言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

「黄色い花嫁 」(06/08/01)

2006-08-01 00:08:13 | 翻訳
 「巌頭乃感」に記された「ホレーショの哲学」(06/07/27号参照)は、語法、語義の間違いだったが、翻訳のミスないしはズレには、文化の違いによるものも多い。

  ちょうど1年前の夏、京都で1週間余にわたって「世界合唱シンポジウム」《注1》という国際的なコーラスの祭典が開かれた。この一大イベントに広報担当として関わっていた私は、大会の公式言語の英語から日本語に翻訳されたプログラムの内容を点検中、ある日のコンサートの曲目を目にして違和感を覚えた。「黄色い花嫁」。トルコの合唱団が歌う予定のこの曲は隣国・アゼルバイジャンのフォークソングだというが、曲名が解せない。黄色い肌をした花嫁、ひょっとして日本人の花嫁という意味なのか、あるいは衣装の色を指しているのか。

  トルコの合唱団がシンポジウム事務局に提出していた英文の資料を見ると、確かに"Yellow Bride"とある。字句通り日本語に移し替えれば「黄色い花嫁」となる。常識的な訳に見えるが、「黄色い」と「花嫁」という二つの単語の結びつきがしっくりこない。それに、黄色人種の身としてはどこか差別語的な感じも拭いきれない。どうしても気になるので、インターネットでアゼルバイジャンの関連サイトを検索し、E-mailで問い合わせてみた。

  返事はすぐに来た。しかもサイトの管理者本人から直々だった。それによると、原題は"Sari Galin"、英語訳の"yellow"は「黄色またはブロンドの髪」の意味だという。"yellow"が髪の色を指すとは思い及ばなかったが、ともかく「金髪の花嫁」という題名なら納得がいく《注2》。この歌はもともとアゼルバイジャンの山村地帯に伝わるフォークソングで、その一帯には金髪の人びとがいる、という親切な説明も書き添えられていた。

  サイトの管理者は、米国のカリフォルニアに住みながら"Azerbaijan International"という英文雑誌の編集長をしている女性だった《注3》。その後のメールのやりとりを通して、英語に堪能なのはもちろんアゼルバイジャンの文化に誇りを持っている知識人とうかがえた。

  "yellow"、必ずしも「黄色」とは限らないと同様に、金髪といえば"blonde"と機械的に当てはめるのも短絡的――我が身にも覚えがある。

  フォスターの有名な「金髪のジェニー」《注4》。中学校の音楽の授業で英語の歌詞も教わり、"I dream of Jeanie with the light brown hair"と何気なく歌っていたものだが、後年、歌詞をよく見ると「金髪」にあたる個所は"the light brown hair" なっている。それどころか、題名からして"Jeanie with the light brown hair"だ。直訳すれば「明るい茶色の髪のジェニー」となる。今風に「茶髪(ちゃぱつ)のジェニー」としては詩情あふれる名曲のイメージが狂ってしまう。
  
  色にまつわる文化の違いは髪の毛に限らず数多くある。次回は、虹は何色(なんしょく)かを取り上げてみよう。


《注1》国際合唱連合と開催国の合唱連盟の主催。3年に1回開かれる。昨年の京都大会には49カ国・地域から約6000人が参加した。7月27日~8月3日の期間中、毎日ワークショップ/セミナー、コンサートなど盛りだくさんの音楽イベントが催された。

《注2》結局、曲名の英語表記は"The Blonde Bride"に改められた。

《注3》なぜ米国に居を構えているのか分からないが、アゼルバイジャンの熱烈な愛国者であることは間違いない。注文したわけでもないのに、米国から拙宅宛に豪華な装丁の雑誌"Azerbaijan International"と、該当の曲が入ったアゼルバイジャンの音楽CDまで送ってくれた。  

《注4》日本語の歌詞は、http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kinpatsuno.html と http://www.worldfolksong.com/foster/song/jeanie.htm を参照。