一ヶ月余りの準備を経て無事に終わった。
招待状を出して参加者を確定し,式次第を考え,お土産や記念品を選ぶ。超VIPの日本大使にはメキシコシティーにまで行って,出席のお願いまでした。
サイト(工場建設地)に張るテントの大きさや種類を選び,食事や飲み物の手配,ステージやテーブル,生花などの配置も決めた。展示用の製品や写真パネルも依頼したり取り寄せを行った。当日のスピーチの原稿も考えねばならなかった。
バナーや国旗のデザインと配置,社旗を日本へ注文。ゲストを送迎するシャトルバスを手配。建設会社には一斗樽と枡,それにはっぴも手配してもらった。日本や米国から来るゲストにはホテルを事前に予約する必要がある。
何もかも万全を尽くしたつもりでも,最終チェックで落ち度があった。日本語とスペイン語の同時通訳者に面接したところ,彼女は漢字が読めないという。日本語も3年余り喋っていないとたどたどしい日本語で言った。どこでどう間違ったのか同時通訳どころではない。
急遽,現地に住む日本人のネットワークを通して,大学で日本語を教えている日本人講師を2日前に探し当てた。
それと約2kmの仮設道路の敷設が5日前になっても全く着工しない。道路の途中にはクリークがあり,大きくくぼんで大型車は通れない。表土をすいて石を入れローラーで固める必要がある。物理的に時間がない。もうなるようにしかならないと諦めた。
さらに一番気掛かりなのは当日の天候である。昨年の同じ7月21日は台風の接近と重なり,100年に一回あるかないかというくらいの大雨で,川は氾濫し道路は冠水し,モンテレー全体が洪水に見舞われたらしい。晴れたら晴れたで,日中の気温は40℃を超えることはざらで,そうなるとテントの中は蒸し風呂と化す。
当日の天気は運を天に任せるしかなく,ただ祈るばかりである。
さて当日の朝,薄く立ち込めていた雲が段々厚さを増して行き,雲行きが怪しくなってきた。サイトに通じる仮設道路にはまだブルドーザーがうなっている。
テントの中の支度も至るところが中途半端である。バナーや国旗が飾られていない。鍬入れをする砂がない。ゲストに渡すギフトがない。ないない尽くしである。開会まであと1時間半しかない。
それでもセレモニー会社の人たちは黙々と作業を進めている。どうやら徹夜で作業をしているようである。
やがてゲストを迎え入れる頃には,道路はきれいに整備を終え,テント内の飾り付けもすっかり終わり,日本の本社から副社長を迎え,大統領の代理として,経済省の役人も迎え入れた。通訳もスタンバイの状態。筆者は現地のマスコミから新会社の代表としてインタビューを受けた。
この頃には雲の切れ間から陽が差し始め,気温も高くなり過ぎず絶好のコンディションになってきた。
定刻に式は始まったものの,メキシコシティーから来られる日本大使が,フライトの遅れにより,30分ほど会場到着が遅れただけで,滑り込みで鍬入れ式もでき,あとは全て打合せどおりに進行した。
スピーチもまずまずの出来栄えだと自賛し,同時通訳も全く問題なかった。
はっぴを着ての一斗樽の鏡割りも,メキシコ人には珍しく,翌日の新聞には“日本の伝統はプロジェクトの始めは鏡割りで祈る”と大きな写真入で報道された。
最終的には成功裏に終わった。やれやれである。
招待状を出して参加者を確定し,式次第を考え,お土産や記念品を選ぶ。超VIPの日本大使にはメキシコシティーにまで行って,出席のお願いまでした。
サイト(工場建設地)に張るテントの大きさや種類を選び,食事や飲み物の手配,ステージやテーブル,生花などの配置も決めた。展示用の製品や写真パネルも依頼したり取り寄せを行った。当日のスピーチの原稿も考えねばならなかった。
バナーや国旗のデザインと配置,社旗を日本へ注文。ゲストを送迎するシャトルバスを手配。建設会社には一斗樽と枡,それにはっぴも手配してもらった。日本や米国から来るゲストにはホテルを事前に予約する必要がある。
何もかも万全を尽くしたつもりでも,最終チェックで落ち度があった。日本語とスペイン語の同時通訳者に面接したところ,彼女は漢字が読めないという。日本語も3年余り喋っていないとたどたどしい日本語で言った。どこでどう間違ったのか同時通訳どころではない。
急遽,現地に住む日本人のネットワークを通して,大学で日本語を教えている日本人講師を2日前に探し当てた。
それと約2kmの仮設道路の敷設が5日前になっても全く着工しない。道路の途中にはクリークがあり,大きくくぼんで大型車は通れない。表土をすいて石を入れローラーで固める必要がある。物理的に時間がない。もうなるようにしかならないと諦めた。
さらに一番気掛かりなのは当日の天候である。昨年の同じ7月21日は台風の接近と重なり,100年に一回あるかないかというくらいの大雨で,川は氾濫し道路は冠水し,モンテレー全体が洪水に見舞われたらしい。晴れたら晴れたで,日中の気温は40℃を超えることはざらで,そうなるとテントの中は蒸し風呂と化す。
当日の天気は運を天に任せるしかなく,ただ祈るばかりである。
さて当日の朝,薄く立ち込めていた雲が段々厚さを増して行き,雲行きが怪しくなってきた。サイトに通じる仮設道路にはまだブルドーザーがうなっている。
テントの中の支度も至るところが中途半端である。バナーや国旗が飾られていない。鍬入れをする砂がない。ゲストに渡すギフトがない。ないない尽くしである。開会まであと1時間半しかない。
それでもセレモニー会社の人たちは黙々と作業を進めている。どうやら徹夜で作業をしているようである。
やがてゲストを迎え入れる頃には,道路はきれいに整備を終え,テント内の飾り付けもすっかり終わり,日本の本社から副社長を迎え,大統領の代理として,経済省の役人も迎え入れた。通訳もスタンバイの状態。筆者は現地のマスコミから新会社の代表としてインタビューを受けた。
この頃には雲の切れ間から陽が差し始め,気温も高くなり過ぎず絶好のコンディションになってきた。
定刻に式は始まったものの,メキシコシティーから来られる日本大使が,フライトの遅れにより,30分ほど会場到着が遅れただけで,滑り込みで鍬入れ式もでき,あとは全て打合せどおりに進行した。
スピーチもまずまずの出来栄えだと自賛し,同時通訳も全く問題なかった。
はっぴを着ての一斗樽の鏡割りも,メキシコ人には珍しく,翌日の新聞には“日本の伝統はプロジェクトの始めは鏡割りで祈る”と大きな写真入で報道された。
最終的には成功裏に終わった。やれやれである。
異国での事柄、言葉では言い表せないことも
あったのでは?
感無量といったところでしょうか!!!