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エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

日曜の朝はキラメイジャー!

2020-10-11 14:06:50 | 日記
特に戦隊ものが好きというわけではないのですが、今、日曜の
朝は「魔進戦隊キラメイジャー」を欠かさず見ています。
だって赤の人のマシ~ンが消防車なんだよ!(消防車好き)
で、戦隊の人ひとりひとりにマシ~ンがついてるから「マシン」
で「魔進戦隊」なんだろうけど、結果としてマシ~ンはほとんど
役に立っていません。(序盤は消防車として活躍することも
あったのですが)
それより、物語全体を「輝き」「輝石」が司っていて、後半は
輝石探しにまい進する「キラメイシルバー」が加わる展開で、
これ、絶対「魔進」じゃなくて「輝石戦隊キラメイジャー」に
すべきだったよな…と思うのです。

この作品で実は案外いいなと思ったのは、古坂大魔王演じる
地球防衛組織CARAT代表。古坂大魔王といえば「ピコ太郎の
中の人」ですが、案外顔のいい人(イケメンという意味ではない)
ですね。
そして、キラメイシルバーはこの人の「兄」という設定ですが
この兄弟の「いい人感」とレッドの充瑠君の無邪気感で、
とにかく作品全体が明るい。
このシルバーの人、庄司浩平という二十歳の役者さんですが
(古坂大魔王の兄役が二十歳の人なのは物語上の設定の妙です)、
ダンナが画像検索したのを見せてもらったら、パッとしない
特徴のない写真ばかりでびっくり。この「キラメイシルバー」、
デビュー作だそうですが当たり役じゃないでしょうか。存在感
あって魅力的です。

さて、こうして毎週嬉々としてキラメイジャーを見ているわけ
ですが、基本的に、私は子供向けの創作物が大好きです。
子供向けだからといって手を抜くわけでなく、辻褄も合っていて
テーマやストーリーが整えられている、ちゃんとした子供向け
創作物は素晴らしい。アニメの「ポケットモンスター」とその
映画などは最たるものです。
もちろんゲームの「ポケットモンスター」も、何十年経って
多くの続編が作られて、ハードが変わって、進化しても、
いつまでも素晴らしい。最新のソード・シールドもソードの
ほうでやったけど、楽しかった!
ポケモンは「ポケモンカフェ」などができた時に来る客層を
見るとわかりますが、もう二十代、三十代ががっつり根付いて
いて、今でもポケモンが好きな大人がたくさんいるのです。
子供が理解できて楽しくて、大人になっても楽しめる、いや
ゲームのポケモンに至ってはデータを駆使したシミュレーション
ゲーム的に大人になってからのほうが楽しめるくらい奥が深い。
とにかく創作物は「子供も充分に楽しく、大人はもっと楽しめる」
というのが理想だなと思うのです。

なお、戦隊ものとセットの時間帯には仮面ライダーシリーズも
あるのですが、そっちはほとんど見ていません。
だいぶ前に「仮面ライダー龍騎」を毎週見ていたりもしましたが、
面白かったんだけど「結局、誰が何をどうすればみんなが幸せに
なれるのか?」がよくわからない、「子供にとってどうなのか?」
という仮面ライダーでした。あれは、「仮面ライダーは子供が
楽しめるものであってほしいなあ」と思いました。とか言いつつ
面白かったんだけど。
中年アイドルグループ(?)「純烈」の一人が「龍騎」に
イケメン弁護士役で出てた役者さんなんだけど、面影もなく
オッサンになってしまっていて衝撃。「龍騎」も昔になりにけり。
先日までの「ゼロワン」は「職業もの」になっていて、コロナの
休止中には子供にいろんな職業を紹介する番組と化していたのが
苦肉の策とはいえ子供たちのためになったんじゃないかなと
思います。
でも、なんか最近のライダーは「オタク向け」というか、設定が
とにかく凝ってるんだよなあ。キラメイジャーの「キラキラ輝く
人のパワーと輝石のパワーで平和を守るぜ!」みたいな、「幼児
でも楽しめる単純なものを面白く作る」という作品づくりが私は
好きですね。
先日始まった「仮面ライダーセイバー」は本の世界をテーマに
しているので職業柄気になりますが、初回を見流したくらいで
結局は見ていません。でも、キラメイジャーの時間になると
慌てて「テレビテレビ!」とリモコンを探します。
多分次の戦隊ヒーローは見ないと思うんだけど(次は消防車は
出ないだろうし!)、キラメイジャーは最終回を楽しみにして
これからも毎週見ていこうと思います。キラメキーン!

銀色週間のエクストリーム

2020-10-04 21:16:54 | 日記
しばらくブログをアップしていませんでした。
病身なので滞ると「容体が悪化したのか!?」という心配をかける
ことにもなるのですが、シルバーウィークらへんでえらく遊んで、
治療の周期でちょっと体調を落とした日もあったりしただけですよ。

シルバーウィークの祝日、9月21日(月)22日(火)には、
東京プリンスホテルに一泊で慰安?旅行に行ってきました。
そんで23日出勤、24日在宅勤務、25日出勤、と来て…
なんか突如、26、27日の土日に泊まりがけでマリンスタジアムに
行ってしまったんですね。

