二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

何も変わらないようでいて、なにかが変わってゆけばいい、人が生きるというのは、社会があってこそで、そこ

2008年04月25日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい一日も良き日であるように祈ります。
 とうとう、窈ちゃんに「トゥミ」のバッグを贈った、いろいろ中に入れて送ったが、ちょっとアクセサリーも入っているとよかったような気がするが、そこまで気が回らなかった、赦して欲しい、昨日は愛知県美術館へと出向いた、バッグが到着する時間に、僕も美しいものに囲まれて過ごしたかったからだ、NHKの公衆電話から、届いたかどうかファンクラブへ電話をしたら、届いていてよかったと思った、家に帰って、窈ちゃんのサイトを見たら、手の所が、「トゥミ」っぽい色のアクセサリーに変わっていて、これはもしかして返事かもしれないと思った、昨日は充実した一日だった、やはり名古屋といえど、都会の町は便利だ、地下街で「コンパル」のアイスコーヒーを飲んだ、濃厚で美味しかった、NHKの昼時には、有名な作曲家のデュエットが生で見れた、「岡千秋」という人だったと思う、愛知県美術館の杉本健吉の展示では、戦前戦後の日本の美術の一人の画家の変遷を見たような気がした、日本の美から世界の美へと、杉本健吉さんの美しいものへの欲望は、若い私達も見習わなくてはならないと思った、売店ではまた栞と絵葉書と封筒を買った、窈ちゃんへ手紙を書くことが楽しみだ、今度は名古屋市美術館へと行ってみたい、モディリアーニの展示だからだ、今から楽しみですが、あそこの売店でも何か買いたいと思っている、美しいものは何やら人を勇気付けるものかも知れない、人々は美しいものを見る為には、外国へも出向く、美しいものを所有するには、何某かの力が必要だ、美しいものはその美しさゆえに力を持つ、人間は美しいものへの探求を無限に追及するだろう、人が生きる意味を見つける為に。
 今の日時は4月16日(水)午前9時18分です。
 昨日のNHKの公開放送を見ていて、窈ちゃんもこういう世界で生きているんだと思いました、ライトがキラキラと輝き、テレビでは写らない多くの人たちがいて、それでもきちんと司会者と受け答えをして、普段通りにリラックスした感じを出さなくてはならないのだろう、なんだかやはり、不思議な仕事に思える、普段から心のあり方をきちんとしておかないと、とっさに変な対応をしてしまう事もあるだろう、大変な仕事だ。
 窈ちゃんへ「トゥミ」のバッグを贈った事は、僕にとっては何でもない事かもしれませんが、窈ちゃんにとっては、何も無い状態から、いきなり黒い大きな物体を所有する事になり、少なからず、心に何某かの変化があったかもしれません、その変化のさまを想像して、そしてその気持の変化が、彼女に、いい影響を与えたのならと思います。
 高度情報化社会という時代を向かえ、この国のあり方や世界の国々のあり方が、刻々と変化をする時代となりました、私達は何を伝え、そして伝えないのか、そこには人間の欲望がどうあるのかさえも規定する事になるでしょう、人は美しいものだけを伝えればいいのか、人間にとって最も必要なものが、「生きていること」だとすれば、人は「命」を伝えたがっているのかもしれません。
 それでは。

 想像で形作るは夢のもの人間さえも空想のもの

 富があり人の暮らしは豊かにて心の平和それが豊かさ

 花贈る近さにいれば幸せで離れていてはできない事で

 God bless you !

 

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