昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

原爆忌

2016-08-06 06:06:10 | 日記
 今日は原爆忌である。
当時4歳で、在所は山口県の小さな村で、火を噴いた爆撃機から落下傘が下りる光景は今も鮮やかに
覚えているが原爆の事は知らなかった。
 身内に被爆者はいないが近所で、髪の毛が抜けて亡くなった方がおられると聞いたは事がある。
私と原爆の縁はその程度であった。

 現在、広島市内まで車で40分程の場所に住んでいる。
身内を原爆で亡くされた家も何軒かある様だし、身内を探しに又後片付けの応援で入市被爆された方
も何名か存命であるが、皆さん当時の事を多くは語られない。

 私の裏の家に今年97歳になるおばあさんが一人で住んでおられた。今は特養に入っている。
この方は原爆に遭い主人を亡くされ、山陽線の線路を徒歩で逃げ帰って来られた様である。
 話好きの人であったが、原爆の話題になるとおばあさんはそっと席を外されたそうである。
線路伝いに帰られた事も傍の人から聞いた話である。

 8時15分に黙祷の合図のサイレンがなる。その前にテレビの音も抑えて黙祷に備えるのがこの
20数年の習慣だが、裏の家からは仏壇の鉦の音と読経が聞こえていた。その日は女房もなるべく
訪ねないようにしていた。
 裏の家も無人の空き家となり、今、百日紅が満開に咲き誇っている。

 8月6日、今日も暑そうである。
前の畑でブルーベリーを摘みに来た賑やかな声が聞こえる。聞き慣れた持ち主の声が一番大きい。
黙祷の合図のサイレンを待っているが大きな声は止むことはない。
 サイレンが鳴る、一分間黙祷、サイレンが止む、黙祷終わり。
前の畑の賑やかな声は更に高くなっていた。













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