先週の土曜から日曜にかけて、地元の囲碁同好会の仲間と温泉旅館に一泊して「碁会」を楽しんだ。目的地の駅に着いたのが昼過ぎだったので、軽くソバでも食べてから旅館に行こうということになったが、はじめにのぞいたソバ屋は満席だった。その時、一行の1人が「時分どきだから……」とつぶやいた。〈混んでいるのは仕方がないか〉という気持ちが独り言になったのかもしれない。
「時分時(じぶんどき)」。久しく聞いていない言葉だった。「食事の時間」「めし時」という意味の、しっとりとして情趣に富んだ日本語だ。奥ゆかしい感じもする。私自身は口にしたことはないが、昔は時々耳にしたものだ。
久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)に、この捨てがたい言葉が出てくる。向田邦子さんと青木玉さんの作品から例文を挙げた後、「辞書を引いても、ただ食事の時刻としか書いてないが、朝御飯や夕飯にはあまり使わないのが〈時分どき〉の面白いところである。(二人の例文の場合も)これは昼御飯である。(中略)だいたい午前11時から午後1時までが〈時分どき〉ということになる」と解説している。確かに朝食や夕食にはしっくりこない。が、昼ご飯の頃を指すのには似合う。普通は話し言葉に使われるが、ちょっぴり渋くて粋(いき)な趣きさえする。
それに比べて、標題に掲げたもう一つの言葉・「つとに」は、渋いというよりは心持ち構えた、仰々しい響きがある。それでいて誤用が多い。前回と前々回に取り上げた「すべからく」と、その点で共通している。
「つとに」は漢字では「夙に」と書くのだそうだが、意味は「朝早く」「早くから、相当以前から」「幼いときから」である。「早朝」の意味では古くから用いられ《注1》、「春は曙」の書き出しで“つとに”知られる『枕草子』の第1段に、「冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず」《注2》〈冬は早朝(が素晴らしい)。雪の降った朝は言うまでもない〉という一節がある。
現在ではたいてい2番目の意味で使われ、「大野晋氏は、つとに高名な国語学者である」という風な言い回しが普通だ。
ところが、実際には、「特に」「大変に」「とても」の意味に間違って用いられているケースが目につく。「近頃つとに思うのは」とか「ここ最近つとに感じることがある」とか、といった具合だ。谷沢永一氏は『知らない日本語 教養が試される341語』(幻冬舎)の中で、「この店は、最近、タレントの○○が紹介して以来、“つとに”有名である」などという誤用が氾濫しているようだ、と例を示した上で、
「つとに」は、「古くから、以前から」という意味で、「とくに」という意味はない。また、「先週」や「最近」のことでは、いささか新しすぎる。(中略)「つとに有名な店」とは、せめて五~六年は繁盛を保っている店をいうのである。
と、少し皮肉を込め戒めている。間違いがちな言葉として“つとに”知られていることではある。
《注1》「つとめて」は「つとに」の派生語。『岩波古語辞典』(大野晋、佐竹昭広、前田金五郎編)の「つとめて」の項には、「ツトは夙の意。早朝の意から翌朝の意になった」として「源氏物語」から二つの引用文を載せている。
《注2》『新 日本古典文学大系25』(岩波書店)
「時分時(じぶんどき)」。久しく聞いていない言葉だった。「食事の時間」「めし時」という意味の、しっとりとして情趣に富んだ日本語だ。奥ゆかしい感じもする。私自身は口にしたことはないが、昔は時々耳にしたものだ。
久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)に、この捨てがたい言葉が出てくる。向田邦子さんと青木玉さんの作品から例文を挙げた後、「辞書を引いても、ただ食事の時刻としか書いてないが、朝御飯や夕飯にはあまり使わないのが〈時分どき〉の面白いところである。(二人の例文の場合も)これは昼御飯である。(中略)だいたい午前11時から午後1時までが〈時分どき〉ということになる」と解説している。確かに朝食や夕食にはしっくりこない。が、昼ご飯の頃を指すのには似合う。普通は話し言葉に使われるが、ちょっぴり渋くて粋(いき)な趣きさえする。
それに比べて、標題に掲げたもう一つの言葉・「つとに」は、渋いというよりは心持ち構えた、仰々しい響きがある。それでいて誤用が多い。前回と前々回に取り上げた「すべからく」と、その点で共通している。
「つとに」は漢字では「夙に」と書くのだそうだが、意味は「朝早く」「早くから、相当以前から」「幼いときから」である。「早朝」の意味では古くから用いられ《注1》、「春は曙」の書き出しで“つとに”知られる『枕草子』の第1段に、「冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず」《注2》〈冬は早朝(が素晴らしい)。雪の降った朝は言うまでもない〉という一節がある。
現在ではたいてい2番目の意味で使われ、「大野晋氏は、つとに高名な国語学者である」という風な言い回しが普通だ。
ところが、実際には、「特に」「大変に」「とても」の意味に間違って用いられているケースが目につく。「近頃つとに思うのは」とか「ここ最近つとに感じることがある」とか、といった具合だ。谷沢永一氏は『知らない日本語 教養が試される341語』(幻冬舎)の中で、「この店は、最近、タレントの○○が紹介して以来、“つとに”有名である」などという誤用が氾濫しているようだ、と例を示した上で、
「つとに」は、「古くから、以前から」という意味で、「とくに」という意味はない。また、「先週」や「最近」のことでは、いささか新しすぎる。(中略)「つとに有名な店」とは、せめて五~六年は繁盛を保っている店をいうのである。
と、少し皮肉を込め戒めている。間違いがちな言葉として“つとに”知られていることではある。
《注1》「つとめて」は「つとに」の派生語。『岩波古語辞典』(大野晋、佐竹昭広、前田金五郎編)の「つとめて」の項には、「ツトは夙の意。早朝の意から翌朝の意になった」として「源氏物語」から二つの引用文を載せている。
《注2》『新 日本古典文学大系25』(岩波書店)
「つとに」を調べているうちに、こちらにつながりました。
大変助かりました。ブログのコンセプトがおもしろいです。