言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

引っ越しました(07/01/10)

2007-01-10 13:31:42 | 言葉の遊歩道
  ブログ「言語楼」を引っ越しました。

移転先のURLは、
    http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june
                        です。

  これまで見ていただいてありがとうございます。引っ越し先にも、ぜひのぞきに来てください。

「時分どき」は「つとに」使かわない?(06/11/30)

2006-11-30 18:14:45 | 言葉の遊歩道
    先週の土曜から日曜にかけて、地元の囲碁同好会の仲間と温泉旅館に一泊して「碁会」を楽しんだ。目的地の駅に着いたのが昼過ぎだったので、軽くソバでも食べてから旅館に行こうということになったが、はじめにのぞいたソバ屋は満席だった。その時、一行の1人が「時分どきだから……」とつぶやいた。〈混んでいるのは仕方がないか〉という気持ちが独り言になったのかもしれない。

    「時分時(じぶんどき)」。久しく聞いていない言葉だった。「食事の時間」「めし時」という意味の、しっとりとして情趣に富んだ日本語だ。奥ゆかしい感じもする。私自身は口にしたことはないが、昔は時々耳にしたものだ。

    久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)に、この捨てがたい言葉が出てくる。向田邦子さんと青木玉さんの作品から例文を挙げた後、「辞書を引いても、ただ食事の時刻としか書いてないが、朝御飯や夕飯にはあまり使わないのが〈時分どき〉の面白いところである。(二人の例文の場合も)これは昼御飯である。(中略)だいたい午前11時から午後1時までが〈時分どき〉ということになる」と解説している。確かに朝食や夕食にはしっくりこない。が、昼ご飯の頃を指すのには似合う。普通は話し言葉に使われるが、ちょっぴり渋くて粋(いき)な趣きさえする。

    それに比べて、標題に掲げたもう一つの言葉・「つとに」は、渋いというよりは心持ち構えた、仰々しい響きがある。それでいて誤用が多い。前回と前々回に取り上げた「すべからく」と、その点で共通している。

    「つとに」は漢字では「夙に」と書くのだそうだが、意味は「朝早く」「早くから、相当以前から」「幼いときから」である。「早朝」の意味では古くから用いられ《注1》、「春は曙」の書き出しで“つとに”知られる『枕草子』の第1段に、「冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず」《注2》〈冬は早朝(が素晴らしい)。雪の降った朝は言うまでもない〉という一節がある。

    現在ではたいてい2番目の意味で使われ、「大野晋氏は、つとに高名な国語学者である」という風な言い回しが普通だ。

    ところが、実際には、「特に」「大変に」「とても」の意味に間違って用いられているケースが目につく。「近頃つとに思うのは」とか「ここ最近つとに感じることがある」とか、といった具合だ。谷沢永一氏は『知らない日本語 教養が試される341語』(幻冬舎)の中で、「この店は、最近、タレントの○○が紹介して以来、“つとに”有名である」などという誤用が氾濫しているようだ、と例を示した上で、

      「つとに」は、「古くから、以前から」という意味で、「とくに」という意味はない。また、「先週」や「最近」のことでは、いささか新しすぎる。(中略)「つとに有名な店」とは、せめて五~六年は繁盛を保っている店をいうのである。

と、少し皮肉を込め戒めている。間違いがちな言葉として“つとに”知られていることではある。

    
《注1》「つとめて」は「つとに」の派生語。『岩波古語辞典』(大野晋、佐竹昭広、前田金五郎編)の「つとめて」の項には、「ツトは夙の意。早朝の意から翌朝の意になった」として「源氏物語」から二つの引用文を載せている。

《注2》『新 日本古典文学大系25』(岩波書店)

「利休鼠(ねずみ)の雨」の色(06/09/20)

2006-09-20 11:26:52 | 言葉の遊歩道
  古代の日本語には、色を示す固有の言葉は四つしかなかった。それは、「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色である(06/08/18号の「虹は何色か」参照)。

  このうち「アオ」について、「日本国語大辞典」第二版《注》は「本来は、黒と白の中間の範囲を示す広い色名」とし、さらに「語誌」欄の中で、上代から用いられ、その色相は青、緑、紫、さらに黒、白、灰色も含んでいた、と補足説明している。

