二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

若者が夢を見れない時代といわれますが、夢を世間の動向と合わせるのも、夢の見方の、一形態で、賢い夢を見

2008年02月29日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まりました、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい日もよき日であるように祈ります。
 でもまあ、最近になって、世の中は善意だけでできていないという事を、実感しているのですが、僕にもいろいろありました。
 まあ経験上、生意気だというルサンチマンによる、嫉妬攻撃で、足の引っ張り合いです。
 あいつは、お坊ちゃん学校出身だから、とかです。
 子供ができたら教えなくてはなりませんが、まあ、子供は思うように育たないと思いますので、きっと僕の子供も悩むんだろうなと思います、ただ、僕の子供に生まれただけで、かわいそうだけど、持って生まれた運という奴です。
 でもまあ、僕の周りには大学まで進学した人が少ないので、僕も最後の最後につまり卒業間際に、「やられた」のですが、まあ、青春の思い出としては、ちょっとヘビーで、ダーティでした、友達のふりをして、近寄ってきた災難でしたが、悲しい思い出です。
 社会的にハンディがあるからといって、自分と同じ境遇にしてみたい人が、本当に世の中にはいて、本人はそれが正義だと思っているから、手のつけようがありません、それは起こってはならない事だったのです、僕にとっては。
 でもそれによって、社会は変化をしつつあります、それも良い方向へ、なので、まあそんなに悪く考えなくても良かったのかもしれませんが、当時の僕にとっては冗談では済まされないことでした。
 浮かれた社会情勢の中で起きたその悲しい事件は、バブルの崩壊という言葉を、僕に教えてくれました、時はもうとっくに平成になっていて、失われた10年の始まりでした。
 スタートラインにも立てなかった僕は、不景気を体感する事は無く、ただ、リハビリの短期のバイトのストレスで、酒に溺れる毎日でした。
 その体験こそ不景気のもたらしたものかもしれませんが、世は不良債権の処理に公的資金を導入という記事が、新聞各紙を賑わせ、バブルの負の遺産という文字が踊っていました。
 好きな人(最近までこのブログでコクリまくっていた人)もいたのですが、そんな状況で、デートにも誘えず、今になってやっと、自分の中で決着がつきました、彼女にしてみれば、僕を振るというのは、重い決断だったと思いますが、また一人迷惑をかけてしまいました。
 あの学生時代の終わりの出来事は、なんでもなかったんだ、よくある事なんだと思いこもうとして、それが出来ず、あれがなければと、今でも思うときがあります。
 でもまあ、世の中失われた十年から初任給が上がらず、景気の上昇も大企業限定で、消費にまで、収入のゆとりが無い時代が続いています、まるで、一般人は消費を楽しむなと大資本家が、意図的に給料をおとしているかのようです。
 たぶんまだこういう状態は当分続くでしょう、憲法が変わらない限り、福田首相は飴と鞭で、消費者の目線に立って(飴)、はいいのですが、本音は憲法を変えさせろ(むち)です。
 民主党も野党として認識されていますが、以前の大連立の構想のように、いったん手を組めば、憲法の規定の各院の、三分の二以上の賛成を得られます。
 後二年足らずの間に、その時はやってきます。
 しかし恐れてはいけません、「愛のむち」であるからです。
 きっと庶民にとって、権利が拡大され、過ごしよい憲法になってくれるでしょう、その時を僕は待っています。
 それでは。

 無理してたいい人になるそう思いでもその事はいい事だった

 昔から情けは人の為ならず自分の為に今行って

 同じ木に同じ花咲く事のようあたりまえなる親子の仕事

 God bless you!

 


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