言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

「すべからく」は「全て」ではない(06/11/10)

2006-11-10 21:55:50 | 辞典
    文筆を業としているような人でもうっかり間違えて使う言葉の一つに「すべからく」がある。漢字では「須らく」あるいは「須く」と表記する。元々は漢文訓読から生まれた用法で「すべからく~すべし」と使う。「当然(あるいは、為すべきこととして)~しなければならない」という意味だ。「学生はすべからく勉強すべきである」といった具合に用いられる。

    ところが、この「すべからく」を「すべて」のという意味の高級な、あるいは高尚な表現と思いこんで誤用している例が目立つ。よく引き合いに出される「学生は……」という上記の例文のように、「すべて」の意味でもごく自然に通じるケースが多いからだろう。実際、両様にとれる文脈も少なくない。だからというわけではないが、私自身も若い頃、「すべて」の意味で使ったことがあるような気がするが、「すべからく」には「すべて」の意味はまったくない。

    言葉についての造詣が深い呉智英氏や高島俊男氏は、それぞれの著作の中で高名な学者・評論家の実名を挙げて「すべからく」の誤用例を指摘しているが、私が自分で見つけた、誤用ではないかと思われる例を一つだけ挙げてみよう。

    それは、直木賞受賞者というより当代きっての流行作家・渡辺淳一氏の『創作の現場から』(集英社)のこんな一節だ。「はっきりいって小説家に限らず表現者たるものはすべからく、時代に合わせたいと思っているものです」。

    「すべからく」は下に「べし」や「べきだ」を伴って“義務”や“当然”、“必要”を表すのが普通の語法なのに、渡辺氏のこの文には、「すべからく」に呼応する「べし」や「べきだ」という語もないので、「表現者たるものすべて」の“願望”を示しているものと思われる。文体が「です、ます調」だから、あるいは口述筆記をして編集者が誤ったのかもしれないが、本のオビに「小説をどう書いてきたか。小説はどう書けばよいか。」とあるのは皮肉だ。

    「すべからく」という語を国語辞典はどう扱っているか。ここ数年の間に刊行された新しい辞書の中には、誤用について注意を喚起しているものも出てきた。『明鏡国語辞典』(大修館)の場合、「語法」欄に
「落ち武者たちはすべからく討ち死にした」など、「すべて」の意に解するのは誤り。
と解説している。

     また、先月下旬に発売されたばかりの『大辞林』第3版(三省堂)も、言葉の由来と語釈《注》の後に、第2版にはなかった次のような注記を添えている。
(近年「各ランナーはすべからく完走した」などと「すべて」の意で用いる場合があるが、誤り)

      前回、前々回で紹介したように辞書にも時に間違いはあるが、それでもなお、文章を書く者の最低限の心構えとしてすべからく座右に辞書を備えておくべし、と今改めて思う。


《注》[漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)の約。下に「べし」が来ることが多い]ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生はすべからく勉強すべし」(古くは「すべからくは」の形でも用いられた]

《補足》「すべからく」の語の文法的な解析について『日本国語大辞典』第2版(小学館)は次のように記述している。
     [サ変動詞「す」に、推量の助動詞「べし」の補助活用「べかり」のついた「すべかり」のク語法。多く下に推量の助動詞「べし」を伴って用いる]