軽井沢高校 校長日記 『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』

学校の様子を校長の視点から伝えたいと思い、校長日記を書くことにしました。授業日毎日更新を目指します。ご愛読ください。

 5月18日(火) 恒例行事 031

2010-05-18 23:19:47 | 日記
 
 参りました。
 咳の出る日が続いています。

 大体2月か3月くらいから咳が出始め、6月か7月、遅いときは8月くらいまでそれが続き、気付くといつの間にか咳が止まっている、ということを、もう15年以上も繰り返しています。
 幼い頃人一倍顔と体が大きくて「健康優良児」だった私としては、これも含めて近年の自分の健康の体たらくぶりは目に余ります。
 その年の気候とか、住んでいる土地とか、仕事の内容とか、そういうことによってきっと若干の違いはあるのでしょうが、毎年大体同じ頃に咳が出始め、大体同じ頃に咳が自然に止まります。
 時折微熱もセットでやってきます。
 嫌な病気だといけないので、大きな病院でいわゆる「精密検査」というのをしてもらったのですが、結局「原因不明」ということでした。
 そもそも、いくら科学や医術が進歩しても、複雑な人間の身体のことが完全にわかるはずないですよね。
 全部わかりっこない、わからないからいいんだ、と思う人が哲学など文系に進み(そういう私は文系です)、いやいやがんばれば必ずわかるようになるはずだという人が理系に進むような気もします。

 咳が始まったのは、中国(北京)に旅行に行き、帰って来てからだったような気がします。
 昔は、多くの学校で、学年会みんなで毎月積み立てをして、卒業式の後にいわゆる「学年解散旅行」というものを企画し、それを楽しみの一つにして日々がんばったものでした。
 今では学校という所はすっかり忙しくなってしまって、みんなでまとまってどこかに出かけるということができにくくなってきているのではないかと思いますが、個人的には、本当は、生徒を送り出した学年くらいしっかり「解散旅行」ができた方がいいんじゃないのかなと考えます。
 さて、その時の学年も、「卒業させたら中国へ行こう」ということで積み立てをし、北京に2泊3日だったか3泊4日だったか、そんな感じのスケジュールで出かけました。
 故宮だとか、万里の長城だとか、名所旧跡を回りましたし、中国の本当の姿を見ようと一人早朝に起きて地元の人たちが行く屋台に行って同じものを食べてみたりしたのですが、当時の私のポリシーは「夕方うまいビールを飲みたかったら昼間水を飲むな」。
 スポ根に出てきそうな、何とも前近代的な考えで、午後くらいからできるだけ水を取らないようにして夕方を迎えていました。
 今ではこんな考えは持っていませんが、日本と比較にならないくらい乾燥している中国に行ってもこの考えを実践したため、きっと柔な喉が悲鳴を上げたのだろうというのが、私の推測です。
 本当の理由はわかりませんが。
 でも、何か月間も毎日、咳がいつ出るかわからないのは何とも不便で、カラオケに行ってもちゃんと歌えないし(最近カラオケもほとんど行かなくなりましたが)、人様の前でも話している途中で咳込んでしまうし、この間などは自宅で飯を噴き出してしまうし、ろくなことはありません。
 医者に行っていろいろな治療を試みましたが、結局は「原因不明」なので、改善の余地なし。
 水分を多めに摂ったり、のど飴をなめたり、かりんを食べたりしてこれからも付き合っていくしかありません。
 でもねえ、大変ですよ、「ゴホッ、ゴホッ」だけならまだしも、その後に「オエーッ」と吐きそうになるのは。
 結構体力を使いますからね。

 今日も暑い一日でした。
 軽井沢は24.5℃、長野にいたっては29.4℃まで気温が上がったそうです。
 東信の校長会が野沢南高校で行われましたが、やっぱり、軽井沢より佐久の方が暑い気がします。

