KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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WBA世界ライトフライ級王座決定戦雑感vol.2

2006年08月19日 | その他のスポーツ
疑惑の判定」により誕生したということで、新チャンピオンへの風当たりは厳しい。それでも、彼の支持者が口にするのは、彼らの親子の絆の深さと、そのトレーニング量の多さである。
「あんなに親孝行でいつも一生懸命練習しているんだから。」
ということを「免罪符」にしたいのだろう。

前者については、多くは語れない。40半ばにして、いまだにパラサイト・シングルのワーキング・プアの僕には苦手な話題だ。ただ、世の僕と同世代の親御さん方にとって、彼らは理想の親子に見えているのだろうか、とか、昔、三遊亭円楽師匠が、
「せこい芸の噺家を、どうしても誉めようとする時には、
『こいつは親孝行なんですよ。』
と紹介します。」
と語ってたことを話すだけにしておこう。

今、ふと思ったが、中田英寿の父親は、いったいどんな人物なのだろう?

ボクサーになる夢を果たせなかった父親が、3人の息子たちに課している、独自のトレーニングについて、子供たちに陸上競技の指導をなさっている方がその内容について自らのHPで批判していたが、何においても、「常識」を知り尽くした人間でないと、「常識破りの手法」は確立できないのではないかと思う。「常識をはみ出す」ことは、「非常識」とは根本的に違うのだ。これは、トレーニングのみならず、彼らのメディア対応や、試合前の「パフォーマンス」にも言えることだ。今の風潮として、「非常識」でさえも「個性」として、持て囃す傾向があるように思う。
それと、僕は「プロ」のアスリートがトレーニングの量を誇るのは、おかしな事だと思う。そもそも「プロ」とは何ぞや?
「スポーツの試合をしてお金をもらう人」
というだけではない。
「一日24時間をトレーニングに専念できるような生活環境を維持できる人」
のことである。
「寝ている間もかよ。」
とツッコムなかれ。睡眠もまた、疲労回復の為の時間であり、今のプロのアスリートは寝具にも独自の拘りを持つ人が少なくない。プロが量も質も高いレベルトレーニングを行うのは、当たり前の事で自慢にはならないことだ。

この試合にまつわる問題は、チャンピオン家族の人間性や、視聴率第一のテレビ局の姿勢を批判していれば、それで済む、という問題ではない。ネット上では「八百長」という言葉がやたらと飛び交っていたが、軽々しく使っていい言葉ではない!

かつて、プロ野球界の「黒い霧」事件('69~'70年頃のことだが、若い方は知らないかもしれない。)の折りには、直接八百長試合に関与した選手のみならず、ただ、トランクに入った金を預かっただけの「若き不世出のエース」までもが永久追放として厳しい処分を受けた。
八百長というのは、ある意味でドーピング以上にスポーツそのものを破壊する害毒として、「疑わしきも罰する」との方針が通されたものなのだ。

スポーツライターの武田薫氏によると、
「日本のプロ野球選手の社会的地位は他のスポーツ選手に比べるとかなり高い。」
のだという。もちろん、それは一朝一夕で培われたものではないだろう。「球界の至宝」となるはずだった若い投手の選手生命を奪ってまで、「裏の世界」との関わりを断とうとしたし、この世界戦と同じ日に退院した、世界一のホームラン王にして、野球日本代表監督だった「ビッグ・1」氏の現役時代からの振るまいも、そして、今ではギャグの種にもならない「紳士たれ!」という、球界の「盟主」球団のスローガンも、「職業野球」の社会的地位と信頼度を高めるためのものだった。少なくとも、そういう「歴史」があったのだ。「歴史認識」というのは何も、戦争とか植民地支配とかに限った問題じゃない。いずれにしても、日本人は昔の事を簡単に忘れすぎだ。

話は思わぬ方向に飛んだが、今回の問題を契機にボクシング界は根本的な「大掃除」をすべきではないのかと思う。あれだけ、「リングサイドにずらりと並んだ面々」の事が話題になってしまった今、うやむやにはできない。日本人から、激励のメールを大使館経由で多数寄せられた対戦相手に、疑惑の目を向ける報道も出てきた。

この試合を徹底的に検証し、事の次第によっては厳しい処置も行わなくては、ボクシングというスポーツ自体が、危機に陥ってしまうと思う。



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