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エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

カンフー映画っていいよね

2020-07-26 22:50:29 | 日記
カンフー映画が好きなんですよ。
怪獣映画も好きだけど、面白さに目覚めたのは1996年「ガメラ2 
レギオン襲来」でレギオンが超かっこよかったというのがきっかけで、
一方のカンフー映画は子供のころから大好き。
四十代後半はドンピシャ「ジャッキー・チェン世代」ですからね!
弟は「プロジェクトA」をビデオに撮って何十回見ていたか。もちろん
私もその大半につきあってるんだけど(笑)こういう、ユン・ピョウや
サモ・ハン・キンポーと共演するアクションコメディのジャッキー・
チェン映画も楽しいんだけど、大人になってからは、「蛇拳」「酔拳」
等の純度100%のカンフー映画が一番イイ!
今の中国はアレだけど、カンフー映画を見ていると、中国四千年の
歴史ってやっぱりすごいよな~、ハイパーな文化だな~、と思うわけ。

でも、カンフー映画の新作を目にしなくなって幾年月…
ジャッキー・チェンがハリウッドのアクションスターになってからは
日本で「カンフー映画」の存在がなくなってしまいました。
でも、2001年、キワモノカンフーサッカー映画「少林サッカー」が
日本に上陸! 予告映像を見て、これは日本のコテコテの漫画文化を
彷彿とさせる最高級のB級コメディだと期待満面で映画館に見に行き
ました。
そしたら、あの予告編が「序章ですらない」というスペシャルな出来!
予告編は完全にミスリードを狙ったフェイクで、予告で見た場面は全部
「あっさり跳ね返される前振り」でしかありませんでした!
これはもちろん「カンフー映画」ではないんだけど、「ガンダム」が
わからなければ「Gガンダム」の真の魅力は感じられないのと同じで、
カンフー映画が好きだからこそ「少林サッカー」は最高でした。
作りに粗はいろいろあるんだけど、作りたいものを全力で作る情熱が
あれば細かいことなんかどうでもいいんだな、と思える名作。

「少林サッカー」は映画館に18+1回観に行っちゃいました。
「+1」なのは、特別上映された「インターナショナル版」を観に
行った分。これは「暴力的」とかいってちょこちょこ打撃場面がカット
されてて「参考記録」みたいな観賞だったから別カウント。
18回観ても、「少林サッカー」は全然飽きなかったなあ~。
毎回、充実感いっぱいの大きな息を吐きながら、満面の笑みで映画館を
出てきたものです。

ただ…心の隅で「でも、もう、ちゃんとしたカンフーが観られる映画は
作られなくなるのかなあ…」と寂しさを感じていました。

そしたら2004年には「少林サッカー」の監督、チャウ・シンチーが
「カンフーハッスル」という映画を作ってくれました。
これも正しい意味では「カンフー映画」ではないけど、「カンフー映画
最高!」という魂がこもった「カンフー大好き映画」の力作でした。
チャウ・シンチーめっちゃかっこいい。役者の時は若い二枚目、監督の
時は白髪交じりの落ち着いた四十代(当時)って!
でも、それ以上に、この映画は「オッサンたちのカンフーの殺陣(たて)
がめっちゃめちゃかっこいい」というのが見どころ。
(カンフーの場合は殺陣じゃなくて組手か、でも殺陣でいいや)
中国にはこの動きができるオッサンや爺さんがたくさんいる!!
彼らが動けなくなっちゃう前にこの映画を作ってもらえてよかった!!
往年のカンフースターのアクションが楽しめて、「カンフー映画」に
少しだけ再会できました。

「カンフーハッスル」は映画館に17回観に行きました。
なんで17回って、「少林サッカー」を超えない数に留めたからです。
ほんとはもっと行きたかったけど、「少林サッカー」の方が超スーパー
名作だよ、ということを表現(?)するために我慢しました。

2008年、ジャッキー・チェンとジェット・リーが共演するという
ことで、「ドラゴン・キングダム」も見に行きました。
カンフーの殺陣はあったし、その点はもちろん大満足だったんだけど、
あの映画は「カンフー映画」ではなく「中国映画」だったな。
これは1回見に行っただけだよ。(普通はそれが当たり前なんだけど)

でも、それを最後に「カンフーが出てくる映画」の新作は見ていません。
時々、衛星放送で思いがけず「酔拳」「酔拳2」とかやってるのを発見
するとガチ見してしまいます。
本日、7月26日お昼すぎ、自宅のダンナが実家の私に「BS朝日を
見るべし」と電話をしてきました。つけてみたら、「蛇拳」の何十回目
だかの再放送がやっていました。
蛇拳、ザッピングしててたまたま見かけてそのまま見ることが多くて、
冒頭からほんとにちゃんと見るの初めてかも!
見ていたら、「あーーーーっっ!」ってなって、ダンナに電話しようと
思ったら電話が来ました。電話を取るなり、私は叫びました。
「カンフーハッスルの人!!!」
映画「カンフーハッスル」でカンフーの達人をやっていたオッサンたち
が往年のカンフー役者さんなのはもちろん知ってたけど…
「蛇拳」に、「カンフーハッスル」の仕立屋の主人が出てる!!手首に
鉄の輪っかを装着して戦ってた、「洪家鐵線拳」の人!
人の顔の判別ができない私だけどすぐわかった!
そしたら、ダンナは「後ろにいる赤い服の人は、火雲邪神だよ」だって。
よく見てみたら…ほんとだ、「カンフーハッスル」の火雲邪神だ!!
1978年作の「蛇拳」から36年も経った2004年の「カンフー
ハッスル」で、この人たちがあのアクションを…。おおお…。
ううむ、これぞ中国四千年の歴史。いや1978-2004の36年の
歴史を2020年への約50年に増して見てるだけだけど。

