言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

藍より青く(06/08/30)

2006-08-30 19:26:50 | ことわざ
  虹の7色の中で思い出しにくい色は「藍」だろう。藍は、国語辞書に「濃く深い青色」とある通り《注1》、つい青色に含めてしまうからに違いない。

   「青は藍より出でて藍より青し」という成句がある。一年草植物の藍の葉(赤みを帯びて黒ずんだ緑色)から取れる染料の青さは、原料よりも濃く鮮やかな色合いをしている、というほどの意味だ。

  この句の一部を題名にしたドラマがある。NHK朝の連続テレビ小説(1972年4月~1973年3月)の「藍より青く」だ《注2》。30年余も前のものなので筋はほとんど覚えていないが、忘れがたいのは、番組のテーマソングだ。

   海よりも空よりも青いきらめきを 
   あこがれて丘に立つ ふたつの心 
   わかちあいし夢あれば 波高く風吹けど 
   目をあげて手をとって この道を行く
という本田路津子の透明感のある、美しく伸びのある歌声が今も耳に残っている。
  
また、主題歌の「耳をすましてごらん」の方もまた素晴らしかった。
    
    耳をすましてごらん あれははるかな海のとどろき 
    めぐり逢い見つめあい 誓いあったあの日から 
    生きるの強く ひとりではないから

  きらめくような美しい旋律に詩情あふれる歌詞。そして清流のように澄んだ歌声。絶妙の組み合わせだ。二つの曲とも作詞は山田太一、作曲は湯浅譲二。ジャケットがすっかり古ぼけたLPをレコードプレーヤーにかけ久しぶりに聴いてみたが、歌の魅力は藍染めと同様少しも色あせていなかった。


   「藍より青く」という成句の原典は中国の戦国時代の儒家、荀子の「勧学篇第一」の冒頭にある言葉だが、この成句の前後の文を少し付け加えると次のようになる。

   「君子曰く、学は以(も)って已(や)むべからず。青は藍より出でて藍より青く、冰(こおり)は水これを為(な)して、水よりも寒(つめた)し」

  自己流に言葉を補って“超訳”してみると――
学問に志す者は、すべからく努力すべきであって、途中で止めてしまうことがあってはならない。青は藍の葉から取るが、原料のままでは染料にならない。人が手間をかけた工程を経てはじめて染料になり、鮮やかな青い染め物が生まれるのだ《注3》。
水は氷からできるが、工夫をこらして温度を下げないと水よりも冷たい氷にはならない。学問の成果は途中の努力いかんにかかっているのである――というような意味になろうか。

    藍を「師匠」に見立てれば、青は「弟子」の関係にあるとも言える。そこから「出藍の誉れ」という言葉が生まれた。弟子が師よりも優れた存在になることの譬えとして引用される定型句だ。弟子であっても努力を重ねて修行すれば、師を超えることができる、というのが本来の意味のはずだが、この言葉の近頃の使い方を見ると、弟子の名声や地位など世俗的な結果だけに重きを置きすぎて、そこに至るまでの努力や工夫《注3》を軽視しているようなニュアンスを感じ、違和感を覚えることもある。師が凡庸であっては弟子がいくら“出世”しても「出藍の誉れ」とは言い難いのではあるまいか。

    ともかく藍を生みの親、育ての師とする青には、関連する色の種類、言葉が豊富だ。「緑なす黒髪」とか、緑の「青信号」とか。青を表わす漢字も多い。次回は青の周辺を探ってみよう。


《注1》 『新明解国語辞典』(三省堂)

《注2》 現在の若い人たちにとっては「藍より……」で反射的に連想するのは、「藍より青し」の方だろう。語尾が「く」と「し」と違うだけでない。1998年から2005年までコミック雑誌に連載され、ドラマやアニメになった作品だそうで、30年余前の朝ドラとはまったく別だ。

《注3》 電子辞書に搭載の『マイペディア』によれば、刈り取った藍の葉を切り刻んで乾燥した後、積み重ねて発酵させる。これを臼でつき固めて藍玉を作り、石灰などを混ぜて加湿するなどの工程を経て染料に仕上げる。この染料に木綿などの繊維を浸して空中にさらすと濃い青色に染まる、という。