 5月17日(月) 吹出物と米百俵 030

2010-05-17 20:37:06 | 日記
 
 今日の軽井沢の最高気温は24.2℃とか。
 「夏日」までもうちょっと。
 天気もよく、部屋の中にいるより外にいた方が暖かいような、すがすがしい日でした。

 久々に学校に一日中いました。
 午前中は、小諸新聞の記者の柳沢さんが学校に見えました。
 柳沢さんとは、以前小諸高校の教頭をしていた時からの知り合いです。
 小諸新聞・佐久新聞では、小諸・佐久地区の新任高校長の連載を毎年やっているのだそうで、今日はその取材でした。
 私がこれまで赴任した学校や軽井沢高校の課題は何か?というようなかたい話から、休みの日には何をやっているのか?とか家族構成は?といった話まで、いろいろなことを聞かれました。
 これをどうやって記事にするのかが記者の腕の見せ所なのでしょうが、仕事とはいえ大変なことです。
 「いつ頃記事になるのですか?」と尋ねると、今年は小諸・佐久地区の高校は新任の校長が多いため、例年のようには連載を組めず、「今後のことは未定」とのことでした。
 今日は鼻の下に吹出物ができて赤くなっており、写真写りにいつも以上に不安があるので、まあ、載らないなら載らないでそれはそれでいいかなとも思いますが、そうは言ってもせっかく取材してもらったので、学校のためにも載せてもらった方がありがたいと思っています。

 午後は、県の地域高校協会の理事会がありました。
 地域高校協会というのは、昭和24年に町村立・組合立から県立に移管した高校が中心になって作られています。
 以前記事にしたように、軽井沢高校もこの年に軽井沢町立から県立に移管していて(式典は3日間続き、室生犀星も挨拶に来たという話でした)、しっかりこの協会のメンバーなのですが、今年は「軽井沢高校の校長が県の理事長」ということで、理事会を本校で開催したのです。
 6月に行われる総会やこの会の今後のあり方などについて審議しました。
 今日は本校も含めて県内各地から10校が集まったのですが、遠いところでは、阿智高校とか白馬高校などからも来ていただきました。
 地域高校というのは、長岡藩小林虎二郎の「米百俵の精神」ではありませんが、子どもの教育に対する地域の人々の思いが形になったものであり、そういう創設の経緯など時代的なことも含めて、共通する点がかなりありますので、お互いに連携を取り合って、それぞれが発展していければいいなと思っています。

 それから、今日は4月1日からのタイトルを全部変更し、通し番号を付けてみました。
 今までのタイトルは内容が伝わりやすいようにわかりやすく付けたもので、いわば「真っ正直な」タイトルでしたが、面白みに欠けた面があったと思います。
 この際、記事の内容から私が思いついたことをそのままタイトルにしてみました。
 従って、少し「ひねった」「思いつきの」タイトルになっているかと思います。
 「何でこういうタイトルなの?」という部分はあるかもしれませんが、こういうタイトルの付け方の方が、「おやじギャグ」をこよなく愛する私の日常会話に近いような気がしているので、今後はこの線でいきたいと思っています。

 5月14日(金) 軽高の蛙大会を知る 029

2010-05-14 23:53:59 | 日記

 高校総体(インターハイ)の東信地区予選が行われています。
 今週末の金、土、日がその「中心日」です。
 運動部の生徒がたくさん大会に参加しますし、顧問の先生が引率をしますので、金曜日の今日は、多くの学校が休みだったり、特別の授業を組んだりしているのではないかと思います。

 様々な競技が各地で行われていますが、私は、テニスの大会長という立場で、東御市の中央公園テニスコートに行きました。
 寒くて風の強い日でしたが、天気がよかったので、屋外競技にとっては何よりでした。
 大会の実施要項をみると、本校テニス部顧問の堀内先生が「トーナメントディレクター」、青木先生が「レフェリー」となっています。
 カタカナで分かりにくいかもしれませんが、要するに二人は、東信地区のテニス競技の専門委員長と専門委員という、役員の上から一番目、二番目の仕事をやってくれていて、その関係で私が大会長になり、開会式や監督会議で挨拶をすることになったのです。
 5月2日の記事で、かつて私が本校でテニス部の顧問をしていたことを書きました。
 堀内先生、青木先生とは、今回初めて同じ職場(軽井沢高校)で仕事をしているのですが、二人はその頃それぞれ別の学校でテニス部の顧問をしていたので、旧知の仲です。
 現在、それぞれ、3学年、2学年の学年主任という、学校の中心的な仕事をしながら、忙しい中、部活動も土日もなく指導してくれており、また、丁寧にきちんと仕事をするタイプなので、東信地区のこういう大役を任されたのではないかと思います。
 かつては、テニスの東信大会と言えば、毎回上田城跡公園の中のテニスコートでやっていました。
 「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」のテレビコマーシャルで有名な山極勝三郎博士の銅像が近くにあり、初めてその像を見つけた時には、「コマーシャルのあの像ってこれなの?」と、ちょっと感動した覚えがあります。
 今回は、男子の会場が上田古戦場テニスコート、女子の会場が東御中央公園コートと、別会場で行われ、私は、東御の方に出かけたという訳です。
 軽井沢高校以来約10年、テニスコートからすっかり遠ざかってしまいましたが、運動は好きですし、テニスには特別の思い入れもありますので、挨拶をすることはともかくとして、試合を見られるのを楽しみにして行きました。
 会場には、もう一人の顧問の森山先生も来てくれていました。
 森山先生も日々練習を見てくれており、しかも、男女とも、1年生新入部員の全員が森山先生のクラスなのです。
 本校のテニス部は、男子の部員は多くいますが、女子は3年生が2人、そこに1年生が入部し、今回団体戦に出場することができました。

