蓋し、「紅葉」を見るなら北米ニューイングランド、
就中、ヴァーモント州のそれにしくはない。
而して、<紅葉>を見るなら、わたしの場合、京都の嵐山。
就中、保津川下りの借景としての紅葉、鴨。
ニューイングランドの紅葉に比べれば、日本の紅葉など、
控えめに言っても「箱庭」か「盆栽」のようなもの。
けれども、わたしは嵐山の紅葉が好き。キッパリ。
アメリカ合衆国ヴァーモント州。同志社大学の創始者、新島襄先生の書かれたものにこうある。すなわち、『新島襄書簡集』(岩波文庫・1954年)の「同志社設立の始末」の中に出てくるエピソード。明治7年(1874年)、ヴァーモント州ラットランドでのアメリカ海外伝道師協会の大会で故国のために大学設立の肝要なることを訴え寄付金を募る演説の際の経緯描写。新島先生の求めに応じ多くの紳氏淑女が多額の寄付を申し出た直後のエピソードです。こう書かれている。
既にして慇懃に良朋諸士の好意を謝し離別を告げ将に演壇を下らんとする時、一農夫あり、痩身襤褸を纏い徐に進て襄の前に至り戦慄止まず。懐中より金ニ弗を出し暗然涙を垂て曰く、余は碧山州【ヴァーモント州】北なる寒貧の一農夫なり、此のニ弗は今日余が帰路汽車に乗らんとして携えし所なり。然れども今子が演説を聞き、深く子が愛国の赤心に感激せられ自ら禁ずる能はず、仮令ひ余老ひたりと雖も、両足尚能く徒歩して家に帰るに堪ゆ、これ固より僅少数ふるに足らざるも、子が他日建設する大学費用の一端に供するあらば、余の喜び何ものか之に過んやと。(ibid,p.286)
私は同志社大学OBの1人ですが、このような方々の助力によって建てられた同志社で学部生時代をすごせたことを今でも誇りに思っています。そして、実際、ヴァーモント州いいとこです。それ山形県の山間部、あるいは、長野県がまるごとワープして帯市辺りに来たという感じ? ボストンからも、そーーーーんなには(笑)遠くないし。ボストンのシーフド――例えば、新鮮なオイスターとトマトケチャップ&レモンジュースの和え物が大きめのギネスビールグラスに詰め込まれたもの等々――に少し飽きたら足をのばされれるのもニューイングランド訪問のよい思い出になる、鴨。閑話休題。
箱庭だろうが盆栽だろうが、あるいは、世界的にも、
イギリス料理にならんで京都の懐石料理が不味かろうが、
しかし、わたしは、
>紅葉を見るならどこに行く?
と聞かれれば、
上に述べたように、
京都は嵐山と
答えます。
▽嵐山と保津川の情報
http://kyototravel.info/嵐山紅葉見ごろ
ビスケット姫のNMB48安田桃寧さん
要は、日本の少なくないアイドルファンが応援する/贔屓の「AKB48グループ」に、そう、
南朝鮮の素晴らしいアイドルさんのような「世界水準のパフォーマンス」など、毫も、
求めてなどいないのとパラレルに、「紅葉」に規模や色づく過程のダイナミズムなど
わたしは毫も求めないということ。
重要なことなので、このブログでしばしば記している表現を使い敷衍するとこういうこと、鴨。すなわち、ちょっとそんじょそこらにはないような、そう「チョコレート」ではなくて、普通にどこにでもあるような、けれども「美味しいビスケット」を、わたしは、アイドルにも紅葉にも求めているということ。
はやい話が、「見事なパフォーマンス」をみたいときには、わたしは、南朝鮮の中途半端なアイドルさんなどではなくてアメリカに行くし、逆に、日本でアイドルさんに求めるものは――かって、あの<渡辺麻友>に炸裂していただろう、而して、現在では、例えば、HKT48の田中美久さんやAKB48の福岡聖菜さん、SKE48のバナナじゃないよの小畑優奈さんやNMB48の安田桃寧さんに<紅葉>しつつあるような――something ビスケットなんだろうということです。
・「ビスケット」って何?・・・wikipedia曰く。
而して、NMB 48「安田桃寧」論に及ぶ
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12406335692.html
・”信号の色”・・・「IZ*ONE」はred、鴨。
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12410160923.html
・手作りのプレゼントもらったことある?
➡はい、「AKB48グループ」ってそれでしたよね、違います?
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12407601903.html
蓋し、何より、その人情麗しいヴァーモントの地も訪問された新島先生が
京都に建てられた同志社。その大学で過ごした日々を持つ者にとって、
畢竟、「嵐山の紅葉」は格別。すなわち、これもまた、
他所で書いたことの繰り返的のものいいですが、
紅葉もまた<自分のアイデンティティ>を連想させる、
そんな<物語>のパーツである以上、思い出や自分の民族性という
メンタルな契機とも無縁ではないはず。
而して、もし、こう言えるとすれば、わたしにとって、
「見たい紅葉」なるものは京都の保津川の、嵐山のそれしかありえない。
と、そう思うのです。些か、竜頭蛇尾の記事になりましたが、
これが今回のお題の回答です。
▽なにげに、京都の思い出とか・・・・
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b4b80b8ef71c4663e2803be124842798
以上