《参考文献》 岩波文庫『荀子』(金谷治訳注)、『日本大百科全書』(小学館)、『ベネッセ表現読解国語辞典』、『岩波ことわざ辞典』(時田昌瑞著)、『慣用ことわざ辞典』(小学館)など。


虹の色はいくつか(06/08/18)

2006-08-18 22:41:02 | 日本語と外国語
  虹の色はいくつか、と尋ねられたら、“現代の日本人なら”考えるまでもなく「七つ」と答えるだろう。「七色の虹」は、日本人にとって「青い空」というのと同じような定型表現になっており、小学生でも知っている常識だ《注1》。

  しかし、色彩そのものに対する認識は民族・言語、あるいは時代によっても違うので、「七色の虹」にしても万国共通の常識とは言えない。英語圏では、一般に6色(ただし、学校教育では7色)、フランスでは5色とされているものの人によっては7色とか3色、アフリカのショナ族3色、南アジアのバイガ族という人びとでは赤と黒の2色、という説もありバラバラだ《『社会人のための 英語の常識小百科』=大修館、『日本語と外国語』(鈴木孝夫著、岩波新書)など参照、注2》。

  冒頭に“現代の日本人なら”とあえて記したのは、日本でも古くは、基本的な色名としては「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色とされていた時代があったからだ。

  この4色は、「アカい」、「アオい」、「シロい」、「クロい」のように「語幹(色名)+い」の形だけで表わすことが可能だ。「アカアカと」、「アオアオと」、「シラジラと」、「クログロと」という形の副詞にもできる。つまり日本語としての歴史が古く、"成熟"した言葉とも言える。が、その後生まれたとみられるほかの色の名前は、例えば黄は「黄色い」のように「語幹+色+い」か、緑の場合だと「緑色の」というように「語幹+色+の」で表現する必要がある。もちろん、「キギと」とか「ミドリミドリと」とかいう副詞はない。

  その後、5世紀頃に中国から伝来した五行思想《注3》の影響で上記の4色に黄が加わり、青、赤、黄、白、黒の5色が基本の色名になったと言われる。

  本題の虹の色に話を戻すと、もちろん現代の日本では、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫の7色だ。しかし、7色の名を全部言えるかというと、つまずく人も多いのではあるまいか(私の場合、藍色を忘れる)。で、覚え方としては、アカ、ダイダイ……と節をつけて歌う方法もあるらしいが、セキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シと音読みして一気に7拍で暗記してしまうのが簡便だ。

  一応、7色を正規の虹の色数としている英語では、Red,Orange,Yellow,Green,Blue,Indigo,Violetとなるが、この頭文字を順にとってRoy G. Biv(ロイ・G・ビヴ)と人名ごときものを作り上げるか、色の名を逆順にしてvibgyor(ヴィブギオール)と単語風に一口で読む手もある。また英国では”Richard Of York Gave Battle In Vain.”(ヨーク家のリチャードは戦いを挑んだが、無駄だった)という文の形にして覚える方法もあるという(友清理士著『英語のニーモニック』=研究社)。


《注1》虹の色は物理的には太陽の可視光線の中で波長の長い赤から最も短い紫までの連続階調からなる。この事実をプリズムで発見したニュートンが7色に分類した。
  しかし、『日本大百科全書』(小学館)によると、虹の7色が同時にそろって現れることは非常にまれで、どの色が現れやすいかは雨滴の大きさによる。大きい雨滴(直径1~2㍉)の時は、赤、橙、緑、紫色がはっきり出る。また小さい雨滴(直径0.2~0.3㍉)のときは、橙、緑の二色ぐらいとなり、虹の幅も広くなる。

《注2》知見にあふれた名著『日本語と外国語』の中で鈴木孝夫氏は、「英国人に直接尋ねてみると、8や9だと言う人があるかと思うと、中には無限ではないか、と言う人もいる。たしか学校で習ったが忘れたとか、あるいは6か7だったかはっきりしない人もおり、本当に一人ひとりがばらばらだ」(一部省略)と述べている。

