先頭の草場は20kmを1時間7分18秒で通過。5km毎のスプリットが17分台に落ちた。
僕にとって、11回目の愛媛マラソン、今年は過去最も厳しいレースだった。昨年夏から年末まで、左膝半月板損傷と肋骨骨折で5ヶ月余りまともに練習ができなかった。実質2ヶ月の準備期間というのは、ほとんど「一夜漬け」に近いものだ。2週間前の丸亀ハーフでは、レース途中で足の裏にできたマメが痛み、さらには18km過ぎてガス欠を起こし、ラストの2kmを20分以上かけて歩いてゴールした。
さらに、レース一週間前には痛風の発作が出るは、3日前には風邪を引くはと、普通なら欠場すべきコンディションを押しての出場だったのだ。
それでも、5kmを23分35秒、15kmを1時間12分45秒と、まずまずのペースだったが、そこから、もう、マラソンのラスト5kmのような状態になっていた。
早田は20kmを1時間10分前後、12位集団で通過。その集団から2人の國學院大生が飛び出す。國學院大は4年前からこの時期、松山で合宿を行い、その頃より愛媛マラソンに練習のためにと選手を出場させている。過去に入賞した選手の中には、秦玲(ホンダ)や吉原一徳(スズキ)の名前もある。富士通の鈴木博幸、実は同校のコーチとして松山に来ていたようである。(今春より、駅伝監督に就任。)
中間点過ぎると折り返し、ここからなだらかな下り坂が続く。例年、ここからペースが上がっていく。25kmを草場は1時間24分45秒で通過。そのあたりから、2位の村井啓一が差を縮めてきた。
彼の目標は2時間26分。福岡国際マラソンの参加資格タイムである。目標を達成すれば、土佐礼子から、新しいサングラスをプレゼントされるという約束をしていたというが、優勝も見えてきた。26.5kmで村井は先頭に立つ!
6回目の愛媛マラソンで初めてのことだと言う。
後方では、昨年の全国高校駅伝を走った宇都宮章一(八幡浜高校)が、ペースを上げてきた。
19km地点、1時間37分が関門となっている。最後に通過したのは、僕の知り合いの人だった。少なくとも、僕はそこを約2分前には通過できた。
「なんとか、第一関門までは。」
という最低限ギリギリの目標はクリアできた。
それで、もう、半分気持ちが切れかけていた。
20kmの通過は1時間40分49秒。5kmのスプリットが28分台にまで落ちた。完走はおろか、次の関門、29km2時間35分も危うくなってきた。
「折り返せば、下り坂だ。少しは楽になるだろう。」
それだけが心の支えだった。
その頃、先頭は動いていた。先頭を走る村井に、2位に浮上していた藤原康至が迫ってきた。30kmを1時間41分15秒で通過。藤原が迫る。もし、レースをあきらめ、自宅でテレビを見ていたら、叫んでいたかもしれない。
「村井くん!逃げろ!!」
あるいは、去年の名古屋国際女子のような展開になるだろうか?
僕にとって、11回目の愛媛マラソン、今年は過去最も厳しいレースだった。昨年夏から年末まで、左膝半月板損傷と肋骨骨折で5ヶ月余りまともに練習ができなかった。実質2ヶ月の準備期間というのは、ほとんど「一夜漬け」に近いものだ。2週間前の丸亀ハーフでは、レース途中で足の裏にできたマメが痛み、さらには18km過ぎてガス欠を起こし、ラストの2kmを20分以上かけて歩いてゴールした。
さらに、レース一週間前には痛風の発作が出るは、3日前には風邪を引くはと、普通なら欠場すべきコンディションを押しての出場だったのだ。
それでも、5kmを23分35秒、15kmを1時間12分45秒と、まずまずのペースだったが、そこから、もう、マラソンのラスト5kmのような状態になっていた。
早田は20kmを1時間10分前後、12位集団で通過。その集団から2人の國學院大生が飛び出す。國學院大は4年前からこの時期、松山で合宿を行い、その頃より愛媛マラソンに練習のためにと選手を出場させている。過去に入賞した選手の中には、秦玲(ホンダ)や吉原一徳(スズキ)の名前もある。富士通の鈴木博幸、実は同校のコーチとして松山に来ていたようである。(今春より、駅伝監督に就任。)
中間点過ぎると折り返し、ここからなだらかな下り坂が続く。例年、ここからペースが上がっていく。25kmを草場は1時間24分45秒で通過。そのあたりから、2位の村井啓一が差を縮めてきた。
彼の目標は2時間26分。福岡国際マラソンの参加資格タイムである。目標を達成すれば、土佐礼子から、新しいサングラスをプレゼントされるという約束をしていたというが、優勝も見えてきた。26.5kmで村井は先頭に立つ!
6回目の愛媛マラソンで初めてのことだと言う。
後方では、昨年の全国高校駅伝を走った宇都宮章一(八幡浜高校)が、ペースを上げてきた。
19km地点、1時間37分が関門となっている。最後に通過したのは、僕の知り合いの人だった。少なくとも、僕はそこを約2分前には通過できた。
「なんとか、第一関門までは。」
という最低限ギリギリの目標はクリアできた。
それで、もう、半分気持ちが切れかけていた。
20kmの通過は1時間40分49秒。5kmのスプリットが28分台にまで落ちた。完走はおろか、次の関門、29km2時間35分も危うくなってきた。
「折り返せば、下り坂だ。少しは楽になるだろう。」
それだけが心の支えだった。
その頃、先頭は動いていた。先頭を走る村井に、2位に浮上していた藤原康至が迫ってきた。30kmを1時間41分15秒で通過。藤原が迫る。もし、レースをあきらめ、自宅でテレビを見ていたら、叫んでいたかもしれない。
「村井くん!逃げろ!!」
あるいは、去年の名古屋国際女子のような展開になるだろうか?
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