茨城には日本三大名瀑の一つ、袋田の滝があるが、隣県の栃木にもやはり三大名瀑の一つがある。日光の華厳の滝である。この名が一躍世に知られるようになったのは、明治36年(1903)5月、旧制一高の学生・藤村操が滝のかたわらのナラの大木の幹に、美文調の"哲学的な遺書"を書き残して投身自殺(注1に漱石との関わり)したのがきっかけだ。
「巌頭乃感」と題した遺書(注2に全文)は「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、この文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない身ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有の感性からか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか出典はあるのか。ずっと謎だった。ホレーショというのがシェークスピアの「ハムレット」の登場人物と知ったのは、中年になってからである。
しかし、疑問は完全には氷解しなかった。「ハムレット」を通読してみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに向かって"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"と語る個所だ(第1幕、第5場)。
字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのである。
英語学者の渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)によれば、この場合の"your"は、話者と聞き手の間に信頼のこもった親近感を作り出し、ごく個人的な肯定的判断や否定的判断を示す働きをしているので「君の」という意味ではない、という。実際、多くの辞書も、「あなた(たち)の」という一般的な語義とは別立てで、「{しばしば興味・非難・軽べつなどの意味を含んで}皆の知っている、例の、あの」(学研「スーパー・アンカー英和辞典」)という意味を掲載している。
ちなみに、現行の福田恒在訳が「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」、また小田島雄志訳が「この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」と"正しく"表現しているのは当然としても、はるか明治時代の坪内逍遙も「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳している。「当時としては驚くべき正確な」(渡部氏)英語力だ。
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《注1》哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
また、"この事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
今年は、「ホトトギス」誌上に連載していた「吾輩は猫である」が完結してからちょうど100年の記念の年にあたる。
《注2》巌頭乃感
悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。
「巌頭乃感」と題した遺書(注2に全文)は「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、この文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない身ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有の感性からか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか出典はあるのか。ずっと謎だった。ホレーショというのがシェークスピアの「ハムレット」の登場人物と知ったのは、中年になってからである。
しかし、疑問は完全には氷解しなかった。「ハムレット」を通読してみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに向かって"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"と語る個所だ(第1幕、第5場)。
字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのである。
英語学者の渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)によれば、この場合の"your"は、話者と聞き手の間に信頼のこもった親近感を作り出し、ごく個人的な肯定的判断や否定的判断を示す働きをしているので「君の」という意味ではない、という。実際、多くの辞書も、「あなた(たち)の」という一般的な語義とは別立てで、「{しばしば興味・非難・軽べつなどの意味を含んで}皆の知っている、例の、あの」(学研「スーパー・アンカー英和辞典」)という意味を掲載している。
ちなみに、現行の福田恒在訳が「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」、また小田島雄志訳が「この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」と"正しく"表現しているのは当然としても、はるか明治時代の坪内逍遙も「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳している。「当時としては驚くべき正確な」(渡部氏)英語力だ。
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《注1》哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
また、"この事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
今年は、「ホトトギス」誌上に連載していた「吾輩は猫である」が完結してからちょうど100年の記念の年にあたる。
《注2》巌頭乃感
悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。