言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

「利休鼠(ねずみ)の雨」の色(06/09/20)

2006-09-20 11:26:52 | 言葉の遊歩道
  古代の日本語には、色を示す固有の言葉は四つしかなかった。それは、「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色である(06/08/18号の「虹は何色か」参照)。

  このうち「アオ」について、「日本国語大辞典」第二版《注》は「本来は、黒と白の中間の範囲を示す広い色名」とし、さらに「語誌」欄の中で、上代から用いられ、その色相は青、緑、紫、さらに黒、白、灰色も含んでいた、と補足説明している。

  前回(06/09/15号)で述べた「緑の黒髪」や「青毛の馬」という表現は、古来の日本語の言い回しに則っているわけだ。

  また、「黒と白の中間の色」にしぼって直截に言うと、灰色またはねずみ色になる。“ねずみ色”とくれば、名曲「城ヶ島の雨」の「利久鼠の雨がふる」の一節が思い浮かぶ。作詞は北原白秋。
  
     雨はふるふる 城ケ島の磯に
    利久鼠の 雨がふる
    雨は真珠か 夜明けの霧か
    それとも私の 忍び泣き

    舟はゆくゆく 通り矢のはなを
    濡れて帆あげた ぬしの舟

    ええ 舟は櫓でやる
    櫓は唄でやる
    唄は船頭さんの 心意気

    雨はふるふる 日はうす曇る
    舟はゆくゆく 帆がかすむ

  「言葉の魔術師」にふさわしい巧みなレトリックの詩である。大正ロマンあふれるメロディーと相まって、歌い出しに続く歌詞の一節、「利休鼠」という言葉が一般化したと言われるが、さて「利休鼠」とは? 面と向かってそう聞かれると首をひねる向きも多いのではあるまいか。

   茶道をたしなむ人には自明のことだろうが、染色用語で「利休色」といえば、千利休にちなんで抹茶の色の黒みがかった緑を意味する。そこから、「利休鼠」は、緑色を帯びた灰色を指すのに使われる。

   時折白い雨滴が光って見える霧のような雨。当時、白秋は苦難と悲嘆の中にあった。そこからなんとか抜け出そうと苦悶する詩人。その痛切な心情を「利休鼠」に託して水墨画のように写し出した詩、とも解釈できる。

   水墨画はモノクロの世界だ。古代の日本語と似ている。「赤」、「青」、「白」、「黒」の基本4色のうち、「白」と「黒」は文字通りのモノクロだ。「青」はこれまで述べてきたように灰色をも指すが、その根底には「明るいとも暗いともはっきりせず、あいまい」というコアの意味がある。残る「赤」は、実は「青」と意味の上で対立する反対語で、「(あいまいでなく)明るくはっきりしている」というのが元々の意味だ。

    こうしてみると、古代日本語で色に関係する基本4語は、初めの頃は色彩そのものではなく、光の明暗や明瞭さを示すだけだったのかもしれない。現に、「赤」=明(メイ、あかるいこと)、「青」=漠(バク、はっきりしないさま)、「白」=顕(ケン、あきらかであること)、「黒」=暗(アン、くらい、くろっぽい)と漢字で表記する説もある。

    古代日本語は、私見だが、モノクロの世界だった、と言えそうだ。ただし、急いで付け加えれば、当時の人びとが黄やピンクや茶などの色を識別できなかったというわけではない。多様な色を表現する語があるか、ないかということと、ある色を他の色と区別できる、できないこととは必ずしも関係ないのである。音楽でド、ミ、ソという音名を知らなくとも、ドとソのどちらの音が高いかは分かるのと同じことだ。


  《注》全13巻、別冊の索引も入れると14巻からなる我が国最大の国語辞典。用例が豊富で語源にも詳しい。「青」の項だけで150行近い記述がある。「青い」も含めると225行にも及ぶ。小学館発行。

  《参考文献》「言語-ことばの研究序説」(エドワード・サピア著、岩波文庫)、「日本大百科全書」(小学館)、「日本伝統色色名事典」(日本流行色協会)

  《参考サイト》日本の色の由来(www.warlon.co.jp/products/jpcolor.html)
          北原白秋記念館(www.hakushu.or.jp/note/main2.html)