言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

虹の色はいくつか(06/08/18)

2006-08-18 22:41:02 | 日本語と外国語
  虹の色はいくつか、と尋ねられたら、“現代の日本人なら”考えるまでもなく「七つ」と答えるだろう。「七色の虹」は、日本人にとって「青い空」というのと同じような定型表現になっており、小学生でも知っている常識だ《注1》。

  しかし、色彩そのものに対する認識は民族・言語、あるいは時代によっても違うので、「七色の虹」にしても万国共通の常識とは言えない。英語圏では、一般に6色(ただし、学校教育では7色)、フランスでは5色とされているものの人によっては7色とか3色、アフリカのショナ族3色、南アジアのバイガ族という人びとでは赤と黒の2色、という説もありバラバラだ《『社会人のための 英語の常識小百科』=大修館、『日本語と外国語』(鈴木孝夫著、岩波新書)など参照、注2》。

  冒頭に“現代の日本人なら”とあえて記したのは、日本でも古くは、基本的な色名としては「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色とされていた時代があったからだ。

  この4色は、「アカい」、「アオい」、「シロい」、「クロい」のように「語幹(色名)+い」の形だけで表わすことが可能だ。「アカアカと」、「アオアオと」、「シラジラと」、「クログロと」という形の副詞にもできる。つまり日本語としての歴史が古く、"成熟"した言葉とも言える。が、その後生まれたとみられるほかの色の名前は、例えば黄は「黄色い」のように「語幹+色+い」か、緑の場合だと「緑色の」というように「語幹+色+の」で表現する必要がある。もちろん、「キギと」とか「ミドリミドリと」とかいう副詞はない。

  その後、5世紀頃に中国から伝来した五行思想《注3》の影響で上記の4色に黄が加わり、青、赤、黄、白、黒の5色が基本の色名になったと言われる。

  本題の虹の色に話を戻すと、もちろん現代の日本では、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫の7色だ。しかし、7色の名を全部言えるかというと、つまずく人も多いのではあるまいか(私の場合、藍色を忘れる)。で、覚え方としては、アカ、ダイダイ……と節をつけて歌う方法もあるらしいが、セキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シと音読みして一気に7拍で暗記してしまうのが簡便だ。

  一応、7色を正規の虹の色数としている英語では、Red,Orange,Yellow,Green,Blue,Indigo,Violetとなるが、この頭文字を順にとってRoy G. Biv(ロイ・G・ビヴ)と人名ごときものを作り上げるか、色の名を逆順にしてvibgyor(ヴィブギオール)と単語風に一口で読む手もある。また英国では”Richard Of York Gave Battle In Vain.”(ヨーク家のリチャードは戦いを挑んだが、無駄だった)という文の形にして覚える方法もあるという(友清理士著『英語のニーモニック』=研究社)。


《注1》虹の色は物理的には太陽の可視光線の中で波長の長い赤から最も短い紫までの連続階調からなる。この事実をプリズムで発見したニュートンが7色に分類した。
  しかし、『日本大百科全書』(小学館)によると、虹の7色が同時にそろって現れることは非常にまれで、どの色が現れやすいかは雨滴の大きさによる。大きい雨滴(直径1~2㍉)の時は、赤、橙、緑、紫色がはっきり出る。また小さい雨滴(直径0.2~0.3㍉)のときは、橙、緑の二色ぐらいとなり、虹の幅も広くなる。

《注2》知見にあふれた名著『日本語と外国語』の中で鈴木孝夫氏は、「英国人に直接尋ねてみると、8や9だと言う人があるかと思うと、中には無限ではないか、と言う人もいる。たしか学校で習ったが忘れたとか、あるいは6か7だったかはっきりしない人もおり、本当に一人ひとりがばらばらだ」(一部省略)と述べている。

《注3》木(緑色)、火(紅色)、土(黄色)、金(白色)、水(黒色)。
  
  

ホレーショの哲学(06/07/27)