チャウ・シンチーが「カンフー好き」の立場で制作してくれた映画は
あるけれど、カンフー映画の文化って香港でどうなってるんだろう。
ジャッキー・チェンは香港の弾圧に手を貸してる始末だし…
カンフー映画の文化ってこのまま香港と共に滅んじゃうのかなあ…
香港、独立して「ネオ香港」にならないかなあ…と、最後はGガンダム
ファンらしくしめくくっておくことにします。
カンフー映画カムバック!

としまえんフォーエバー

2020-06-14 00:19:24 | 日記
とうとう、遊園地「としまえん」の閉園が発表されました。
ちょっと距離はあるけど地元民として、そして元職員として、
言葉にならない寂しさがあります。

小学生までの時に行ったことがあったかどうかは覚えてないんだけど
(多分行ってるんだろうな)、中学時代には美術部の悪友たちと
自転車で行って遊びほうけた「としまえん」。
高校時代は「史上最低の遊園地」という衝撃の面白い新聞広告を出した
「としまえん」に「これは、行かなければ」と話題が沸騰して
漫画研究会の仲間たちと駆けつけ、その後も広告に注目し続けました。
特に仲の良かった仲間とは社会人になっても何度も「としまえん」に
通い、行くたびに「アフリカ」は最低でも2回は乗っていました。
中学の仲間とも「アフリカ」は必須だったな。
好きな人を交えたグループで行った甘酸っぱい思い出もあり…
職員になって社員パスポートを手に入れたことで、大学のいろんな
仲間とも遊びに行ったっけ…
高校の仲間と徹夜カラオケの後、私は職員として、仲間は客として
園内に入り、私は生き生きと働き、仲間は疲れて死んでたなあ…
本当に、本当にたくさんの思い出が息づいている遊園地です。

実際は、「としまえん」が東京都に売られることはずっと前から
決まっていて、だから私も驚きはなくて、「とうとう来てしまったか」
というところです。
でも、何十年も延び延びになっていたんだから、このあと何十年でも
このままでいてほしかった…

「としまえん」は、園内に木々や草花も多く、ベンチもたくさん
あります。これは、当時の西武グループの理念で「親子でお弁当を
持ってきて、青空の下で食べる」という使い方ができることに
こだわり、また、「木を一本も切らない」というポリシーで運営
してきた結果なのです。
昨今、飲食物を持ち込み禁止にして、長時間並ばせて美味くもない
メシを高額で食わすレジャー施設が増えた中で、「としまえん」は
飲食物の持ち込みがずっと「可」でした。
今はドトールになっていますが、かつて駅前にあったマクドナルドは、
「としまえん」に持ち込む客が列をなし、夏場に日本全国で売り上げ
ナンバーワンになったこともあるそうです。
お弁当の持ち込みにとどまらず、駅前でマック買って入園して、
それを木陰のベンチで食べてもいいなんて…。
「としまえん」は、良心的すぎたのかもしれません。

6月13日土曜、私は「としまえん」に最後の挨拶に行ってきました。
「6月15日月曜日から遊園地営業を再開」というニュースがテレビ
各局のニュースで流れたのに、なぜ再開前13日に行くのか?
いえ、実は13日、14日は「あじさい園のみ営業」ということで、
「としまえん」には入れたのです。
例年、遊園地休園日でも「あじさい園」だけは入園500円で営業…
ということがあったため、調べてみたら案の定でした!
8月31日で閉園になるという発表があったので、これからは名残を
惜しむ人で園内が混むことでしょう。このご時世、やはり人混みは
避けたい。であれば、みんなが「15日から営業再開」と思っていて
天気予報が雨のこの13、14日の土日が超~穴場です。
13日、朝起きて、しっかり雨が降っているのを確認して、支度を
して家を出ました。

しかしさっそく、東武東上線の人身事故で電車が止まる…。
上板橋駅で20分かそれ以上、足止めを食いました。中板橋では雨を
かいくぐって電車を乗り換えさせられるし。
なんとか豊島園駅に到着して園内に入りましたが、雨はぼしゃぼしゃ
降ってるし、足元のアスファルトはところどころ歩けないくらいに
水たまりと川だし、ひどいものでした。
あじさいはまだまだたくさん咲いていて素敵だったんだけど、同伴の
ダンナが杖をついて傘を持ってリュックがびっしょびしょ…という
状態なのが気になって、ゆっくりあじさいを見る気になれません
でした。ダンナは「せっかくだから、気にせずゆっくり見なよ」
「こっちに気を遣わなくていいよ」と再三言ってくれたのですが、
あまりに気の毒な状態で、気にせず歩き回るのは無理でした。

