英語と書評 de 海馬之玄関

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佐藤首相が米国に対支那核攻撃の準備を要請

2009年01月08日 21時02分21秒 | 日々感じたこととか



些か旧聞に属しますが、「佐藤栄作首相が在任中に対支那核攻撃の準備を米国に要請していた事実を記した日本の外交文書が公開された」という報道がなされました。これに対して、佐藤元首相(首相在任期間:1964年-1972年)は、正に、核兵器を持たない・作らない・持ち込ませないという所謂「非核三原則」なるものを打ち出したことで(冷戦構造期における世界の緊張緩和への貢献により)1974年度のノーベル平和賞を受賞した人物であることを引き合いに出して、佐藤元首相の<言行不一致>を質す声や所謂「非核三原則」なるものの内実を問う報道も散見された。蓋し、これらの報道は噴飯ものの事柄というべきでしょう。

確かに、佐藤元首相は所謂「非核三原則」なるものを主な受賞理由としてノーベル平和賞を受賞した。けれども、その「非核三原則」とは「持たず・作らず・核基地に持ち込ませず」と世界では理解されていた。また、当時のソ連も日本にアメリカの核基地がないことだけでもどれだけ安心していたかは(佐藤元首相のノーベル賞受賞後5年~10年の間全欧州を緊張と恐怖に包み込んだ)「中距離弾道ミサイル」交渉の推移(ソ連が譲れぬ線とした交渉の落とし所)を見れば自明でしょう。

要は、佐藤元首相の提唱にかかる所謂「非核三原則」なるものはたかだかそんなものであり、しかし、それさえもノーベル賞に値する破格の業績であった。ならば、同原則を核兵器の「物理的な持ち込み(transition)」さえ禁止するものといまだに思い込んでいる上記の佐藤元首相の<言行不一致>を質す報道等は日本特有のものであり、その基底には「核兵器=絶対悪」とでも言うべきアプリオリな前提が横たわっている。それは謂わば<核兵器の物神性>に絡めとられた、而して、所謂一つの「平和ボケ」にすぎないと思います。

畢竟、左右を問わず、あるいは、核武装に対する賛否を問わず、核兵器や核武装に対してはアプリオリに善悪の認定や機能の論断が可能であり、核兵器や核武装を巡っては倫理的にも政治的にも普遍的に(いつでもどこでも成立する)正しい政策選択が可能と考えるが如き、謂わば<核兵器の物神性>に絡めとられた<信仰告白>の言説ゲームは百害あって一利なしである。そう私は考えています。


核兵器の物神性。大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する教条的な平和主義者の言動において「核アレルギー」と揶揄される、他方、「核武装さえすれば日本の安全保障のパフォーマンスは格段に向上し、かつ、日本は支那・韓国・北朝鮮という特定アジアに対してのみならずアメリカに対しても独自の外交を実行できる」とのたまう国粋馬鹿右翼の妄想に見出される核兵器に対する認識は、正に、例えば、『経済学・哲学草稿』(1844年)から『資本論第1巻』(1867年)に至るまで、マルクスが資本主義社会において「貨幣」に対する人々の認識から抽出した<物神性:Fetischismus, fetishism>とパラレルでしょう。

蓋し、それは人間が作ったにすぎないトーテムポールが<祖霊神>としての権威を持ちそれを作った人々自身の行動や認識を拘束するのと同様、本来、人間が造った「物」にすぎない(よって、端的にはその具体的な使用価値をもって他者と区別されるにすぎない)「貨幣」や「核兵器」が、現実の社会関係や国際関係の中に配置された場合、あたかも、それ自体が普遍的でアプリオリな価値と意味を持つ事物として認識理解され、而して、人間や国家の行動を拘束する機能を果たしている現状は、就中、核兵器を巡る日本の戦後民主主義者と国粋馬鹿右翼の心性と言動は<核兵器の物神性>に自縄自縛された滑稽譚以外の何ものでもない。そう私は考えます。

