軽井沢高校 校長日記 『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』

学校の様子を校長の視点から伝えたいと思い、校長日記を書くことにしました。授業日毎日更新を目指します。ご愛読ください。

 5月11日(火) ハンドパワーです 026

2010-05-11 20:11:22 | 日記

 今日は、昨日の日記に書いたとおり、県庁で2日間にわたって行われた、高校の新任校長による教育研究会のことについて書きたいと思います。

 二日目の今日は、昨日より集合時間が早かったので、小諸駅7時11分発のしなの鉄道に乗りました。
 この電車は、上田駅までは各駅停車で、上田駅からは途中ノンストップで長野駅まで直行する「快速しなのサンライズ号」という名前の電車で、通常の乗車券のほかに200円の「乗車整理券」が必要です。
 そして、上田駅以降は、この券を写真のように前の座席の背に差しておくことになっています。
 初めてこの電車に乗った時、券を手に持っていたら、車掌さんから「乗車整理券を拝見できますか?」と言われました。
 「自分に言うのはいいとして、どうして他の人には言わないんだろう?」と思って周囲を見回すと、私以外全員、この券を座席に差していて「なるほど、そういうことね」と気付いたのでした。
 お金は200円余分にかかりますが、すべての駅に止まる電車より15分位早く長野に着くことができるので、時間が貴重な朝にはとても便利な電車です。

 さて、教育研究会ですが、会の冒頭で、山口教育長さんは、本当に「超多忙」の中、われわれのために1時間の時間を割いて、現在のお立場からの話、校長時代のご自身の経験談など、様々な角度からお話をしてくださいました。
 山口教育長さんの話はいつも腹の底から出て来るような話なので、一言一言が心に響くわけですが、今回私が特に印象に残ったのは「若者が自立できない社会は崩壊してしまう。若者が社会的に自立できるよう、学校は、入学した生徒に3年間でどういう力を付けるのか、教職員が共通認識を持って教育に当たってもらいたい」「新しい時代における学校のあり方を、それぞれの学校で作り出してほしい」といったお話でした。
 山口教育長さんのほかにも、小林高校教育課長さんをはじめ、各係長さんや指導主事の皆さんなど、2日間で計18人の講師の方から、盛りだくさんのお話を聞きました。
 もちろん、そのどれもが勉強になったわけですが、中でも、聞いていて一番ドキッとしたのは、心の支援室の町田室長の次の言葉でした。
 「学校には魔法の力があります。学校には、いろんな人がいます。そのことによって、生徒はいろんなことを学べるんです。そういう力が学校には絶対にあるんです」
 強面の町田室長らしからぬと言えばらしからぬ、数々の苦難や喜びを経験して今年度末に定年を迎える室長らしいと言えば室長らしい言葉だと思いました。
 そして、教育に携わる者、特に学校で働く者にとって、大きな勇気と元気を貰うことができる、いい言葉だなあと思いました。

 5月10日(月) 花の都大東京 025

2010-05-10 23:58:07 | 日記

 昨日は「母の日」でしたね。
 あまりコマーシャリズム(宣伝)に踊らされるのもどうかとは思いますが、こういうきっかけでもないと、日頃の気持ちを形にすることが中々難しいということも事実です。
 そもそも、感謝できる母親がいること自体に感謝しないといけないのではないかという気もしています。

 さて、今日は、長野県庁で行われた県立高校の新任校長教育研究会がありました。
 朝から夕方までみっちりスケジュールが詰まった研究会で、内容も盛りだくさんでしたが、こちらは明日までありますので、この話題は明日に譲り、先週末に東京に行く機会があったので、今日はそのことについて書こうと思います。

 先週、大学時代からずっと付き合いのある友人から電話がありました。
 その前の週に私が「転勤のお知らせ」のハガキを、年賀状をやり取りしている人を中心に、一斉に郵送したものですから、それに対する「返礼」の電話でした。
 その彼は、山形県出身。
 大学時代、専攻は違うものの同じ学科に所属し、クラスも一緒でした。
 部活動もソフトボール部で一緒だったりして当時から親交があり、卒業後も、県は違いますが同じ教職についたこともあって、連絡を取り合ってきた仲です。
 (「ソフトボール部」と言っても、革でできた「硬球」、即ち「ソフト」でない「ボール」を扱うスポーツの方です。これについては、機会があれば後日触れたいと思います)
 その彼が「8日の土曜日に、東京周辺の大学時代の仲間が東京に集まるんだけど、内堀もどう?」と言うのです。
 たまたま8日は午後から空いていたので、二つ返事で了承しました。