とにかくレストラン「カリーノ」に避難して、「せっかくだから、
好き放題食おうぜ」ということにしたのですが、メニューが少なくて
「ハンバーグ&コロッケの定食と、カレーとラーメン、あとココアと
クリームソーダ」という、全然暴虐じゃないレベルに終わりました。
しかもこれで3千円に10円玉を何個か足した程度で済むんだから、
遊園地のメシとしてはほんとに良心的だよね。
そしてレストラン内は超絶すいていて、安心&快適に過ごせました。

ふと見ると、PHSにメールが着信してる。見れば今の職場を先日
退職した友人から「〇〇さんといえばとしまえん。閉園のニュースを
見ていてついなんとなくメールしました」とのこと。
「まさかのとしまえんなう、笑」と返信しました。タイムリーすぎる。

で…せっかく「としまえん」印のおみやげ菓子でも買って、
「としまえんイジリ」をしてくれた会社の仲間たちに配ろうと
思ってたのに、最近作った変なキャラクターの要らないグッズとかの
ワゴンが出ていただけで、みやげ菓子がまるで売っていませんでした。
「最後の数年間だけ付け焼刃に作られたキャラ」のグッズを、閉園の
記念に買う客がどんだけいるんだ。
仕方なく買い物はあきらめ、そのワゴンのおねえさんにシャッターを
押してもらい、記念写真を撮りました。
なお園内はほんとにガラガラすぎで、商売の邪魔はしていませんよ!

帰ろうと豊島園駅の改札に向かってふと気づきました。
「豊島園 庭の湯」のほうではおみやげが買えるんじゃないの?
(「庭の湯」は6月1日から営業中)
そんでダンナを駅前のドトールで休ませ、私は新たな旅に出ました。
でも「庭の湯」で「みやげだけ買いたい」と訊いてみたら、係の
兄さんが「おみやげの会計も入場タグで管理するシステムなので、
タグなしで買い物ができないしくみ」とすまなそうに説明してくれ
ました。あぁん? ほんとに商売する気のない連中だな。

駅前に戻ってきたものの、これではあまりに不毛なので、私は
そこから事務所に向かいました。
一緒に働いてた同い年の仲間が1人、まだ残っているので、せめて
彼にあいさつをして帰ろうと思ったのです。
居場所を聞いて、通用口からインターフォンで申し出たら、
懐かしい(とはいえ数年に一度は「としまえん」で顔見てたけど)
仲間が出て来てくれました。
ほんの2、3分ですが「としまえん」の名残を惜しんで、その場を
後にしました。

ドタバタで雨でさんざんな訪問となりましたが、8月31日までに
行くチャンスがなくなっても、とりあえずはこれで一応お別れを
言えたかな…。写真もそこそこ撮ったし。
また行く機会があればうれしいですが、それまでにコロナが
完全終息する可能性は低いので、今日のこれを「最後の記念(仮)」
としてアップします。

我が人生に欠かすことのできない思い出の遊園地「としまえん」よ、
みんなの心の中にフォーエバー!!!

私の読書歴・追伸

2020-05-28 17:01:49 | 日記
先日書いた読書歴のエッセイに案の定「漏れ」があったので
ちょっと追記します。

子供のころ、サンタさんからのクリスマスプレゼントは、
おもちゃ類1つと、本を2冊というのが常でした。
どんな本をもらったか全然覚えていませんが、とにかく私は、
サンタさんからもらった本はすぐに読み終える素直な子供でした。
が…なぜかどうしても読む気になれず、最後までとうとう
手を出さなかったのが『紅はこべ』。
改めて今、あらすじを調べてみたら、なんか面倒くさそうな話で、
世界的に人気の名作であっても、今の私には読みはじめる気力が
出なそうな作品だな、とは思います。
でも、逆に、子供のころは非常に受け身に、本なら何でも読んで
いたので、なぜ『紅はこべ』を読みはじめもしなかったのか、
まったくわかりません。
買ってくれた親に申し訳ないなと思いながらも、まるっきり
読む気が起こらなかった不思議な作品として記憶に残っています。

このサンタさんのプレゼントは弟も同じでしたが、弟はとにかく
本を読まないのでサンタさんはさぞ困ったことと思います。
しかし、その事態を破ってくれたのが「ズッコケ三人組シリーズ」
と「クレヨン王国シリーズ」です。
いつしか弟の本2冊は、このシリーズが1冊ずつ選ばれることに
なりました。弟もこのシリーズなら楽しく読んでいました。
もちろん、本と見れば放っておかない私も弟のこれらの書籍を
横から借りて読み倒しました。
児童書として人気のこのシリーズ、本嫌いの弟でも読んじゃう
くらい素晴らしいパワーを目の当たりにしました。

