KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2008東京国際女子マラソン雑感~最後の「市ヶ谷のドラマ」

2008年11月16日 | マラソン観戦記
最後の大会でも、やはり勝負を決めたのは、35km以降の上り坂だった。多くのランナーたちの歓喜と無念の舞台となった市ヶ谷の上り坂。

僕がマラソン観戦にのめり込むきっかけとなった、'94年の東京国際マラソン。日本新記録で優勝という二つの栄冠を手にする目前で失速し、スティーブ・モネゲッティとヴァンサン・ルソーに逆転を喫した早田俊幸さんの姿に、マラソンにおいて「天国と地獄は紙一重」ということを僕は学んだ。翌年の東京国際女子では、この坂道で転倒した浅利純子さんが逆転優勝を果たし、原万里子さんの初マラソン初優勝は残り数10メートルで潰えた。

5年前には、今回「解説者デビュー」を果たした高橋尚子さんのアテネ五輪出場の夢がこの坂で崩れた。

今回もドラマは35km過ぎに待ち受けていた。予想通り、スタート直後から渋井が先頭に立ち12km過ぎには完全に一人旅になった。去年野口みずきが作ったコースレコードを30秒上回るペースで15kmを通過。日本歴代2位となる自己ベスト記録2時間19分41秒のペースで東京のロードを独走した。

2位争いも熾烈だ。17km過ぎて加納由理がそれまで併走していた尾崎好美を引き離した。折り返し手前の中間点を1時間10分7秒で通過。昨年より1分速いペース。折り返し地点で加納との差は36秒。尾崎は1分5秒差で通過。日本選手のように腰にお守り袋をつけたマーラ・ヤマウチも4位に上がって来た。

このまま渋井が逃げ切るか、失速して逆転を喫するか。

思えば、初期の女子マラソンはこんな風景が珍しくなかった。トップクラスのランナーの層が薄く、有力候補が序盤から飛び出し、そのまま独走して優勝というレースが多かった。正直、女子マラソンは男子に比べて「面白くない」と思っていた。今年の名古屋のように女子ランナーだけで20人以上の先頭集団が形成されるような展開など、かつては想像もできなかった。

ヤマウチが尾崎に迫っている。この時点では、もし、渋井が失速したら優勝はヤマウチかと思った。加納との差も広がっている。あるいはヤマウチが加納を捉えるかと思えた。

30kmもコースレコードを上回る渋井。逃げろ!渋井!!

33km過ぎて、ドラマの序章が始まった。尾崎が併走していたヤマウチを引き離して3位に浮上した。30km過ぎて渋井のペースが落ちてきた。渋井と加納との差も縮まってきたが、それ以上に加納と尾崎との差も縮まってきた。

そしてラスト5kmの坂道。尾崎が加納まで5秒差にまで迫ってきた。そして2位へ。渋井との差も10秒。

尾崎のピッチが速い!38.4kmで先頭に立つ。渋井はつけない。ここから粘れないのが渋井の欠点だ。39km手前で加納も渋井の前へ出る。

先頭に立った尾崎はこれが2度目のマラソン。初マラソンは今年の名古屋で2位。この時の3位が加納だった。一昨年、土佐礼子に次いで2位でゴールした尾崎朱美、加納のチームメイトである彼女の妹である。

40.9kmでヤマウチが3位に浮上する。また、渋井は同じ失敗を繰り返す結果となった。

かつては、「ワールドプロレスリング」にも使われていたテレビ朝日のスポーツ・マーチのブラス演奏が流れる中、尾崎はトップでゴール。記録は2時間23分30秒。日本歴代10位の好タイム。昨年大阪の原裕美子以来、1年10ヶ月ぶりの新規のサブ25ランナーの誕生だ。2位の加納、3位のヤマウチも自己ベストを更新した。4位の渋井、タイムは2時間25分51秒。昨年よりも速いペースで独走し、失速はしたものの昨年ほどひどくは落ち込まなかったが、今回も「速すぎたランナー」の悲哀を味わう結果となった。

最後の東京のヒロインは、このコースで行われた'91年の世界選手権で、日本人で初めてメダリストとなった山下佐知子さんの指導を受けるランナーとなった。彼女の教え子で初めて、来年の世界選手権代表に内定である。

これでもう、国立競技場を発着するマラソン・コースは姿を消す。5年前の25回記念大会は、男子の市民ランナーにも出場の機会が与えられたが、その時僕は、出場資格タイムをその年の愛媛マラソンでクリアしていた。諸般の事情でエントリーを断念したのだが、大会の前日に、高校時代から愛聴していたミュージシャンの来日公演が武道館で行われると聞いた時は、少々無理しても上京すべきだったと悔やまれた。いまだに心残りである。

「世界初の女性だけのマラソン大会」の伝統は、来年から横浜に引き継がれる。コースは、赤レンガ倉庫を発着点とする横浜国際女子駅伝のコースか、あるいは、世界陸上誘致を目指して、日産スタジアムを発着とするコースをかつて計測していたという話も聞いたことがある。東京マラソンの影響からか、市内の名所めぐりコースを新たに作るという話もあるようだ。

しかし、この「市ヶ谷のドラマ」をしのぐようなドラマを産み出すようなコースになるのだろうか。



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