 当日、「有楽町で会いましょう」(古!)というわけで、集合場所の有楽町駅前に集まったのは、私を含めて9人。
 私以外の8人は、歴史、哲学などの、高校で言う、いわゆる社会科(地歴・公民)を専攻したメンバーで、東京、千葉、埼玉、群馬といった所から、折りあるごとに集まっているそうです。
 「長野からよく来たなあ」と迎えてくれたものの、私からすると、電話で話すことはあっても、会うのは8年ぶりとか10年ぶりというような顔ぶればかりでしたので、「今、仕事は何やってんの?」「部署は変わったの?」などとやたら聞きまくっていましたら、彼らも年度が変わってからお互いに会うのは初めてだったようで、突然名刺交換が始まりました。
 8人のうち、教職についている「同業者」が5人(うち教育委員会勤務が2人)、民間企業が3人でした。
 
 民間に勤める人たちが口を揃えて言っていたのは、「景気の悪さ」「中国への進出」「中国からの進出」でした。
 中国に関する情報は、マスコミを通じてある程度得てはいましたが、身近な友人から聞くのとは現実感がだいぶ違います。
 「中国に行くことが増えた」とか「上海の人たちの持つエネルギーを見ると日本は敵わないんじゃないかとも思う」とか「中国の富裕層は日本の金持ちとは桁が違う」とか「中国の人たちの中には日本でお土産を買うだけでなく土地を購入している人もいる」などという話を聞くにつけ、中国とどう付き合っていくか、どう折り合いを付けていくかということが、相当切実な問題として日本に突きつけられていると感じざるを得ませんでした。

 そんな話をしているうちに(実際には、こういう話よりバカ話の方が多かったことは言うまでもありませんが)あっという間に終了予定の時間が近づき、「今日のこの会の目的は、7月の同級会をどうするかということだったんじゃないの?」と誰かが言い出しました。
 4年に1回、オリンピックと同じペースで大学の同級会が行われているのですが、ずっとその企画や連絡をしてくれているのが彼らなのです。
 私たちが所属していた学科の同じ学年の人数は120人。
 現在の軽井沢高校の募集定員と同じ数です。
 4年に1回の同級会に集まるのは、だいたい30人程度。
 北海道から沖縄まで全国各地、さらには海外にいるのもいますので、それだけ集まれば上出来だと思うのですが、今年は、卒業30周年ということで、その倍くらいは集める位の勢いで、力を入れて声をかけようということになりました。
 私も「準備会」に参加し(てしまっ)たので、雰囲気的に、「当然優先的にスケジュールを空けておく」ことになりました。
 まあ、そうは言っても、懐かしいメンバーが集まるのは、掛け値なしに楽しいものなので、同級会に参加するよう声をかけたり、自分もできるだけのことはしようと思っています。

 5月 7日(金) 花盛り軽高組 024

2010-05-07 19:54:18 | 日記
 
 昨日は桜を話題にしましたが、もう一日花の話題にお付き合いください。

 4月18日(金)の記事で、家庭科の岩下先生が新任職員歓迎会で「本校にもある『こぶし』。生徒指導通信のタイトルでもありますが、その花言葉は『友情、歓迎、信頼』です」という話をしたということを書きました。
 それに続けて、「本校には、生徒指導室の通信以外にも、いろいろな通信が発行されています。これについては、また別の機会に触れたいと思います。」とも書きました。
 その時そう書いてしまったので、それ以来ずっと気になっていたのですが、本校で発行されている通信について今日やっと書くことになり、そういう意味では、ちょっと大げさかもしれませんが、肩の荷がおりたように感じます。

 さて、4月以来、個人のメールボックスに入れてくれたり、直接手渡してくれたりして、私の手元に届いている通信を、教頭先生に頼んで、写真にしてもらいました。
 上で触れた生徒指導室から出ている「こぶし」に加えて、進路指導係が発行している「進路通信」、カラーで原稿を作っている図書委員会発行の「図書館だより」、保健委員会発行で手書きの「保健だより」、生徒相談委員会から発行されていてトップページからも内容が見られる「えんがわ通信」(縁側のような和やかな雰囲気で生徒相談がしたい、ということからついたタイトルのようです)、1学年会が発行している「噴煙」、2学年会発行の、個人的に嬉しいタイトルの「Plus One」、3学年会の気持ちが感じられる「Break Through」と、さまざまな通信が発行され、その内容も盛りだくさんでそれぞれ工夫されていて、花に例えれば、まさに花盛りといった状況です。

