英語には「リンカーン大統領は何代目か」と直截簡明に「何代目か」を尋ねる言い回しはない、という。本の題名は忘れたが、英語のネイティブスピーカーで日本語にも堪能な外国人の著作にそんな内容が書いてあるのを読んだことがある。そう言えば高島俊男氏の『お言葉ですが……』シリーズ⑤(文春文庫)に、同じテーマを軽妙な筆致で扱っていたのを思い出し、数種類の和英辞典にあたってみた。
その一つ、ソニーの電子辞書《注1》に搭載の『新和英中辞典』第4版(研究社)には、「リンカーン大統領は何代目のアメリカの大統領ですか――16代目です」という文例の日本語の後に“How many presidents were there before Lincoln?”という英語が載っている。「リンカーンの前には何人の大統領がいたか」というのだからいかにも回りくどく、とうてい“直截簡明”とは言い難いが、質問の意味は通る。しかし、ここで取り上げたのは、質問の仕方についてではない。辞典の答えに「誤謬」があったからである。
例文にある答えの英文は、なんと“Sixteen”、つまり「16人」だ。しかし、これではリンカーンは16代目ではなく17代目の大統領になってしまう。質問の英文に対する答えとしては“Fifteen”でなければならないところだ。
おそらく日本語の「16」につい引きずられて勘違いしたのだろう。さすがにその後改訂された『新和英中辞典』第5版(2002年9月発行)では、同じ例文の答えの英語の個所は“Fifteen”に直っていた。
間違いにはあたらないが、本来載せるべき言葉をうっかり欠落したまま刊行された例もある。私の座右の辞書『明鏡国語辞典』(大修館、2002年12月1日初版)には、ほとんどの辞書が見出し項目に立てている「他山の石」という成句が見あたらない。この言葉は、あの『新明解』の主幹を務めた山田忠雄氏が『私の語誌 1』(三省堂)という単行本の中で60㌻近くも割いて多数の用例を詳しく分析したほどの必須語である。「日本語の“達人”になる」を謳い文句にしている『明鏡』が意図的に落とす語とは考えられない。
案の定と言うべきか、2003年12月1日付け発行の『明鏡国語辞典 携帯版』には新たに「他山の石」の項目が立てられた。出典も含め4行にわたる語義が添えられている。この携帯版、親版より大きさが一回り小ぶりになっただけでページ数はまったく同じなので、2,3の語の語釈を虫食い削りしてスペースを作り出し、押し込んだのだ。ほかのページへ影響が及ばないようある1ページだけの中で処理されており、苦心のほどがうかがわれる。
何度読み返しても意味がつかめず、首をひねるケースもある。例えば、当ブログ06/10/10号の【辞書の個性】で取り上げた「右」の語義について、『日本国語大辞典』(小学館)は「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓のある方と反対の側。また、東西に二分したときの西方」と説明している。
私がひっかかったのは後段の「東西に二分したときの西方」という部分である。東西に二分したのなら、右は「西方」ではなく、「東方」にあたる、としか思えないのだが、今年1月に刊行された『精選版 日本国語大辞典』《注2》でも「東西に二分したときの西方」という記述を踏襲している。「正面を南に向けたとき」という冒頭の説明を前提にした記述というのであれば、「西方」はダブリになるのだから、後段の「東西に二分したときの西方」はまったく不要と思うのだが、あるいは当方の読み方・解釈が間違っているのか。ともかく辞書の語釈として分かりにくい記述だ。
《注1》DIGITAL DATA VIEWER DD-IC2050
《注2》13巻からなる親版(索引を入れると14巻)を全3巻に凝縮して編集。新語や新用例も加えられているが、中身はほとんど親版と同じ。
その一つ、ソニーの電子辞書《注1》に搭載の『新和英中辞典』第4版(研究社)には、「リンカーン大統領は何代目のアメリカの大統領ですか――16代目です」という文例の日本語の後に“How many presidents were there before Lincoln?”という英語が載っている。「リンカーンの前には何人の大統領がいたか」というのだからいかにも回りくどく、とうてい“直截簡明”とは言い難いが、質問の意味は通る。しかし、ここで取り上げたのは、質問の仕方についてではない。辞典の答えに「誤謬」があったからである。
例文にある答えの英文は、なんと“Sixteen”、つまり「16人」だ。しかし、これではリンカーンは16代目ではなく17代目の大統領になってしまう。質問の英文に対する答えとしては“Fifteen”でなければならないところだ。
おそらく日本語の「16」につい引きずられて勘違いしたのだろう。さすがにその後改訂された『新和英中辞典』第5版(2002年9月発行)では、同じ例文の答えの英語の個所は“Fifteen”に直っていた。
間違いにはあたらないが、本来載せるべき言葉をうっかり欠落したまま刊行された例もある。私の座右の辞書『明鏡国語辞典』(大修館、2002年12月1日初版)には、ほとんどの辞書が見出し項目に立てている「他山の石」という成句が見あたらない。この言葉は、あの『新明解』の主幹を務めた山田忠雄氏が『私の語誌 1』(三省堂)という単行本の中で60㌻近くも割いて多数の用例を詳しく分析したほどの必須語である。「日本語の“達人”になる」を謳い文句にしている『明鏡』が意図的に落とす語とは考えられない。
案の定と言うべきか、2003年12月1日付け発行の『明鏡国語辞典 携帯版』には新たに「他山の石」の項目が立てられた。出典も含め4行にわたる語義が添えられている。この携帯版、親版より大きさが一回り小ぶりになっただけでページ数はまったく同じなので、2,3の語の語釈を虫食い削りしてスペースを作り出し、押し込んだのだ。ほかのページへ影響が及ばないようある1ページだけの中で処理されており、苦心のほどがうかがわれる。
何度読み返しても意味がつかめず、首をひねるケースもある。例えば、当ブログ06/10/10号の【辞書の個性】で取り上げた「右」の語義について、『日本国語大辞典』(小学館)は「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓のある方と反対の側。また、東西に二分したときの西方」と説明している。
私がひっかかったのは後段の「東西に二分したときの西方」という部分である。東西に二分したのなら、右は「西方」ではなく、「東方」にあたる、としか思えないのだが、今年1月に刊行された『精選版 日本国語大辞典』《注2》でも「東西に二分したときの西方」という記述を踏襲している。「正面を南に向けたとき」という冒頭の説明を前提にした記述というのであれば、「西方」はダブリになるのだから、後段の「東西に二分したときの西方」はまったく不要と思うのだが、あるいは当方の読み方・解釈が間違っているのか。ともかく辞書の語釈として分かりにくい記述だ。
《注1》DIGITAL DATA VIEWER DD-IC2050
《注2》13巻からなる親版(索引を入れると14巻)を全3巻に凝縮して編集。新語や新用例も加えられているが、中身はほとんど親版と同じ。