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外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(Ⅱ)

2009年11月23日 12時53分00秒 | 日々感じたこととか


◎百地論稿が挙げる外国人選挙権違憲理由の検討
「ディズニーランドの比喩」でコメントした如く、(0)「納税実績は外国人選挙権の理由にはならない」ことには議論の余地はありません。畢竟、「納税を理由に外国人に参政権を認めている国などどこにも存在しない」(ibid., p.99)という百地さんの指摘はどこまでもどこまでも限りなく正しい。

而して、逆に言えば、この「納税⇔選挙権」のリンク容認論は、例えば、「貧困ゆえに納税できない日本人は地方参政権が否定される」帰結になりかねないもの。蓋し、この容認論は、ロールズ的に言えば、社会正義の観点からはその声が最も政治や行政に反映されるべき最弱者を政治という公共空間から排除する理路を含意しているものかもしれません(★)。

★註:ローズの「正義の第2原理」
ジョン・ロールズは、『正義論』(1997年)の中で、正義が社会を枠づける得る前提として(ある社会がその社会のメンバーに対してその秩序の正当性を主張しうるためには)、「社会的・経済的不平等は次の2条件を満たすものでなければならない」と語りました。その2条件とは、

a)それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。
b)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。

而して、普通選挙制度も累進課税制度もこのローズの「正義の第2原理」から説明することは可能であり、他方、この原理からは、(ミクロ的には逆累進性を帯びる)消費税が正当化されるためには、そのマクロ部面での合理性(直接税部分での脱税の四天王:医師・ヤクザ・パチンコ屋・建設業の親方も、消費機会毎に漏れなく課税される!)に加えて、食品・衣類・交通費・水光熱費等々の生活費部分で低所得層をサポートするサブシステムとリンクされなければならないことが演繹される。蓋し、「納税⇔選挙権」のリンク容認論はロールズの「正義の第2原理」に真っ向喧嘩を売る大変勇気のある主張ではないか。憲法無効論の信者同様、これは「無知は勇気:盲、蛇に怖じず」の典型例と言うべきかもしれません。



(1)参政権は国民固有の権利
(2)地方の選挙権の主体「住民」も「国民」である
(3)「国政」と「地方政治」は切り離せない

上にも書いた通り私はこの違憲理由(1)(2)には疑問を持っています。具体的には、「そもそも参政権は、日本国憲法15条1項が明記しているとおり「国民固有の権利」であって、日本国民のみが有する」(p.99)に異論はないけれど後段の「日本国民のみが有する」から外国人地方選挙権の全否定が導かれるかどうかには疑義があるということ。

蓋し、参政権は日本国民の基本的人権であり、例えば、身長や納税額等の非合理または正義に反する基準でもって参政権が与えられる日本人の範囲を決定することが憲法違反であることは間違いない(但し、現在でも公職選挙法11条によれば、「禁錮以上の刑に処せられその執行を終るまでの者」等には選挙権・被選挙権とも認められません)。けれども、それと(再々になりますが、外国人にとって参政権が基本的人権ではないことは当然として)、外国人に地方選挙権を付与する制度が違憲であることは単純に楯の両面として同値ではなく、寧ろ、この両者はある意味ウィトゲンシュタインの有名な「兎アヒル」的な関係にあるのではないか、少なくともこの両者には些か懸隔がある。と、そう考えるのです(★)。

要は、「参政権は、日本国憲法15条1項が明記しているとおり「国民固有の権利」である」という命題の射程は、下記の(a)(b)までであり、これら(a)(b)を前提にした(c)は現行憲法15条(および93条2項)の射程外の事態ではないかということ。

(a)参政権=日本国民の基本的人権
(b)参政権=外国人の基本的人権ではない
(c)基本的人権ではない地方行政の一法制度としての外国人地方選挙権

実際、明治初期の「お雇い外国人」、就中、ボアソナードやヘルマン・ロエスエルの刑法・憲法制定に果たした役割を考えれば、他方、現在でも国公立大学には少なくない外国籍教官が奉職していて、次の時代を担う若者の育成に献身しておられることを鑑みれば、外国人が実質的に日本の国政に影響を与えることを完封することは適当ではなく、また、土台不可能なことではないでしょうか(よって、反日外国籍集団には外国人選挙権の是非とは別の回路で反撃防御を行なうのが適当であろうと思います)。

