KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではない vol.12「1Q94」③

2009年08月09日 | あなたもマラソンランナーになれる
C誌への投稿を続けることで少しずつ走る距離をのばすことができたが、1993年の総走行距離は1862kmだった。最も多かったのは8月で253km。思い出していただきたい。この年は記録的な冷夏で米が大凶作となり、ついに米の輸入自由化に踏み切らざるを得なかった年だった。

そんな気候のおかげで、走る距離を伸ばすことができた。その成果は10月の今治シティマラソンの5kmの部に出場した際に表われた。昨年のこの大会が僕のデビューレースだったが、その時のタイムを5分近く短縮する、20分15秒でゴールした。練習では1km5分を切るペースで走ったことなど1度も無かったのに、レースでは1km4分台で走ることができた。僕はこの時、
「ゆっくり走れば速くなる」
というのは間違いではないと確信した。

2週間後、シティマラソン福岡のハーフマラソンに出場した。完成して間もない福岡ドームの前からスタートし、ドームの中でゴールをするという大会だった。そこで1時間37分台でゴールした時に、涙が込み上げて来た。当時の僕の憧れが「北海道マラソンに出場すること」だったのだ。そして、当時の北海道の出場資格が「ハーフマラソンで1時間40分を切れるランナー」だったのだ。

「これで北海道に出られる!」
と思って嬉しくなったのだ。

今治シティのゲストランナーは元マラソン世界記録保持者の重松森雄さんだったのだが、シティマラソン福岡のゲストも重松さんだった。月に2度レースに出て、どちらも同じ人がゲスト、というのも珍しい体験だった。(後に同様の体験を再びすることになる。その時のゲストは増田明美さんだった。)

しかしながら、これはマラソンを3時間40分で完走するには十分な練習量ではなかったということを4ヶ月後に思い知らされることになったわけである。

どのくらい走ればいいのだろう。そんな疑問に答えを与えてくれたのは、ミュンヘン五輪のマラソン金メダリスト、フランク・ショーターだった。

ショーターは僕にとって、「最初のマラソン・ヒーロー」だった。ミュンヘン五輪の彼を知らなくても、数年前に人気の高かったテレビ番組「トリビアの泉」で、ミュンヘンの翌年のびわ湖毎日マラソンで、レース途中でトイレに行ったのに優勝したランナーとして紹介され、そこで彼の名前を知ったという人も少なくないと思う。そのレースが、僕が初めてスタートからゴールまで通して見たマラソンレースだったのだ。

後になって知ったのだが、ミュンヘン五輪というのは、「アメリカの面目丸つぶれ」の五輪だったのだ。その4年前のメキシコでは黒人スプリンターたちが星条旗への忠誠を拒否した。その余韻が続いていたのか、「お家芸」ともいうべき競技の連勝を次々とストップさせてしまった。第一回アテネから勝ち続けていた棒高跳び、正式競技となってから連勝を続けていたバスケット。この大会は社会主義国が国家プロジェクトの一環として強化してきた「ステート・アマチュア」たちが台頭してきた大会でもあったのだ。
ちなみに、北朝鮮が初めて五輪に出場し、射撃の金メダルをはじめとして、ボクシングやレスリングでメダルを獲得したのもこの時だったのだ。

そんな大会で「アメリカの威信」を救ったのが、水泳で7個の金メダルを獲得したマーク・スピッツと、最終競技であるマラソンでトップでゴールしたショーターだったのだ。東京五輪の10000mで金メダルを獲得したビリー・ミルズはGIカットの海兵隊員だったがショーターは、長髪にひげ面の弁護士志望の大学生だった。頭にバンダナを巻き、Tシャツ姿で福岡や大津の街を駆け抜けた彼は、いわば当時のアメリカの典型的な若者だった。保守的な人には眉をひそめられそうなスタイル(所謂ヒッピー・ファッション)の青年が「アメリカの威信」を救うヒーローとなったのだから、当時は痛快な快挙と受け止められたに違いない。

走り始めて、スポーツ用品店でウェアを買い求めようとした時に彼の名前に再会した。彼は自身の名前をブランドにしたランニングウェアの販売会社の社長となっていた。その後知り合いになった、僕より一回り以上年下の女性ランナーから、
「フランク・ショーターって、デザイナーの名前かと思った。」
と聞かされて苦笑したことがある。

そのショーターが'93年の10月に宮崎で開催された世界ベテランズ陸上競技選手権のクロスカントリーに出場するために来日した。その際に、ランニング情報誌が行なったインタビューの中で、マラソンの完走を目指す市民ランナーへのアドバイスを語っていた。

