モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

改ざんされた歴史に翻弄されている私達 (先ほどの文章を読んだ私の感想)

2015-04-24 22:28:06 | 日記
読めば読むほど、共感する内容ばかりでした。

聖書そのものを丹念に読めばもともと「マグダラのマリア=娼婦」といった図式などどこにもない。
という部分に関心を持ちました。

私は、モナリザに関連付けて、この方の文章を元に下記のような文章を書かせて頂きました。

ダ・ヴィンチが書いた手記手槁そのものを丹念に読めばもともと「モナリザ=ジョコンダ夫人」という図式などどこにもない。

要するに、人類は、知らず知らずのうちに改ざんされた歴史に翻弄され、洗脳されてしまっているのですね。


しかし、目覚める人も増えてきています。これからも、真実の歴史を探求していきましょう!


イエスと弟子たち(12使徒)とマグダラのマリア真実の物語 続きの文章

2015-04-24 22:17:11 | 日記
※全て転写文です※

さて話を「マグダラのマリアによる福音書」にもどすが、19世紀後半にコプト語訳の断片写本が発見され、20世紀になってさらに2つのギリシャ語の断片も明るみに出された。こうして入手解読された写本はわずか8ページ足らずの大変短い物語だが、これまで知られていなかった別種類のキリスト教の存在、イエスの姿を垣間見ることができる…。
そこに登場するマグダラのマリアは娼婦などではなく、師の一番の理解者であり最高の女性使徒として描かれている。その姿にペトロは嫉妬さえして彼女の話しにクレームを付けマグダラのマリアを泣かすシーンもある。
イエスは生前、制度としての教会組織はもとより自身で著作は残さなかった。したがって良くも悪くも現在の教会組織やそのより所ともなる正典(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書)は後年残された多くの資料から選別され、”ニカイア信条” が代表するようにある意味教会側に都合の良い解釈の元にまとめ上げられたものである。
先の「悔悛する娼婦」としてのマグダラのマリアのイメージも、長い歴史の中で私たちの心に浸透し、払拭出来ぬほど強固なイメージとなっていったが、聖書そのものを丹念に読めばも

イエスと弟子たち(12使徒)とマグダラのマリア真実の物語

2015-04-24 22:04:48 | 日記
河出書房新社刊「マグダラのマリアによる福音書」

この本を読まれた方の感想に感銘を受けました。

※全て転写文※



ところで信徒でない私ではあるが、史実のイエスならびその歴史に興味を持ち続けてきた1人としてどうしても納得できないことがある。それは処女受胎でもなければイエスが行ったという奇跡でもなく、処刑3日後の復活でもない…。
聖書をざっと読んでみればわかるが、そこに登場する12人の使徒は決して優秀な弟子たちではなかった。イエスの言葉を理解できず、うろたえ、疑い、彼の真意を誰1人くみ取ることができなかったといっていいだろう。
ちなみに聖書そのものを歴史書として見ることは出来ようもないが、一方多くの真実が含まれていると感じるのはまさにこの点にある。なぜなら歴史の記録はすべて勝ち組の残したものであり、負け組の存在や記録は抹殺されるのが普通だ。もし自身で自分の伝記を書くとしたら、触れられたくない過去は装飾するなり無かったこととして記述するのが人間であろう(笑)。
しかし聖書には都合の悪いことも多々そのまま記録されているという点に大いなる興味を感じる…。
例えば、聖書に描かれてい





一番絡んでいるのは、宗教かもしれない。

2015-04-24 21:50:31 | 日記

※以前のブログ記事を転写します。

タイトル

「一番絡んでいるのは、宗教かもしれない」


何度も、取り上げてきて、読んで下さっている皆様には、耳にタコが出来るような、内容になり、申し訳ありません。

モナリザがモナリザというタイトルでないと、駄目だった理由
一番絡んでいるのは宗教かもしれない。

以前私は、レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記を読みました。
ダ・ヴィンチが生きていた当時の世の中は、キリスト教の絶対的な支配下にあり
キリスト教に反することを言ったり書いたりしただけでも、死刑になりかねない、、、キリスト教は、それくらい強い権力があった、、、
みたいな文章がありました。

やはり、ダ・ヴィンチが絵画を通じて、伝え描きたかった、斬新な価値観やメッセージ、それが
キリスト教に反する内容であることを、非常に問題視され続け、キリスト教にとって、タブーである内容が組み込まれていたあの絵から、宗教的だと取りかねない表現、宗教絡みの全ての要素を、どうしても排除せねばならぬ為に
「肖像画」という枠組みに
いれる事により
一女性の肖像画であるという、揺るぎない
コンセプトを、世間に押し付ける為に
モナ・リザ「ラ・ジョコンダ」とされたであろうことを
一人でも多く、世の中の人に
拡散されることを、祈るばかりです!

モナ・リザというタイトルとなった経緯を、今一度確認してみましょう!!