高校時代、現代文で読まされた『ことばと文化』は我が世界観の
礎となりましたが、現代社会(倫理)の授業で一部を読まされた
『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』
(岡崎照男訳)も衝撃的でした。
「サモアの酋長ツイアビが、ヨーロッパを訪れた際に目にした
社会について語る」という作品…なのですが、これは実際の
酋長の言ではなく、「と、いう形式をとって現代の(西洋文明の)
社会を批判する」という作品らしいです。
でも、当時は「本当にサモアの酋長が見て感じたことを語って
いる」と思って読んだこともあり、しかも言っている内容が
「確かに、その通り」だったので、私たちのあたりまえの社会は、
見方を変えるとこんなにも奇異なのかと衝撃を受けました。
『ことばと文化』で「言葉という定義の仕方で世界はまるで
変わって見える」ということを概念として理解できていたので、
違う文化・文明から見ると私たちがどんなにおかしなルールに
則って生きているのかを客観的に感じ取ることができました。
私の高校は非常に変わった教育をしていたのですが(都立高校が
それでいいのか!?)、実に良い教えを受けたと思います。

大学の一般教養で「倫理」を選択した私は、その授業で4冊の
課題図書を指定され、仕方なく読むことになりました。
『ノルウェイの森』(村上春樹)、『キッチン』(吉本ばなな)、
『家族解散』(糸井重里)、『シングル・セル』(増田みず子)。
この4冊に対する私の評価がバラバラすぎて面白いです。
『シングル・セル』は読んだはずが全然話を覚えていません。
『キッチン』は、人生で数少ない「読みはじめたものの、
とうとう読み終えることができなかった本」の1つとなりました。
『家族解散』は、読後感が「…で?」という感じ。テーマは
非常に良いのに、浅~く軽~く終わっちゃったな、と思いました。
感性は人それぞれだし、名作との評価もあるこれらの作品を
ディスっているつもりはありません。でも、高校の授業で
読まされた作品と比べると拍子抜けというか、「このへんの本は、
こういうのが好きな人が読めばいい、っていう類の作品だよな~」
と思いました。

あれっ、じゃあ『ノルウェイの森』は?
そう、これだけ完全に別扱いです。
なんだか宗教みたいに世界中に信者「ハルキスト」を持つように
なった作家・村上春樹。彼についての話になった時、私はいつも
「私、全然ハルキストじゃないけど、『ノルウェイの森』は
すっごい好きなんだよね。あれは読んでおいて損はないと思う」
と言っています。
とにかく説明できないような美しさや良さ、重さや深さ、痛みを
感じる作品でした。
小説の技としては、わかる人にしかわからなくて恐縮だけど、
終盤に「直子が~」で始まるあの一文の衝撃は忘れられません。
かつては「『ノルウェイの森』は純文学なのか否か?」が熱く
語られたものですが、今の時代なら充分「純文学」でしょう。
でも、純文学だとかそうじゃないとか、どうでもいいくらい
『ノルウェイの森』は名作だと思います。私は大好きです。
…じゃあ、なんでハルキストにならなかったのか、って?
もちろん他の作品にも手を出してみました。
でも『スプートニクの恋人』を読んで、「ああ、似たような
作品を書いてる作家なんだな」と思って、「私は『ノルウェイの
森』だけでいいや」と結論しました。
それでも、『ノルウェイの森』は、今でもふと、ときどき無性に
読みたくなる、なんともいえない魅力的な作品です。

原作が好きすぎると実写化の際は抵抗が先に立ってしまいますが、
映画「ノルウェイの森」は松山ケンイチが主演だったので、
安心して見に行くことができました。
特に松ケンが好きなわけじゃないけど、彼なら絶対に世界観を
壊さない出来になるだろうという安心があります。
実際観てみて、やっぱり松ケン安心のクオリティでした。
ただ…原作では全然そんな感じはないのに、映画ではとにかく
ベッドシーンばっかりで「そんな作品だったっけ??」と
めっちゃ首をかしげて映画館を出てきました。
映画化としてはまあ頑張ったとは思うのですが、なんかやっぱ
小説には勝てないよな~~~。小説ってすごい。

っということで、「いかん、いちおう私の読書を語るのなら、
『ノルウェイの森』は外しちゃダメな作品だった」という
理由で追伸した次第です。

そしてもう一つオマケ。「星座で人を分類・分析することに
一定の意味がある」という考えに大きな根拠を与えた現象が、
私の読書歴に出ています。

私の読書歴は実に平凡で「だいたいの人がよく読むような作家」
が羅列されているわけですが、その中で「私らしい趣味」と
言えるのが阿刀田高、連城三紀彦です。
そこに漫画家・柴田昌弘を足して私のアイデンティティ3傑と
なるわけですが…

 阿刀田高   1月13日生まれ、やぎ座
 連城三紀彦  1月11日生まれ、やぎ座
 柴田昌弘  12月26日生まれ、やぎ座

ある日ふと気づいたのです。全員がやぎ座だということに。
これは絶対に偶然じゃないと思いました。
「ここには何か理由や法則性があるはずだ」と考えて、星座を
意識するようにはなりました。
でも、実は村上春樹も1月12日生まれでやぎ座なのよね。
そこは「やぎ座の作家が好き」なのではなく、「私が傾倒する
作家に、結果としてやぎ座が勢ぞろいしている」という形で
事象の特性を認識しています。ハルキは私の特別じゃないぜ。

実際、血道をあげて好きな投手は斎藤雅樹と石川雅規、ともに
みずがめ座だし…
(これも「みずがめ座の投手が好き」なのでは決してない)
なかなかおもしろいんです、星座を切り口にした人間分類。
我が読書歴は、思いがけない方向から、私の人間関係構築法に
対して影響を及ぼすことになったというわけです。
本を読むという行為は、人生にいろんなものをもたらすの
ですね…と、かっこよく締めておこうと思います。
でも、「これは外せない」と書き足すのが村上春樹、しかも
『ノルウェイの森』って、ほんとに私って一般人だよね!!

