KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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なぜ、マラソンの代表選考は大騒ぎになるのか?

2007年04月14日 | マラソン事件簿
久しぶりの更新である。前回の更新がほとんど、3年前に書いたものの再録だったので、もはやネタ切れか、このサイトの閉鎖も間近かと心配された方もいらっしゃるかもしれない(そんなヤツおらんわ、という声がどこからか聞えてきた。)が、大丈夫です。

さて、今回のタイトルの解答だが、はからずも、3年前に自分が書いた雑文の中にヒントがあった。

「野球が始まったら、みんなマラソンの事なんか忘れるやろ。」

五輪、ないし世界選手権のマラソン代表が発表されるのは、代表選考レースの最後である名古屋国際女子マラソン(3月の第2日曜日)が終わり、翌日の陸連の理事会で決定され、発表。新聞には翌日火曜日の朝刊に掲載される。

新聞のスポーツ面、ならびにスポーツ紙の一面を埋める、プロ野球は、まだプレシーズンであり、オープン戦も一段落したところだ。しかも通常月曜日には試合は行われない。

他のスポーツでもこの時期、月曜日には大きな試合が行われる事は稀だ。要するに、なぜ、代表選考が大騒ぎになるかというと、実に簡単なことなのだ。

「他にニュースがないから。」

である。

まあ、確かに、アテネの代表選考が与えたインパクトは大きかった。アイちゃん、ヤワラちゃんとセットでメディアが盛り上げるつもりだったに違いない、キューちゃんを陸連は落選させたのだったから。

そのヤワラちゃんこと、谷亮子が先週の日曜日、出産後初の公式試合となる全日本体重別選手権に出場、今年9月のブラジルで開催される世界選手権の選考会を兼ねたこの大会の決勝戦で、5年前にも一度敗れている筑波大の学生、福見友子に敗れて優勝は逃したものの、世界選手権の代表には選ばれた。

これには驚いた。
「世界選手権で金メダルを取れる選手」
ということで、谷が過去の実績も考慮されて選ばれたのだという。この事にも驚いたが、この決定を批判的に捉えるメディアが少ない事が僕には驚きだった。

今、僕の手元にある日刊スポーツにおいても
「5年ぶり黒星で始まったママでも金の道」
というのが見出しで、彼女が育児と競技との両立に苦しむ様や、ジャイアンツ移籍後、現在のところ好調の夫のコメント、そして強化委員長の
「あと数ヶ月練習すれば、谷の方がメダルに近い。」
とのコメントを掲載し、
「北京の星になるために・・・この日がきっと糧になる・・・今は我慢・・・我慢・・・」
などと言った言葉が記事の横に添えられていた。もし、優勝した福見が僕にとって、土佐礼子のごとく近しい存在であれば、今後二度と日刊スポーツは購入しないだろう。

サンケイスポーツは、福見のプロフィールも紹介し、恩師であり、当日のテレビ中継の解説もしていた強化委員の山口香さんの「無念さをにじませた」コメントも紹介していた。(余談だが、増田明美さんが解説者となるまで、アマチュア・スポーツの解説で最も達者だなと思ったのは山口さんだった。)

思えば、3年前のマラソン代表選考を最も批判的にとらえて、「Qの悲劇」などと名づけていたのはこのサンスポだったのだが。

しかし、福見に対して同情的な声は寄せても、選考会の優勝者を代表から外す、という選考方法そのものへの批判は(今のところ)見られない。

ネットでは凄いことになっているのかもしれないが、僕は巨大掲示板の匿名の書きこみは引用しないことにしている。現役の競技者では、ランナーの徳本一善が自らのブログでこの問題に触れていた。彼の見解では、

「やってはいけないことをしてしまった。」

ということで、明確な選考基準がないのではと指摘していた。これにははっとさせられた。

「本大会の優勝者を○○大会の代表に決定する。」

この一文を明記していなければ、代表選考というものは「何でもあり」なのだ。

ちなみに、福見は昨年のこの大会のこの階級の優勝者であり、3年前にも優勝している。

アトランタ五輪の代表選考レースだった'95年の福岡国際で日本人トップである3位でゴールした大家正喜さんの当時のコーチだった稲原敏弘さんは、
「大家には実績がないと言う人もいるかもしれないが、実績のある人よりも先にゴールした、という実績を評価してもらいたい。」
とコメントしていた。大家さんは代表に選ばれたが、福見は選ばれなかった。

条件の違う複数のレースから、代表を選ぶマラソンにおいて、選考の結果に異議を唱える意見が輩出するのは、やむを得ないことかもしれない。だからこそ、今は基準を明確にして、透明性と公平性を強調している。

もっとも、この決定を当然のことと受け止めている人も少なくないかもしれない。
「やっぱり、金が取れるのはヤワラちゃんだよ。」
もしかしたら、そちらの方が多数派かもしれない。そういう人たちから見ると、Qちゃんを代表に選ばない陸連の方が血も涙もないヤツらだろう。(彼女の強化指定の降格を、あたかも「イジメ」のごとく報じている向きもあった。)

「日本のお家芸の柔道は金メダルをとるが使命、だから世界の重圧に耐えられるのは谷亮子選手のほうで、まだ彼女の力が必要」

というのが、今回の選考についての柔道連盟のコメントである。徳本もブログの中で指摘していたが、これは「トゲがある」コメントだ。
「福見選手は優勝したが、彼女では金メダルが取れない。」
ということになるからだ。しかし、その大会で優勝したからといって、世界の大舞台では活躍できない、と言っているようなことにもなりはしないか?競技団体が自ら、大会の価値を貶めているようなものではないか?

そして、今回はっきりしたのは、
「メダルは一体誰のためのものか?」
という問いの答えは、競技によって違うのだということだ。フットボール発祥の地、イングランドもワールドカップの決勝戦に勝ち残れないのに、宗主国だからという理由で、日本の柔道が世界で勝ちつづけなければいけないわけではないだろう、と僕などは思うのだが、そのような考えは通用しないのだろう。確か、ソフトボールが五輪の種目から外された最も大きな理由は、
「発祥の地であるアメリカしか、金メダルを獲得していない。」
だったはずだが。

代表選考会の結果を最優先させる競技と、時として過去の実績を重視して、選考会優勝者をも落選させてしまう競技。その違いは何か?
前者においては、メダルは競技者個人のためのものであり、後者においては、国か競技団体のためのもの、ということだと思う。

今週のスポーツの中でも、
「ヤワラちゃん、負けても代表決定の謎」というニュースは、ボストンでの「天才」と「怪物」の対決やハンカチ王子の神宮デビューに比べれば、軽く扱われるものだろう。実は、「日本代表とは何か?」というスポーツのある部分の本質に触れる重大な問題だったと思うのだが。

あるいは、この大会がもう1ヵ月早ければ、もっとメディアも大きく扱ったであろうか?

今回の決定が、「世界柔道」のテレビ中継を行なうテレビ局の意向に沿ったものなどではないことであって欲しいものである。




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