KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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ニューイヤー駅伝を10倍楽しく見たいのに見られない理由vol.3

2006年01月29日 | 駅伝時評
昨年の暮れに「駅伝がマラソンを駄目にした」というタイトルの本が刊行された。箱根駅伝の過熱が、本来の目的だったはずのマラソン選手の育成のためになっていない、というのが主たる内容である。

僕も昨年、似たような事をここに書いた。このサイトを長きにわたってご覧になっている皆様なら、ご承知の話ばかりだろう。中には、陸上競技関係者の方による、もっと、辛らつなご意見も他のサイトで読むことができる。

今まで出されなかったのが不思議だと思う。中には、「先を越された。」と思っているライターもいるかもしれない。これまで、この種の本が出されなかったのは、この問題に関心を持つ人がそれほど多くはない(本を出しても売れない)と思われていたのだろう。もはや、とっくに箱根は「今年最初の感動」を茶の間に届けていればそれでよし、という大会ではなくなっている。批判されるべき部分は批判されるべきだろう。

それにしても、箱根が競技の終着点であることをよしとしないのなら、甲子園や花園も同じだと思うのだけど。

余談だが、筆者の生島淳氏は、テレビの人気司会者で、'91世界陸上東京大会のキャスターも務めた生島ヒロシ氏の実弟だそうである。

「駅伝有害論」というのは、決して今になって言われはじめた話ではない。陸上長距離界ではかなり古くからある論争である。ただ、'90年代の10年間で、8回ニューイヤー駅伝で優勝した旭化成の監督だった宗茂さんは、「駅伝有害論」をきっぱりと否定していた。

「駅伝がなくなれば、日本の長距離の競技人口は半分以下に減ってしまう。」
というのが主たる理由だが、宗さん自身も、駅伝で伊藤国光さんや喜多秀喜さんといったライバルと競り合いながら、マラソンで強くなった選手だった。そして、旭化成からも、「駅伝のエース」が、日本を代表するマラソン・ランナーが多数巣立っていった。谷口浩美、森下広一は前監督の広島日出国さんが育てた選手だが、その後も、川嶋伸次、佐藤信之、小島兄弟、真内明、三木弘、森下由輝ら、この時期の日本マラソンを支えるランナーが多数生まれた。

そんな「旭化成王国」が凋落したのは、シドニー五輪での川嶋、佐藤の惨敗がきっかけだろうか。いや、その翌年よりニューイヤー駅伝の総距離が100kmに延長されてからではないかと僕はにらんでいる。

総距離が13.6km延長され、最長区間が22kmになり、15kmを越える区間もさらに2区間増えた。「エース」と呼ぶべき駒を3枚そろえなくてはいけない。

さらに、'90年代半ばから増えてきた外国人選手の存在だが、彼らをこれらの区間に走らせてはいけないというルールが存在する。僕はまったくナンセンスなルールだとこれまでも主張してきたが、まさしく、これこそが、「日本の(男子)マラソンを駄目にした根源」だと僕は思うのだ。

箱根駅伝の全国生中継と張り合うように、年末の全日本実業団駅伝は元旦に開催されるようになった。視聴率こそ、箱根には及ばないが、出場チームにとっては、それまで以上に大きな目標となった。次年度の活動予算が、この大会の成績で決まるチームも多いというし、企業としても元旦のレースに出場しも好成績を上げることによる「宣伝効果」に多大な期待をかけるようになった。

2001年以降、ニューイヤー駅伝の勢力分布図が大きく変更した。旭化成、カネボウのように高卒のランナーを多く採り、じっくりと選手を育成するようなチームが優勝争いに絡めなくなり、箱根駅伝で活躍したランナーや、ケニア人留学生を中心とした、外国人ランナーら「即戦力」を大量に獲得するチームが上位を占めるようになってきた。

こんな状況では、各チームとも、元旦中心のスケジュールを立てないわけにはいかなくなる。本来なら、マラソンで「世界」を狙わせるべきチームのエースを、元旦に長い区間で最高の走りをさせるために、年内のマラソンを回避させずにはいられなくなる。この数年の福岡国際マラソンの日本人招待選手の層の薄さ('03年を除く)の原因がまさにここにあった、と言えそうだ。

エース区間に外国人ランナーを走らせない理由は、
「日本人エース育成のため。」というが、それは全くの逆だ。駅伝のエース区間を外国人にまかせることで、日本人エースの「駅伝に対する肉体的負担」が解消されると言えないだろうか?かつてのニューイヤーには、7.4kmや8.35kmの「つなぎの区間」があった。こうした短い区間には中距離ランナーのみならず、年内にマラソンを走ったばかりのランナーが起用されていたものである。

どうも、箱根の悪影響がこういうところにも現われたように思える。区間距離を伸ばせば、レースが面白くなるとは限らないことをテレビ局サイドはご存知なかったようである。

外国人ランナーの区間制限は、レース展開のワン・パターン化もつながっている。先日、ゲブレセラシエに破られた、前ハーフ世界最高記録保持者の「恐るべき19歳」、サムエル・ワンジル(トヨタ自動車九州)が22km区間を走る姿を見てみたいのは僕だけではないはずだ。

結果的に3月のびわ湖に、日本のトップランナーが集中するようになったが、びわ湖は、ニューイヤー駅伝と同じ新聞社が主催である!びわ湖を盛り上げるための措置ではないかと決めつけるのは、下司の勘繰りだろうか?

今回も解説者席にいた、瀬古利彦さん。'90年代に「打倒旭化成」を目標に、ニューイヤーを闘っていたエスビー食品は21世紀になってから、この大会を回避している。それ以降、西田隆維の別大、武井隆次のびわ湖、そして国近友昭の福岡と、'90年代には果たせなかった国内メジャーマラソンの優勝を実現させるようになった。

元旦のニューイヤー駅伝を、また、「楽しく」見られるようになるために、再び、宗さんがかつて目指したような「マラソンとの両立可能」なレースに戻って欲しい。そのためには、

短距離区間を復活させる。
外国人の区間制限を撤廃させる。

その2つが望まれるところだ。

(了)



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