
皆様、こんばんは。
事務局です。
12日の一宮市内は、きびしい暑さが続いています。
日本の領土であります、尖閣諸島に関する、今の映像情報が少ないですね。
お店近所のコンビニエンスストアに、中華まん100円と印刷された、赤色のノボリが立てられていました。
本日の寺西は、作業がないため、組み立てレイアウトのボード製作をおこないました。
9月に製作予定でした、幅70cmのボード3枚目の製作に入りました。
この調子ですと、お盆期間中に、4枚のボードが揃いそうです。
帰郷された方から、ご寄付がございました。
クリアークラフトケース3箱です。

模型車両整備の際、小さい部品を無くさないようにするため、ということで、ご寄付いただきました。
ありがとうございます。
上の写真は使用例になります。
ここからは、通称「青バス」の乗車会に参加したお話の続きです。
「青バス291号」は、万葉線の路面電車と並走しながら、国道415号線を北上します。
当初、JR氷見(ひみ)線・伏木(ふしき)駅で、参加者の一部が下車して、雨晴(あめはらし)駅まで、列車に乗る予定でした。
しかし列車に乗る予定の人が、列車に乗らなくなったようです。
県道24号線を使って、伏木駅に進む行程はなくなり、国道415号線で真っ直ぐ、「雨晴海岸」に直行することになりました。
下の写真は、青バス車内から見た雨晴海岸と富山湾です。

雨晴(あめはらし)海岸と聞きますと、富山県出身の皆様は、何を想像されるでしょうか?
(1)海水浴場
(2)デートスポット
(3)義経岩
(4)渚百選
(5)けあらし
どれを想像されましたか?
5つ目の「お楽しみ企画」が始まります。
雨晴海岸で、氷見線の列車と青バスの並走を、雨晴海岸をバックに撮影です。
参加者の大半は、撮影のため、雨晴海岸駐車場で下車されました。
寺西は、撮影用のカメラが、スマートホンに内蔵されているカメラのため、並走の撮影は断念して、青バス車中の人となり、車内から、氷見線の列車を撮ることにしました。
海岸のお話に戻します。
さて、初歩的な質問ですが、雨晴海岸はどこにあるでしょうか?
下の写真は、雨晴海岸を見る。線路はJR氷見線です。

高岡市北部、富山湾に面した、能登半島の付け根付近にあります。
雨晴の由来はご存知ですか?
お久しぶりに、島根県松江市出身の、武蔵坊弁慶が登場します。
出家して、出雲市(旧平田市)にあります、鰐淵寺(がくえんじ)で修業したのち、姫路の書写山(しょしゃざん)園教寺、京都の比叡山に移り、源義経に出逢い、家来になった後、国内を転戦した、と伝えられていますね。
※当会ブログ「木綿街道を歩く(11)」2015年03月12日分などを参照に。
雨晴の語源は、1187(文治3)年、山伏姿の源義経と弁慶が、奥州に落ち延びる途中、この海岸の、のちに「義経岩」と言われる岩石で、にわか雨が晴れるまで待ったことに由来しているそうです。
伝説で、弁慶が持ち上げた、と言われている岩石、「義経岩」ですが、研究により、古墳の石槨(せっかく)と考えられているようです。
※石槨とは、石で作った、棺を入れる外箱です。
昔、周辺が海でなかった時代に、貴人を埋葬した古墳が造られ、のちに周りが海になってしまい、波が古墳の土砂をさらい、石槨だけが残ったようです。
下の写真は、雨晴海岸をバックに青バスを撮影しています。
富山湾の奥には剣岳が見えます。

青バスは、数人の参加者を乗せて、国道415号線旧道に向かい、海岸がバックにできる場所に停車して、撮影会になります。
次回に続きます。
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