高校総体(インターハイ)の東信地区予選が行われています。
今週末の金、土、日がその「中心日」です。
運動部の生徒がたくさん大会に参加しますし、顧問の先生が引率をしますので、金曜日の今日は、多くの学校が休みだったり、特別の授業を組んだりしているのではないかと思います。
様々な競技が各地で行われていますが、私は、テニスの大会長という立場で、東御市の中央公園テニスコートに行きました。
寒くて風の強い日でしたが、天気がよかったので、屋外競技にとっては何よりでした。
大会の実施要項をみると、本校テニス部顧問の堀内先生が「トーナメントディレクター」、青木先生が「レフェリー」となっています。
カタカナで分かりにくいかもしれませんが、要するに二人は、東信地区のテニス競技の専門委員長と専門委員という、役員の上から一番目、二番目の仕事をやってくれていて、その関係で私が大会長になり、開会式や監督会議で挨拶をすることになったのです。
5月2日の記事で、かつて私が本校でテニス部の顧問をしていたことを書きました。
堀内先生、青木先生とは、今回初めて同じ職場(軽井沢高校)で仕事をしているのですが、二人はその頃それぞれ別の学校でテニス部の顧問をしていたので、旧知の仲です。
現在、それぞれ、3学年、2学年の学年主任という、学校の中心的な仕事をしながら、忙しい中、部活動も土日もなく指導してくれており、また、丁寧にきちんと仕事をするタイプなので、東信地区のこういう大役を任されたのではないかと思います。
かつては、テニスの東信大会と言えば、毎回上田城跡公園の中のテニスコートでやっていました。
「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」のテレビコマーシャルで有名な山極勝三郎博士の銅像が近くにあり、初めてその像を見つけた時には、「コマーシャルのあの像ってこれなの?」と、ちょっと感動した覚えがあります。
今回は、男子の会場が上田古戦場テニスコート、女子の会場が東御中央公園コートと、別会場で行われ、私は、東御の方に出かけたという訳です。
軽井沢高校以来約10年、テニスコートからすっかり遠ざかってしまいましたが、運動は好きですし、テニスには特別の思い入れもありますので、挨拶をすることはともかくとして、試合を見られるのを楽しみにして行きました。
会場には、もう一人の顧問の森山先生も来てくれていました。
森山先生も日々練習を見てくれており、しかも、男女とも、1年生新入部員の全員が森山先生のクラスなのです。
本校のテニス部は、男子の部員は多くいますが、女子は3年生が2人、そこに1年生が入部し、今回団体戦に出場することができました。
学校の選手壮行会でも、この日の挨拶でも言いましたが、3年生にとっては、負けてしまえば、それが最後の試合になります。
「ピカピカの1年生」で入学して以来、雨の日も風の日も、体調のいい日も悪い日も、毎日毎日、制服をジャージに着替えて練習を続けてきたことを思えば、それが地区大会か県大会か全国大会かは別として、最後の大会というのは、格別のものです。
試合をする以上、勝つ気がなければ話になりませんし、勝ってほしいと思いますが、1つの大会があれば、全部勝てるのは1人(1チーム)なわけで、勝つことだけがすべてならば、これまた、これほどつまらないものもありません。
本校でクラス担任をしている時、スケート部とアイスホッケー部でがんばっている生徒が、全部で3人、クラスにいました。
3年の1月だったでしょうか、日光市で全国大会が開催される直前に、ふと「これがあの子たちにとって高校生活『最後の大会』なんだな」と思うと、居ても立ってもいられず、一人で車を飛ばして、その子たちの「最後の勇姿」を見に出かけたことがありました。
それは、義理とか使命感とかではなく、単純に「見たい」という気持ちからだったような記憶があります。 軽井沢町でスポーツ店を経営している香取さんという方がいます。
スケート部のOBで、ずっと本校を支えてくれている方で、私が前に本校に勤務していた時からの知り合いです。
私が再び本校に赴任したことを知り、4月早々に校長室に顔を出してくれたのですが、その時に「先生は、日光まで来てくれたんだよなあ」と言われ、すっかり忘れかけていたそんなことを思い出したのでした。
本校生はもちろん、他校生も、がんばってきたすべての3年生にとって、「最後の大会」が「最高の大会」になってほしいと願っています。