マッシュムラムラ(仮) ――クラ鈴が斬る!――

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氷室京介、あぶない刑事、マンガ etc

ブラスズキ 水戸編(二日目)

2017-11-12 14:34:52 | 旅行
二日目。まずは千波湖


水戸駅から徒歩で15,6分ってとこですかね。あ、オレは歩くの速いらしいんで、+2,3分から5,6分で考えたほうがいいかもしれません。
この千波湖、散歩やジョギングにはうってつけですね。水辺はそれだけで景色いいし、道もとことん平坦なんで。
それに、いろんな水鳥もいて、そいつらが人に慣れているせいか、陸に上がって呑気に寝てるし(笑)、犬の散歩コースにもなっているなど、思わず頬が緩んでしまう光景も。
で、水戸駅方面から入った地点の対岸といえる場所まで達すると、



徳川光圀像が。

この黄門様、じつはほとんど江戸にいたんだよね。水戸藩にいたのは、幼少期と隠居後の話のようです。
それはそうと、この光圀像の近くには、徳川斉昭(烈公)と、幼き日の慶喜の像もあります。
で、この地点からは偕楽園につながる道も通ってます。
その道を歩き、まず最初に目に入ったのは、



大日本史完成の碑

「編纂の碑」は、初日に行った水戸城址にあったんですが・・・まあ、光圀公としては偕楽園の風景を眺めながら、好文亭内で編纂したこともあったんでしょう。
で、偕楽園の敷地内にある、







常盤神社。

「ときわ」と読みます。
この本殿の隣には、



常盤稲荷神社。

これらに隣接している、というか常盤神社の敷地内にある義烈館も見学。
義公(光圀)と烈公(斉昭)に関する資料などが展示されています。
って、光圀さんが人気あるのはわかりますが、斉昭さんも地元では人気あるんですね。この義烈館でも、前日に行った弘道館でも、明君として称えられる資料ばかりでしたね。司馬遼太郎の小説では、あまりいい書かれ方してなかったんで(まあ、司馬さんのはあくまで小説であり、史実ではありませんからね/笑)。
この常盤神社からすぐの場所に、



偕楽園東門が。

ここから偕楽園に入ります。
もちろん、いい景色でしたが、今度は梅の時期か桜の時期に来たいかなぁ。じつは20数年前に来たことあって、そんときは梅の時期だった気もするが・・・さすがに覚えてない(笑)。
この偕楽園の奥、っていっても「東門から見て奥」であって、表門からはほど近くなんですが、





好文亭が。

この中からの眺め、とくに三階部分からの眺めは絶景でしたね。


この好文亭を出て、表門までの道に、



いい感じの竹林が。

いや、とくにエピソードもなく、また、偕楽園内のスポットというわけでもないんでしょうが、なんかよかったなぁ。
その後、

表門から偕楽園を出て、



茨城県立歴史館に。徒歩5分くらいです。



ここでは特別展として、「志士のかたち」というイベントをやっててね。


幕末の尊皇、勤皇思想は、元々は水戸学からの影響が強いですからね。桜田門外関連、長州や薩摩といった討幕側に与えた影響、あるいは新撰組のことなんかも。
新撰組は元々、芹沢鴨、新見錦、そして近藤勇の「三巨頭体制」で、芹沢と新見は水戸藩出身ですからね。
まあ、そんなこともあって、ただし、芹沢、新見が殺されたあとのメンバーかと思われますが、



新撰組の英名録も展示されてました。

これを見ると、斎藤一の出身地は江戸になってますね。資料や作品によって、江戸だったり明石だったりするんですが・・・「父親の出身地が明石」だったのかもしれません。

そんなわけで、水戸をブラリと観光したレポでした。
この水戸、都心やその近郊からも近く、なにより観光スポットが駅から徒歩圏内であることが多いんで、なかなかおすすめですよ。
次は、千波湖を一周してみようかな。今回は半周しかしてないんで(笑)。

そうそう、やっぱり水戸周辺こそ、「他県の人間から見た茨城県」って感じがしたかな?  やっぱ、常陸国だった地域のほうが「茨城県」って感じなのかもしれません。
県南の取手、守谷、つくば、あるいはその周辺は、やっぱ下総国、「千葉北西部の延長」って感じかもしれません。「基本は千葉北西部と茨城県(常陸国部分)がブレンドされた感じ、プラスちょっと栃木南東部の雰囲気も」って感じがするかな、個人的には。つくばは常陸国の一部だったのかもしれませんが、位置的に。
これね、ウチの地元なんかも似たようなことがいえるんですよ。
ウチは横浜市なんですが、神奈川県の内、川崎市全域と横浜の北半分くらいは旧武蔵国なんですよ。神奈川の旧国名といえば、相模国というイメージが強いでしょうが。
ですんで、横浜北部は旧相模地域とは、気風がちょっと違うと思います。少なくとも、人心に関しては、多分、旧江戸の延長みたいな感じ。ただし、山の手ではなく、下町ね(笑)。距離的には山の手のほうが近いけど。
先祖代々、この地域で暮らしている人は、「ソフトなべらんめぇ気質(かたぎ)」です(笑)。まあ、オレ自身はどうなのかわからんが。
風土は「多摩地区+ちょっとだけ旧相模地域」って感じかな。
ですんで、「他県の人がイメージする神奈川県」とは、かなり違うと思います。「他県の人がイメージする神奈川県」とは、多分、旧相模地域でしょう。とくに、東は鎌倉や逗子辺りから、西は小田原、箱根の辺り。
あ、横浜中心部――昔からの横浜である、関内、桜木町、本牧辺りは、またちょっと違うよ。あそこら辺は“横浜県”(笑)。「他県の人がイメージする横浜」は、その辺のことを指すのでしょう。
まあ、神奈川の場合は、さらに横須賀、三浦や、あるいは足柄、山北なんかも違った地域性になるんですが・・・神奈川県の話は、また機会があったら。
話を戻すと、あるいは水戸だけでなく、大洗や鹿嶋辺りも、「これぞ茨城」って感じなのかもね。時間がある方は、それらの地域とセットで行ってみるのもいいかもね。
あ、茨城県南も、見どころはありますよ(笑)。東京からはより近いし。
そんなわけで、水戸の観光日記でした。
コメント
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