言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

ホレーショの哲学(06/07/27)

2006-07-27 22:52:48 | 日本語と外国語
  茨城には日本三大名瀑の一つ、袋田の滝があるが、隣県の栃木にもやはり三大名瀑の一つがある。日光の華厳の滝である。この名が一躍世に知られるようになったのは、明治36年(1903)5月、旧制一高の学生・藤村操が滝のかたわらのナラの大木の幹に、美文調の"哲学的な遺書"を書き残して投身自殺(注1に漱石との関わり)したのがきっかけだ。

 「巌頭乃感」と題した遺書(注2に全文)は「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、この文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない身ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有の感性からか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか出典はあるのか。ずっと謎だった。ホレーショというのがシェークスピアの「ハムレット」の登場人物と知ったのは、中年になってからである。

  しかし、疑問は完全には氷解しなかった。「ハムレット」を通読してみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに向かって"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"と語る個所だ(第1幕、第5場)。

  字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのである。

  英語学者の渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)によれば、この場合の"your"は、話者と聞き手の間に信頼のこもった親近感を作り出し、ごく個人的な肯定的判断や否定的判断を示す働きをしているので「君の」という意味ではない、という。実際、多くの辞書も、「あなた(たち)の」という一般的な語義とは別立てで、「{しばしば興味・非難・軽べつなどの意味を含んで}皆の知っている、例の、あの」(学研「スーパー・アンカー英和辞典」)という意味を掲載している。

  ちなみに、現行の福田恒在訳が「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」、また小田島雄志訳が「この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」と"正しく"表現しているのは当然としても、はるか明治時代の坪内逍遙も「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳している。「当時としては驚くべき正確な」(渡部氏)英語力だ。

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《注1》哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
  また、"この事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
  今年は、「ホトトギス」誌上に連載していた「吾輩は猫である」が完結してからちょうど100年の記念の年にあたる。

《注2》巌頭乃感
悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

バラの棘(06/07/25)

2006-07-25 22:41:15 | ことわざ
 不可能の代名詞ともいわれた青いバラの開発の成功で、バラは青、赤、黄と絵の具の「三原色」がそろったわけだ。しかも、白ははるか昔からあるので、今後はさらに多彩な色のバラが自在に生まれることが期待されるが、バラの特徴はその美しさの陰に棘(とげ)を持っていることだ。バラの花を国の表象とする英国には、No rose without a thorn(とげのないバラはない=参考)という諺がある。

 バラのことが文献に歴史上初めて登場するのは、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』と言われるが、その中で、バラは棘のある植物の譬えとして取り上げられている。人を傷つけるもの、という意味合いだ。聖書にも、「彼ら汝らの肋(わき)を刺す茨とならん」(旧約『士師記』=注1)とか、「我は肉体に一つの棘を与えらる。すなわち我を撃つサタンの使いなり」(新約『コリント後書』=注2)とある。どうもバラの棘は、一種の凶器、武器と受け止められていたように思える。

 グリム童話の『いばらひめ』(『眠りの森の姫』)は、姫を求めてイバラの城に入った王子がイバラに引っかかって傷だらけになり、身動きが取れなくなってしまうという物語だ。

 日本では、バラはその昔「ウマラ」、「ウバラ」と呼ばれ、それが「イバラ」、「バラ」に転化したとされる。

 竹林を初めて見た茨城の地は、私にとって第二の故郷とも言うべき所だが、その県名は奇しくもグリム童話の「いばらひめ」が眠っていた"イバラの城"と同じ発想に由来している。奈良時代初期に諸国の地誌、伝説、産物などを編纂した風土記の茨城版ともいうべき『常陸風土記』には、蛮行を繰り返していた賊を退治するため、ウバラで城を築いたことから「茨城」と名付けた、と記述されている(注3)。