東京プリンスは、GOTOトラベルから東京が外されたので、都内
各所のホテルが東京都民向けのキャンペーンをやっていて、それに
のっかってきました。
なにせプリンスホテルの会員システムの落とし穴にうまくハマって
なぜかゴールド会員の資格を得てしまったので、プリンスホテルだと
いろいろいいことがあるもので…
ダンナと2人、ゴールド会員向けのアップグレードつきプランで
広くてゴージャスな部屋に安めに1泊して、東京都民キャンペーンで
5000円のホテル内利用券と飲食20%オフがつきました。
しかもゴールド会員なので東京プリンスホテルの会員ラウンジが利用
できます。酒とチョコとかがちょぼっと置いてあるので夫婦で静かに
飲みに入るにはちょうどいい。(ダンナ下戸だし)
ワゴンスタイルの新しいブッフェレストランで豪遊したり、
期間限定の「大人のお子様ランチ」で豪華なお昼を食べたりして
きました。東京タワーのライトアップを眺めたり、優雅だったな~。

東京在住で時々都内のホテルでバカンスとかってけっこうイイよ!
ゴールド会員とかじゃなくても、いろいろなホテルに素敵なプランが
あって、「オズモール」などの情報サイトで良さげな都内泊を
見つけて行ってました。コロナになってからは全然行けないけど。

そんで仕事仕事の日常に戻ったはずだったのですが…
木曜の夜、突如、アイデアが降って湧いてしまったのです。
「球場の人数制限が緩和されたけど、直近のチケットの追加販売分、
そんなに景気よく売れたのかなあ。みんな10月に目が行っているの
では…。そういえば、連休の前後ってホテルが安いよねえ…。次の
土日は、4連休の翌週だから、ホテルが安いかも…」

調べてみたら、9月26、27日のチケットはまだまだ残っている!
さらに…26日土曜、愛用の定宿が「素泊まり2人で6800円」
という底値レベルの激安価格! 土曜なのに1人3400円、しかも
セミダブルとかのぎゅうぎゅうの部屋ではなくちゃんとツインで
この価格だよ!! これは行くしかない!!
そんで木曜の夜に、突如、土曜のホテルと土日のチケットを取って
しまったのです。
ふだんは土曜のホテル代はバカ高いので「金→土」とか「日→月」の
一泊にして泊まる前の夜のナイトゲームを観戦するのですが、土曜に
宿が取れて、土日のデーゲームが観戦できるのは最高に楽~!!
球場のチケットも、そこそこすいていたので、背後に誰も客が来ない
配置で席をゲットして安全安心に観戦してきました。

試合は1勝1敗でしたが、眼下は野球、見渡すと海も見える、という
席の位置だったので海を眺めつつ野球観戦を楽しみました。
うーん優雅すぎる。大満足の1泊2日でした。

旅行じたいは全然嫌いじゃないんだけど、都内とか球場近辺とかで、
けっこう旅気分が楽しめて満足しちゃう性分なのよね…
交通費に何千円とか万とかかけるくらいならその分ご馳走食べたいし。
そんなわけで、月・火、土・日と、一週間のうち4日も家を空けて
遊んでました。
楽しかったけど、コロナが気になってそこそこストレスもたまった
ので、なーんにも心に憂いのない近隣への旅がしたいな~。
ということで、「ブログが更新されない! 死んだのか!?」と
思われたかもしれないので、病気ですがむしろ元気に生きてます!と
ご報告でした。またなんか野球のこととかアホなこととか書きます!

最後の「としまえん」

2020-08-30 15:53:37 | 日記
梅雨時にガラガラにすいてる「としまえん」に行って、それなりに
お別れをしてきたつもりでいたのですが(当ブログ別記事「としまえん
フォーエバー」参照)、閉園が近づくにつれてさびしそうな私の様子を
見て、ダンナがチケットを取ってくれました。
(この夏の「としまえん」は事前予約制)
8月27日木曜日、会社の「夏休み」を取って、本当に最後の
「としまえん」に足を運んできました。

開園は9時、乗り物等が動きだすのは10時から。
「開園と同時に来る人がそこそこ掃けていて、乗り物目当ての人が
まだ来てないくらい」を狙って9:40頃に「豊島園駅」着。
今、会社がコロナで始業遅らせてるから、始業時刻より早いよ。
入園に当たっては、予約画面を見せてチケット発券を受けなければ
ならず、まずはチケット売り場に並びます。電車到着からしばらくは
混み混みになるチケット売り場…、これ、ちょっと時間をつぶして
電車の到着時刻の合間になるタイミングに来れば楽ちんなのよね。
それがわかっているのに、せっかちなのでそのまま並びます。
「ネット予約の方は発券が必要なので、チケットカウンターにお並び
ください」と係員が叫んでるけど…
個別の小屋になってる「チケット売り場」に並ぶのであって、この
小屋がぽつぽつ独立して並んでいる状態を「チケットカウンター」と
言われたら客にはわかりづらくて困るよね。「ネット予約カウンター」
が別途あるのかと思うじゃん。
元従業員、しかも広報マンだったり宣伝マンだったりしたことのある
私としては、「スタッフだけがわかって顧客目線でない」語句の
使い方にめっちゃイライラして並んでいました。
しかも列の流れがやたら遅い。窓口が近づいてきたら、どうやら
「乗り物に乗るには云々、〇円追加で一日券が…」などの案内を
している模様。昔は園内で入園後に乗り物一日券が買えたはずだが、
今、そのシステムはないのか? あればそんな案内はひと言で済むの
だが…。普段ならそこまでイライラしないところ、微妙に密な環境で
子供たちがマスクなしで叫んで走り回る中にいるのでギスギスしつつ
時間を過ごしました。
こんなコロナの環境でなく、もっと心穏やかに見送りたかったよ…

