完結ですか。感慨ひとしお、鴨。
実は、わが家ではあのベストセラー「ローマ人の物語」より、こっちの「ギリシャ人の物語」の方が、寧ろ、面白く読めていました。そう、それは、一流の歴史作家の塩野さんと比べるのは、いまでは、七生女史に失礼でしょうがポンコツというか二流歴史作家の――あっ、「ポンコツ」という敬称は、AKB48グループの内部では、それぞれスーパーアイドルの、前田敦子、柏木由紀、そして、島崎遥香の三名のみがこれまで名乗ることを許された名誉ある形容句ですので、断じてその作家などには使えない語句、だから、その「二流歴史作家」である――司馬某さんの「龍馬が行く」が売れているのだろうけれど、断然、「坂上の雲」が面白いこととあるいはパラレル、鴨。
而して、最終巻の主人公は、
紀元前4世紀の東方遠征で知られる
>マケドニアの王アレクサンドロス
「月並みの将軍はどうやったら敵に勝てるかを考えて戦略を立てる。70年前の日本もそう。ところがアレクサンドロスは違う。どうやったら敵が自分に勝つか。まずそれを考え、次にどうしたら敵にそうさせないかを考える。その後で初めて戦術にブレークダウンする」。
要は、
―――ひとつの戦闘に負けても戦争に勝つことを考えていたとか。
うみゅー、これ、鉄血宰相ビスマルクや大久保利通卿や原敬首相。
うにゃー、これ、信長、足利尊氏公、頼朝公と一緒だったの、鴨。
それは、指原莉乃さんにあって、自慢の娘がゆえに厳しく言えば、
まゆゆ弥勒菩薩アイドルサイボーグに欠けていた視角、鴨。
正直、そう感じました。
◆どうやったら敵が自分に勝つか。まずそれを考え、次に、
どうしたら敵にそうさせないかを考えてリベラル派に向かう保守派のイメージ!
【MV】僕たちは戦わない Short ver. / AKB48[公式]
>おまけ:
時々、リベラル派のインテリさんの書かれたものに、
・印欧語には日本語とちがって冠詞というものがありまして、で、
ラテン語の冠詞では・・・!、とか
・[市民革命が行われ、「個」が、確立している]欧米の言語では、そのセンテンスは、
S➡V➡O型の語順であるのに対して、日本では、[市民革命も不完全に収束し、
団体主義的で個々人が共同体に埋没しているからなのか]日本語では結論を最期に述べる
傾向がある。要は、日本語では、原則、述語動詞が文末にくる、
S➡O➡V型のセンテンスになる
とかとかの、司馬某さんレベルの
主張を今でも見聞きしないではありません。
①あのー、ラテン語には「冠詞」ありませんから。
ギリシア語には「冠詞」はありますが、その遠縁の子孫筋のロシア語等々のスラブ系
の言葉の多くが冠詞システムをもたないのと通底して不活発。
逆に、ラテン語の直系の子孫の、イタリア語、フランス語、スペイン語、
ポルトガル語には――必要に迫られて? 後から――冠詞システムが生まれました。
他方、英語やドイツ語、オランダ語といったゲルマン系の言葉はそのかなり早い段階から
冠詞(one/only➡a(an), that➡the)が発達して、現在、日夜、われわれ日本人を悩ませている
ことは皆さんご存じの通り(涙)。
②「S➡V➡O」型の語順に落ち着いたのは欧米の言語の中でも英語のみ。
その、英語でも「S➡V➡O」型が絶対安定多数を占めるようになるのは19世紀も
終わりの頃!
ほんとうにおしまい♪