私の読書歴

2020-05-16 17:41:03 | 日記
大学の日本文学科を出ていて、現在は編集の仕事に就いている
四十代終盤の私ですが、読書歴は「もっと勉強しろよ」としか
言えないお粗末なものです。
でも貧相な分だけ「書き尽くしても読みきれる」というエッセイに
仕上げられるな~と思って、書いてみることにしました。
(私のブログの一作一作が長いのは、ブログ記事でなく「体験記」
や「エッセイ」として書いているせいです)

幼児期は、母と弟とともにマメに図書館に行って、絵本を3冊と
紙芝居を1作品借りていました。
幼稚園の時、私はすでに「最後の絵の裏側に最初の絵に該当する
お話が書いてあって、最初の絵の裏には2枚目の絵に該当する
お話が書かれている。そのずれを繰り返す」という複雑な構造を
理解して、自作の紙芝居を作っていたりしました。神童!

『ぐりとぐら』『100万回生きたねこ』『こぐまのたろ』などの
王道絵本はしっかり読みました。
一番好きだったのは、かこさとしの絵本です。
同じようなものがちまちまとたくさん描かれている絵が好きで、
『にんじんばたけのパピプペポ』や『からすのパンやさん』の絵が
お気に入りでした。特にパンの絵が見開きいっぱいにたくさん
書いてある『からすのパンやさん』が一番のお気に入り。

大人になってから大好きになったのは『いやいやえん』。
子供向けの絵本や童話って、創作のふりをして「子供に教訓や
学習を与えたい」と書かれた作品は大人の自己満足だよね。
そんな中で『いやいやえん』は、大人が読むと「だから、何?」
というような「想像しっぱなし」な無責任感が楽しい作品。
子供のころより今の方が『いやいやえん』大好きです。

小学一年生になったら、クラスにすごい秀才の男の子がいて、彼は
その年齢ですでに「少年探偵シリーズ」、つまり江戸川乱歩作の
明智小五郎シリーズの少年向け版を読んでいたのです。
図書室で見てみたら文字ぎっしりで漢字も多くて難しい。
でも、面白そうだったのでずっとその本にあこがれていました。
私が「少年探偵シリーズ」を読めるようになったのは二年生の
後半~三年生くらいかな。
しかし、最初に読んだ『一寸法師』が、ただでさえ話が怖いのに、
挿絵が怖すぎた……。これが今もトラウマになっています。
閉店後の真っ暗なデパートで、凶悪犯の一寸法師が、追っ手を
やりすごそうと、マネキン人形に手を引かれる子供に扮している
場面が、見開きでばばーんと描かれていました。
この一寸法師は、身長が子供ほどしかない設定で、私は「小人」と
聞くと可愛い系じゃなくて、この「子供の身長の凶悪な大人」の
イメージがあの絵と共に出てきます。今でも「小人」という架空の
生き物全般が超怖いです。
だって、「小人」として身長30センチとかの大人の姿をした
生き物が目の前に出てきたりしたらすっごい不気味で怖いよね。
「少年探偵シリーズ」は片っ端から読み漁る愛読書となりましたが、
私を生涯の小人嫌いにした怖い本でもあります。

この江戸川乱歩のおかげで、私は「推理小説読み」になりました。
私が人生において一番繰り返し読み、一番好きだといえる作品は、
小学校高学年で読んだアガサ・クリスティーの『そして誰もいなく
なった』です。うわ~、一般人。
当時は、自分でもオリジナルの『そして誰もいなくなった』的な
事件のマンガを描いたりもしました。
小学校高学年~中学校時代にはアガサ・クリスティーをとにかく
たくさん読みました。他の海外推理作家も挑戦してみましたが、
クリスティーが一番面白くて、買い漁って読みました。
『鏡は横にひび割れて』は推理ものとしては愚作だと思います。
私のクリスティーベスト3は、以下のようなランキングです。
1『そして誰もいなくなった』
2『ねじれた家』
3『スリーピング・マーダー』
ランキング3位は「マープル最後の事件」です。私はポアロより
マープル派。どっちも好きだけど。
海外ドラマ「名探偵ポワロ」も大好き。デビッド・スーシェの
ポワロと共に「これぞ本人」と言われるジェーン・ヒクソン版の
「ミス・マープル」も好きです。
なお、私はハヤカワ・ミステリ文庫の表記に従って「ポアロ」と
書きますが、ドラマ版はドラマタイトル通り「ポワロ」と書きます。