本稿を書くに当たって、その雑誌を探したのだが、見つけることが出来なかった。そこで僕の記憶に基づいて書くことをお許し願いたい。

「マラソンを完走したいなら、週に80kmのトレーニングを3ヶ月続けること。」

というのが、ショーターのアドバイスの要点だった。とにかく、「週80km」という数値だけは記憶にはっきりと残っている。中途半端な数字やなあと最初は思った。後で
「80km」というのは「50マイル」のことだと気づいた。

マラソンをしているというと、しばしば
「1日に何キロくらい走るんですか?」
と訊ねられることがある。実はそう聞かれると答えに詰まるのだ。たいていは練習量は1日ではなく、一週間を一つの単位として捉えているからだ。そういう捉え方を最初に教わったのがショーターからだった。80を7で割ると11.42だが、週に80km走れというのは、1日11.42kmずつ走れということではない。週に1度は20マイル走る日も設けないといけないし、1000mを何本かトップスピードで走る練習(所謂インターバル・トレーニング)をおこなう日も必要だとしている。

ともかく、「週80km」という数値を頭に刻んだ。

1994年2月の愛媛マラソンで完走出来なかった理由は明白だった。それまで80km走った週が1度も無かったからだ。

ランニング情報誌は毎年、11月末に発売される1月号の付録に「ランニング・ダイアリー」が付けられている。そこは週毎の走行距離を記入する欄がある。80kmを達成した際には、花マルを描くようにした。初めて花マルを書いたのは'94年の7月の第3週だった。

走る距離を少しでも増やそうと時間を作った。当時の勤務先に出勤するために僕は毎朝6時半に起きて、7時10分発の電車に乗っていた。大都市と違って、電車は30分に1本しか出ない。次の電車に乗ったのでは遅刻する。

そんな生活の中、朝、少しでも早く起きて少なくとも30分はジョグをするようにしていた。夜はたいてい1~2時間は残業があったが、週に2、3度は着替えをリュックに積み込んで、ランニングで帰宅していた。自宅まで17.5kmの道のりを1時間40分くらいかけて帰宅した。

自転車通勤もしてみた。ホームセンターで買った安物の自転車は往復35kmの通勤というハードな使用に耐えられず、有名メイカーのクロスバイクを購入した。つい最近まで、使用していたのだ。

この年の夏は前年とはうって変って記録的な猛暑となった。そのうえ、雨は全く降らなかった。「四国の水がめ」と呼ばれた早目浦ダムが底をつき、湖底の沈んだ学校が姿を見せる映像は全国的にインパクトを与えたようだった。今でも、
「四国は水不足」
と報じられると、
「早目浦ダムは大丈夫ですか?」
というメールを送る、県外在住の友人がいるくらいである。もともと、僕らの地元は水道水の味が良くて、
「タダの水をお金を払って買うなんて、バカみたい。」
と思っていたのだが、この水不足の影響で我が家でもミネラル・ウォーターのぺトボトルを購入することが生活の中で定着した。

そんな暑い中、僕は走り続けていた。盆休みにも朝6時に起きて30km走った。ウエストポーチに財布を入れて走り、自動販売機でドリンクを買おうとしたら、財布の中の千円札が汗でぐっしょり濡れていて、機械に入らなくて慌てたこともなった、それ以来、財布はビニール袋に入れるようにした。2リットルのスポーツドリンクのペットボトルを買い、一口飲み干した残りを頭からぶっかけたこともあった。身体が暑さで乾いてくると肌と髪の毛がベトベトになった。当時33歳だったとはいえ、よくもまあ、こんな無茶が出来たものだと思う。

この年の8月の走行距離は353.5km。過去最高の練習量を残した。大学や企業の陸上部員のように、涼しい高地に出かけて合宿することもなく、走歴2年目でここまで走り込めた僕は決して夏が好きではないのだが、どうやら、暑さには強い体質のようだった。少なくとも、僕は子供の頃から夏に冷たいものを摂り過ぎてお腹を壊した、という経験がない。夏暑いからといって、食欲が低下したことはない。むしろ、食欲は旺盛で、ビールはがぶ飲みしてしまうので夏に体重が増えてしまう方なのだ。

僕自身のこういう体質の方が稀れだと思うので、ここで僕はマラソンを目指す方に
「夏でもここまで走り込まないとダメですよ。」
と言うつもりはない。むしろこれは、
「危険ですので真似しないでください。」
というような話かもしれない。ただ、皆さんも自分自身が暑さにどれだけ耐え得る体質であるかは理解しておいた方がいいと思う。

秋にマラソンに出場することを決めた。


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