畢竟、「価値の表示・価値の支払と運搬・価値の貯蔵」等々の貨幣の経済的機能、他方、相互確証破壊(MAD)体制に基づく抑止力としての核兵器が国際政治において果たしている役割も、それらは、貨幣や核兵器を巡る社会関係や国際関係において始めて歴史的に特殊で相対的な意味と機能を獲得する関係主義的な現象にすぎない。しかるに、(繰り返しになりますが日本では)そのような歴史的に特殊で個性的な国際政治経済の関係を超えてアプリオリで普遍的な善悪の価値判断と外交・安全保障における機能が核兵器に付与されている傾向がありはしないか。

もし、<核兵器の物神性>が日本の国内外の政治に憑依しているという私の認識が満更無根拠ではないとするならば、日本の安全保障と外交の再構築はこの<核兵器の物神性>を止揚すること、核兵器に対する善悪の価値判断を放棄して、他方、核兵器がもたらす日本の安全保障のパフォーマンスを現下の具体的な国際関係の中で論理的・実証的・体系的に再構築するに如くはない。畢竟、日本は<核兵器の物神性>から自己を解放すべき時期、核武装戦略の脱構築が求められている時期に来ているのではないでしょうか。

而して、経済の拡大(=資源獲得の加速と内外市場&移民先の拡張)を武力を背景にしても実現するしかとりあえず生き残る道が見当たらない支那、世界の孤児-韓国、テロ支援国家ならぬテロ実行国家の北朝鮮という反日特定アジアに隣接している日本の地政学的条件、更に、世界の唯一の超大国から極普通の大国に「大政奉還」を行いつつある唯一の日本の同盟国アメリカの現状、国際政治におけるこれらのありさまを睨みながら日本との距離を再考しつつある東南アジア諸国、就中、日本の生命線にして運命共同体たる台湾の現状。これらを与件とした場合、現下の日本にとっては<核兵器の物神性>を止揚することに引き続き可及的速やかに核武装に着手すること、および、ロシアとの関係強化に踏み出すことは真剣な検討に値する外交の選択肢であると私は考えています。


核兵器の物神性の止揚と憲法改正の断行。核武装は現行憲法となんら抵触せず(否、数次に渡り政府が国会でも明言してきた如く、更には、核兵器が本来的に抑止力をその使用価値の本性とする以上、現行憲法や所謂「専守防衛」なる原則と核武装は極めて整合的であり)、よって、核武装の推進のためには憲法の改正は不必要なのです。けれども、核武装の推進は、おそらく、<核兵器の物神性>の止揚と共に<憲法の物神性>とも言うべき事態の止揚を伴うことにならざるを得ないのかもしれない。

すなわち、憲法改正は不要にしても「憲法も法であり、それは、社会生活と国家活動の便益のための道具にすぎない」という認識を日本国民が再獲得すること、而して、その再獲得された国民の認識が憲法秩序の効力基盤たる国民の法意識、就中、国民の法的確信になることが<核兵器の物神性>の止揚と共に日本の核武装の前提となろう。そう私は考えています。

注意すべきは<物神性>という現象自体が間主観的な現象であり、例えば、日本国民の意識改革だけでそれが止揚されたり脱構築されるものではないことです。逆に言えば、物神性をそのような主観的認識や個人的の意識に還元する論者は、これまた、マルクスの言う意味での「空想的社会主義者」に他ならず、これら戦後民主主義を信奉する論者と国粋馬鹿右翼とは、核兵器や現行憲法に対する善悪・好悪・正邪の認識の差にかかわらず核兵器や憲法の物神性に絡め取られている「空想的核武装論者」と言うべきでしょう。蓋し、憲法と核兵器を巡る左右の物神性が大東亜戦争後の日本で通用したについては、「日本が軍事的脅威にさらされる恐れがまずなく」「日本の軍事的な脅威化を米ソとも期待していなかった」冷戦構造という与件があってのことだという認識が彼等左右の「空想的核武装論者」には欠けている。

