KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2010福岡国際マラソン雑感~フクオカの明日はどっちだ?

2010年12月26日 | マラソン観戦記
今年の福岡国際マラソン、優勝したジャウアド・ガリブよりも、日本人トップとして3位でゴールした松宮隆行よりも、前半、積極的なレースを見せた“元祖・山の神”今井正人よりも、見る者に大きなインパクトを残したのは、ペースメイカーとして出場しながら、15km過ぎていきなりペースを5kmラップで14分10秒台まで上げて独走し、30kmで立ち止まった、“ペース・クラッシャー”エリウド・キプタヌイだった。

僕が管理している掲示板「マラソン博物館・Neo MOMA」でも、彼の「暴走(or職場放棄)」の真相は何か、話題になった。レース前、ケニア人ランナーが招待選手にも、一般参加選手にもいないエントリーリストに首を傾げた僕は、もしかしたらこれは何某かの“怒り"を込めた激走だったのではないかと推測した。本来なら、ランナーとしての出場を希望しながら、代理人との交渉のすれ違いから、不本意ながらペースメイカーとして出場となり、その不満を爆発させたのではないかと。そして、あわよくば、このままゴールまで突っ走ろうかと思ったのではないか?普段のレースなら、ペースメイカーは自らの役目が終われば、立ち止まるのだが、今回30km地点で、わざわざレースの中止を示す赤い旗まで出して、彼の走りを止めた。役員もこの走りはただ事ではないと判断したように見えた。

このままキプタヌイがゴールまで走り続けていたらどんな記録が出せただろう。終盤失速して、ガリブに捕らえられていたかもしれない。しかし、キプタヌイは今年のプラハで2時間5分台で走っているランナーである。そんなにひどくは失速しなかったかもしれない。

レース翌日の朝日新聞の報じるところでは、ペースは1km3分に設定するように指示されたのだが、キプタヌイは

「スタートラインで、後ろの選手から2時間5分で走りたいと言われた。15km地点で遅いと思い、自分の判断でペースを上げた。」

と話したという。これが彼の本心だとしたら、僕の推測は勘繰り過ぎだったかもしれない。ただ、陸連関係者のコメントには疑問が残った。

沢木専務理事「ペースメイカーの正確な役割分担ができていない。みっともない。」

この「みっともない」は誰に対して向けられた言葉なのか?

かつて、大橋巨泉司会の「巨泉のこんなものいらない!」というテレビ番組があり、同時期に週刊朝日でも、同様の連載記事があった。もし、この番組が現在も存在していたら、「マラソンのペースメイカー」も槍玉に上がっているかもしれない。

かつては、ルール違反の「助力行為」にあたるとして、非公然の存在だったペースメイカーがマラソン・ファン以外にも広く知れ渡ったのは、高橋尚子が当時の世界最高記録を更新した、2001年のベルリンマラソンだったと記憶している。Qちゃんの快挙を称える声も多かった一方で、男子ランナーが前を引っ張り、周囲を「ガード・ランナー」が取り囲む中で走る彼女の姿に違和感を覚えた人も多かったようだ。

シーズン時には、毎週のように世界の主要都市でマラソン大会が開催されている。現在、その大半をケニア人のランナーたちが上位を独占している。世界の都市マラソンは、ランナーとランナーが勝負を競う場、というだけではない。マラソン大会相互の争いも存在している。どの大会で、世界最高記録が出せるか。そのために、大会の関係者たちは、最大限の努力を惜しまない。スピード・ランナーたちを高額の出場料で確保するだけではない。彼らに最大限の力を発揮させるために用意されるのが、かつては「ラビット」と呼ばれたペースメイカーである。大会によっては、長期に渡って、出場契約を交わしたランナーとペースメイカーを合宿させるともいう。もし、記録が出せたなら、「世界最高記録を生み出した大会」として、スポンサーが増えてそこには多額の金が集まる。得るものは大きいのだ。世界の都市マラソンは、巨大なビジネスと化しているという現実に、日本はようやく数年前から気がついたようである。