入園後、入り口付近で何枚か写真を撮り、まずはおみやげ屋さんに
ダッシュ。帰り際に行くと混むだろうから、荷物は増えたとしても、
すいているうちに買っておきたい!
遊園地の中が動きだすのは10時からなので、おみやげ店もまだ
開いていません。フライングパイレーツ2階(これは従業員向けの
表現かな)で「としまえんの歴史展」みたいなのがやっているという
表示を見て様子を見に行くと、それは11時からでした。
そうしてうろうろしているとおみやげ店の前に行列ができはじめた
ので列につきます。ダンナは今日、基本的にはただの付き添いなので、
ベンチで休憩中。開店と同時に、一人財布を握りしめて店内へ!
ええ~、「としまえんみやげ菓子」ないのかよ。
もともとあんまり大したみやげ菓子はなかったし、もう閉園するから
順次在庫がはけたら終わりにして、改めて作らなかったのかもだけど、
「としまえん行ってきたのよ、これおみやげ…」って周囲に配って
しみじみしたかった人たちはたくさんいたと思うんだけどなああ!!
1つだけあったけど、外装だけ「としまえん」の包み紙で、中身は
何の焼き印もなく、切り分けてむきだしで配るしかないような
チーズケーキだったので、当然買いませんでした…
他のグッズもなんともびみょー。「としまえん」らしいんだけど、
最後の最後、みんなの思い出になる、もっといいグッズを企画する
ことはできなかったのかなあ…。退職するんじゃなかった!

それでも7千円くらいは使って、おみやげはもうこれでやむなし。
(「満足」じゃなくて「やむなし」なのがほんとにもう!!)
そして次は、前回「あじさい園のみ」の時に来たのでいっさい
乗れなかった乗り物にGO! とはいっても、落下する乗り物と、
小さいゴンドラで上空を飛ぶ乗り物が全部ダメだけど(笑)
超大好きで、この時刻なら絶対すいてるのが「ブラワーエンジン」。
真っ先にそこに向かいます。8の字型のレールの上をちょっとだけの
アップダウンでぐるぐる回るだけのローラーコースター。スリルは
あるけど全然怖くなくて超楽しい!
次は「昆虫館」。あじさい園の奥にあるから、前回もものすごく中に
入りたかったんだ。私にとって、「としまえん」は「アフリカ」と
「昆虫館」が本体だな~。
ダンナをベンチで休ませ、昆虫館に一人で突入。
この大量のナナフシ(群生色になっちゃってる)とか、どうするんだ
ろう。野に放つわけにもいくまいに。珍しい昆虫なんかは行き先が
見つかるかもしれないが、地味な昆虫たちの未来が心配…
ゴキブリの展示は近づく前に遠くよけて、カブトムシやクワガタを
触って遊ぶ子供たちの邪魔をしないよう遠巻きに眺めて退出、最後の
おみやげエリアで「としまえんのもり昆虫館」という文字の入った
ヘラクレスオオカブトとギラファノコギリクワガタの写真缶バッジを
買いました…が!!
レジのすぐ横に、ゴキブリのシール置かないでよ!!!
昆虫大好きな私、これだけはダメ!! そりゃあ、昆虫が好きで
昆虫館に来てるくせにゴキブリ苦手とかおかしいけど!
いろんなゴキブリがプリントされたシールが怖くて怖くて、レジから
できるだけ離れて腕を伸ばしてお金を払いました。

11時を過ぎて、混む前に…とレストラン「カリーノ」に行ったら、
すでに大行列。とりあえず席は取れたので、悩んだけど並ぶことに
しました。しかし…マスクをしてない子供たちがわあわあ大声で
叫び散らしながら周囲を駆け回る環境で30分以上待つことになり、
ものすごいストレスが…。「ストレス」で留まっていればいいけど、
これで感染とかしたら目も当てられない…。
建物の外まで列がはみ出ていて、やっと建物の中に入ったら足元に
ソーシャルディスタンスの赤テープで間隔を取るようガイドが貼って
あるんだけど、その隙間にメニューのボードが置いてあるものだから、
せっかく間隔を空けて並んでいる人と人の間に、子供連れの母親が
メニューを見にやってくる。もちろん子供はマスクなし。どれにする、
これにする、なににするーと、人と人の隙間に詰まってしゃべり合う
親子。中にはぱっとスマホで写真を撮っていって、それを遠くで見て
くれる気の利いた親子もいるんだけど…。
昔なら多少は自分の免疫に自信があったけど、今は私、免疫弱者に
あたるので恐怖しかない。ダンナを席に座らせておいてよかった。
さらに、大行列なのに「席を取ってから並んでください」という
システムなのでたいがいの席が「誰も座っていない荷物置き場」と
化している。レストランのテーブルとして機能していない。
これ無駄すぎでしょー。食べてる席の周りにはほとんど人がいなくて、
超ソーシャルディスタンスがとれてるけど…
トレーと食器を戻しに来てもらえれば外のベンチで食べていいよと
アナウンスして、「大行列なのにテーブル超ガラガラ」の状態は
なんとかすればいいのに…。
精神的にピリピリして40分以上並んだのですっごい疲弊したー!