ならば、先の引用に続く百地さんの記述。「だから、憲法の英訳でも「インエイリアナブル・ライト(inalienable right)」つまり「不可譲の権利」であって、外国人に譲り渡すことなどできない権利とされている」(ibid.)は、(通常、「不可譲の権利」とは「国家権力から奪われない権利」という意味に解すべきだと思いますが、それは置いておくとしても)外国人に人権としての参政権を認めようなどとは考えていない「(a)→(b)→(c)」の理路への批判にはなっておらず、畢竟、外国人地方選挙権の妥当性は(3)「「国政」と「地方政治」は切り離せない」かどうかという事実問題、あるいは、制度設計の法技術的問題に収斂するの、鴨。

蓋し、確かに外国人地方選挙権の制度化によって、相対的に日本国民の政治的影響力が減じることになれば外国人地方選挙権は現行憲法15条違反の選挙制度ということになるでしょう。しかし、もし、地方行政と国政が国民が許容しうる限度まで切り離すことができるのならば、「(a)→(b)→(c)」を肯定する立場からは外国人地方選挙権が違憲とは言えないと思うからです。而して、私は(3))「「国政」と「地方政治」は切り離せない」かどうかに関しては保留して、容認説に対して「切り離せるものなら切り離してみろ」と言うべきだと考えています。

尚、以上の考察で、ヴェニスの商人説の第2項「一般論として、外国人地方選挙権自体は違憲ではない」と(国政と地方政治が切り離されていない現状を踏まえた)第3項「地方行政と国政の未分離、特別永住者制度を残した現段階での外国人への地方選挙権付与は違憲」の意味もまた説明できたと思います。




★註:兎アヒル
上の有名な騙し絵を参照いただきたいのですが、ウィトゲンシュタインは『哲学探究』2部11章で、「人はこれを兎の頭とも、アヒルの頭とも見ることができる。すると私は、一つの相の「恒常的な見え」と、一つの相の「閃き」とを区別しなければならない。像はすでに私に示されていたが、私はそこに兎以外の何ものをも見てはいなかったということがありうるのだ」と述べています。

蓋し、現行憲法15条の「参政権=国民固有の権利」理解から参政権の日本国民にとっての基本的人権性の肯定と外国人にとっての基本的人権性の否定を導き出すだけでなく、その憲法の条項や「国民主権の原理」なるものから基本的人権とは無縁の、外国人選挙権制度の違憲性を演繹することはこの画像に「兎」だけを見て「アヒル」を見ない事態とパラレルだと思います。





(4)外国人への参政権付与は決して「世界の流れ」ではない

百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由の(4)は極めて妥当。以下、引用させていただきます。

「外国人に参政権を付与している国は、北欧諸国やEU諸国を除けば、スイス、ロシアなど数ヵ国だけであって、決して【外国人への参政権付与は】世界の流れなどということはできない。しかも、北欧諸国などの場合、周辺諸国との間で早くから地域協力や相互移住が行なわれてきており、専ら移民対策として外国人に選挙権を付与しただけである。

また、・・・EU諸国は・・・、【EU域内に】限り、相互主義のもと【EU】加盟国国民に対して、「連合市民権としての地方参政権」を認め合っているだけである。したがって、これはわが国で言われているような「外国人への地方参政権付与」とは別ものといえよう。

さらに、イギリス、カナダ、オーストラリアなどのイギリス連邦諸国では、旧宗主国と植民地との間で二重国籍を認めあった上でそれら市民に選挙権を付与しているが、これは「自国民への選挙権付与」である。・・・このように考えると、文字通り外国人に選挙権を付与している国などきわめて限定されている。その上、それぞれの特殊事情なり歴史的背景があってのことであるから、事情を全く異にするわが国の参考にはならない」(ibid., p.103)


外国人地方選挙権を巡る世界の趨勢は、百地論稿の言葉、「文字通り外国人に選挙権を付与している国などきわめて限定されている。その上、それぞれの特殊事情なり歴史的背景があってのこと」に尽きていると思います。リベラル派が語る「世界の趨勢としての外国人地方選挙権」なる妄想の正体は、そもそも外国人地方選挙権とは呼べないものであるか、そう呼べるにしてもそれは「特殊な事情=冷徹な国益計算」が背景にあってのことなのです(★)。