そうそう、小学3~4年くらいのときは、会議室の掃除当番に
なるたび、その本棚にあった五島勉の『ノストラダムスの大予言』
シリーズを片っ端から読んでいました。掃除しろよ。
私はその後、この本に基づいて1999年7月、または8月18日
には人類が滅びると思って生き続けることになりました。

人生で初めて「本を読んで泣く」という経験をしたのは闘病記。
『珠子十歳のれくいえむ』でした。小学校高学年の時かな。

中学生のとき、母のある習慣に気がつきました。
毎週日曜日、テープに録音しながら、ラジオで『源氏物語』の
授業のようなものを聴いているのです。
当時の私は「大人になったのに、源氏物語の勉強とか(驚)」と
いう感じで、奇異なものを見る思いでした。学校の勉強でも、私は
『徒然草』や『枕草子』のほうが読みやすくて面白く感じてたし。
これが伏線になって、のちに私の趣味が一つ増えます。

高校1年の時、現代文の授業で、担当の先生がクラス全員に
購入させた書籍が岩波新書『ことばと文化』(鈴木孝夫)でした。
専門の新書というものを見るのも初めてで、渋々読んだのですが、
これが私の世界観を形作る書籍となりました。
この本は基本的には「意味論」の本です。
「ものがことばをあらしめるのではなく、ことばがものをあらし
める」というのがこの本のテーマ。この世界は、粒子レベルで
見れば単なる粒々の集まりであり、物理的な法則性はあっても
それじたいに意味があるわけではない。そこを意味づけして
切り取ることで「もの」が存在することになる。その「意味づけ」
をする手段が「言葉」である…
つまり人が認識することで「もの」が生じるし、認識の仕方が
言語や解釈によって変わるのだから「もの」は非常にあいまいな
ものである、世界は元来「ただの粒々の集合体」でしかない…
というのが、私がこの本から教わった、世界に対する認識です。

高校時代、友人たちは銀色夏生の詩集などを読んでいたのですが、
私は斉藤由貴の詩集『運命の女』を愛読していました。
なお中学生の時に買った斉藤由貴写真集『情熱』が人生で初めて
自分で手に入れた写真集です。当時から尻が軽い!

高校時代からその後、長く傾倒したのが阿刀田高と連城三紀彦。
阿刀田高は書店で見つけた『ブラック・ジョーク大全』という
本を買って、ブラックなショートショートから短編小説へと
読み進んでいきました。
読みやすく端的で、しっかり構成されていて、ひねりやオチも
見事に仕組まれていて、作者と読者の見ているものの「ズレ」を
うまく使っていることに心酔しました。
私の理想形としての作品イメージは、長く阿刀田高でした。
ずっとのちに「自分はキレのいい短編は書けないっぽい」という
結論には達したものの、長年、作風に憧れていた作家です。
現在は日本文学界の超重鎮。今も新作が出版されている超大御所
で、最近私は『源氏物語を知っていますか』を読みました。

連城三紀彦はすでに故人です。65歳での死去は惜しまれます。
『恋文』で直木賞を受賞していますが、この人のすごさは、
恋愛小説でもどんでん返しを仕込んだりして、美しい作品にも
エンタメ要素があって非常に読み応えがあることです。
実は連城三紀彦の真骨頂は恋愛小説ではなくて推理小説。
文学、推理、両方に実力のある作家でした。
こちらは母の本棚で『戻り川心中』を見つけてなんとなく読み、
すっかりハマりました。母の蔵書に何冊もあったので読み漁り、
欠けている分は自分で買ってきました。
推理小説なのに世界観が耽美で非常に情緒的。特異で稀有な
作家さんだなあと思いました。「この人みたいになることは
絶対不可能」と思って、まったく影響は受けませんでした。
(阿刀田高みたいになれると思ったわけでもないけど)
1988年の『黄昏のベルリン』で飽きて、以降は読んで
いませんでした。2002年刊の『白光』を久々に読んだ時も、
普通の作家さんになったな~、と思っちゃいました。

私の読書を語るうえで外せないのは、阿刀田高、連城三紀彦、
そして漫画家ではありますが柴田昌弘です。

高校時代は他に相対性理論、量子力学、宇宙論の本をたくさん
読みましたが、結局全然理解できませんでした。
私の高校の「貸出カード」にはこれらの書籍がずらりと並んで、
そこだけ見ると超スーパーインテリな感じ。
実際は数学の試験で100点満点中17点しか取れなかったり
して数学・物理に関しては完全に置いていかれていたのですが。

横溝正史を読み漁ったのは高校~大学時代かな。
『悪魔が来りて笛を吹く』が一番好き。
テレビで横溝正史作品が放送されるとたいがい見ています。

このくらいの時に読んで面白かったのが、母の本棚にあった
『思い出し半笑い』(吉田直哉)というNHKディレクターの
エッセイ集。家にあったのがなくなってしまって悲しい!