ダンナが「アンガス牛のステーキ」私が「夏野菜カレー」を食べて、
デザートのプリンとドリンクと合わせて計4千円くらい使いました。
でもなんか…すぐ近くの通路に私たちのほうを向いて知らない女子が
立ち尽くしてずっとスマホをいじってる…。10分も20分も…。
気味が悪いな~と思ってたら、つまりは私たちの席が空くのをじっと
待っていたらしい。食事中からずっとすぐそばで立って待たれるの、
すごい圧迫感だし、無言で様子窺われるのは気味が悪い…。
見回すと、私たちのところだけでなく、各所、食べているテーブルの
近くには、トウゾクカモメが他の鳥の卵やひなをその巣のそばで狙う
ように虎視眈々と、空くのを待つ人たちが立ち尽くしていました。
とりあえず荷物を残して食器を下げて戻ってきたら、もう場所取りが
されてるし。まだ私らの荷物があるのに…一声かければいいじゃんよ。
とにかく、全般的にストレスの溜まるレストランでした…。

なんかつくづく、梅雨時、しかも雨の日、すいている時に来ておいて
よかった…。全然感傷にひたれない。
ガラガラの「カリーノ」でしみじみ名残を惜しんでおいてよかった。

「カリーノ」を出て、同じ建物の2階でやっていた「としまえんの
卒業アルバム」と称した歴史展に行きました。入るなり、奥の方に
元上司がいるのを見つけました。退職してからも来園する3回に1回
くらい遭遇してた人だからそこまで懐かしくないけど。
実は展示の数々は仕事でよく見ていた過去の代表的な写真ばかりで、
そんなにじっくり時間をかけないでさらりと見ていきました。
でもこれも、コロナじゃなければもっとだらだらしたんだろうな~。
ぐるっと回って元上司のところに来たので、隙を見て声をかけました。
マスクしてるし、髪型が全然違うから私だとわからなかったかも
しれないな。でも「また、あいつか」と声とノリでわかったかな。
出口近くに「ねりま区報」の「ありがとうとしまえん特集号」が
積んであったので3部もらいました。

「じゃあ、帰ろうか!」とダンナに言ったら「いいの? 西武線に
乗りたいんじゃなかったの?」…ううむ、確かに。
わりと最近できた「チャレンジトレイン」っていうのがあって、
これが「自分で運転できる、西武鉄道の車両を模したミニ電車」
なんですよ。なんかかわいいちっさい西武鉄道に乗れて楽しそう!
それを知って「いつか乗りたい、楽しそう」と言っていたのですが
なんかもう落ち着かなくて帰りたかった…。
ほんと、コロナの年じゃない時に閉園してほしかった…。
で、やっぱ最後だし、「チャレンジトレイン」にも乗りに行きました。
でもやっぱ、列のすぐ後ろの親子連れの父親がマスク外して大声で
しゃべってる。つばがかからないように列を少しずれたら、待機列の
ソーシャルディスタンステープの1つ分、前に詰めてくるし…そこ、
今私たちが並んでいる位置なんだけど…
「マスク外したまましゃべってらっしゃるのをよけるためにずれた
だけで、今、ここ、私たちの位置なんで、詰めないでもらえますか」
文句を言って戻ってもらう。てゆうかしゃべるならマスクしろよ!
子供連れだらけの人混みとかもうほんと無理だ。怖すぎる。
日々、池袋と新宿を通って通勤してるし、過度にコロナに怯えては
いないつもりだけど、「自分たちが楽しいことが全て」な人たちは
このコロナ禍の下では心底恐ろしい…。

そんな環境で15分ほど待ち、もうすぐ私たちの番が来ます。
車両は5つくらいあるんだけど、メーテルのラッピング電車は嫌!
ふつうの西武線がいい! でもこのままいくと我々はメーテル…。
前の親子連れが二手に分かれるの分かれないのと言い合っている
ようです。男の子が一人で乗りたいと言い、どうするか迷っている
模様? 常識的で安心なご家族のようだったので、声をかけさせて
もらいました。
「あの、できれば私たち、メーテルの車両は避けたいので、もし
差し支えなかったら、ぜひ二手に分かれて乗ってください」
列の後ろの人に気を遣ってたら、気にしないで分かれておくれ!
お父さんは「ああ、分かれます、分かれます」と答えましたが、
一人で乗りたい男の子は小さいので、お父さんと一緒になる形で
二手に分かれて乗車していきました。よーしメーテル回避!
それで「各駅停車 豊島園行」に乗ることができました!
運転のスコアが出るらしいのですが「いや~、走るだけでいいよ、
そういうの面倒だよ」とか言って乗ったのに、いざとなったら
「停車ばっちりだ!」「警笛、警笛」「やった~、最後、到着時刻、
ピッタリ完璧だ~」と大マジに運転士をやってしまいました。
「各駅停車 豊島園行」に乗れた! 超うれしい!!!