而して、民主党が導入を期す外国人地方選挙権付与制度は、(イ)日本と国交のある国を国籍国とする、(ロ)永住者を対象とし、かつ、(ハ)相互主義を採用しないものと報じられています。蓋し、(ハ)を鑑みるにこの法案が想定するメインターゲットは韓国人ではなく支那人なのだと思います。実際、現実の人口の推移においても、在日韓国人・朝鮮人の永住者はここ10年間、年1万人強のペースで減少しており(かつ、彼等の年齢別人口構成からは、この傾向は今後10年間は更に加速するものと予想されており)、他方、支那人はそれとほぼ真逆の勢いで増えていますから(★)。

もちろん年齢の制約もあり、永住者数がそのまま外国人有権者数ではない。しかし、2009年11月の今でも、民主党法案が成立した瞬間に(話半分としても)支那・韓国で合計30万の票田が出現するのです。そして、例えば、「人口30万-有権者数20万」クラスの地方自治体にとっても、その新たな票田のプレゼンスは(まして、地方選挙の投票率が通常35%前後であることを想起すれば)到底無視できない規模であることは自明でしょう。

尚、民主党法案は「日本と当該の国籍国との間に国交が存在すること」を選挙権付与条件にしている。ならば、この制度が台湾国民にとって「踏み絵」として使われる可能性もあると思います。すなわち、「台湾国籍」に固執する台湾人には日本の地方選挙権は与えられず、「中華人民共和国台湾省」所属として自己をアイデンティファイした台湾人には地方選挙権を認めるといった取り扱いも満更不可能ではないということです。

★註:韓国の外国人地方選挙権制度
2005年7月に在韓永住外国人に対して地方選挙権付与制度を導入した韓国では、選挙権を取得するためには、①永住権取得後3年以上が経過していることが必要であり、しかも、②その永住権取得には、韓国内で200万ドル以上の投資を行なった実績か、あるいは、その投資に匹敵する一定額以上の収入実績が条件になっている。而して、2006年5月に行われた選挙では、韓国在住外国人20万人中、選挙権が与えられたのは日本人51人を含む6,726人にすぎませんでした(内訳は、大陸系支那人5人;台湾人6,511人;アメリカ人8人等々)。

要は、韓国の「外国人地方選挙権」なるものは外国資本誘致の方便に他ならない(あるいは、「海老鯛」式に51人の日本人に韓国の地方選挙権を与えるのと引き換えに、20万人を優に超える在日韓国人に日本の地方選挙権を取らせるための施策)と勘繰られても文句は言えそうにない、畢竟、「友愛」とは無縁の見事に合目的的な制度なのです。

★註:在日外国人と永住者の質と量
2008年末現在の永住外国人数は912,361人であり、その内訳は、

・韓国・北朝鮮:特別永住者416,309人(+一般永住者53,106人)
・支那+台湾:特別永住者2,892人(+一般永住者142,469人)
・ブラジル:特別永住者26人(+一般永住者110,267人)

同じく昨年末現在、外国人登録者数ではもう「支那>韓国・北朝鮮」なのです。蓋し、現在の人口変動の傾向が単純に続いたとしても10年後の2019年末には、在日韓国人・朝鮮人の永住者はおそらく30万足らず。他方、間違いなく支那人永住者数はそれを上回る(少なくとも35万人を上回る)ことは確実でしょう。

・韓国・北朝鮮:589,239人
・支那+台湾:655,377人
・ブラジル:312,582人

・法務省入国管理局データ
 http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan90-4.pdf

尚、外国人が孕む社会思想的な課題に関しては下記拙稿をご参照ください。

・外国人がいっぱい
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html

・揺らぎの中の企業文化
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html




(5)独仏ともEU加盟国国民に地方選挙権を付与するため憲法改正を行った

百地論稿はこう記しています(★)。

「ドイツやフランスでは、外国人への地方参政権の付与は憲法違反とされたことがあり、EUへの加盟に当たっては、外国人(連合市民)への地方参政権付与のための憲法改正まで行っている。

