英語と書評 de 海馬之玄関

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世論に「外国人選挙権反対派=外国人排斥派」の印象を与える右翼分子は民主党の<別働隊>である

2010年02月15日 13時25分37秒 | 日々感じたこととか
                       【choi ji woo―姫】
           

外国人地方選挙権付与法案がいよいよ具体的な政治日程に登りつつある現在、外国人地方選挙権に反対している我々にとって憂慮すべき事態が惹起しました。「white pig go home」なるシュプレヒコールを新宿の街頭で叫んだ保守系市民の言動です。蓋し、世論に「外国人地方選挙権反対派=外国人排斥派」の印象を抱かせかねない彼等の言動は、政治的な効果の点では、外国人地方選挙権推進派を利するものであり、彼等は「推進派=民主党」の<別働隊>に他ならないと思います。

ならば、我々保守改革派は、このような差別排外主義を標榜する言動に対する批判が外国人地方選挙権反対派の内部にも広範に存在することを世間に周知するべきである。と、そう思いこの記事をアップロードすることにしました。外国人地方選挙権法案の粉砕に向けて、各自、自分の持ち場で微力を尽しましょう。共に闘わん。


◎外国人差別排外主義丸出しの下品な街宣行動


 (3/3)外国人参政権断固反対!国民大行進 in 新宿
 http://www.youtube.com/watch?v=fW22TckZBR8


■外国人排斥的言動は利敵行為である
蓋し、おおよそ「地方自治体レベルで外国人に選挙権を与えることを現行憲法は要求してはいないものの、外国人に選挙権を与えるかどうかは立法政策の問題である」と述べた1995年最高裁判決の「傍論=暴論」が後の司法判断を拘束する<先例>ではないことが長谷部恭男・青柳幸一等々の現在の最有力の憲法研究者によって指摘され(ジュリスト・2009年4月1日号「外国人選挙権・被選挙権と公務就任権」)、他方、(国民、国民主権、民主主義のかなり特殊な概念規定から外国人地方選挙権を憲法の要請、少なくとも、憲法が容認しているとする、例えば、松井茂記・ 浦部法穂両教授等の際物ではないオーソドックスな憲法解釈論の立場から)外国人地方選挙権許容説に論拠を提示していた長尾一紘さんが違憲論に改説すると表明されたことにより、現下、外国人地方選挙権を巡る憲法論議では我等反対派の有利に展開しつつあります。尚、外国人地方選挙権を巡る憲法論についての私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照ください。

・「もしも外国人地方参政権が成立したら?」の誤謬と真実
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59103437.html

・「外国人地方選挙権は違憲」☆長尾一紘新説の検討
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59183285.html

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html


すなわち、外国人地方選挙権に関して(朝日新聞や民主党という)同法案推進派が、憲法論では極めて不利になりつつあると感じているだろう現在、彼等が「外国人地方選挙権反対論=外国人差別排斥論」というレッテル貼りに使える事態の惹起は彼等から見れば願ってもない<敵失>でしょう。

畢竟、外国人地方選挙権阻止という政治目的からは、上の動画で紹介したような下品で無内容な言動は拙い。と、私の怒りはその1点に収束します。繰り返しになりますが、彼等の動機と意図が善意であったとしても、また、彼等の行動の目的が、最早、「外国人地方選挙権の危険性の周知」ではなく「賛成派に対する威嚇=反対派の覚悟を見せつける」ことにあったとしても、このような脇の甘い<反対派>の言動は外国人地方選挙権阻止の世論形成において有害以外の何ものでもなく、その効果から逆算すれば、彼等は小澤一郎氏や民団から金でももらっているのではないかと勘繰らざるを得ない言動でさえある。


他方、この事態に関して、

(1)外国人排斥論と受け取られかねない言動は糾弾されるべき
(2)そのような言動に対しては【外国人地方選挙権反対派内部で】話し合えばいい
(3)ブログ記事にして不特定多数にわざわざ公開する、左翼の役割まで演じるべきではない

という「意見」の方もおられるようです。

否、です。

蓋し、(1)は同意。また、(2)も有意義かもしれません。

けれども、私の「主張」は、(3)に関しては(2)とは別に、あるいは、(2)と並行して、この問題の言動を外国人地方選挙権推進派が「外国人地方選挙権反対派=外国人排斥派」というレッテル貼りに使用する可能性が否定できない以上、「外国人排斥論と受け取られかねない言動」に対する批判を「不特定多数にわざわざ公開」するべきだというものだからです。反対派内部でもこの言動には強い批判があることを世論に周知するに如かず、と。それが「左翼やリベラル派の役割を演じること」であろうと外国人選挙権阻止にそれが有効であれば、それは必然の一手であろう、と。
    