これでもう未練はないかな。カルーセル・エルドラドは十重二十重の
行列だし、模型列車も戻るとけっこう歩くし…うん、帰ろう。
そして園内を歩いていくと、同期の生き残り従業員の彼を発見!
梅雨時にお別れを言いに押しかけたけど、また会えてよかった!
あと、園内の掲示で、もう1人技術系の同期の男子がまだ従業員で
残っていたことが判明してたんだけど、そっちは会えませんでした。
機械のメンテナンスの担当だから、日中の園内では仕方ない。

園内の橋を渡って、出口近くの広場に戻ってくると…
さすがにちょっと泣けました。
もう、「としまえん」はなくなっちゃうんだなあ…。
次に来たとき、ここに「としまえん」はないんだなあ…。
コロナのせいでいろいろストレスの溜まる訪問となってしまったの
ですが、やっぱり、あと数日のこの時期にも来てよかった…。

せっかくたくさんの人が名残を惜しんで来てくれているのに、混んで
いると「無頓着で周囲を気にしなすぎる人」と「感染を避けるため
努めて身を守ろうとする人」に分かれて、後者にはストレスが溜まる
ことになる…悲しいことです。
こんなお別れになるなんて。「3年後に閉園」みたいに、お別れの
期間を長くとってほしかった……。

豊島園駅を離れていく西武鉄道の揺れを感じながら、なんとなく
疲れた心身を休めるために目を閉じて、それが思い出のラストシーン。
最後の訪問が愚痴と文句ばかりなのもアレだよな…と思いつつ、
行きたくても行けなかった人には「それもまた正解」と言えるので、
そのまんま、愚痴っぽい「としまえん」訪問記をアップします。
しみじみ感傷にひたれた梅雨時の訪問の記憶と合わせて、心を整理
していきたいと思います。
私の人生の礎となってくれた「としまえん」、本当にありがとう。

山手線が好き!「ノンストップ山手線」乗車の思い出

2020-08-23 18:26:19 | 日記
私は「鉄道ファン」ではありません。が、電車は大好きです。
昔は切符を集めていて通販で切符を買ったりしたし、近年も、電車の
イベントに行ったり、イベントで昔の切符を買ったりすることがある
ので「電車が好きな人」ではありますが、今、やたら「鉄道好き」を
アピールするにわかマニアと同類に見られるのはまっぴらごめんです。
ただ単に、「地味~に電車が大好きな一般人」をやっています。

私の自慢の品は「山手線一周全駅のハサミ入り切符コレクション」。
高輪ゲートウェイ駅ができちゃったので「全駅」と言えなくなって
超ゲートウェイガッデムな感じですが、つまりは、「まだ切符に
切符バサミで切れ込みが入れられていた頃の、駅ごとに違う形の
ハサミの入った切符、山手線全駅分」を持っています。
もう永遠に手に入らないレアものだぜ!
他にも、身近な電車の切符を中心に、日付のぞろ目とか、マニアで
なくても手に入るような地味な切符コレクションをやっていました。

電車の中でも特に好きなのは山手線。
通勤も、もっといいルートがあるのに、金額の高い山手線経由の
ルートを使っている始末。
(東日本大震災以来、地下深すぎる列車が怖いというのもあるけど)
あの緑色も好きだし、全部が各駅停車で地道だし、何かあった時に
日本で一番最初に復旧されるべき「JRの中核中の中核」なのも
一番大事な電車って感じがする!

そして…2012~3年頃のある日、出会ってしまったんですよ。
「まったく駅に止まらない山手線」のイベントがあるという情報に。
「みどりの山手線」という、山手線に真っ緑のラッピングを施した
車両が登場し、それに乗って山手線をノンストップで一周する…
というイベントがあるんだって!
行きたかったのですが、そこには「2名以上でお申し込みください」
という注意書きが…。おそらく、これは「鉄道マニアよけ」の防御壁。
きっと、親子や家族などをメインターゲットに設定しているのに、
単独の鉄オタがわさわさ集まってくるのを避けるにはこの「2名以上」
が意外と効くのでしょう。実際、「山手線が好き☆」というだけの
私はこの障壁にひっかかって申し込めませんでした。
このイベントの参加費用は4000円程度。ダンナは電車興味ないし、
山手線一周に「私一人4000円」は出せても「家計から8000円」
出すのはしんどいし…。

でもその翌年、また山手線ノンストップ列車のイベントがあるという
ことで、本物の鉄道ファンの友人にダメモトで声をかけてみました。
彼は、普通に旅が好きで乗り鉄で鉄道にも詳しい、純粋な「濃い鉄道
ファン」。「山手線と切符が好き☆」というゆる~いノリには乗って
くれないかな? と思ったら、一緒に行ってくれるって! これで
「2名以上でお申し込みください」という障壁クリア!
しかも申し込みまで全部やってくれました。

いよいよ当日、大崎駅で受付開始。受付開始時刻のはずの9:15、
大崎駅にはこの山手線ツアーの立派な大行列ができていました。
これは「受付終了」の列とのこと! 受付開始時刻にかなりの人数が
もう受付を終えてるってどういうこと!?
受付時に、非売品の「山手線グッズ」がいろいろもらえます。
山手線グッズとか超すてき!
受付を済ませ、我々も列につきました。客層は親子連れが中心で、
鉄道オタクっぽい人の姿はほとんどありません。「2人以上で」と
いう条件をつけるだけで健全になるものなんだな…。まあ、実際は
「家族連れの鉄オタ」と「家族ぐるみの鉄オタ」だらけだったのかも
しれないけど。我々だって男女のペアというだけで傍からは普通の
カップルとかに見えてたかもしれないわけだし…

