晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

「ポケモンGOと社会」の記事から

2016-09-21 07:43:10 | 教育

【「ポケモンGOと社会」の記事から】
〈朝日新聞・耕論2016.9.21〉
・さわやかさん「新しいテクノロジーは、現実に対する見方の死角を突く」「今は社会実験」
・古橋大地さん「人を動かす」「街を理解する」「ポケモンGOで社会問題を解決する」
・湯淺墾道さん「移動履歴がすべて収集される。プライバシーに関する新しい議論を」

改めて感じるのは、社会そのものの捉え方が今までのやり方では全く追いつかなくなってきていることだ。
現代のテクノロジーは、例えばインターネット、ツイッター、フェイスブックなどの進化発展が社会の隅々まで入り込み、化学変化を起こしているのに、あたふたと何とか否定的な“感想”を述べることが“良識”として思考停止する。それには時代から取り残されることへの恐怖と憎しみが横たわっていることに薄々気付きながらも見て見ぬふりをしている。素直になって新しいテクノロジーに寄り添う気持ちを持てないだけならまだしも、子どもたちの成長すら自分の理解の範囲に押しとどめようとする。
これでは、経済成長どころか、日本社会の滅亡すら現実化するだろうねw

ブロックチェーンの教育応用<評価>

2016-09-20 12:01:59 | 教育

ブロックチェーンのビジネス応用が語られることが多くなってきた。これを何とか教育の分野でも応用できないか、少し考えてみた。

 

ブロックチェーンの考え方は、中央集権型ではなく、ネットワーク型分散システム。ということは、教育に限らず、とかく偏りがちな人的評価において「中央」が下すのではなく、「集合体」が評価でき、より“常識”に近い評価ができる。

ただし、評価する目的、対象、数量など内容によっては、そういった“平凡な”評価では有効性が低いことも考えられる。より個性的な視点に基づいた評価が要求されるシーンも大いにあり得るだろう。

何れにしても、教育現場ではあらゆる場面で評価なくしては成り立たない。教育内容の変化に伴って当然ながらそれに相応しい評価がなくては、教育的効果は計測できず、よって教育は恣意的なものとなり、有害ですらある。

ブロックチェーンの考え方により、現在主流の「教育を受けるものと与えるものの相互評価」に、「被教育者同士の評価」が加えられ、三次元的な教育評価システムが成立することとなる。

すると、評価能力に劣る者の評価は信頼に足るか、という課題が生じてくるが、まさしくこれこそがネットワーク型の「強み」であり、多数派の多数であることの存在性の重みに繋がるものだろう。逆に、個性の再発見と希少性の重みの再評価へとも発展し、教育効果の質的発展が期待される。


日本はもう「淘汰される」のか?

2016-09-19 10:41:19 | 政治

三菱自動車(反省せず)東芝(不正会計)そして東京都(無責任)

日本を代表する組織の、官民の区別なく次々と明かされる日本の病巣に、怒りを通り越して、底知れぬ不安が列島の隅々にまで広がり始めている。

日本は本当に無理なのかもしれない。こんな国を見捨てるかのように、人口はどんどん減り始め、希望的観測の濃い内閣府の予測ですらわずか50年後には今の3分の2になりそうだ。

爆発的に増加する世界人口と比して、これはもう日本人が自然の掟通り、「淘汰される」ステージに入ろうとしている証なのだろうか?

 

 


障害者は「感動ポルノ」として消費される

2016-09-16 20:22:37 | 教育

「障害者はあなた方を感動させるためにいるわけではない」

24時間テレビ、パラリンピック放送などを観ていると、やたら「感動話」が盛り込まれていることにうんざりしながらも、どこか不謹慎なことを思う自分を責められているようで落ち着かない。最近では、これに加えてメダルを獲得した選手がインタビューされると「お世話になった方々、応援してくださった方々に感謝…」とほとんど同じ応え。いっそのこと美声の持ち主の語りを録音しておいたら…とでも言いたくなる。

障害者の「障害」すらも金儲けのタネとしての資本に化ける現代資本主義は、もう神掛かっているかのようだw


豊洲移転の「闇」は日本全体の「闇」を予感させる

2016-09-16 02:58:06 | 政治

(現代ビジネス9・15)築地移転と都政の「闇」

“とかげの頭”である石原氏“であれ、とかげの尻尾”である都の役人であれ、何れにしても誰か個人を切ったところで、都政の「闇」は晴れない。

今後、都政が都民を裏切っていく経過が細かくあぶり出されていくだろう。すると、其処には罪悪感の薄い普通の役人が保身に全力を尽くそうとしているに違いない。これは他ならぬ“東京都”という都民奉仕のための行政システムそのものが既に機能していないことを示す。都の職員個人は普通の一般人の感覚で職務に就いていても、全体が間違えた方向に行くことは、謂わば“合成の誤謬”とも言える。

だからこそ、東京都のシステムを変えるのは、簡単ではない。小池東京都知事も、その困難さに自らの政治生命を賭けて取り組まざるを得なくなってしまった。それまでは、単に選挙公約の実施程度の覚悟で十分だったのに、東京都政の「闇」との真っ向勝負のステージに上がらざるを得なくなってしまった、ということだ。

都の「闇」は、全国各自治体の「闇」を予感させる。おそらく日本全体が程度の差こそあれ、こうした「闇」に片脚を突っ込んでいる。豊洲の問題は、日本全体の「例題」と言える。連日の報道で、私たちは日本を覆う「闇」の存在を予感できた。

ただ、そのあまりの姿に、身がすくむ。