 私も昔、学級通信を書いていたのでわかるのですが、そうは言っても、通信を書くのは結構大変です。
 まず第一に、書こうという「意欲」というか「エネルギー」というか「気持ち」が要ります。
 書く気があっても「ネタ」がないと書けません。
 通信を書いていると、大げさに言えば四六時中ネタ探しをしているような気持ちになります。
 そうやって見つけたネタを膨らまし、起承転結をつけて「話」にすることも必要です。
 そんなこんなで、1つの通信が完成し、ようやく発行されるわけですが、これだけを専門にしている教員は、もちろん一人もおらず、いわゆる通常業務に加えてそれをやるわけですから、通信を発行することも、それを継続することも、まさに「プラスワン」であり、従って、自然と「本当にお疲れ様。いつもありがとうございます」ということになるわけです。

 生徒は様々な通信を手にし、読みます。
 何よりもまず3年間で読む文章の量は膨大なものになります。
 そして、「なるほど」とうなずく、「いい話やなあ」と感動する、情報を得る、励まされる・・・。
 何気なくただ読んでいるようでいて、じわりじわりとその「効果」が出るのが、通信のよさです。
 そりゃあ、それだけの時間と労力をかけて、先生が自ら書いたり、生徒を指導して書いたりしているわけですから。
 本校のこの「花盛り」、これからも続くことを願っています。

 5月 6日(木) サクラサク 023

2010-05-06 19:16:28 | 日記

 軽井沢高校の桜がようやく咲きました。
 「こんな時期に?」と驚かれるかもしれませんが。

 例年だと、4月の下旬には学校の周りの桜がきれいな彩りを見せるのだそうです。
 ところが、今年は、考えられないような4月の寒さのせいで、なんと5月の連休の前日になってもまだ花が咲き始めず、「一体いつになったら咲くんだろう?」と言っていたのですが、今度は、連休中の、県内でも「真夏日」があるというような異常な暖かさのために、一気に咲いて、種類によってはあっという間に散り始めてしまったようです。
 写真は正門の周辺を学校側から撮影したものですが、左の薄いピンクがソメイヨシノ、少し散り始めています。
 右の濃いピンクが、たぶんオオヤマザクラ、実にきれいな色の花で、今が満開です。
 (写真は「指」のマークが出ますので、左クリックで拡大できます。また、トップページの『軽井沢高校フォトニュース』で、もう少し大きな写真を見ることもできます。) 

 上田に住んでいる方と4月上旬に話をした時、長野や上田ではすでに桜が咲き始めていると言うので、「小諸はまだまだです。家ではいま梅の花が咲いています」と応じると、「え?梅?小諸ってそんななの?」と驚かれました。
 「上田観光情報」によると、今年の上田城跡公園の桜の開花は4月6日、満開が4月11日~13日とのことでした。
 今年は小諸の桜の開花も遅く、4月下旬くらいだったでしょうか。 

 27歳の時から7年間、小諸義塾の教師として小諸に暮らしながら、数々の文学作品を発表した島崎藤村が、著書『千曲川のスケッチ』で、
 「私は今、小諸の城址に近いところの学校で、君の同年位な学生を教えている。君はこういう山の上への春がいかに待たれて、そしていかに短いものであると思う。四月の二十日頃に成らなければ、花が咲かない。梅も桜も李も殆ど同時に開く。」
と書いています。
 さすがに「梅と桜が殆ど同時に咲く」ということはないにしろ、東京からやって来た藤村のように、暖かい土地から来た人にとっては、小諸や軽井沢の梅と桜は、きっと「殆ど同時」であるかのように感じるのでしょう。
 今日は一日中いい天気で、1年生が校地外清掃に出かけました。
 軽井沢は、これから新緑のすがすがしい季節を迎えます。

 5月 3日(月) グッジョ-(Good job !) 022  

2010-05-03 17:47:10 | 日記

 昨日と今日の2日間で、嬉しいことが2つあったので、日記を書くことにしました。
 授業日以外の休みの日でも「これはぜひ伝えたい」ということがあった時には、これからも書きたいなと思っています。