まずは、大崎駅で山手線の車両に乗り込んで、山手線の線路をそれて
「東京総合車両センター」なる整備所へ行きました。
到着する線路脇では、係員さんたちが大勢手を振っていました。
テンション上がる! 四十代女、嬉々として手を振り返す。係員さん、
「おまえじゃねえよ、子供たちに振ってんだよ!」と思ったかも。
センターに着くなり、チェックしてあった「車体洗浄装置通過体験」
の整理券配布所にダッシュ! でも、もう11時、12時、13時の
回は配布終了。残りは14時だけだったけど、我々は12時半に
再集合しないといけないので断念。つまり、この「山手線一周」の
ツアーでこのセンターにつれてこられると、絶対アウトなわけね…。
他のイベントの整理券も、軒並み「その時刻まではここにいられない」
というタイミングのものしか残っていませんでした。結局、整理券
配布もののイベントはあきらめました。
あちこちでいろんなものを展示しているので、とにかく見て回ります。
同伴のガチ鉄道ファンは諸々詳しくて、さながらガイド付きツアー!
Suicaのペンギンの着ぐるみと写真を撮ったり(自分はカメラを
持ってきていないので同伴者に撮らす)、社員食堂らしきところで
「東京総合車両センター公開記念弁当」を買って食べたりしました。
あと、古い(全身黄緑の)山手線ピンバッジを買ったよ!

若干雨模様だったので予定より早く集合場所へ行ったら、「悪天候の
ため…」と、早く再受付をしてくれました。受付最初の10人以内に
入れたので、山手線に乗り込むなり11号車を目指します! だって
一番前か一番後ろで線路入れて広く視界を取りたいじゃない!
車両の割り振りについて、直接の案内はいっさいなかったんだけど、
我々の券面にはちゃんと「11号車」と書いてあるし、とにかく
11号車へ。一番前のほうの席(運転席の裏)は埋まっていましたが、
その次くらいの位置には座れました。
そこから1時間以上待たされて、いよいよ出発進行!

車両センターから山手線で大崎に戻ったら、そこでまた少々(10分
ちょっとくらい)待たされて、とうとう、山手線が出発!
我々の11号車は、一番後ろの車両になるのかと思いきや、なんと
切り返されて先頭になりました!! ラッキー!
子供ら、前方の窓に張りついて狂喜乱舞。私も席を離れ、子供らの
背後から前方の景色を眺めることができました! 途中何度か席に
戻ろうと考えたのですが、窓寄りが混む気配はないので、そのまま、
子供たちの頭と運転士さんの肩口ごしに前方の景色をずっと見て
山手線ノンストップ乗車を堪能しました。
 
ホームに流れる「この列車は当駅を通過します。停車しませんので
ご注意ください」のアナウンス。
驚く一般客と待ち構える鉄道ファンの視線の中、列車は進みます。
撮り鉄めっちゃ多いわ~。行く先々で、奴らはこちらに向かって
カメラを向けています。ふふふ、こっちは選ばれし勇者。一般の
見物客よ、羨望しなさい。
ぐるぐる回る山手線の、普通の列車と列車の間にはさまって運行
しているだけなので、単に「駅をのろのろ通過するだけの山手線」
でしかないのですが、普段の山手線が非日常な山手線となるこの
長い時間、地味だけど感無量。あまりに楽しかったので結局席には
戻らず、ノンストップの山手線は約1時間で大崎に帰還しました。
これでイベントはおしまい。
列車を降りて、記念に「団体」表示の山手線を背景に、またもや
同伴者に写真を撮ってもらいました。
そして「当日大崎駅のNEW DAYSでしか使えない」という
特典の500円券があったのでそれを無理やり使いに行ってから、
池袋でダンナと合流して、3人でお茶を飲んでから解散しました。

「山手線一周するだけなのに4000円も使って…」と思うか、
「これは珍しい、素晴らしい」と思うか!
価値観によって意義が大いに分かれるこのイベント。
私は大、大、大満足な山手線一周ノンストップの旅でした。

なお、つきあってくれた鉄道ファンの彼は、当ブログ別記事の
「風邪っぴき鴎、本拠地に通う」でさんざんな目に遭わされている
横浜ファンの大学時代の友人です。
彼はどんだけ私および我々夫婦に振り回されるのか!
私のアルバムに貼られた写真のけっこうな枚数が、彼の撮って
くれたものだったりします。この場を借りて、超感謝します☆☆

霊感ない人の恐怖体験

2020-08-16 22:36:03 | 日記
私はまるっきり霊感がない。しかし霊的な方面での恐怖体験はある。
せっかく夏なので、人生における恐怖体験を全部書ききってみたい。

人生初の恐怖体験は、小学校時代の怪談大会。私の自宅に友人3人が
やってきて、雨戸を閉めて真っ暗にして、中央のテーブルにろうそくを
立てて火をともし、4人で怪談をはじめた。
1人がぽつりと言った。
「…霊がいるときって、ろうそくの火が丸くなるんだって」
ろうそくの火は確かにその時、縦長でなく縦横比同じくらいの円に
なっていたが、当時は「たまたまろうそくの加減でそんな火の形に
なったから、それっぽいことを言って盛り上げてるんだろうな」
としか思わなかった。ほんとに「火が丸くなると霊が…」っていう
話があるのね。知らなかった…
他の2人もそのくらいの認識だったらしくて、怪談はそのまま続いた。
だが、途中で突如、何の前ぶれもなく「キャー!」「やだー!」と
叫び声をあげて、友人3人がいっせいに部屋を出ていってしまった。
慌てて追いかけて聞いてみると…
「〇〇ちゃんの横に、人の影がもう一つあった」
ふと気づいたら私の影の横に影が増えていて、気づいた子の視線の
動きであとの2人も気がついて、いっぺんに逃げだしたらしい。
私は自分の背後を見ていないので、置き去りになったというわけだ。
みんなの荷物は怪談部屋に置きっぱなし。
でも、みんなが涙目で「あの部屋に戻るのやだ」と言っている。
私は影を見ていないので、気味は悪かったが部屋に戻ってまず電気を
つけて、みんなの荷物を取ってきて、会はそれでお開きになった。
それから2、3年、私はその部屋で寝起きしていたが、とくだん奇怪な
ことは起こらなかった。

