10月8日出発。予定はほぼ2週間の車の旅です。70代夫婦には体力がもつのか少しばかりの不安もありますが、
「無理しない、欲張らない、てきと~」を胸に安全第一で旅立ちです。
初日はほぼ寄り道もせず、ひたすら大垣の宿を目指します。お~、なんと呆気なく昼には大垣着です。
観光の予定をしていなかったので地元の人に聞いたら大垣城か芭蕉記念館があると教えてくれた。
が、駅前で祭りがあると聞き、祭り見物に決める。地元企業、学校の神輿があり、まるで高崎祭りのよう。
二日目、予定走行距離が全コース中一番長い日です。淡路島を渡り丸亀まで行きます。
都市部の高速道路は緊張すると先入観を持っていたが、予想よりもスイスイ神戸まで走り、淡路島上陸。
藻塩アイス、アンコがちょこんと添えられ、旨し。
←大阪辺りの高速SAトイレ入り口、
何やら奇妙、「なんや、映画館に入るみたいやな~」の声が聞こえた。ほんまにな。気味悪かったわ~。
さて、三日目は丸亀から金毘羅さんへ。全部で七百余段、半分登ってリタイア。高校の修学旅行で来たんだよね、確か・・・
夜の9時から神輿が本殿から下る例祭行事があるそうで、参道はその下準備であわただしかったです。
宿で地元ニュースをみていたら、国営讃岐ばんのう公園のコスモスが見頃と知り、寄り道。予定外っていいわ~
香川のうどんはやっぱり食べたい夫さん、セルフ式のうどん屋さんでお昼をして満足の様子。
(うどん屋さんは3時ごろまでで終いなんですって!常識だそう。)
大歩危小歩危をみながらの吉野川、なかなかの景観です。日本三大急流の一つなんですってね。
こちらも予定外の寄り道。祖谷のかずら橋です。(名物のそばを頂く時間はなし、残念)
足場の板の隙間が7、8センチあるのでその隙間から下の谷川が見えます。
山越えして高知に着いた~~。夕飯はホテルから歩いて「ひろめ市場」まで。本日、よく歩きました。
高知は2泊。お約束の高知城と桂浜。竜馬の胸が高鳴った海は見た目は美し~のに、意外と波高し、でした。
でも、私が行きたかったところは北川村の「モネの庭」。
なんで高知からはるばると離れた「庭」に行きたいのか理解できないなー、つれあいは
いぶかしがりながらも付き合ってくれました。
ゆっくりお茶時間も取れ、小さな庭でしたが、行ってよかった!
五日目、日本で一番美しいといわれる仁淀川の「仁淀ブルー」をこの目で見たい。これも私の希望。
仁淀川町経由で松山に向かいます。中津川渓谷遊歩道で仁淀ブルーを見る算段です。
遊歩道の大きな岩を過ぎると、突然、滝が現れ、水しぶきと圧倒的轟音に襲われました。
写真にはありませんが、頭上に注連縄が渡っていました。自然の中に神が宿ると感じられる滝でした。
こんな滝をまじかに見たのは生まれて初めて。どでかい石がごろごろしている川も初めて 。
(この滝の上流には「にこ淵」があり、息をのむほどの仁淀ブルーがみられるそうなのですが、)
私はここで充分堪能できたました。いつまでも残ってほしい景観です。
下の写真のような谷あいを松山まで走りました。急な斜面に茶畑がみられました。
道の駅で紅茶と緑茶を求めました。朝夕の寒暖の差があるので良質なお茶がとれるそうなのです。
六、七日目。
松山城はケーブルで登るのでした。天守は国の重要文化財です。
城内には武具が置いてあり、自由に着て記念の写真を撮ることができます。
面白がってチャレンジしました。うふっ、写真は載せませんが。
中国人観光客に一緒に写真を撮らせてくださいと頼まれましたよ!
