもしれない。でも、家族が豊かに暮らすためには、お父さんにその仕事をしてもらうしかない。お母さんもがんばって仕事を増やそうとしているけれど、お父さんの投資のようには稼げない。

子どもたちはお父さんを責めます。どうしてこんなことになったのか、どうしてそんな危ない仕事に手を出したのか、と。だけど、その子どもたちだって、お父さんがそうしてお金を運んで来なければ、今まで裕福な暮らしなんかできなかったはずなんです。



…こういった状況だとすると…明らかですよね。どこに問題があったのか。

このまま、お父さんがその危ない仕事をやめたら、もう今までのような贅沢な暮らしはできない。

当然、なんですよね。

電力が足りないから、ないものを無理矢理作り出す錬金術、それが原発だったんだと思います。足りない電力で、足りないなりに暮らすべきだったんです。資源のない国が背伸びしすぎてしまったのかもしれません。

年末年始、祝日休日、深夜に及ぶまでどうして店が開いていないといけないのか、どうして真冬にスイカが食べられるのが当たり前なのか。どうして50メートルおきに多機能自動販売機が並んでいなくちゃならないのか。どうしてオモチャの洪水にまみれた子どもたちが次から次へ新しいオモチャを欲しがるようになっちゃったのか。ボタン一つで何でも解決。

ここまで便利な生活を追求してしまった。


問題は、原発そのものではなく、私たちの、欲しがりすぎた傲った暮らし方ではなかったのか。


私は言うまでもなく、お父さんにもう危険な仕事なんかしてほしくありません。ささやかに暮らせば、お父さんの元の仕事や、お母さんのお給料だけで生活していけるというのなら、毎日の生活が多少苦しくても大丈夫。むしろ年に1度のお正月が待ち遠しくなるってもんです。

でも、本当に貧乏で、贅沢しなくても、お母さんの働きだけじゃ、家族がささやかに暮らしていくことさえできない状況なら(それにお母さんが仕事をしすぎてしまうと、近所の人たちと軋轢が起きるのです)、お父さんに少しだけ投資をしてもらって、それが危なくないように、家族がいつも見守って気を付けていく、今度こそ、家族みんなでよく話し合いながら。それしかないんじゃないかと私は思うんです。

でも、過度の贅沢を慎めば、お父さん、安全な仕事だけでやっていけるんじゃないのかな。どちらにしても今大切なのはその見極めではないでしょうか。


#ジェンダー論的には甚だ不適切な例えであることは認識しております。ごめんなさい





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18 コメント

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Unknown (nee)
2011-04-01 07:24:28
なんかすごく分かりやすいたとえ話。

でもその通りなんですよね。
私達の誰が原発を責められるのか?
豊かな暮らしに甘やかされて、それが当然だと思ってきたのは私達ですもの。
問題はこれからでしょう。
「今まで通りの生活を返せ!でも原発はいらん!」じゃ子供と同じですものね。

安全な生活がいいなぁ。
家族を失う事におびえながら暮らすのは嫌です。
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Unknown (たいゆう)
2011-04-01 09:11:18
かのドクターと同じくらいの解り易い例えでよく理解できました。そうですよね。ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンです。
子供の頃、停電って多かったように思います。台風なんかだと必ず停電でした。停電すると、どうしようもなくて蝋燭で食事をしたり~~。蝋燭も常備してあったし停電でも騒がないというか、また停電だわ~~蝋燭蝋燭!!って感じで、子供の私は少々面白く感じていました。でも今は停電なんて知らない子供が多いのではないでしょうか?我が家の子供たちもそうです。
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Unknown (ちろこ)
2011-04-01 09:58:41
「原子力発電、国家新成長戦略なんていらない、家族が居るだけで良かった。我々は間違っていた。自分は被ばくしてもいい、家族の遺体を探させて欲しい」と泣いていた福島の原発付近の被災者の声を聞き、胸が苦してどうしようもありませんでした。
人類みんなが身の丈にあった生き方をそれぞれ考える時だと思います。その為にはエゴを抑え犠牲にしなければならない事はありますが それは家族や大切な人の存在と比較したらちっぽけな事だと思います。GDPの順位を競い合うような考えは止めないといけないと思います。

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Unknown (わん!)
2011-04-01 11:31:21
原発を、責めることなんて、今の日本人に、できない気がする。。
だって、それにどっぷり甘えて、暮らしてきたんだもの・・・
そう、、、わん!家なんて、夏場は、エコに反して、リビング、エアコン、入れっぱなし・・・

