このブログを書く際、常に手元に欠かせないのは辞書類だ。毎回、少なくとも数種類の辞典、事典を参考にする。
文字や意味を調べるのに頼りになる辞書だが、絶対視すべきではない。言葉足らずの説明や肝心の語釈の間違い、まれには誤植もある。
簡にして要を得た小型の国語辞書として定評のある『岩波国語辞典』。その第3版の第1刷(1979年12月4日発行)に何とも皮肉な誤植があった。「誤謬」という漢字が間違っていたのだ。語の定義だけでなく規範意識にもすぐれた『岩波国語辞典』を初版から愛用している私は、第3版についても発売されるとすぐ購入したらしく、問題の第1刷を持っている。それにはこうある。
ごびゅう【説謬】あやまり。「――を犯す」
注意深く見ないと読み飛ばしてしまいかねないが、「誤謬」の「誤」を「説」という間違った字のまま印刷・発行してしまったのである。この辞書の用例に従えば、自ら「誤謬を犯した」わけだ。
この「誤謬」は次の刷りから「正された」ことは言うまでもない。こうしたことがあるから辞書は新しいものができても初刷版の購入は見送り、2刷以降を買うべきだ、といわれるが、辞書マニアとしてはミスを見つけるのもまた楽しみの一つだ。
誤植のようなケアレスミスとは違って語釈、語の定義の間違いは、辞書の根幹に関わる。一例として「酢豆腐」をみてみよう。
手元にある『広辞苑』の第4版と第5版には、
(知ったかぶりをする人が酸敗した豆腐を「酢豆腐という料理だ」と称して食べたという笑話から)知ったかぶり。きいたふう。半可通。
とある。なんだか、この文を引用している私自身を指しているようでいささか気がひけるが、それはさておき、『広辞苑』の初版では、語義の1番目になんと「生豆腐に酢をかけた食品」と実在する料理として載せられていた。「きいたふう。半可通」という正しい語義が挙げられていたは2番目だった。
ウエッブ上のフリー百科事典『Wikipedia』も「虚構記事」の項の中で、
《『広辞苑』の第3版には、酢豆腐についての虚構記事が含まれていた。「酢豆腐」という落語の題材からとった言葉で、半可通を意味する。酢豆腐なる食べ物は実在しないのに「豆腐料理の一種」と記載されていた》
という主旨の解説をしている。しかし、私の持っている第3版(3刷)では正しい説明になっているので、あるいは第3版の途中の刷りから訂正したのかもしれない。
『国語辞書事件簿』(石山茂利夫著=草思社)によれば、『広辞苑』の前身の『辞苑』も、その親辞書の『広辞林』、『辞林』などの辞典も同工異曲の語釈をしていたといい、このうち『広辞林』は昭和58年発行の第6版でも直っていないそうだ。先行辞書の孫引きで「誤謬」までもが踏襲されてきていたのである。
辞書は引くだけでなく、読むのも楽しい。しかし、誤謬を犯されては困る。
文字や意味を調べるのに頼りになる辞書だが、絶対視すべきではない。言葉足らずの説明や肝心の語釈の間違い、まれには誤植もある。
簡にして要を得た小型の国語辞書として定評のある『岩波国語辞典』。その第3版の第1刷(1979年12月4日発行)に何とも皮肉な誤植があった。「誤謬」という漢字が間違っていたのだ。語の定義だけでなく規範意識にもすぐれた『岩波国語辞典』を初版から愛用している私は、第3版についても発売されるとすぐ購入したらしく、問題の第1刷を持っている。それにはこうある。
ごびゅう【説謬】あやまり。「――を犯す」
注意深く見ないと読み飛ばしてしまいかねないが、「誤謬」の「誤」を「説」という間違った字のまま印刷・発行してしまったのである。この辞書の用例に従えば、自ら「誤謬を犯した」わけだ。
この「誤謬」は次の刷りから「正された」ことは言うまでもない。こうしたことがあるから辞書は新しいものができても初刷版の購入は見送り、2刷以降を買うべきだ、といわれるが、辞書マニアとしてはミスを見つけるのもまた楽しみの一つだ。
誤植のようなケアレスミスとは違って語釈、語の定義の間違いは、辞書の根幹に関わる。一例として「酢豆腐」をみてみよう。
手元にある『広辞苑』の第4版と第5版には、
(知ったかぶりをする人が酸敗した豆腐を「酢豆腐という料理だ」と称して食べたという笑話から)知ったかぶり。きいたふう。半可通。
とある。なんだか、この文を引用している私自身を指しているようでいささか気がひけるが、それはさておき、『広辞苑』の初版では、語義の1番目になんと「生豆腐に酢をかけた食品」と実在する料理として載せられていた。「きいたふう。半可通」という正しい語義が挙げられていたは2番目だった。
ウエッブ上のフリー百科事典『Wikipedia』も「虚構記事」の項の中で、
《『広辞苑』の第3版には、酢豆腐についての虚構記事が含まれていた。「酢豆腐」という落語の題材からとった言葉で、半可通を意味する。酢豆腐なる食べ物は実在しないのに「豆腐料理の一種」と記載されていた》
という主旨の解説をしている。しかし、私の持っている第3版(3刷)では正しい説明になっているので、あるいは第3版の途中の刷りから訂正したのかもしれない。
『国語辞書事件簿』(石山茂利夫著=草思社)によれば、『広辞苑』の前身の『辞苑』も、その親辞書の『広辞林』、『辞林』などの辞典も同工異曲の語釈をしていたといい、このうち『広辞林』は昭和58年発行の第6版でも直っていないそうだ。先行辞書の孫引きで「誤謬」までもが踏襲されてきていたのである。
辞書は引くだけでなく、読むのも楽しい。しかし、誤謬を犯されては困る。