次は中学校、福岡時代の「九重キャンプ」。
福岡時代に1学期だけ通った中学、出席番号は女子が先の通し番号で、
A組出席番号5番の私は1番のテントの割り当てだった。
「このキャンプ場、1番テントが『出る』んだって」とのウワサ。
いやいや普通は4番とか13番とかでしょ。
夜、消灯後、一人の子が不審げにつぶやいた。
「…なんか、このテントの周りをうろうろしてる人がいない?」
時々、外のライトが人影で遮られているらしい。しばらくみんなで
テントの外をうかがっていたら、「あっ」「今、通ったよね」など
影を見つけた人が声をあげた。私は全然わからなかった。
消灯後はテントを出てはいけないことになっている。人が通るはずは
ないが、悪ガキ男子かもしれないし、あるいは不審者かもしれない。
それで我々はみんなで様子を見るために、全員(5人)で外に出た。
「こらっ、おまえたち、外に出るのは禁止だぞ」
見回りの先生にソッコー見つかり、皆で事情を説明した。
「いや、交替で見張りしてるけど、誰もうろついてないぞ。君たちが
出てきたのもすぐわかったくらいだし」
結局そのままテントに戻って、そのまま平和にキャンプを終えた。
影を見た人たちは「怖い」と気味悪がっていたが、影を見ていない
私は「気のせい、気のせい」と、平和なものだった。

私が高校1年生のとき、東京都板橋区にある私の家は建て替えられた。
数年後、弟が余計なことを言う。
「俺の友達で、霊が見えるっていう人がいて、怖いから俺の部屋は
見てもらわなかったんだけど、おまえの部屋は2人いるって」
勝手に人の部屋を霊視させんな! まあ、私は見えてないからいっか、
と気にしないことにした。

大学時代、漫研のお泊まり会的なものを我が家でやった。
来たのは大半男で、私以外の唯一の女子は早々に一人で私の部屋に
引っ込んで寝てしまった。私の部屋は二階にある。
LDK部分でみんなでゲームをやって次々寝落ちしたので、他の人は
全員一階から出ていない。
女子は翌朝、下りてきて開口一番、
「昨夜、起こしに来たの誰? 〇〇ちゃん?」
と言う。漫研文化では、女子の一人で寝ている部屋にうっかり男子が
行こうものなら大事件の大惨事となる。二階に行く可能性があるのは
唯一、私だけ。だが、私はゲーム「かまいたちの夜」が怖くて布団を
かぶっていたらそのまま寝てしまったので、一階で朝を迎えた。
彼女が言うには、足もとを揺すられて起こされたのだとか。
二階に行き、部屋のドアを開けて入らないと、彼女の足は揺すれない。
誰も該当しないので、彼女は「おかしいなー、揺すられて、誰かが
起こしに来たんだなーと思ったんだけど」と首をかしげていた。
ふと、弟の友人が「2人いる」と言っていたのを思い出したが、
彼女にはそのことは言わなかった。

さて、大学の研修旅行。霊的体験としては、これが私自身、一番の
恐怖体験。でも実際は何があったわけでもないので、一生懸命書いた
ところで何も伝わらないと思う。
研修旅行は日本文学科の仲良し6人組で班になっていて、一泊めの
「〇〇シーサイドホテル」というところでは和室で6人一緒だった。
1人は早々に寝てしまい、1人が超ハイテンションであれこれ妙に
しゃべっていて、4人は相槌を打ったり合いの手を入れたりしながら
楽しい夜を過ごした…というのは見せかけの話。
実は、何が…かはわからないが、すさまじく怖かった。
1人が明るく楽しくしゃべっていてくれるのがほんとに救いだった。
重苦しい圧迫感と、「何も起こってくれるな」という切迫感があり、
夜が更けていつの間にか寝てしまうまで、2、3時間くらいの間、
とにかく怖くて怖くて怖くて怖くて、どうしようもなかった。
翌朝、なんと、同室の1人が「なんか、実は昨夜、意味もなく妙に
すっごい怖かったんだよね…」と言いだした。まじで!!!
「実は私も!」と私が言うのと同時に「やっぱ!?」「ほんとに?
私だけかと思ってた!」と他の2人も言った。すると、1人でやたら
盛り上がってた子がマジな目で言った。
「実は私、なんかものすごく怖くて、ずっとしゃべってないと絶対に
まずい、と思ってあんなにしゃべってたんだよね…」
早々に寝た1人は何も感じないでただ寝てただけだった。でも、
起きていた5人は全員、理由もなく「なぜか、怖い」と怯えきって
いたらしい。みんなが同様に「怖い話とかは絶対にしてはいけない」
「誰かが怖い話を始めたりしないように面白い話題を続けなければ」
などと思っていた。理由はわからない。
なお、二泊めは2人ずつの部屋に分かれての宿泊となったが、前日に
こんな思いをしたというのに、5人全員が「今度は全然怖くなかった」
と意見が一致した。(寝てた1人は蚊帳の外、笑)
これは「なんか、皆で、怖かった」としか書きようがなくて、怪談と
してはまったくインパクトがないが、あの重苦しい恐怖感はいったい
何だったのか、まったく説明がつかない。
集団心理でそうなったわけではなく、当日は「なんで私、一人で
こんなに怖い気持ちになっちゃってるんだろう、皆は楽しんでるのに」
と思っていた。しかもそれが全員だった。他のそれっぽい出来事より、
私はとにかくこの時の出来事が人生で一番怖かった。