  前回(06/09/15号)で述べた「緑の黒髪」や「青毛の馬」という表現は、古来の日本語の言い回しに則っているわけだ。

  また、「黒と白の中間の色」にしぼって直截に言うと、灰色またはねずみ色になる。“ねずみ色”とくれば、名曲「城ヶ島の雨」の「利久鼠の雨がふる」の一節が思い浮かぶ。作詞は北原白秋。
  
     雨はふるふる 城ケ島の磯に
    利久鼠の 雨がふる
    雨は真珠か 夜明けの霧か
    それとも私の 忍び泣き

    舟はゆくゆく 通り矢のはなを
    濡れて帆あげた ぬしの舟

    ええ 舟は櫓でやる
    櫓は唄でやる
    唄は船頭さんの 心意気

    雨はふるふる 日はうす曇る
    舟はゆくゆく 帆がかすむ

  「言葉の魔術師」にふさわしい巧みなレトリックの詩である。大正ロマンあふれるメロディーと相まって、歌い出しに続く歌詞の一節、「利休鼠」という言葉が一般化したと言われるが、さて「利休鼠」とは? 面と向かってそう聞かれると首をひねる向きも多いのではあるまいか。

   茶道をたしなむ人には自明のことだろうが、染色用語で「利休色」といえば、千利休にちなんで抹茶の色の黒みがかった緑を意味する。そこから、「利休鼠」は、緑色を帯びた灰色を指すのに使われる。

   時折白い雨滴が光って見える霧のような雨。当時、白秋は苦難と悲嘆の中にあった。そこからなんとか抜け出そうと苦悶する詩人。その痛切な心情を「利休鼠」に託して水墨画のように写し出した詩、とも解釈できる。

   水墨画はモノクロの世界だ。古代の日本語と似ている。「赤」、「青」、「白」、「黒」の基本4色のうち、「白」と「黒」は文字通りのモノクロだ。「青」はこれまで述べてきたように灰色をも指すが、その根底には「明るいとも暗いともはっきりせず、あいまい」というコアの意味がある。残る「赤」は、実は「青」と意味の上で対立する反対語で、「(あいまいでなく)明るくはっきりしている」というのが元々の意味だ。

    こうしてみると、古代日本語で色に関係する基本4語は、初めの頃は色彩そのものではなく、光の明暗や明瞭さを示すだけだったのかもしれない。現に、「赤」=明(メイ、あかるいこと)、「青」=漠(バク、はっきりしないさま)、「白」=顕(ケン、あきらかであること)、「黒」=暗(アン、くらい、くろっぽい)と漢字で表記する説もある。

    古代日本語は、私見だが、モノクロの世界だった、と言えそうだ。ただし、急いで付け加えれば、当時の人びとが黄やピンクや茶などの色を識別できなかったというわけではない。多様な色を表現する語があるか、ないかということと、ある色を他の色と区別できる、できないこととは必ずしも関係ないのである。音楽でド、ミ、ソという音名を知らなくとも、ドとソのどちらの音が高いかは分かるのと同じことだ。


  《注》全13巻、別冊の索引も入れると14巻からなる我が国最大の国語辞典。用例が豊富で語源にも詳しい。「青」の項だけで150行近い記述がある。「青い」も含めると225行にも及ぶ。小学館発行。

  《参考文献》「言語-ことばの研究序説」(エドワード・サピア著、岩波文庫)、「日本大百科全書」(小学館)、「日本伝統色色名事典」(日本流行色協会)

  《参考サイト》日本の色の由来(www.warlon.co.jp/products/jpcolor.html)
          北原白秋記念館(www.hakushu.or.jp/note/main2.html)

続・初めて見た竹林(06/06/23)

2006-06-23 22:07:26 | 言葉の遊歩道

 生まれ故郷の釧路に「竹」がまったくないわけではない。笹竹の類なら子どもの頃から知っていた。ただ、一般的な竹のイメージから見ると余りにも細く小さいので、たとえば「破竹の勢い」という熟語を挙げると、何本もの竹を踏みつぶして突き進んでいくような印象を持っていた。ところが、辞書には「竹は一節を割ると後は一気に次々と割れていくところから」生まれた言い回し、とある。なるほど、笹竹ではなく、孟宗竹のような”本物”の竹を手に取り、実際に割ってみるとよく分かる。同様に「竹を割ったような性格」という言葉が文字通り「竹はまっすぐ割れることから、さっぱりとした気性」を意味することも合点がいく。