 学校の選手壮行会でも、この日の挨拶でも言いましたが、3年生にとっては、負けてしまえば、それが最後の試合になります。
 「ピカピカの1年生」で入学して以来、雨の日も風の日も、体調のいい日も悪い日も、毎日毎日、制服をジャージに着替えて練習を続けてきたことを思えば、それが地区大会か県大会か全国大会かは別として、最後の大会というのは、格別のものです。
 試合をする以上、勝つ気がなければ話になりませんし、勝ってほしいと思いますが、1つの大会があれば、全部勝てるのは1人(1チーム)なわけで、勝つことだけがすべてならば、これまた、これほどつまらないものもありません。

 本校でクラス担任をしている時、スケート部とアイスホッケー部でがんばっている生徒が、全部で3人、クラスにいました。
 3年の1月だったでしょうか、日光市で全国大会が開催される直前に、ふと「これがあの子たちにとって高校生活『最後の大会』なんだな」と思うと、居ても立ってもいられず、一人で車を飛ばして、その子たちの「最後の勇姿」を見に出かけたことがありました。
 それは、義理とか使命感とかではなく、単純に「見たい」という気持ちからだったような記憶があります。 軽井沢町でスポーツ店を経営している香取さんという方がいます。
 スケート部のOBで、ずっと本校を支えてくれている方で、私が前に本校に勤務していた時からの知り合いです。
 私が再び本校に赴任したことを知り、4月早々に校長室に顔を出してくれたのですが、その時に「先生は、日光まで来てくれたんだよなあ」と言われ、すっかり忘れかけていたそんなことを思い出したのでした。
 本校生はもちろん、他校生も、がんばってきたすべての3年生にとって、「最後の大会」が「最高の大会」になってほしいと願っています。 

 5月13日(木) 大抵ダイジョウブダ 028

2010-05-14 00:27:00 | 日記

 寒い朝でした。
 軽井沢では0℃近くまで気温が下がったようですし、小諸でも寒風が吹き、体感温度はかなり寒く感じました。

 昨日「学校にありてこそ」などと言いつつ、早速今日は、長野県高等学校PTA連合会(県高P連)の本年度第1回の役員会に出席するため、長野市に行きました。
 以前、この日記で書いたように、長野県のすべての高校が加盟している県高P連という組織があり、その本年度の会長が本校PTA新会長(予定)の片山さん、幹事長が私ということになっていて、午後から開催された役員会に、昨年の県の副会長で現PTA会長の舟田さんと3人で出席しました。
 その、午後の会議に先立って、午前中に、事務局長と片山新会長と私の3人で、県の教育委員会の教育長さん・両次長さんと、文化財生涯学習課、高校教育課、教学指導課の各課にご挨拶に伺いました。
 今朝の信濃毎日新聞に出ていたように、村井知事の記者会見がちょうど始まったくらいの時間であり、県職員の皆さんはその内容が相当気になっていたと思うのですが、どこへ行っても、何事もないかのように歓待していただきました。
 (もっとも、今こうしてブログをかいているこの時間、私自身はまだ村井知事の記者会見の内容を知りません。これからインターネットで動画ニュースをみようと思います)
 県の高P連という組織は、高校のPTA会長(または副会長)と校長が役員を務めています。今日の本年度第1回の役員会では、6月10日の県の総会に向けて、昨年度の報告や本年度の計画などを検討しました。
 終了後は、県教育委員会から、高校再編と学校週5日制に関するお話を伺いました。
 本校の現会長の舟田さん、新会長の片山さんとは、4月以降、簡単な会話はしたことがありますが、じっくり話をするのは今日が初めてでした。
 上っ面でない、内容のある話ができてよかったと私は思っています。
 そして今日特に感じたのは、どの学校のPTAの役員さんも元気で前向きだということです。
 学校の職員と親とが、本当に腹を割って話ができれば、そして互いに協力し合えれば、学校で起こる大抵の問題は解決してしまうのではないかというような気すらしているのですが、それが実際にはなかなか難しく、難しいけれどもそうなるように努力していかないといけないと思っています。
 保護者と教職員との良好な関係づくりは、まさに相互の「プラスワン」なくしてはできないものだと思います。 