親友が金持ちの息子だったので、悪友どもと奴の家の別荘に集まって
ゲーム合宿をするのが恒例だった。
夜、調子に乗って海辺に出かけて散歩をすることも多々あった。
ある日、ボードウォークを一列になって歩いていると、私の前を歩く
3人がいっせいに振り返った。
「えっ、なになに?」
最後尾を歩いていた私はそれを見てきょろきょろした。
「…今、ビーチサンダルをはいた人がすぐそばでボードウォークに
飛び乗ったみたいな振動がありましたよね」
4人で歩いてるのに、別の誰かがぽーんと近くに乗っかってきた
感触があって、見知らぬ変な人だったら嫌だから慌てて振り返った
そうだ。いや私は全然そんなの感じなかったよ?
「いや絶対誰か乗った感覚ありましたって」「はっきり感じましたよ」
うーん、確かに3人同時に振り返ったなあ…。
「私の歩いてる振動じゃないの?」
「それはちゃんと、ずっと伝わってるんですよ。それとは別」
「絶対、誰かが飛び乗りました」
3人は気味悪がってたけど、私は感じなくてよかったー。

社会人になって、現ダンナ、当時彼氏が我が家に泊まった時のこと。
彼は私の部屋に一人で寝て、私は母の部屋に母と寝たんだけど…
朝、彼が「昨夜、足元を踏まれたんだけど、入ってきてないよね」と
言うではないか。いや全然行っとらん。
「一回は気のせいかなーと思ったんだけど、もう一回、足と足の間
くらいをしっかり踏まれた感覚があって…」
その位置、前に漫研合宿で「足を揺すられた」と言ってた女子と同じ。
(ベッドでなく布団敷きなので常時布団位置は変化するが、この時の
足の位置はドンピシャで同じだった)
しかも、現ダンナ・当時彼氏のこの人は、そういう冗談を言う人でも
変に私を怯えさせようとする人でもない。温厚温和で冷静かつ聡明な
現実主義者だ。実際に踏まれた感触があって言っているのだろう。
これはさすがに、私としては「やっぱり、私の部屋、『2人いる』
って話だったからなー」という結論になった。しかも、「つまりは
この場所にいるのかも?」という位置が1つ、確定したようなもの。
私はなーんにも感じたことないけどね。霊感なくてよかった。
以来、私は座右の銘を「知らぬが仏」にした。

さて、1997年とか1998年とかいう頃になっても、私は
友人との通信にまだまだFAXを愛用していた。絵を描いた方が
伝わりやすかったり、字の加減でノリを表現できたりして便利だ。
ただ、古いFAXをダイヤル信号のボロ電話につないでいたので、
いろいろ不便な仕様になっていた。
・「受信」ボタンを押さないとFAXが受信できない。
 (自動受信設定は電話に差し支えるので常時手動にしてた)
・電話を取って「ピ~ヒャラヒャラ…」というFAXの音を聞いて
 から受信ボタンを押すため、その「はい、〇〇ですが…、あ。」
 などの電話応対の声が先方にまる聞こえ。
ある日、私と弟と両親は揃って外食に行った。我が家はめったに
外食をしないのだが、十年に一度くらいのレアな外食。
帰宅してみるとFAXからべろーんと紙が出ている。
ええっ!? 手動じゃないと受信できないはずのFAXが…??
疑問に思った私はFAXの発信者である友人に問い合わせてみた。
「FAXは普通に送れたか、何か普段と違うことはなかったか?」
返事はこうだった。
「え、普通に送れましたよ。ああ、でも、取ってくれたのおばあ様
だったんじゃないですかね、FAXのことがわかんないみたいな、
あれ、あれ…って戸惑ったような声が電話から聞こえてました」
同居してた祖母、1年前に死去してますが!
その時刻、我が家はまるっきり留守でしたが!
これは「何かしら、機械の加減だろう」ということにしたものの、
本当はどうだったのか、いまだにわからない。
いつも我が家にFAXを送って「はい〇〇ですが…あ、FAXか」
という声を聞いている友人が、いつもどおりの対応を受けて送信
したはずなんだけどね…。電話に出たのは、誰!?

ということで、怖い話が苦手な人でもとくだん怖くない怪談は
これでおしまい。
他の人が「何か」を感知してもまるっきり気がつかなかった…
という話ばかりで、私の霊感のなさ加減が際立つ。
だが、その私が重い霊的恐怖に震えて過ごしたあのホテルって…。
これらはすべて二十代のころまでの話。三十を過ぎてからは、
それに近いことも何も起こっていなくてホッとする。
怪談になるような武勇伝なんて、ないのが一番。知らぬが仏だね!