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民主党監視塔☆子供が学校を仕切れば教育も日本も良くなるという幻想の姑息と危険

2009年09月01日 10時18分22秒 | 教育の話題

 



◆朝日新聞の非論理的なオープンスクール賛辞

国家の本質は演出であり、教育の核心は強制である。この認識から民主党・日教組が仕掛けてくるであろう左翼反動の教育政策を叩く。本稿では下記URLを記した原理的考察を前哨として、より教育現場に近いイシューを取り上げます。批判の叩き台は(2006年12月に教育基本法が改正される以前のこの社会の教育を巡る風景の一斑を彩った)、2003年1月12日の朝日新聞社説『'03発想転換――子どもが仕切る学校』です。今後予想される左翼反動的教育施策の謂わば「黙示録」になるかもしれないもの。

尚、社説が賞賛している「オープンスクール」とは教室の壁を取り払うなどして、子供の人数によって自由に活用できる「多目的スペース」を備えた学校インフラとそのインフラに適合する教務・運営のカリキュラムのことと考えてください。

 

・民主党監視塔☆既得権としての戦後民主主義的な教育論の滑稽と害毒
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a599c5052582c31d6ec49f2194e240e1

 ・民主党監視塔☆教育の核心は強制であり国家の本質は演出である
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0a14ac4e535d5a718ecb255d403aceb0

 ・民主党の反動に抗して義務教育において教育改革の目指すもの
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4c6963ebfaaf4ba1c0f7060d7f12873d

・民主党「国家論」の姑息と愚劣☆日本は誰のものか?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4660aaefcaf078ff548bc613f9933f54



朝日新聞社説はこう述べています。「学校教育は時代の子であり、時代の作り手でもある。国際化や経済の混迷の中で、教育に対する親の考えも揺れている」、と。これは正しい認識でしょう。けれども、この地点から朝日新聞社説は一気に跳躍する。以下引用開始。

なんだかんだいっても、やはり画一性を大事にしてしまう学校教育を、いまこそ見直してみるべきではないか。みんな一緒、横並びの集団行動がいいと先生や親が考えていては、自立心も冒険心も生まれにくい。違いを違いとして互いに尊びあう社会をめざす教育こそが日本の力となる。 (中略)子どもたちの多様性を認め、それを育てる。それが鍵だ。(以上引用終了)


「学校教育が時代の子であること」と「画一性に価値を置く学校教育の打破」はどういう理路でつながるのか。何度この社説を読み返してみても、社説子の<飛躍>を支える論拠は見当りません。強いて言えば、次の3点でしょうか。

(1)和歌山県橋本市の私立小中学校「きのくに子どもの村学園」の事例紹介
1学年は15人だ。クラスは学年ごとでなく、一人ひとりの子どもを見て決める。体験学習などを通じて考え、他人の意見を聞きながら学ぶ。例えば、みんなで歩道をつくる。設計には計算力が、発表会では表現力が求められる。そんな風に基礎学力を養う。教科書はその助けとして使う。主役は子ども。先生はお手伝い。私学だからできる大胆さだが、通常の発想とは逆さまの学校だ。

(2)愛知県東浦町の町立緒川小学校の実践例の紹介
25年前に校舎を建て替えた際、教室と廊下を仕切る壁をなくし、授業の方式や運営も改めた。始業式をはじめ様々な学校行事から動物の飼育まで、「大統領」に選ばれた子どもを中心に仕切らせる。先生は補佐役だ。少人数教育や自習も柔軟に行う。

(3)緒川小学校の卒業生の追跡調査の結果の紹介
緒川小学校の卒業生を一昨年、追跡調査した上智大学の加藤幸次教授が出した「自習の意欲や社会問題への関心など、多くの点で普通の学校の卒業生をしのぐ結果が出た」という報告