大学受験対策として、よくあるのが「『源氏物語』を読む
代わりに、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』を読む」という
行為です。が…残念ながら作中の女人の顔が判別できず、挫折。
その時、役に立ったのが母の蔵書でした。
中学の時、母が源氏物語の講義をラジオで聴いていましたが、
実はこれ、私が二十歳を過ぎるまで続いていたのです。
NHKラジオ第2放送「古典講読」の「源氏物語」はなんと
全472回(9年以上)を費やして「桐壺」~「夢浮橋」の
全部を講義したという…。そう、これを全話聴き倒した母は、
源氏物語が超~大好きな人だったのです。
母の蔵書も源氏物語関連がずらり。そこからまず、円地文子の
訳本を読んでみたものの、つまらなくて挫折。
次に読んだのは田辺聖子『私本・源氏物語』。なんとこれが
めちゃくちゃ面白い。いろいろ読んだ今は、この『私本源氏』
はかなり意訳された「読み物」で、訳本とは言えないと知って
いるのですが、このお陰で私も一気に『源氏物語』が大好きに
なりました。
源氏物語の新しい訳本などが出ると母が買ってくるので、
家に入ってくる訳本はたいがい読みました。
母が源氏物語に傾倒したのは父親(つまり私の祖父)の影響で、
笠智衆似の村一番のイケメンにして文学青年だった祖父は
源氏物語研究が好きだったとのこと。
祖父、母、私と、三代続けての源氏物語ファンとなりました。
ストーリーがわかれば『あさきゆめみし』も楽々読破。美麗な
絵がことさら素晴らしく、描いたのが大和和紀でよかった!
なお、私の好きな女人は葵の上。一択です。

大学では、当時親しかった人に島田荘司を教わりました。
デビュー作だという『占星術殺人事件』を借りて読んで衝撃!
そのほかにも数冊借りましたが、以降は自分で片っ端から
購入して読み漁りました。
御手洗潔シリーズは多少エグくても楽しいのですが、吉敷竹史
シリーズは悲惨すぎて心が塞ぐ…でも読んじゃうけど。
昨年、入院中のヒマつぶし用に『リベルタスの寓話』を持って
行ったのは失敗でした。死体の描写が超エグいスプラッタで、
手術を控えた病室で読むものじゃなかった…
今も書店で文庫の新刊をチェックするのは島田荘司くらいだな。
今、『新しい十五匹のネズミのフライ』を読んでいます。

この人にはスティーブン・キングも教わりました。
映画とかによく使われている海外の大衆作家で、自分には
関係ないと思ってたし、とくにキングの作品は「あらすじで
紹介されるとなんかバカ臭い」というものが多いので、自分で
見つけることは決してできなかった作家さんです。
『デッド・ゾーン』がやっぱり一番おもしろいかな。
なお、「あなたには怖すぎるから読むのはやめておいたほうが
いい」と言われた『IT』は今もなお怯えて手が出せません。

それから、横溝正史の『八つ墓村』のいわくの部分が実際の
事件をモデルにしていると教わり、その事件のルポ、『津山
三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭)
も読みました。まさかこんな事件が実際にあるなんて…。
オカルト系の「世界で起こった不可思議な事件」的なものを
読むのは子供のころから大好きでしたが、実際の事件を書物で
具体的に読むというのはまた新たな経験でした。

大学時代は、日本三大奇書といわれる『ドグラ・マグラ』も
読みました。確かに前半はぐるぐるしてしんどいですが、後半
というか全体の最後の4分の1くらいは本当に面白かった。

阿刀田高ファンとして、ショートショートの大先輩・星新一も
読んでみましたが、設定だけ書いてストーリーがないような
作品が多く、好きにはなれませんでした。
確かにいろんな設定を考えることじたいはすごいのですが、
阿刀田高の「そこから人間心理に踏み込む」という深みがなく、
物足りなさを感じました。

大学時代一番の思い出の本は『いちご同盟』(三田誠広)。
読みづらさを芸術だと勘違いしている人に小説を書く際の
アドバイスを求められたら、この作品を例に挙げて話します。
「たいへん平易で素直な文体なのに非常に文学的で詩情がある。
変にごてごて飾らなくても美しい文章は書ける」という感じで。

大人になってからは実用書を読むことが増えたな…。
でも、何の実用書を読んだか、ほとんど覚えてない。
あとは、『8時だョ!全員集合伝説』(居作昌果)や『だめだ
こりゃ』(いかりや長介)といった芸能系書籍、『人んちで
充電すんなよ!』(ふかわりょう)などのネタ本…
w-inds.の慶太君や三浦大知のフォトエッセイみたいな
芸能本的なものや、キムタクの写真集、私服のセンスの悪さを
ネタにした「私服だらけの中居正広増刊号~輝いて~」などの
軽~~い本をよく買うようになりました。
さらに、出版社に勤めるようになってから、本当はそれじゃ
ダメなんだけど、とにかく本を読まなくなりました。

最近、仕事上読まなければならなかった本ですごく面白かった
のが『筒井順慶の悩める六月』(中南元信)。
本能寺の変の後、明智と織田両方に縁続きの筒井順慶が身の
処し方を決めかねて右往左往する様子を描いた作品で、歴史
小説がまるでダメな私もクスクス笑って楽しく読めました。

やばい、社会人になってからの読書歴がスカスカすぎる。
一番ハマって読んだのが『イモムシハンドブック』1~3だし。
実物大の写真がずらりと載って、イモムシ好きにはたまらない
逸品だけど、一般の方には閲覧注意って感じ。
最後の最後で「読書歴、とか言ってソレ?」という話になって
恐縮ですが、反省して、もっとなんかマトモな本を読みたいと
思います。薄くて軽い読書歴ですんませんでした!

