KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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ロンドン・コーリングvol.1~北京五輪は早く忘れたい

2012年06月09日 | 五輪&世界選手権
そろそろ、オリンピックについての話も始めないといけないかな。

聖火がロンドンに灯るのは、今回で3度目となる。最初に行なわれたのは1908年。マラソンが最初に42.195kmの距離で実施された大会であるが、そのレースで最初にスタジアムに戻ってきたのはイタリアのドランド・ピエトリ。しかし彼は異常な暑さのため、ゴール直前で何度も倒れては起きを繰り返し、最後は競技役員の手を借りて立ち上がりゴールしたものの、失格となった。しかし、当時の英国王妃から記念のトロフィーを授与されるなど、彼の後でゴールした金メダリストをしのぐヒーローとなった。マラソンの距離が決まった大会ということで、ロンドンはアテネやボストンと並ぶ「マラソンの故郷」と言える場所ではないかと僕は思う。

2度目に開催されたのは、第二次世界大戦終戦から3年後の1948年。しかし、この大会に「敗戦国」である日本、イタリア、ドイツは出場を認められなかった。日本のスポーツ史にとっては痛恨の大会として記録されている。当時、世界のトップレベルのスイマーだった古橋広之進のために、日本水連はロンドン五輪の水泳競技と同日に日本選手権を開催し、古橋は400m自由形で世界新記録をマークした。もし、古橋が出場していたら金メダルは確実だったと言われ続けている。翌年の全米選手権に招待された古橋は世界新記録を連発し、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、戦後日本の希望の星となった。

1948年のロンドン大会は、4年後のヘルシンキ大会を賞賛するための枕詞として、

「ロンドン大会は早く忘れたい。」

と言う言葉を残してしまった。ヘルシンキでは前回出場出来なかった3国に加えて、ソ連と中国という共産主義の大国が初めて五輪に参加した大会であったが、この時にはまだ、東西対立が競技にまで反映されるような事は無かった。戦後初めて日本が金メダルを獲得した競技はレスリングだった。

余談だが、日系プロレスラーとしてアメリカで活躍し、「007ゴールドフィンガー」にも出演したハロルド坂田はこのロンドン五輪にアメリカ代表として出場し、重量挙げで銀メダルを獲得している。「AWAの帝王」と呼ばれた名レスラー、バーン・ガ二アもレスリングの代表として出場していた。韓国にとっては、同大会は「独立国」として最初に出場した五輪であるが、選手団長はベルリン五輪で日本代表としてマラソンの金メダルを獲得した孫基禎だった。

聖火は64年ぶりにロンドンに灯るこの夏。マラソン日本代表には、「北京の汚名返上」という大きな役割が担われている。前回の北京大会で日本代表は、マラソンが男女で実施されるようになって初めて男女ともに入賞者ゼロという結果に終わったのだった。

北京五輪のマラソン日本代表は、僕にとっては「思い入れ」の深いメンバーで占められていた。母校の後輩と、その夫の元・同僚と、旧友、という実に身近に感じることが出来るランナーたちが代表に選ばれ、嬉しかった。ただの「身内」というだけでなく、彼らは「速い」ランナーではないが、「いいレースを見せる」ランナーたちであり、そこに魅かれていた。別に名前を伏せる必要は無いな。土佐礼子と大崎悟史と尾方剛のことである。さらには、為末大よりも「サムライ・ランナー」のニックネームが似合う(僕の主観)
佐藤敦之に、アテネの金メダリスト野口みずき、そして初マラソン初優勝で代表入りしたシンデレラ・ガール中村由梨香という6人の活躍に大いなる期待を寄せていた。

しかし、毎回、代表選考の結果に異議を唱えてきたメディアは、その時は、中国で五輪を開催する事自体に異議を唱え続けた。チベットに対する中国政府の姿勢がここぞとばかりに強調されて、大気汚染や道路の固さといった競技環境の問題が連日報じられた。一部の政治家の談話からは「ボイコット」という言葉が飛び出し、国内で行なわれた聖火リレーが激しい妨害に晒された。聖火リレーの協賛企業や、それに参加した元五輪代表アスリートまでが、中国のチベット弾圧に加担しているかのごとく非難された。

五輪有力候補だった女子ランナーが病に倒れ、それが中国国内で「謎のウイルス」に感染したためだとも報じられた。汚染されているのは大気でなく、プールの水も危険だと呼ばれた。土佐や大崎や尾方らの活躍を待望することがよくないことであるかのごとき空気が形成され、野口の「出生の秘密」とやらをスキャンダラスに報じる週刊誌まで現われた。

北京五輪の本番で僕は、「最高のメンバーたち」が最低の成績を残した様を見せ付けられた。野口と大崎はスタートラインにさえ立てず、土佐は夫に抱きかかえられてレースを止めた。中村は経験不足が裏目に出たし、五輪マラソン最年長初出場者の尾方はなんとか責任は果たす走りはした。2時間13分台のタイムは当初の見込みでは入賞ラインに届くはずだったが、誰も予想していなかったような高速レースで、サムエル・ワンジルが五輪最高記録で金メダルを獲得した。誰だ?マラソンにガスマスクが必要だなんていっていたヤツは?

ゴール後、すぐ前でゴールしたランナーと尾方は握手を交わした。それがアテネの金メダリストであるステファノ・バルディー二であることに中継アナは気づかなかった。NHKのアナウンサーも質が落ちたと思った。

あの、カンボジア代表ランナーにも敗れ、完走者の最後にゴールした佐藤敦之が深々と一礼する姿は美しかった。しかし、「礼に始まり。礼に終わる」という柔道の精神をかけらも感じさせぬ金メダリストのコメントを面白がるスポーツ紙は佐藤を「赤っ恥」と切り捨てた。僕から見れば、こういう手合いこそが「反日メディア」だ。

あれから4年。また五輪の季節が近づいてきた。今や日本は「空前のマラソン・ブーム」に沸いているが、マラソン日本代表への注目度はそれほど高くない。マラソン日本代表が今回も全員入賞を逃したとしても、このブームは終わらないかもしれない。

ただ、僕は今回、日本代表が誰でもいいからメダル獲得を、せめて入賞することを待望している。でないと、北京の事を忘れることが出来ないからだ。早く忘れさせてくれ。

ワンジルがもう、この世にいないなんて。


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