 5月12日(水) いてナンボ 027

2010-05-13 00:27:45 | 日記
 
 月、火と2日間、教育研究会で学校を留守にしました。
 もちろん、出張の日でも、また休みの日でも、必要なことは、昼夜を問わず、教頭さんや事務長さん、先生たちと携帯電話で連絡を取り合ってはいますが、私自身がこの仕事にまだ慣れないせいもあるのでしょうが、学校にいないと何か「しっくり来ない」「落ち着かない」というのが正直なところです。
 今朝、学校に着き、事務室を通って校用技師さんに挨拶をし、校長室に入ると、予想どおり、机の上は書類の山。
 学校から出す文書などは、最後は必ず校長が見て印を押すのですから、当然こういうことになります。
 「よし、やるぞ」と気合いを入れて、ふとその向こうの応接用のテーブルを見ると、そこには写真のような、先週とは違う新しい花が置かれています。
 「華道部の子たちだな。ありがたいことだなあ」と、思わず心が和みました。
 今朝も、「久々に校門に立つぞ」と気合いを入れて学校に出かけたものの、結局、2日分のブランクを取り戻すべく、早朝から「ほうれんそう」(報告、連絡、相談)をきちんとしてくれる先生方が「急ぎ」の話をしに校長室に顔を出してくれて、そうこうしているうちに校門に立つ時間は過ぎ、「ピッキオ」の皆さんをお迎えする約束の9時になってしまいました。

 先日、軽井沢町にある「ピッキオ」の田中さんが来校した話を書きましたが、その後、田中さんからメールがあり、代表取締役の桑田さん、マーケッティングディレクターの楠部さん(楠部さんは、東京にある日本エコツーリズム協会の理事もしています)と田中さん、3人で、改めて校長室にご挨拶に来てくれるということで、今日はお待ちしていたのです。
 1時間ほど、田澤教頭さんにも同席してもらい、本当にいろんなこと、例えば、環境について、観光について、大学の有り様についてなどなど、様々なお話をさせていただきました。
 実に楽しく、創造的なお話ができたと思います。
 特に印象に残ったのは、例えば、軽井沢町に宿泊して解説を聞きながら星を見るというようなツアーを企画すると、大体参加者の2割から3割は外国の人であり、その接客のためには外国語が必要となること、「自然」をからめたツアーは、一般的に日本人より外国人の関心が高いこと、中にはイギリスの人だけを対象にしたツアーもあること、などでした。 

 その後は、県教委高校教育課の施設係が来校して学校の中の施設を一通り見ていただいたり、いろんな先生といろんな打ち合わせをしたり、次から次へとかかってくる電話に出たり、書類の点検をしたりしているうちに、昼飯を食べる時間があるようなないような感じで、午後4時の職員会議の時間になってしまいました。

 校長は、そもそも出張や会議が多く、また、ある意味「学校の営業マン」ですから、意識的に地域の方などとお話をする機会を作り出すことも大切で、どうしても学校を空けることが多くなりますし、それもとても大事な校長の仕事だと思います。
 それでもやはり、校長も、学校にいてこその校長ですね。
 いなければいないで学校は回るのかもしれませんが、部活動の練習と一緒で、いない日があれば、その分をとり戻すのに、それなりの時間を要するようです。
 かといって、外に出るどの部分を減らせるのか、となると、なかなか難しい面もありますが、「学校にありてこそ」の部分もありますので、できるだけ学校にいる努力はしないといけないなと改めて思っています。