 しかし、「雨後の竹の子」は、竹の実物を見ただけでは今一つピンとこなかった。むろん、意味も用法も知っており、自分でも何回となく使ってきた言葉なのだが、得心がいったのは、水戸市郊外の友人宅の裏庭で竹の子採りをしてからだ。初めての体験だったので最初のうちは竹の子探しに熱中したが、何本もの竹の子が庭のあちこちにニョキニョキ顔を出すのには驚いた。掘っても掘っても、日が変わるとまた次々と生えてくるのだ。ましてや雨の降った後ならさもありなん、と実感した。
 
 一知半解のまま覚えていたのは「竹の子生活」という言葉だ。なにせそれまで筍なるものは缶詰製品しか知らなかったので、戦後間もない頃の貧しい暮らしぶりの比喩として、筍ぐらいしか食べられない状態を表現している言葉かな、と漠然と思っていた。しかし、ほんの少し頭を働かせれば、生の筍はともかく缶詰は、当時かなりの高級品で生活困窮者には縁遠いはずなのだから、間違いに気付いてしかるべきだった。それにしても「竹の子の皮を一枚ずつはぐように衣類などの持ち物を売って生活費に充てる生活」の喩えとは恥ずかしながら知らなかった。この言葉、近頃トンと聞かれないような気がする。

 以上、竹にちなんだ慣用語との個人的な関わりを二、三挙げてきたが、「竹」を題材にしたのは自分の無知さ加減を示す象徴的な例と思ったからだ。その由来どころか意味もよく知らずに使ってきた言葉や読み方を間違えていたことば、用法を曲解していたコトバは数限りない。そうした過去の失敗は、年齢を重ねるにつれて気づく事例が増えてくる。今になって知るのは恥ずかしい。しかし、知らないままでいるのはもっと恥ずかしい。
 

 《参考》1回目のブログ(06/06/15)で竹取物語のかぐや姫についてひと言触れたが、その二、三日後、読みさしの岩波新書(新赤版)「日本語の歴史」(山口仲美著)を開いたところ、偶然にも竹取物語の冒頭の一節が引用されているのを見て驚いた。古典文法の変化の一例として係り結び(ぞ、なむ、や、か、こそ)に言及した個所で、「その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける」を挙げていた。その続きを、他のテキストを参考に紹介すると「それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり」 となる。この「人」こそがかぐや姫というわけだ。

生まれて初めて見た竹林(06/06/15)

2006-06-15 00:30:57 | 言葉の遊歩道
 霧の日が多く日照時間の少ない所で生まれ育ったせいだけではないが、今にして悔やまれるのは草木についての常識を身につけてこなかったことだ。成人するまで稲穂すら見たことがなかった。
 松竹梅のうち、自然の状態の姿を知っていたのは松だけ。その松も白砂青松のイメージからかけ離れたエゾマツ、トドマツの類だ。竹は缶詰の筍、梅にいたっては梅干しぐらいしか思いつかないほどだった。

 梅の名所といえば水戸の偕楽園。三十余年前の夏、新聞記者として水戸に赴任してすぐ偕楽園に行ってみた。むろん梅の花の時季ではなかったので特段見るべきものを期待していたわけではない。新任地の名所見物がてら管内の土地勘を養う一助になれば、という軽い気持ちからだった。ところが、そこで一種のカルチャーショックを受けた。園内の一角に広がる竹林を見た時だ。
 林立する竹の間を涼しげな風がサワサワと吹き抜けていく。同じ偕楽園の中なのに他の場所とは異次元の別世界に一人いるような感じがして、竹取物語のかぐや姫が生まれたのは、こんな所なのだ、と突拍子もないことを連想した。なにしろ、その「別世界」こそ生まれて初めて見る竹林だったのだ。

 「マイ・ブログ」立ち上げのトップページのデザインに、数あるテンプレートの中から竹の図柄を借用した所以である。

 竹にまつわる言葉の話題は次回にしよう。