 さて、その「嬉しいこと」の1つ目は、以前この日記にその予告を書いた、野球の北信越大会東信予選のことです。
 軽高の初戦、上田高校との試合が、今日の10時から県営上田球場であり、田澤教頭さんの車に乗せてもらって応援に出かけました。
 軽高の先発は2・3年生が3人、そこに硬球を握って1か月も経たない1年生が6人。
 どんな試合をするのか、楽しみでした。
 結果は、0-11、5回コールドでしたが、点差以上に締まった「ナイスゲーム」でした。
 チームができて間がないので、細かいミスを数え上げればきりがありません。
 しかし、それ以上に、たくさんのいいプレーがあり、物怖じしない1年生のフルスイングがあり、点差が開いても最後まで声を出して集中している姿があり、応援に来ていた野球部の保護者や卒業生、卒業生の保護者と「夏が楽しみですね」と話しました。

 試合を見ていて感じたのは、11点という点差は、「ほんの少しの差」が積み重なって生まれたものだということです。
 点が入りそうで入らなかった時、抑えられそうで失点した時など、「惜しいなあ。もうちょっとなのになあ」と思った場面が何度もありました。
 しかし、この「ほんの少しの差」は、毎日人一倍厳しい練習をすることでしか埋められない差でもあります。
 自分たちが練習している時には、当然他のチームの選手も練習をしているのですから。
 悔しさと厳しさ、そして喜びの中から、大きく成長することを期待しています。

 もう1つの「嬉しかったこと」は、本校テニス部の卒業生二人と昨日夕食を一緒に食べたことです。
 前回私が軽高に赴任した平成8年に、高校に入学、同時にテニス部に入部し、最上級学年では、それぞれ男女のキャプテンでエースとして、本校のテニス部を支えた二人です。
 一人は牧野さん。
 英語科の卒業生で、現在は軽井沢プリンスホテルの総務部に勤めているそうですが、それまでは東京にいたので、会うのは高校卒業以来ではないかと思います。
 でも、不思議なもので、会えば10年のブランクを越えてすぐに昔に戻ることができます。
 「改めて見ると茉奈佳奈に似てるな」と言う私に「三浦理恵子に似てるって言われる。そっちの方が嬉しいんだけど」などと言いたい放題のことを言いながら、焼きそばとグラタンをバクバク食べていました。
 彼女は、1年生大会で準優勝するなど、天性の素質に加えて、全体練習が終わった後に男子に混じって居残り練習をするような努力家でもありました。
 もう一人は佐藤君。
 普通科を卒業後、大学に進学、上越教育大の大学院を出て、東京都の採用試験に合格、現在小学校の教員をしています。
 彼が3年生の時、平成になって初めて本校が北信越大会に団体で出場しましたが、個人戦でもあと一歩でインターハイ出場という実力の持ち主でした。
 その北信越大会の会場で買ったTシャツを今でも自宅に飾ってあるのですが、それ以外にも何かこの時の資料があったはずだと探してみたら、ありました。
 『同窓会報』に、私が次のような文章を寄せていました。
 「平成十年六月二十日、本校テニス部員は、昭和六十二年以来、実に十一年ぶりに北信越大会のコートに立ちました。(略)東信大会で優勝し、県大会では強豪校を次々突破し、優勝校の松商学園に惜敗したものの、三位決定戦で見事勝利したのです。平成八年、赴任して初めての東信大会を終えた後、『がんばれば、三年後には県大会に出られるかもしれない』と私は日記に書きました。生徒たちは、その予想をはるかに上回る努力と成長をしてくれました。(略)試合を終え、私は彼らに『こんな大きな大会に連れてきてくれてありがとう』と心からお礼を言いました。私にとって一生忘れられない、監督冥利に尽きる日になりました。(以下略)」
 今にして思えば、この年、地区大会の一回戦から北信越大会まですべての試合が「ナイスゲーム」だったと言えます。

 佐藤君は「同業者」ということもあって、帰省するたびに連絡をくれます。
 その彼が柄にもなく「初めて自分で卒業生を出して思ったことなんですが、僕がこうして田舎に帰るたびに、先生に連絡して先生と会って話をする、そのこと自体が先生への恩返しになっているんじゃないかって」てなことを今回初めて口にしたのです。
 「お前はそれでいいかもしれないが、俺にとっては、えらい迷惑な話だ」と言ってはみたものの、内心「成長したもんだ。学校じゃ、熱くて結構いい先生かもな」などと思ったりもしたのでした。
 4月27日(火)の上原大祐君に関する記事でも書いたことですが、生徒ががんばる姿、成長した姿というのが、やはり、教員にとって最大の「パワーの源」なのだと思います。