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56年前の院生時代に下宿していた町 高円寺再訪

2018-10-01 21:07:22 | 日記

9/30 高円寺のスタジオで中高同窓の友がコンサートを開くというので、久しぶりにその駅に降り立った。スタジオは南口から徒歩5分。しかし、北口の純情商店街を抜けて行く。この商店街(昔はこんな名前はついてなかった)を抜けて、早稲田通りを渡って、左へ行きすぐ右折し15mほど先左側が56年前の院生時代の2年余り下宿していたHさん宅! がそこはマンション用地になっていた。庭の綺麗な瀟洒なお宅だったのだが・・・・。お庭の芝生で器械体操部の友と相撲をとった記憶・・・50年以上も前なのだから仕方ないか。住宅街だった頃の面影がない。上品な大家さんの奥様の顔を思い出せるのに。

諦めて元来た道を戻る。大衆酒場があったはずの処に「バクダン酒場」はあった。日曜の昼間で営業はしていない。遠い記憶の中の酒場と縁のある店なのだろうか? アルバイト代で資金に余裕のある時だけ飲めた「菊政1級」。周りの合成2級の常連の視線がきつかったが、女将さんが「あ、お兄さん、今日はアルバイトのお金入ったんだ!」とかばって呉れたものだ。一本横道の駅寄りに有名な文系古書の都丸書店があったはずだが、こちらの方は分からなかった。というわけで、懐かしの商店街の辺りの純情物語はリバイバルならず。

そういえば、この町の焼き鳥屋で、貧乏芸大生だった末弟と女友達の二人を財布の残金ぎりぎりまで会計を暗算しながら奢ったことを思い出した。二人は結ばれて、末弟は留学ののち、関西の音大の教職に就いて、副学長を務めた後に定年退職した。小生の小6の時、末弟はピアノを習い始めたのだが、小生は受験のためという理由で習わせて貰えなかった。その弟は、外語大を2度受験して果たさず、3度目の受験の時、ピアノとヴォイストレを生かして芸大声楽科を初挑戦でパスし、その結果、半世紀近い音楽の教職に就いたのだ。小4からの芸が半生の身を助けたのである。

南口から線路伝いに行って環七沿いにスタジオはあった。4人のソロヴォーカリストのクラシック・シャンソン・タンゴ・ミュージカル・歌謡曲の親密なコンサート! 高円寺南口を真っ直ぐ南下して青梅街道辺りに和服の似合う「澄ちゃんの店「桂」」があったのを思い出した。院生同期の友と通った。酔って下宿に帰る夜半、今は高架下になった当時の駅踏切まで歩いて送ってくれたことがあった。そのうちいつの間にか澄ちゃんは四谷に「スナック澄子」を構えた。四谷は偶然にも土木学会事務局と図書館のある町で、われら土木人には具合が良かった。そこにも同期の友と通ったものだった。


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