これらの事実から、「違いを違いとして互いに尊びあう社会をめざす教育こそが日本の力になる」となぜ言えるのか。また、そのような「日本の力」を日本社会が獲得するためには「子どもたちの多様性を認め、それを育てる」ことが「鍵」になるとどうして言えるのか。もちろん、朝日新聞の社説子も、「ここで触れた両校の手法ですべての問題が打開できるわけはない。しかし、頭を柔らかくするための参考にはなる」と留保をつけている。けれど、<飛躍>の理路は黙して語らず、ただ、口当たりのいい提言を曖昧に書き散らしたまま社説は終っている。しかし、この社説が推奨する施策は日本と日本の子供達にとっては曖昧でもなく重大。と、そう私は考えています。


◆オープンスクールの危険と弊害
朝日新聞の社説が紹介している、オープンスクール形態で総合学習に取り組んでいる緒川小学校卒業生の上智大学・東京学芸大学等による追跡調査は教育学界では有名ですが、(旧文部省の検定で「侵略→進出」の書き換え指示があったとかの如くには)朝日新聞も流石にここで調査結果を「改竄」などはしていません。

当該社説によれば、この調査は、【2002年の学習指導要領改訂で総合学習が全面的に導入される以前のこととて】総合学習を経験していない東浦町内の別の小学校の卒業生を対照グループとしたもので、高校生では「自分でテーマを決めたり選んだりして、いろいろな活動を通して学習するのが大いに好き」とのポジティブな回答は、同小出身の場合40%(対照グループは5%)、また、「自分の立てた計画に従って、一人で学習していくことが好き」「現代の社会問題に関心がある」などと応える比率も緒川小学校卒業生グループが対照グループより多かったとのこと。

蓋し、間違いなく緒川小学校では一定の<成果>があがったのだと私も思います。しかし、オープンスクールには問題も多いというのが英米におけるここ四半世紀の経験なのです。

畢竟、オープンスクール形態の授業で有意な能力開成果が認められるのは家庭の収入や親の教育水準において恵まれている極少数の子供達にすぎない。そして、オープンスクールの運営費用は当然、一斉授業形式の普通の学校よりも割高になる。ならば、教育を放棄した日教組教師の巣食う、(予備校や学習塾とは異なり)競争原理が導入されていない非効率な学校現場に「盗人に追い銭」よろしく、あるいは、湯水の如く税金を投入するか、さもなければ、高額の教育費に耐えられる、かつ、教育力の高い家庭のみがオープンスクールのメリットを享受できることになる。

敷衍しますが、(英米における経験から鑑みれば)オープンスクールの成果は、極めて少数の先天的に優秀な児童・生徒を除けば、(サルトルは「人間は自由という刑罰に科せられている」と喝破しましたが)その自由な授業形式に耐えられる教育力の高い家庭の子女に限られる蓋然性が高い。このことは、オープンスクールや総合学習、あるいは、所属クラス廃止制(完全単位制:授業の度に子供達が当該の先生のいる教室に移動する。ゆえに、学校には自分のロッカーはあるが自分の「教室」も「席」もない形態)を果敢に推進し、無惨な失敗に終ったカリフォルニアや英国の経験からは杞憂ではないのです。

ならば、この社説のオープンスクール賞賛は、海外の教育事情の無知によるものか、または、「教員の増員→日教組の勢力を維持拡大」という企みか、あるいは、その両方であろう。少なくとも、そう疑うことは満更悪意に満ちた理解ではないと思います。


◆「子供が学校を仕切れば教育も日本も良くなる」という幻想
オープンスクールの<成功>という事実から子供達に学校を仕切らせるべきだという価値判断は演繹できない。また、オープンスクールの教育的成果には疑義があり、そして、予算の使い道としても、例えば、塾・予備校等の民間教育機関に公教育を委託する「バウチャー制」に比べて見劣りのするものだ。私はそう考えていますが、これらに加えて、オープンスクールを巡るこの社説の主張は、政治哲学的にも重大な危険性を孕んでいるのではないかと危惧します。