ドリフターズと「魚座学」

2020-04-26 17:48:52 | 日記
ザ・ドリフターズは「文化」だと思う。

私は子供のころ、母にドリフを禁止されていて、テレビマンの
父が土曜夜に家にいるときだけ「8時だョ!全員集合」を
見ることができた。そんな日はめったになかったのだが、私と
弟は土曜夜に父が帰宅すると喜んだものだった。

私は自分を「真面目で堅物の優等生」だったように誤認して
いるが、記憶をたどってみると「ドリフ見たい!」など、
ごく普通の子供だったっけね~と思うことが多い。

「お笑い」にあまり興味を持てない私だが、ドリフだけは、
一種の文化だと思って畏敬の念を持っている。
大人になってから「8時だョ!全員集合」のDVDボックスを
買ったし、いかりや長介の葬儀にはダンナと共に一ファンとして
駆けつけ、20時にファンの流した長さんの「8時だョ!」の
声に合わせて「全員集合!」と唱和するのに偶然参加できた。

今回、新型コロナウイルスによって志村けんが亡くなったのは
心から悔しく、歯を食いしばって冥福を祈るしかない。

ところで、ザ・ドリフターズの非常に特異な特徴を知っている
だろうか?

 いかりや長介 → さそり座
 高木ブー   → うお座
 仲本工事   → かに座
 加藤茶    → うお座
 志村けん   → うお座

なんと、5人中3人が魚座という、非常に偏った星座構成に
なっているのである。

実は「魚座」は、お笑い芸人が非常に多いことで知られる。
それだけで考えれば「なるほどねー、ほんとに、お笑いに向いてる
星座なんだねー」で終わってしまうのだが…

では、以下のラインナップをどう思うだろうか?

 プロ野球      長嶋茂雄
 プロサッカー    三浦知良
 大相撲       白鵬
 競馬騎手      武豊
 バンドミュージック 桑田佳祐
 ニューミュージック 中島みゆき
 80年代アイドル  松田聖子
 往年の人気女優   吉永小百合
 芸術家       岡本太郎

好き嫌いにかかわらず、その業界で一般人が皆知っている
という代表格やカリスマ…として挙がる人たちがずらりと
並ぶわけだが、なんと、これが全員魚座なのである。
ここまで揃うと、これは決して偶然の産物ではない。
とにかく、単なる「業界における名声」ではなく、
その世界をよく知らない一般人にも広く認知されているうえに、
「信者」を作る愛され方をする人が多いという印象だ。

実は私、自分の周りの人を星座で分けて性格分析で傾向をまとめ、
それを参考にしている側面がある。「星座占いなんて…」と
言われるだろうが、私がやっているのは決して占いではない。
実際、星座でくくって「傾向分析」をしてみると、上記のように
各星座、特徴的な傾向がみられるのは事実だ。

性格を見て星座の推測をすると当たる確率もけっこう高い。
ただ、女性より男性のほうがはっきり傾向が出て推測しやすい。
女性はいろいろ繕ったり周囲に合わせるしかなかったりするし、
男に惚れて変化したりもするのかな、と思っている。

魚座は小心者で臆病で人の顔色を見たり空気を読んだりして、
自分の期待される役割を感じ取って相手に合わせて生きがち。
自己愛が強いが、それを「愛されたい」という形で体現する。
だから「場を読む」ことが必要なお笑い芸人になる人が多いし、
周囲から愛をじゃんじゃん与えると「化け物」(=カリスマ)
に巨大化する。カリスマ・第一人者になってから、その後の
活躍の息が異様に長いのも特徴だろう。

なお、私の星座分析では「バカ星座」「利口星座」という分類が
あって、うお座は「バカ星座」のほうに属する。
感情や相手に流されやすく、欲望を抑えるのが苦手。気が小さい
ので我慢できずに拙速に行動してしまったりしやすい。
ベッキーが優等生タレントかと思ったらまさかの転落を見せた際、
実は魚座とわかって「さもありなん」と思ったり。
他にチャゲ&飛鳥のASKA、極楽とんぼの山本、宮迫博之など、
「そのへん我慢できなかったのかよ…」という失敗が多い。

まあ私の魚座分析は「話半分」でも「話ゼロ」でも良いのだが、
実際、日本で人気のジャンルにおいて、カリスマが魚座揃いと
いうのは明白な事実。

そして、話は元に戻って、ザ・ドリフターズにその魚座が
3人もいたのだから(しかもカトケンが2人とも魚座!)、
お笑いに興味のない私が「ドリフは文化」とまで言うほどの
ビッグな存在になるのも当然だよなー、と思うのであった。

BY 魚座A型のかもめ でした!