まず、ドイツでは1989年、ハンブルクとシュレスヴィッヒ・ホルシュタインの両州が永住外国人に対し地方参政権(選挙権)を付与したが、ドイツ連邦憲法裁判所は1990年、これを違憲とした。というのは、ドイツ憲法第20条2項が「国家権力は、国民により、選挙および投票によって・・・行使される」としていること、そしてこの「国民」とは、ドイツ国民に他ならないことから、外国人に参政権を付与することはたとえ地方レベルであっても許されないと判断したからである。そこで、ドイツでは、1992年、EU条約の批准に伴い憲法を改正して、外国人(EU加盟国国民)に地方参政権を認めた。

また、フランスの憲法院も1992年、外国人に地方参政権を付与することを認めたヨーロッパ連合条約を憲法違反とした。その理由として、判決は憲法第3条4項が「フランス国民の成年男女は、すべて・・・選挙人である」としており、フランス国民のみが参政権を有することなどをあげている。そのため、フランスでも、同年、EU条約を批准するため、憲法改正を行なっている。

この点、日本国憲法は、条文上の根拠がやや曖昧なドイツやフランスの憲法などとは異なり、参政権が「国民固有の権利」であることを明記しているから、外国人への参政権付与が憲法違反であることは、きわめて明確である。したがって、現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反であり、どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」(ibid., pp.103-104)


これは事実の的確な紹介。ただ、すでに旗幟を鮮明にしているとおり、引用の最後の箇所「現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反であり、どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」に関して、私はその前段「現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反」という主張には満腔の賛意を表しますが、後段の「どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」には疑義があります。要は、「国政と地方政治が切り離せる」とすれば、すなわち、参政権とは異なる選挙権のあり方があり得るとすれば、「憲法を改正をしなくとも外国人に選挙権を付与することは可能」と考えるからです。

再々になりますが、白黒はっきり言えば、「外国人地方選挙権は基本的人権かどうか」ではなく「外国人に選挙権を与える制度が違憲かどうか」が問われる憲法訴訟においては(その憲法訴訟は1995年判決の判決理由の射程を越えており、よって、同判決の傍論に鑑み)、93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」に言う「住民」は「外国人たる住民」をも含むと解することも可能であると思います。

★註:独仏の外国人地方選挙権付与制度導入と憲法改正
マーストリヒト条約批准に際してドイツは8ヵ条に亘り憲法の改正を行いました。その一つがEU加盟国国民の地方参政権を認めるためのドイツは憲法(ボン基本法)28条の改正。他方、同じくEU加盟国国民の地方参政権を認めるためフランスは憲法に88条の3を追加した。

注意すべきはドイツ憲法は、連邦の参政権を規定する20条も地方レベルの参政権を規定した28条1項も元来、選挙権行使の主体として「国民」のみを記していたこと。同様に、フランス憲法3条4項は国と地方を問わず選挙権行使の主体として「フランス国民の成年男女」と記していたことです。この点、国政に関与する参政権の主体を「国民」(15条)と、他方、地方レベルの「参政権≒選挙権」の行使主体として「住民」(93条2項)と書き分けている日本の現行憲法と独仏の憲法とは異なっている。けれども、93条2項の「住民」に関して1995年判決はその判決理由の中で、「住民=住民たる国民」の意味であると明確に判示しています。而して、この法廷意見は「参政権行使主体の確定」が争点の憲法訴訟においては至極当然のものであった。と、そう私も考えます。

ドイツ憲法28条1項
州の憲法的秩序は、この基本法の意味における共和制的、民主的および社会的法治国家に適合しなければならない。州、郡および市町村においては、国民は、普通、直接、自由、平等、秘密の選挙に基づく代表機関を有しなければならない。郡および市町村の選挙においては、ヨーロッパ共同体の構成国の国籍を有する者も、ヨーロッパ共同体法に基づいて選挙権および被選挙権を有する。市町村においては、市町村集会が、選挙された団体に代わることができる。

フランス憲法88条の3
相互主義の留保のもとに、かつ、1992年2月7日に署名された欧州連合条約に定められた諸方式にしたがって、市町村会選挙の選挙権ならびに被選挙権は、フランスに居住する欧州連合市民にのみ付与することができる。これらの市民は、市町村長もしくは助役の職務を行使することはできず、元老院議員選挙の選挙人の指名及び元老院議員の選挙に参加することもできない。両院により同一の文言で表決された組織法律が、本条の施行要件を定める。



<続く>


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