《参考》多くの英和辞典は、直訳を掲げた後に意訳も出しているが、その語釈は辞書によってさまざま。
  「世の中に完全な幸福はない」(研究社「リーダーズ英和辞典」)というストレートな訳から「どんな幸福なときにもどこかに悲しみや失望が多少あるものだ」(小学館「プログレッシブ英和中辞典」)や「この世に完全な幸福はない;忍ばねばならない部分がある、の意」(学習研究社「スーパー・アンカー英和辞典」)とかみくだいた説明調、あるいは「どんな幸福にも不幸が伴う」(大修館「ジーニアス英和辞典)といった"両面型"もある。
  ともかく上記の各英和辞典に共通しているのは、バラを幸福の象徴とみなしている点だ。それは、本場・英国の辞書、例えばかなり古い版だが「The Pocket Oxford Dictionary」(第5版)が、"rose without a thorn"の語義を"impossible happiness"(あり得ない幸福)としていることに因ったためだろう。
 ただ、戦前から名著として洛陽の紙価の高い『熟語本位英和中辭典』(岩波書店)と最近の「カレッジライトハウス英和辞典」(研究社)が、共に「楽あれば苦あり」としているほか、「ランダムハウス英和大辞典」(小学館)が「楽は苦の種、苦は楽の種;ままならぬは浮き世の習い」と日本語の諺に置き換えているのが目を引く。私見を言えば「禍福は糾(あざな)える縄の如し」といったところか。
 なお、No rose without a thorn.と同じ意味でEvery rose has its thorn.という英語もある。

《注1》They shall be as thorns in your sides.

《注2》There was given to me a thorn in the flesh, a messenger of Satan to buffet me.          (三省堂『英語イメージ辞典』より)


《注3》或るもの曰へらく、山の佐伯、野の佐伯、自ら賊(あた)の長(おさ)と為(な)り、徒衆(ともがら)を引率(ひきい)て、国中を横しまに行き、大(いた)く劫(かす)め殺しき。時に黒坂命(くろさかのみこと)、此の賊を規(はか)り滅ぼさむとて、茨(うばら)を以(も)ちて城(き)を造りき。所以(このゆえ)に、地(くに)の名を便(すなわ)ち茨城(うばらき)と謂(い)ふといひき。

青いバラ(06/07/07)

2006-07-07 20:39:48 | 日本語と外国語
 七夕に竹飾りは欠かせない。短冊に願い事を書いて庭に立てた青竹の枝に結ぶ。この行事には、牽牛星(彦星)と織女(姫)星が天の川を挟んで年に一度、7月7日の夜だけ会うというロマンティックな伝説が秘められている。木に竹を接ぐようだが、ロマンの香り高い花木と言えば薔薇(バラ)の花が一番だろう。だから文学に取り上げられるケースも数多い。

 たとえばシェークスピアの全作品に登場する植物およそ150種のうち断然多いのはバラだそうだ。「ロミオとジュリエット」では、恋する少女の切ない思いをバラに託してジュリエットが「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」と、ロミオに偶然聞かれていることも知らずにバルコニーで愛を独白した後「名前なんてどうでもいいんじゃないの?バラと呼んでいるあの花を、別の名前で呼んでも同じように甘く香るでしょう」《注1》と恋心を訴え続ける有名な場面がある。この後段のセリフは現在ではもう少し簡略化され、「バラはどんな名で呼ぼうとかぐわしい」《注2》という諺になっている。


 バラは甘美な香りもさることながら、その華麗にして典雅な美しさから「花の女王」とも呼ばれる。愛、喜び、美、純潔、の象徴とされる。そのせいもあって、"rose"を含んだ英語の慣用句、熟語にはプラス・イメージのものが多い。"roses and sunshine" が「すばらしいもの」、"a bed of roses" は「安楽な生活」(バラの花びらを敷いた床、の意から)、"smell like a rose" は「なんら非難されるところがない、クリーンだ」といった具合だ。

 赤、ピンク、白、黄……。バラは花の色も多彩だが、「青いバラ」はなかった。そこから "a blue rose"「ありえないもの、できない相談」(研究社「リーダーズ英和辞典」)という熟語が生まれ、不可能の代名詞ともされてきた。
 
 ところが――バイオテクノロジーの遺伝子組み換え技術を駆使した品種改良が急速に進み、2004年6月にサントリーが「世界で初めて”青いバラ”の開発に成功した」と発表したのだ。商品化されて店頭に出回る日も間近い。

 そうなれば、"a blue rose" の「不可能」は意味を成さなくなってしまう。ともかく「青いバラ」の花言葉として、早くも「奇跡」や「神の祝福」が候補に挙がっているとか。
   

 《注1》  What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet;

《注2》  A rose by any other name would smell as sweet.