魔法の箱なんて、ないんだよね・・・
みんな、ギリギリの線で、綱渡りしてたんだ・・・
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Unknown (TAMA)
2011-04-01 11:51:51
☆neeさん、

正直、こんな、節電のしようもないような生活をしていて、対岸から偉そうなことを言えた立場じゃないのです。でも、やっぱり日本の原子力を許してきちゃったのには、私にも責任の一端はあると思う。きっと全員が自覚すべきことだし、これからの生活の覚悟は…大変ですよね。
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Unknown (TAMA)
2011-04-01 11:53:33
☆たいゆうさん、

たとえ話としてはもう最初から破綻してるし、この程度のこと、かのドクター様なら5行でやってのけますよ、きっと。
そう、こちらに来てすっかり停電慣れしました。その程度の不便はあってもいいのかな、と思います。
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Unknown (TAMA)
2011-04-01 12:03:18
☆ちろこさん、

その被災者の方の言葉は刺さります。
みんな、本当はわかっていた。でも、周りと歩調を合わせる、悪い言い方をすれば事なかれ主義は日本人の特徴でもあります。一人一人はきっとどうすることもできなかったんです。本当に手痛い授業料。取り返しの付かないツケを払うことになってしまいました。
今までずっと、右肩上がりでなければいけない、と何故か誰もが信じてきて、そのためにいろいろなものを犠牲にしてここまで来ました。
豊かなトップの国なんかじゃなくても、安心できる暮らしの方が大切、そう思える人と、あくまでも上り詰めたい人との割合。声の大きさ。これから世論がどうなっていくのか、です。そして、万が一ですが、やはり今まで通りの豊かな暮らしを取ることになるのなら、それはやはり人々が選ぶ道なのだと思います。私の考えとは違いますけれども。
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Unknown (TAMA)
2011-04-01 12:04:54
☆わん!さん、

ほんとうにその通りだと思います。私たち、どっぷり甘えて暮らしてきたんだもの。
ただ、それを「ギリギリの綱渡り」と気づいていた人が少なすぎたんですね。あるいは気づいていても声を上げなかった私のような勇気のない人はたくさんいたのかもしれないけれど。
今、これからが問われているんですね。
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Unknown (虹のパパ黒山羊)
2011-04-01 12:40:12
違うたとえ話

昔々まだ人間がお猿に毛が生えた程度だった頃、山火事から「火」というものを手に入れました。
火は怖かったです。住かを焼いたり、仲間を焼き殺したりします。時には燃え広がってどうにも成らなくなったりもしました。
でもお猿は一所懸命考えて、火の使い方を学びました。時々失敗してやけどをしたりするけど、だんだんと火の使い方に慣れてきました。
またある時は、火を使って争いごとをしたりもしました。時には村が焼き払われたり燃しました…。
でも火を使うことを止めませんでした。火は冬を越すのにとても大切なものですし、食料を保存したり、調理するということも発見しました。

人間へと進化した我々は、火の使い方を習熟しました。ポケットの中に火を持ち歩くことすらできるようになりました。もう火が無くては生活できないようになりました…。

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なので、「技術として原子の火を使いこなす努力を続ける」事には賛成なのです。高速増殖炉技術も含めてです。使って失敗しないと上手くならないのは当たり前です。
ただ、今までの日本の「原子力発電所行政」には賛成いたしかねます。もちょっとみんな「我慢」すれば良いと思います。
この夏 きっと「大規模停電」が発生すると思います。その電気のない24時間で、なにを学べるか それで関東人の明日を占う事が出来ると思います。
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Unknown (chie)
2011-04-01 22:55:16
私思うんだけど、
臭いものには蓋っていう今までの原発への無関心が悪いんじゃない?
今回の事で蓋が開いたら、東電と天下り官僚の巣みたいな所じゃないあそこ。
原発はCO2も出さないし、油に頼らなければ戦争の原因の一つが無くなる。
甘く見ると危険だという認識の薄さが今回の事故と今のザマなんだと思う。

昔のような生活がいいとばかりは思えない。
40度近くなる日本の夏にエアコンなし?
ムシムシの通勤電車に2時間?
冬は炭の火鉢?
突然の停電で幹線道路は死亡事?
アメリカに暮らす人には解らないかもしれないけどさ・・・。
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