物神性の止揚と脱構築に焦点を置いて敷衍すれば、①核兵器なり憲法なり貨幣が「物神性」を帯びることの裏にはその物神性を成り立しめている社会自体にビルトインされた実定的な世の中のものの見方、すなわち、支配的なイデオロギーが横たわっており、また、②社会生活と国家活動をスムースにするためにはこれらのイデオロギー(=「政治的神話」)は満更意味のないものではない。けれども、(否定肯定の価値判断は逆のベクトルであるにせよ)核兵器と憲法に対する非論理的で非実証的な認識が日本の国益を日々損ないつつある現状においては、これらの物神性の打破は不可避不可欠である。そう私はそう考えます。


以下は共同通信が打電した当該イシューを俎上に載せた英文記事の紹介。核武装を巡る日本の国益を<核兵器と憲法の物神性>から解放されて冷静に考えるためには、文芸評論の文体と大差のない日本のマスメディアのウェットな報道は叩き台として不適切である。そう思いこの英文記事を紹介することにしました。出典は、”Sato wanted U.S. ready to nuke China - Later went on to win Nobel Peace Prize,” Kyodo News, Dec. 22, 2008「佐藤氏は米国に支那に対する核攻撃の準備を要請していた - 而して、佐藤氏は後にノーベル賞を受賞」です。

尚、日本の核武装と安全保障を巡る憲法論を中心軸とした私の基本的な考えについては記事末尾の拙稿をご一読いただければ嬉しいです。




Prime Minister Eisaku Sato, who won the 1974 Nobel Peace Prize for working out Japan's three-point nonnuclear policy, asked the United States in 1965 to use its nuclear weapons against China in immediate retaliation should a war break about between that country and Japan, according to newly declassified Japanese diplomatic documents.

In talks with Defense Secretary Robert McNamara in Washington, Sato also said it would be possible for the United States to put such an operation into action immediately from the sea — remarks that could be taken as tacit consent to bring nuclear arms into Japanese territory.


佐藤栄作首相、日本の非核三原則を構築した功績により1974年のノーベル平和賞を受賞した佐藤氏が、1965年、日本と支那との間で戦争が勃発した際には米国がその保有する核兵器を使い直ちに支那に報復するように米国に対して要請していたことが新たに公開された日本の外交文書によって明らかになった。

ワシントンにおけるロバート・マクナマラ国防長官との会談で、佐藤首相は米国はそのような行動を海域から直ちに実行に移すことも可能であろうと述べた。而して、この発言は日本の領域内に核兵器を持ち込む暗黙の了解があったことをうかがわせるものだ。


The revelation confirms that Sato, prime minister from 1964 to 1972, distrusted Beijing because he was asking the U.S. to be ready to launch a nuclear first strike.

The diplomatic documents are among a raft of roughly 30-year-old papers officially declassified Monday by the Foreign Ministry.・・・

Sato made the remarks to McNamara on Jan. 13, 1965, a day after he held a summit with President Lyndon Johnson in which he asked for a guarantee of protection under the Japan-U.S. security treaty.

McNamara mentioned to Sato China's successful atomic test in October 1964 and said attention should be paid to how the country's nuclear program developed over the next two to three years, according to a summary of their talks, written mostly in Japanese.

McNamara then pointed out during the meeting with Sato at Blair House, the U.S. president's guesthouse, that an important issue would be whether Japan would move to develop its own nuclear weapons, the summary says.


今回公になった事実によって、佐藤氏(首相在任期間:1964年-1972年)が支那政府を信用していなかったことが確認された。というのも、佐藤氏は米国に対して核兵器による先制攻撃の準備をするように依頼していたのだから。

当該の外交文書は、月曜日【2008年12月22日】に外務省が公開した、原則30年以上前の大量の書類の一部である。(中略)

マクナマラ国防長官に対する佐藤首相の発言は1965年1月13日、佐藤首相がリンドン・ジョンソン大統領との首脳会談を行った翌日になされた。そして、その首脳会談でも佐藤氏は日米安全保障条約に基づく日本防衛の保証を求めたのである。

