言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

「時分どき」は「つとに」使かわない?(06/11/30)

2006-11-30 18:14:45 | 言葉の遊歩道
    先週の土曜から日曜にかけて、地元の囲碁同好会の仲間と温泉旅館に一泊して「碁会」を楽しんだ。目的地の駅に着いたのが昼過ぎだったので、軽くソバでも食べてから旅館に行こうということになったが、はじめにのぞいたソバ屋は満席だった。その時、一行の1人が「時分どきだから……」とつぶやいた。〈混んでいるのは仕方がないか〉という気持ちが独り言になったのかもしれない。

    「時分時(じぶんどき)」。久しく聞いていない言葉だった。「食事の時間」「めし時」という意味の、しっとりとして情趣に富んだ日本語だ。奥ゆかしい感じもする。私自身は口にしたことはないが、昔は時々耳にしたものだ。

    久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)に、この捨てがたい言葉が出てくる。向田邦子さんと青木玉さんの作品から例文を挙げた後、「辞書を引いても、ただ食事の時刻としか書いてないが、朝御飯や夕飯にはあまり使わないのが〈時分どき〉の面白いところである。(二人の例文の場合も)これは昼御飯である。(中略)だいたい午前11時から午後1時までが〈時分どき〉ということになる」と解説している。確かに朝食や夕食にはしっくりこない。が、昼ご飯の頃を指すのには似合う。普通は話し言葉に使われるが、ちょっぴり渋くて粋(いき)な趣きさえする。

    それに比べて、標題に掲げたもう一つの言葉・「つとに」は、渋いというよりは心持ち構えた、仰々しい響きがある。それでいて誤用が多い。前回と前々回に取り上げた「すべからく」と、その点で共通している。

    「つとに」は漢字では「夙に」と書くのだそうだが、意味は「朝早く」「早くから、相当以前から」「幼いときから」である。「早朝」の意味では古くから用いられ《注1》、「春は曙」の書き出しで“つとに”知られる『枕草子』の第1段に、「冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず」《注2》〈冬は早朝(が素晴らしい)。雪の降った朝は言うまでもない〉という一節がある。

    現在ではたいてい2番目の意味で使われ、「大野晋氏は、つとに高名な国語学者である」という風な言い回しが普通だ。

    ところが、実際には、「特に」「大変に」「とても」の意味に間違って用いられているケースが目につく。「近頃つとに思うのは」とか「ここ最近つとに感じることがある」とか、といった具合だ。谷沢永一氏は『知らない日本語 教養が試される341語』(幻冬舎)の中で、「この店は、最近、タレントの○○が紹介して以来、“つとに”有名である」などという誤用が氾濫しているようだ、と例を示した上で、

      「つとに」は、「古くから、以前から」という意味で、「とくに」という意味はない。また、「先週」や「最近」のことでは、いささか新しすぎる。(中略)「つとに有名な店」とは、せめて五~六年は繁盛を保っている店をいうのである。

と、少し皮肉を込め戒めている。間違いがちな言葉として“つとに”知られていることではある。

    
《注1》「つとめて」は「つとに」の派生語。『岩波古語辞典』(大野晋、佐竹昭広、前田金五郎編)の「つとめて」の項には、「ツトは夙の意。早朝の意から翌朝の意になった」として「源氏物語」から二つの引用文を載せている。

《注2》『新 日本古典文学大系25』(岩波書店)

続・「すべからく」は「全て」ではない(06/11/20)

2006-11-20 16:25:22 | 辞典
    「すべからく」という語を使う場合は原則として「べし(べき)」で受ける、と頭から思いこんでいたので、金田一春彦氏の『日本語教室』(ちくま学芸文庫)の中で次の行(くだり)を目にした時は非常に驚いた。

     「このようなことは日本文を扱うあらゆる方面で起こることで、日本語はすべからく、短文で綴れ、ということになる」

     「このようなこと」とは、長い文は適当な個所でまず一旦切ったほうがよい、という文脈の後に続く言葉だ。しかし、「すべからく」の後ろに「べし(べき)」がない。金田一春彦氏といえば、何冊もの辞書の編纂も手がけている国語学の泰斗である。日本語に関する専門書はもちろんのこと、啓蒙書の著作も数多いが、ひょっとして「弘法にも筆の誤り」か、とも思い、前後を何回も読み返したり、いくつかの辞書・参考書にあたってみたりした。

     昔、高校時代に受けた漢文の授業では、漢文訓読の際、二度読みする漢字を「再読文字」というと教えられた。よく知られているのは「未(いまだ~ず)」、「将(まさに~とす)」などだが、もちろん「須(すべからく~べし)」も再読文字の一つである《注》。