畢竟、外国人差別排外主義と見えるこのような下品で無内容な一部保守系市民の言動を、外国人地方選挙権反対の陣営から糾弾する言動を世に発信することは、このような品性下劣で無内容な差別主義的言動を標榜する一部保守系市民に対する「啓蒙」ではなく、外国人地方選挙権阻止に向けた世論の支持獲得を狙った「政治的対応」なのです。

すなわち、私は、政治的効果の観点から、この問題を「これから」の話ではなく「すでに起こったこと」として捉えているということ。

敷衍します。蓋し、①国民世論に関して同法案「反対:賛成=6:4」の現状が、このような外国人排斥と看做され得る言動により(再三になりますが、朝日新聞・週刊金曜日・民主党等々の反日勢力が「外国人地方選挙権反対派=外国人排斥派」というレッテル貼りを介して)、例えば、「5:5」になる可能性を私は危惧しているのです。

而して、②「先に挑発してきたのは白人」であるとか、あるいは、この世論変化のマクロ的の動向の中で、例えば、支那の横暴と在日韓国人・朝鮮人の所謂「在日利権」を厳しく果敢に糾弾する在特会のシェアが、(反対派の「6」なり「5」の中で)「0.0001→0.0005」に増えようが、外国人地方選挙権付与法案の阻止という政治目的にとって「white pig go home」の如き言動が有害であることは明らかであろう、と。

よって、③この危惧する事態を回避するためには、反対派内部でもこの言動には強い批判があることを世論に周知するに如かず。それが、この「すでに起きた事態」に対する有効な措置であろう。と、そう私は考えているということです。


■保守主義からの外国人管理政策
畢竟、「保守」という言葉をどういう意味で使用しようとも(定義が明確であれば)問題はありません。しかし、社会思想上、言葉の正確な意味での「保守主義」とは一言で言えば、「伝統の恒常的再構築を志向する反教条主義」なのです。だから、それは他の文化を呼吸する人々の保守主義をも尊重するものであり、よって、権力と人間の万能感を前提とする「左翼-リベラル派」を支持しないし、まして、自国を中心に宇宙を回転させる中華主義やプチ中華主義の特定アジアを嫌悪する。而して、正に、この「white pig go home」の如き言動は左翼や支那のそれとなんら変わらない。尚、「保守主義」の意味に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照ください。

・保守主義の再定義(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59162263.html

・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59190400.html

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html


これは、「世界は一家、人類は皆兄弟」、あるいは、主権国家を相対化して「地球市民」なりを夢想する<宇宙人>の発想ではなく、また、「皆仲良く話し合いで」とかの綺麗事でもない。畢竟、(A)ほっといても世界中から優秀な外国人がやってくるアメリカとは違い、日本は、優秀な外国人を獲得する競争ですでに<北斗の拳>モードである(ということは、「反日-不良外国人」が相対的に少なくなく)、(B)まして、文化人類学的なエートス分析からは日本人以外の何者でもないのに、他方、自己認識としては韓国人・朝鮮人である特別永住者(の2世以上の人口を)約35万人抱えているという歪なこの社会においては、日本の国益維持拡大のための外国人管理には、明確でフェアな指針とスキルフルでタクティクスフルな施策が不可欠である。
    


外国人地方選挙権に引き付けて敷衍すれば、例えば、「国籍」とはその国という<運命共同体>の一員であるという重たいものであり、その国と運命を共にできない者/運命を共にする覚悟と意志を欠く者は「国籍」を与えられるべきではなく、よって、その国の運命を左右する政治的決定にそのような「非国民=外国人」の容喙が許されるべきないことも当然でしょう。けれども、他方、例えば、公立小中学校のPTAの役員や地域の消防団のメンバーに(「永住権」とさえ関係なく)外国人がなることを多くの自治体は否定していないし、それに反対する国民はそう多くもない。しかし、これらPTAも消防団も「公権力の行使」とは無縁ではないのです。つまり、外国人の政治参画を制限する二つのメルクマールたる「国の政治的意思形成への参画」という軸と「公権力の行使」という軸とは無関係ではないが別物であり得る。

私は何を言いたいかと言えば、外国人の地方選挙権に反対することと、外国人に広くこの社会の運営に参画してもらうこととは必ずしも二律背反の関係にあるわけではなく、更に、これから(遅ればせながらも)日本の国際競争力の維持拡大のためにより多くの優秀な外国人を確保する目的を併せて鑑みれば、外国人地方選挙権に反対することと外国人排斥は別物であり、外国人排斥と受け取られかねない言動は国益を棄損するものでさえあるということです。

畢竟、日本の国益維持拡大のための保守主義からの外国人管理政策、その指針と施策の立案と実施の際に、外国人排斥(=合理的理由を欠いた、国際法上・憲法上の外国人の権利侵害)と世間と世界に映る一部保守系市民の言動は、政治的に拙いだけでなく、それを行なうものは頭も悪い。と、そう私は考えます。尚、外国人問題を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・外国人がいっぱい
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html

・揺らぎの中の企業文化
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html




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