マクナマラ国防長官が佐藤首相に対して1964年の10月の支那による核実験の成功を指摘した上で、今後2~3年の間に支那がどれくらい核開発を進めるのかにつき注意が払われなければならない旨を述べたことが、その大部分が日本語で書かれた佐藤-マクナマラ会談の要旨には記されている。

而して、マクナマラ国防長官はブレアハウス (Blair House:米国大統領の賓客を迎えるための迎賓館)で行われた佐藤首相との会談の際に、重要なことは日本が自国の核開発に着手するかどうかであることを指摘したこともまたその会談要旨から判明した。


Sato, who was on his first visit to the United States as prime minister, emphasized that while Japan had the technical capability to create atomic bombs, it did not intend to possess or use such weapons.

He asked that the United States be careful about making remarks concerning bringing its nuclear arms onto Japanese territory, citing the stipulations of the bilateral security treaty.

But Sato said it would "of course be a different matter in the event of a war."

"We expect the United States to retaliate immediately using nuclear (weapons)," he said.


佐藤氏は、この首相としての最初の訪米において、日本は核爆弾を開発する技術力を持っているけれども核兵器の保有や使用をする意図を日本は持っていないことを強調した。

日米安全保障条約の規定を引き合いに出した上で、佐藤氏は、米国が日本の領域内に核兵器を運び込むことに関して言及する際には十分配慮して欲しいとも述べた。

佐藤氏は、しかし、「戦時においては事は当然異なってしかるべき」という認識をも語った。

「我々は米国が核(兵器)を使い直ちに報復してくれることを期待している」と佐藤氏は述べたのだ。


Sato also said it might not be easy in such circumstances to create a facility on Japanese land for using U.S. nuclear arms, but that he believed the use of such weapons from the sea would "immediately" be possible.

Sato also mentioned the possibility that, if necessary, Japan could divert to military use the rockets it had been developing for peaceful purposes as part of its space development.

The remark was in response to McNamara's expression of hope that Japan would develop its defense-related industry and provide assistance to military programs in other Asian countries.

A separate summary of the summit between Sato and Johnson shows Sato asked for a U.S. guarantee that it would protect Japan under its nuclear umbrella. Johnson responded, "You have my assurance." Sato pledged in 1967 that Japan will not possess or produce nuclear arms, or allow them onto its territory.


現下の状況を鑑みるに、日本が米国の核兵器を運用するための施設を日本の領土内に施設することは容易ではないけれども、日本の領海から核兵器を行使することは「現在においても」可能であると彼自身確信している旨もまた佐藤氏は述べた。

もし必要とあらば、非軍事の平和的な宇宙開発のために推進してきたロケットを軍事利用に転換することも日本にとって可能であると佐藤氏は公式に言明した。

この言明はマクナマラ国防長官の日本に対する要望に対するものである。而して、マクナマラ氏の要望とは、日本がその防衛産業を発展させ、もって、他のアジア諸国の軍事力充実の計画に対する支援を提供することを望むというものであった。

【対マクナマラ会談とは】別に行なわれた佐藤-ジョンソンの首脳会談では、佐藤首相は、その核の傘の安全保障によって日本を守るという米国の保証を要請しており、他方、ジョンソン大統領はこの要請に対して「私が保証する」と応じた。而して、1967年、佐藤首相は日本が核兵器を保有することも作ることもしないし、更には、その領域内に持ち込まれることを許容することもない旨を誓約するに至ったのである。



【参考記事:核武装と安全保障を巡る憲法論】



・敵基地先制攻撃と専守防衛論
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-97.html

・核武装反対と核武装研究の同時推進論
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-104.html



・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3732bd7bc50e2706143de2f6ef30e0f6

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241 



・第二次世界大戦の終焉☆海外の日本核武装推進論紹介
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-107.html

・米国にとって日本の核武装は福音である☆<Frum>論説紹介(上) (下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-110.html

・護憲派による自殺点☆愛敬浩二『改憲問題』(1)~(8)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-25.html






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