2006-07-27 22:52:48 | 日本語と外国語
  茨城には日本三大名瀑の一つ、袋田の滝があるが、隣県の栃木にもやはり三大名瀑の一つがある。日光の華厳の滝である。この名が一躍世に知られるようになったのは、明治36年(1903)5月、旧制一高の学生・藤村操が滝のかたわらのナラの大木の幹に、美文調の"哲学的な遺書"を書き残して投身自殺(注1に漱石との関わり)したのがきっかけだ。

 「巌頭乃感」と題した遺書(注2に全文)は「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、この文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない身ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有の感性からか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか出典はあるのか。ずっと謎だった。ホレーショというのがシェークスピアの「ハムレット」の登場人物と知ったのは、中年になってからである。

  しかし、疑問は完全には氷解しなかった。「ハムレット」を通読してみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに向かって"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"と語る個所だ(第1幕、第5場)。

  字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのである。

  英語学者の渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)によれば、この場合の"your"は、話者と聞き手の間に信頼のこもった親近感を作り出し、ごく個人的な肯定的判断や否定的判断を示す働きをしているので「君の」という意味ではない、という。実際、多くの辞書も、「あなた(たち)の」という一般的な語義とは別立てで、「{しばしば興味・非難・軽べつなどの意味を含んで}皆の知っている、例の、あの」(学研「スーパー・アンカー英和辞典」)という意味を掲載している。

  ちなみに、現行の福田恒在訳が「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」、また小田島雄志訳が「この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」と"正しく"表現しているのは当然としても、はるか明治時代の坪内逍遙も「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳している。「当時としては驚くべき正確な」(渡部氏)英語力だ。

.
《注1》哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
  また、"この事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
  今年は、「ホトトギス」誌上に連載していた「吾輩は猫である」が完結してからちょうど100年の記念の年にあたる。

《注2》巌頭乃感
悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

青いバラ(06/07/07)

2006-07-07 20:39:48 | 日本語と外国語
 七夕に竹飾りは欠かせない。短冊に願い事を書いて庭に立てた青竹の枝に結ぶ。この行事には、牽牛星(彦星)と織女(姫)星が天の川を挟んで年に一度、7月7日の夜だけ会うというロマンティックな伝説が秘められている。木に竹を接ぐようだが、ロマンの香り高い花木と言えば薔薇(バラ)の花が一番だろう。だから文学に取り上げられるケースも数多い。

 たとえばシェークスピアの全作品に登場する植物およそ150種のうち断然多いのはバラだそうだ。「ロミオとジュリエット」では、恋する少女の切ない思いをバラに託してジュリエットが「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」と、ロミオに偶然聞かれていることも知らずにバルコニーで愛を独白した後「名前なんてどうでもいいんじゃないの?バラと呼んでいるあの花を、別の名前で呼んでも同じように甘く香るでしょう」《注1》と恋心を訴え続ける有名な場面がある。この後段のセリフは現在ではもう少し簡略化され、「バラはどんな名で呼ぼうとかぐわしい」《注2》という諺になっている。


 バラは甘美な香りもさることながら、その華麗にして典雅な美しさから「花の女王」とも呼ばれる。愛、喜び、美、純潔、の象徴とされる。そのせいもあって、"rose"を含んだ英語の慣用句、熟語にはプラス・イメージのものが多い。"roses and sunshine" が「すばらしいもの」、"a bed of roses" は「安楽な生活」(バラの花びらを敷いた床、の意から)、"smell like a rose" は「なんら非難されるところがない、クリーンだ」といった具合だ。

 赤、ピンク、白、黄……。バラは花の色も多彩だが、「青いバラ」はなかった。そこから "a blue rose"「ありえないもの、できない相談」(研究社「リーダーズ英和辞典」)という熟語が生まれ、不可能の代名詞ともされてきた。
 
 ところが――バイオテクノロジーの遺伝子組み換え技術を駆使した品種改良が急速に進み、2004年6月にサントリーが「世界で初めて”青いバラ”の開発に成功した」と発表したのだ。商品化されて店頭に出回る日も間近い。

 そうなれば、"a blue rose" の「不可能」は意味を成さなくなってしまう。ともかく「青いバラ」の花言葉として、早くも「奇跡」や「神の祝福」が候補に挙がっているとか。
   

 《注1》  What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet;

《注2》  A rose by any other name would smell as sweet.