道後温泉でひと風呂浴びました。浴衣サービスとお茶がいただけるおもてなし、いいです。
坊ちゃんからくり時計の動くまでの時間待ちで、すぐ脇にあった民芸店に入りました。
手吹きグラス、いいのがありました。買えばよかったと後悔しています。
松山近郊の内子町を散策。時々小雨模様の一日でした。
大正15年に建てられた芝居小屋、いまだ現役、回り舞台や花道、桝席、楽屋などもあります。
ボランティアのガイドさんが説明してくれます。
棕櫚箒屋さん、以前から1本欲しかったのです。懇切丁寧な解説付きで購入しました。
山間部の道の駅では栗の炊き込みお強と栗入り酢飯が売られていました。
蜜柑もとってもお安く、たくさん買い込みました。
この日の夜、松山港から九州の小倉までフェリーで移動です。お弁当になりそっ。
八日目、早朝未明に小倉着。雨模様。下船してすぐには車のナビが寝ぼけている。
門司まで行くことにする。雨で暗くて、東京首都高並みに頻繁に左折したり右折する高速道路、怖かったー
朝ご飯を「唐戸市場」で済ます。
一路目指すは、山口県三隅町にある香月泰男美術館へ。
シベリアシリーズで知られていますが、何でもない身の回りの物を描いた水彩画も魅力がありました。
萩の城下町の古い街並みは静かでした。
ユニクロの看板の色が抑えめのこげ茶色、コンビニの看板が低めにおさえられ、
景観への気配りがされているのに好感が持てます。
今晩の宿は津和野にとりました。
偶然、週末に1本走るという蒸気機関車に遭遇。懐かしい汽笛の音とモクモクの煙。
下の写真はホテルの部屋から見た津和野の町です。
九日目は海辺の道を辿り出雲大社へ。
途中の海は砂浜がきれい、砂の色が灰色ではなく黄土色に近い明るい色。
40年前に小さかった息子たちと来ています。ナビも高速もない時代でした。
早めに松江のホテルにチエックイン。宍道湖を眺めて息をつく。
出雲や島根の民芸館を見学したかったのだけど、折り悪く休館だったり、時間の都合がつかなかったりして断念。
宍道湖の湖面は着いた日は雨空で泥色、翌朝は天気に恵まれて青空の色を映し、別の湖のよう。
十日目
舞鶴まで行くのに海沿いの鳥取砂丘を経由すると8時間以上要し、
やむを得ず、地図で見ると遠回りだけれど、高速道を使うと6時間余りで到着可能なので、時間を優先する。
朝、松江から米子方面を望むと富士山のような高い山が見えた。きっと大山と見当をつけていた。
が、下の写真がダイセンとは思いもつかなかったのでした。
蒜山高原SA手前でこの山を見たときには山容が富士山のイメージに重ならなかったのですもの。
移動時間が長いと運転しなくてもかなり疲れます。
往復80キロの天橋立に行くのは明日に回し、目についた「舞鶴引揚記念館」に行きました。
夫は満州生まれで1歳の時、舞鶴に引揚たのです。記念館はシベリアからの帰国者の記録が主なる展示でしたが、
その時代の様子は伝わります。胸が痛む時代でした。
主人もそんな時を赤子とはいえ潜ってきたのだなと感慨深く思いました。
下写真は紙の代わりに白樺の皮に煤を水で溶いた墨で書かれた日記です。
十一日目
富山へ向かう道中、ホテルのチェックイン時間までに3時間余りの余裕があるのが分かり、
白川郷へ寄り道を考え付きました。今時どこに行っても外国からの観光客がいるのですね。
紅葉シーズンはきっと混雑するのでしょう。集落の神社は秋祭りでした。
十二日目
NHKTVの日曜美術館で県立富山美術館を知り、訪れました。
保育園児やお年寄りの団体などで賑やかです。
屋上は子供も喜びそうなオブジェがあります。
紅色の壁を背景にした館員の女性のウエアが絵のよう。
十三日目
大型台風が上陸しそうな勢い。妙高で一泊して翌朝は帰路につく。
あ~、ここまで読んでくださり、お疲れ様でした。2週間は長かったです。