《注3》木(緑色)、火(紅色)、土(黄色)、金(白色)、水(黒色)。
  
  

「黄色い花嫁 」(06/08/01)

2006-08-01 00:08:13 | 翻訳
 「巌頭乃感」に記された「ホレーショの哲学」(06/07/27号参照)は、語法、語義の間違いだったが、翻訳のミスないしはズレには、文化の違いによるものも多い。

  ちょうど1年前の夏、京都で1週間余にわたって「世界合唱シンポジウム」《注1》という国際的なコーラスの祭典が開かれた。この一大イベントに広報担当として関わっていた私は、大会の公式言語の英語から日本語に翻訳されたプログラムの内容を点検中、ある日のコンサートの曲目を目にして違和感を覚えた。「黄色い花嫁」。トルコの合唱団が歌う予定のこの曲は隣国・アゼルバイジャンのフォークソングだというが、曲名が解せない。黄色い肌をした花嫁、ひょっとして日本人の花嫁という意味なのか、あるいは衣装の色を指しているのか。

  トルコの合唱団がシンポジウム事務局に提出していた英文の資料を見ると、確かに"Yellow Bride"とある。字句通り日本語に移し替えれば「黄色い花嫁」となる。常識的な訳に見えるが、「黄色い」と「花嫁」という二つの単語の結びつきがしっくりこない。それに、黄色人種の身としてはどこか差別語的な感じも拭いきれない。どうしても気になるので、インターネットでアゼルバイジャンの関連サイトを検索し、E-mailで問い合わせてみた。

  返事はすぐに来た。しかもサイトの管理者本人から直々だった。それによると、原題は"Sari Galin"、英語訳の"yellow"は「黄色またはブロンドの髪」の意味だという。"yellow"が髪の色を指すとは思い及ばなかったが、ともかく「金髪の花嫁」という題名なら納得がいく《注2》。この歌はもともとアゼルバイジャンの山村地帯に伝わるフォークソングで、その一帯には金髪の人びとがいる、という親切な説明も書き添えられていた。

  サイトの管理者は、米国のカリフォルニアに住みながら"Azerbaijan International"という英文雑誌の編集長をしている女性だった《注3》。その後のメールのやりとりを通して、英語に堪能なのはもちろんアゼルバイジャンの文化に誇りを持っている知識人とうかがえた。

  "yellow"、必ずしも「黄色」とは限らないと同様に、金髪といえば"blonde"と機械的に当てはめるのも短絡的――我が身にも覚えがある。

  フォスターの有名な「金髪のジェニー」《注4》。中学校の音楽の授業で英語の歌詞も教わり、"I dream of Jeanie with the light brown hair"と何気なく歌っていたものだが、後年、歌詞をよく見ると「金髪」にあたる個所は"the light brown hair" なっている。それどころか、題名からして"Jeanie with the light brown hair"だ。直訳すれば「明るい茶色の髪のジェニー」となる。今風に「茶髪(ちゃぱつ)のジェニー」としては詩情あふれる名曲のイメージが狂ってしまう。
  
  色にまつわる文化の違いは髪の毛に限らず数多くある。次回は、虹は何色(なんしょく)かを取り上げてみよう。


《注1》国際合唱連合と開催国の合唱連盟の主催。3年に1回開かれる。昨年の京都大会には49カ国・地域から約6000人が参加した。7月27日~8月3日の期間中、毎日ワークショップ/セミナー、コンサートなど盛りだくさんの音楽イベントが催された。

《注2》結局、曲名の英語表記は"The Blonde Bride"に改められた。

《注3》なぜ米国に居を構えているのか分からないが、アゼルバイジャンの熱烈な愛国者であることは間違いない。注文したわけでもないのに、米国から拙宅宛に豪華な装丁の雑誌"Azerbaijan International"と、該当の曲が入ったアゼルバイジャンの音楽CDまで送ってくれた。  

《注4》日本語の歌詞は、http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kinpatsuno.html と http://www.worldfolksong.com/foster/song/jeanie.htm を参照。