もっとも、日本には独自のマラソン文化があった。マラソンは日本が初めて五輪に参加した種目であり、五輪のマラソンで金メダルを獲得するというのは、戦前からの悲願であり、そのためにいくつかの大会が生まれた。箱根駅伝もその一つである。悲願は一度は、植民地支配下にあった朝鮮出身のランナーによって叶えられたが、それは今や不幸と悲劇の象徴である。

戦後の復興は、マラソンから始まった。福岡国際も終戦直後に各地で始まったロードレースの一つである。海外から強豪ランナーを招待し、日本の精鋭と競わせることで、日本のマラソンのレベルを向上させるのに寄与し、日本人ランナーの活躍に人々はラジオ、のちにテレビの前に釘付けになった。かつて、箱根や福岡を走ったランナーたちの多くは自らの郷里に戻り、さまざまな大会を開催し、多くのランナーを育てていった。

スポーツライターの武田薫氏によれば、
「日本人はマラソンという場外競技に“見る楽しさ”を見出した最初のそして唯一の国民」
だという。

「ペース・メイカーの存在がマラソンの勝負を見るという楽しみを削ぐ。」

という主張は正論ではあるが、もはやこれは「世界の常識」ではない。ベルリンマラソンの関係者は、9年前のレースでの日本の反響を聞いてどう感じたのだろう。

「ペースメイカー(当時ネット上でも話題になった、黄色いシャツの男)がきちんと仕事をして、タカハシも世界最高記録が出せたのに、何が不満なんだ?」

と思っただろうか。

僕自身は、ペースメイカーの存在は、ある種の「必要悪」として認めざるを得ないものと認識している。「功罪」の「功」の部分も確かにある。ペースメイカーを公認することによって、伴走者に手を紐で引かれながら走る盲人ランナーの記録も陸連公認記録となったし、市民マラソンでも、ゴール目標3時間から30分ごとにペースメイカーがつく大会が多くなった。

さて、話を福岡に戻そう。沢木専務理事の言葉を聞いて、僕が疑問に思ったのは、

1.「1km3分」というペースを設定して、それをペースメイカーに指示したのは誰だ?

2.そのペースは、海外招待選手のためのものか、日本人のためのものなのか?

3.ペース設定について、招待選手、もしくは関係者たちと事前に協議はなされたのか?

という点である。海外の都市マラソンにおいて、ペースメイカーは、大会主催者の「こういうレースを作りたい」という意志を体現する存在なのである。今回の福岡のテーマは、ガリブやケベデに2時間5分台を出させることだったのか。それとも、松宮隆行や今井正人に日本最高記録を狙わせることだったのか。そうした目的がはっきりさせて初めて、ペースメイカーに明確な指示が出せるのではあるまいか?

ただ、確かなことは、2時間5分台を狙うようなペースについていける日本人ランナーがいない!というさびしい現実である。

好記録が連発する世界の都市マラソン。しかし、男子に限って言えば、ロッテルダムの上位入賞者にオランダ人のランナーはいないし、ベルリンマラソンの上位にドイツ人はいないし、ロンドンマラソンの上位にイギリス人はいない。どうやらこれらの大会には、日本の福岡やびわ湖のように、自国のランナーを強化し、育成するという発想がないようである。

昨年の福岡では、2時間5分18秒の大会最高記録が生まれた。これを、

「フクオカもグローバル・スタンダードに並んだ。」

と評価することもできよう。しかし、昨年のレースでは、日本人ランナーは中間点の時点で先頭争いから全て脱落し、日本人トップも優勝タイムから9分以上も離されて9位、という有様だった。

このまま、フクオカは、「グローバル・スタンダード」を目指そうとすれば、1km3分を切るペースにもついていける日本人ランナーの育成が欠かせなくなる。それとも、

「グローバルなんたらなんぞ糞食らえ!ペースメイカーなんぞ邪道じゃ!」

と独自の道を歩むのも一つの生きる道である。

なんて、日本人ランナーが優勝争いに加われないからテレビの視聴率も伸び悩んでいるなら、日本人が優勝争いに加われるべく、ペースメイカーのレベルを下げる、なんて後ろ向き過ぎる。ガリブらと対等の勝負が出来る日本人ランナーはリオデジャネイロ五輪までに台頭してくるだろうか?

「マラソン・シーズン」の最中に出される月刊陸上競技1月号の表紙が2年連続して福島千里だなんて、寂しすぎる。



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