復習になりますが、なにより、この朝日新聞社説は教育学的には嘘である。また、事実報道から価値判断を密造している。すなわち、オープンスクールの成果について加藤幸次さん(上智大学)の調査のみをしかも断片的に紹介するだけで、オープンスクールによって英米の教育が(子供達が!)いかに惨憺たる<成果>を味わったかをそれは無視している。而して、自説に不利な事実を伏せていることを「嘘つき」呼ばわりされてもそう文句は言えないでしょう。

そして、「主役は子ども。先生はお手伝い」、「始業式をはじめ様々な学校行事から動物の飼育まで、「大統領」に選ばれた子どもを中心に仕切らせる。先生は補佐役だ」という事実、または、きのくに子どもの村学園の卒業生の一人が「自分の頭で考えることの大切さを知った」と語った緒川小学校の卒業生グループでは「自習の意欲や社会問題への関心など、多くの点で普通の学校の卒業生をしのぐ結果」が対照グループに比べて認められるという事実から、いきなり、「子どもたちの多様性を認め、それを育てる。それが鍵だ」という<価値判断=政策判断>に飛躍する筆致は筆先の詐術、正に、論理ではなくプロパガンダに他ならないでしょう。


而して、この社説にも見られる(笑)、根拠不在の主張は朝日新聞の特殊なイデオロギーに起因するのかもしれません。例えば、

子供は正しい。子供はみな自分で考えれば正しい行動を取れる能力がある。よって、極々一部の補佐さえ大人(教師)が与えてやれば、子供達は民主的な話し合いの中で学校運営にせよカリキュラムにせよ正しい方針選択をしてそれを実行できるのだ。中途半端は止めて子供達にすべて仕切らせよ


というような「子供が学校を仕切れば教育も日本も良くなる」とするイデオロギーです。おそらく、これくらいの<補助線>を引いて初めてこの社説の主張は事実から演繹されるに違いない。しかし、この<補助線>は幻想にすぎない。仕切る・判断するための知識も方法論も身についていない子供達に仕切る・判断する経験を与えることで仕切る能力・判断する能力を鍛えることができるとは途方もない幻想だろうからです。

それは、体力トレーニングもせず球種や配球の知識も与えないまま「小中学生時代から野球の実践訓練をしていれば、その子が大学生になる頃にはプロ野球のピッチャーの球も打てるようになる」と考えるよりも遥かに非現実的なものでしょう。実際、社説冒頭に登場するきのくに子どもの村学園の卒業生の一人は、19歳にもなって「途上国で水の管理や整備に取り組もうか、それともジャーナリストになって世界を歩き回ろうか」と進路を思い悩んでいる状態。要は、普通の大学1-2年生とあまり変わらない状態なのですから。


しかし、このような論理的にも理論的にも無茶苦茶な社説でも、ほっておけば、実験的にせよオープンスクールの推進に与する力にもなりかねず、それは日教組の巣食う学校現場に公費で兵站補給がなされることを意味する。私はそう危惧します。

而して、その次の段階では、彼等、朝日新聞・日教組・民主党は、実験的に導入されたそれらオープンスクールが何らかの成功を収めた場合(英米の経験を見るまでもなく、裕福な家庭の優秀な生徒を、有能な経営管理者の下で働く練達の教育者群とマッチングさせればオープンスクールが成果を上げるのは当然です!)、その特殊な成果を単純にオープンスクールの制度自体としての優位性として彼等は喧伝するだろう。そして、あろうことか、オープンスクールとはどんな意味でも無関係な「子供が学校を仕切れば教育も日本も良くなる」という戦後民主主義的な教育観の正当性が証明されたと言い始めるに違いない。

蓋し、例えば、所謂「歴史教科書問題」や所謂「従軍慰安婦問題」における朝日新聞・日教組に代表される反動左翼の手口を想起すればこの一連の想定は満更荒唐無稽なものでもないのではないでしょうか。ならば、日本の子供達のため、日本の教育の再生ためには戦後民主主義的な教育観の打破あるのみ。と、そう私は考えます。

打倒、民主党!
打倒、日教組!
共に闘わん!







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