     例えば、日本最初の和英辞典とされるJ.C.ヘボンの『和英林語集成』第3版の復刻版(講談社学術文庫)でも、「SUBEKARAKU スベカラク 須」の項目で、“Well or proper to do, ought, necessary, requisite ”と英文で語義が示され、続いて「Subekaraku kokoro wo kore ni mochiyu beshi」と日本語の例文が“ヘボン式ローマ字”で挙げられている。「すべからく」の後は「べし」だ。再読文字の原則にきちんと則っている。

     金田一氏の上記の文は「べし」も「べき」もない。外形的にはおかしい。しかし、何事も原則通りにはいかない。まして言語は変化するものであり、例外も多い。

     日本最大の国語辞書『日本国語大辞典』第2版(小学館)の「すべからく」の項は、37行にわたって詳述されているが、その中の語誌欄に、

「須」を訓読する際に生じた語。中古(平安時代)初期には単に「べし」とだけ読まれる例が多かったので用例が少ないが、中期以後盛んに用いられるようになった。「べし」のほか、「む」や命令表現で再読する例もみられる。

とある。「べし」のほかに命令表現で再読する例もあるというのだ。「綴れ」はまさに命令表現。となれば、金田一氏の上記の文はなんの問題もない。一知半解の不明を恥じるばかりだ。

     ちなみに、『日本国語大辞典』第1版の編集委員には、金田一春彦氏が名を連ねており、編集顧問として氏の父・金田一京助の名があった。


《注》 『社会人のための漢詩漢文小百科』(大修館)は、「漢字一字で、国語の副詞的な意味と助動詞または動詞的な意味とを兼ね備えている文字」と解説した上で、「はじめに副詞的に読んでおいて、さらに下から返って助動詞または動詞的に読む」と説明している。


「すべからく」は「全て」ではない(06/11/10)

2006-11-10 21:55:50 | 辞典
    文筆を業としているような人でもうっかり間違えて使う言葉の一つに「すべからく」がある。漢字では「須らく」あるいは「須く」と表記する。元々は漢文訓読から生まれた用法で「すべからく~すべし」と使う。「当然(あるいは、為すべきこととして)~しなければならない」という意味だ。「学生はすべからく勉強すべきである」といった具合に用いられる。

    ところが、この「すべからく」を「すべて」のという意味の高級な、あるいは高尚な表現と思いこんで誤用している例が目立つ。よく引き合いに出される「学生は……」という上記の例文のように、「すべて」の意味でもごく自然に通じるケースが多いからだろう。実際、両様にとれる文脈も少なくない。だからというわけではないが、私自身も若い頃、「すべて」の意味で使ったことがあるような気がするが、「すべからく」には「すべて」の意味はまったくない。

    言葉についての造詣が深い呉智英氏や高島俊男氏は、それぞれの著作の中で高名な学者・評論家の実名を挙げて「すべからく」の誤用例を指摘しているが、私が自分で見つけた、誤用ではないかと思われる例を一つだけ挙げてみよう。

    それは、直木賞受賞者というより当代きっての流行作家・渡辺淳一氏の『創作の現場から』(集英社)のこんな一節だ。「はっきりいって小説家に限らず表現者たるものはすべからく、時代に合わせたいと思っているものです」。

    「すべからく」は下に「べし」や「べきだ」を伴って“義務”や“当然”、“必要”を表すのが普通の語法なのに、渡辺氏のこの文には、「すべからく」に呼応する「べし」や「べきだ」という語もないので、「表現者たるものすべて」の“願望”を示しているものと思われる。文体が「です、ます調」だから、あるいは口述筆記をして編集者が誤ったのかもしれないが、本のオビに「小説をどう書いてきたか。小説はどう書けばよいか。」とあるのは皮肉だ。

    「すべからく」という語を国語辞典はどう扱っているか。ここ数年の間に刊行された新しい辞書の中には、誤用について注意を喚起しているものも出てきた。『明鏡国語辞典』(大修館)の場合、「語法」欄に
「落ち武者たちはすべからく討ち死にした」など、「すべて」の意に解するのは誤り。
と解説している。

     また、先月下旬に発売されたばかりの『大辞林』第3版(三省堂)も、言葉の由来と語釈《注》の後に、第2版にはなかった次のような注記を添えている。
(近年「各ランナーはすべからく完走した」などと「すべて」の意で用いる場合があるが、誤り)

      前回、前々回で紹介したように辞書にも時に間違いはあるが、それでもなお、文章を書く者の最低限の心構えとしてすべからく座右に辞書を備えておくべし、と今改めて思う。


《注》[漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)の約。下に「べし」が来ることが多い]ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生はすべからく勉強すべし」(古くは「すべからくは」の形でも用いられた]

《補足》「すべからく」の語の文法的な解析について『日本国語大辞典』第2版(小学館)は次のように記述している。
     [サ変動詞「す」に、推量の助動詞「べし」の補助活用「べかり」のついた「すべかり」のク語法。多く下に推量の助動詞「べし」を伴って用いる]